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終章 余寒、運命の後期
十九
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翌日も、その次の日も、「今もアルシャはカムナギとして活動している」と思うことで、おれの心は静けさを保っていた。
――カムナギへの道に集中する。
“カムナギになる者” として在るリュエルの雰囲気は研ぎ澄まされ、気迫がある。それは鬼気迫るようなものではなく、どこか厳かで、神聖さすら感じさせた。
メルは胸の前で手に手を重ねる。今のリュエルを見ていると、何故だか祈るような気持ちになるのだ。
「この数日ですっかり雪が解けた」
「あそこの木、お花がたくさん咲いてる」
「一気に咲いたな」
「明日は祝祭だもんね」
おれはブリランテとメルの会話を聞きながら窓の外を眺める。
雪解けの雫を乗せて煌めく緑を捉え、目を細めた。
そうして、あっという間に春祭りの日がやってきた。
普通に講義が行われている間も、生徒たちの頭には放課後の祭りがあり、どこか浮ついた感じだ。休憩時間にテテッとやってきたメルが、思い出したように言う。
「ダンスパーティーでね、最後にダンスを踊った相手と、ずっと一緒にいられるんだって」
おれは瞬時にアルシャを思った。そこへブリランテがやって来て、腰に手を当てる。
「その話なら、ぼくも聞いたことがある。侍衛や侍官になってほしい相手を捕まえようと、少し前から動いているやつもいるな」
「最後のダンスを一緒に踊ってくれませんか? ってお誘いは、そういう意味だから安易に答えてはいけないって、ぼく、父さまから言われたよ」
――ということは、古くから言われていることなのだろう。それにしても、メルの言葉にはツッコミどころが満載で、数々の言葉が巡った末、おれは沈黙してしまう。
「リュエルは誰と踊るか決めてる?」
「……いや。メルは決めてるのか?」
「グランから誘われてるよ。ブリランテは?」
ブリランテがいつかランザームといたとき、穏やかな雰囲気だったのを思い出した。
「ランザームか?」
言ってみると、ブリランテがにわかに驚いたような顔になる。そこでメルが瞳を輝かせた。
「ランとブリランテは幼馴染だもんね。もう誘ったの?」
「っ誘っていない」
「早く誘ったほうがいいんじゃない? ランは武道大会で活躍したし、けっこう人気だもの」
へー、そうなのか。のんびり思うおれとは正反対に、ブリランテは込み上げた焦りに背中を押されてバッと踵を返し、ハッとして動きを止めた。
「……もう次の講義が始まる」
唖然と呟いたかと思うと、席に戻っている。冷静さを失わないのが、さすがのブリランテである。
講義を受けながら、おれも最後のダンスについて考えてしまった。
放課後、わくわくのクラスメイトたちを遠く感じながら、メルと聖堂へ向かった。
「今日はアルシャさんも来るんだよね」
「らしいな」
「アルシャさん、後期はぜんぜん見かけないよ。学生でも、カムナギのお仕事ってたくさんあるんだね」
前期に屋上で会ったとき、アルシャは言っていた。
『僕ももっと、積極的に引き受けるようにするよ』
あれから、おれが “ウタ紡ぎ” の用で呼ばれたことはない。長期休暇でテオに会ったとき、この頃は切羽詰まった話は聞かないと言っていた。もしかしたら、アルシャが引き受けているおかげかもしれない。
言祝ぎのほうを優先したいと言っていたのに。
(もう、時間がないのに)
『僕は、君にも素晴らしい世界を見てほしいと思ったんだ』
そのためにアルシャは、自分の時間を使うと決めたのか。おれはぐっと拳を握りしめる。気を抜いたら、涙が零れそうだった。
聖堂に全校生徒が集まると、祝祭が始まった。
司会役の生徒が今日という素晴らしい日について語り、みんなで讃美歌を謳う。それから、カムナギのアルシャが登場した。
久しぶりに見るアルシャの輝きは変わらない。いつものように微笑を浮かべ、目蓋を閉じて、その唇でウタを紡ぐ。こんなに美しいウタなのに、こんなにキラキラ煌めく素晴らしい世界を見ているのに、胸が苦しくなるのは、彼の運命を知っているからだろうか。
誰もがアルシャのウタに心を奪われた様子でいる。おれは唇を引き結び、待ち受ける現実に打ちのめされないよう、床に着いている足に力を入れて、やっとで立っていた。
最後の響きが空間に溶けて消えると、大喝采が聖堂を満たした。
おもむろにかち合う視線。目を丸くする。
アルシャはうっかり目をやってしまったという感じで、すぐに視線を逸らしてしまった。
「それでは皆さん、精靈に、自然に感謝し、喜びを分かち合い、存分に楽しみましょう!」
パーティーの幕開けだ。
「リュエル、外に行こう。きっともう、お店の用意ができてるよ」
「……ああ」
おれは半分意識が漂っているような感覚でメルの後に続く。
聖堂の外へ出ると、カラフルなテントの出店が幾つもあって驚いた。
「今日ばかりは勉強はお預けだね。見て、あっちに野外劇場もある。リュエルは演劇に興味ある?」
「……演劇って、そんなに身近なものか?」
おれはこれまでの人生で一度も遭遇したことがない。というか、さすがのお坊ちゃん学校。あちらに見えるのはメリーゴーランドではないか。子どもの頃に両親と行った旅行先で見た記憶がある。
金色が目立つ派手な天蓋の下で木馬が回っている。お花や人型の精靈の飾りがロマンチックだ。あれは子どもが乗るものだと思っていたのだが――。
唖然としたおれの顔を見て、メルが眉を上げる。
「祝祭にはお決まりのものだと思ってた」
「え、ああ…、そうなのか」
おれの視線を追い、メルもそれを発見したらしい。
「リュエル、メリーゴーランドに乗りたいの?」
「あれって、子どもが楽しむものだろ」
「だけどぼく、見ているだけで楽しくなるよ」
それはまぁ、そうかもしれない。
「あ、あのフワフワの食べ物なんだろう」
「メル、」
「メル、一人で突っ走らないように言っただろう?」
「グラン!」
一人で走り出したメルを抱き止めたグランは、おれに気づいて手を上げる。
「俺は演劇なるものを見てみようと思ってたんだ。メルとリュエルもどうだ?」
「うん。その前に、なにか食べる物を見てもいい?」
「もちろん」
おれは目の前に広がる非日常の光景をぼぅっと目に映していた。頭の片隅ではずっとアルシャのことが気になっている。
(ぜんぶ、ゆめならいいのにな)
「リュエルはどうする?」
「ああ…」
何をしていても、集中して楽しめそうにない。考えることを放棄してグランに続いた。
「魅力的なお店がいっぱいあって、目移りしちゃう」
「演劇を見たあとも出店はあるからな。あとでゆっくり回ろう」
「それじゃあ、定番のおやつにしようかな」
「俺はそこの揚げポテソーにしよう」
「おれはいい。……あー、あそこのフルーツボウルで」
二人からじっと見られ、回答を変更したおれだった。
それぞれに食べ物を確保して向かった野外劇場。観客用に置かれた椅子はすでに大体埋まっていた。運良く三つ並んで空いている場所を見つけて腰を下ろす。
グランが右隣に座ったメルに向け、口を開いた。
「演劇って、どんな内容をやるんだ?」
「古典文学の一幕とか、精靈と共にある世界の美しさや喜びなんかを自由に表現した内容も多いよ」
そのうち、自然に始まった演劇。どうやら今回は後者だったらしい。
セリフは一切なく、静けさの中、一人のダンスから始まった。布の多い服を着ている。途中から人が増え、楽器演奏も加わった。
のびのびと高らかに響く音楽。
躍動する命。
自由に走り回る子供たちは精靈を表現しているのだろう。徐々に盛り上がっていく様子は、春の訪れを現しているようである。
色とりどりの紙ふぶきのなか、思い思いに踊り狂う人たち。
――生きている!
彼らの全身から、喜びが溢れ出している。大人も子どもも誰も彼も。無邪気な笑い声は精靈の煌めきのようだ。ああ、世界は、我々は、こんなにも自由で素晴らしく、美しいのだと。
――カムナギへの道に集中する。
“カムナギになる者” として在るリュエルの雰囲気は研ぎ澄まされ、気迫がある。それは鬼気迫るようなものではなく、どこか厳かで、神聖さすら感じさせた。
メルは胸の前で手に手を重ねる。今のリュエルを見ていると、何故だか祈るような気持ちになるのだ。
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「あそこの木、お花がたくさん咲いてる」
「一気に咲いたな」
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おれはブリランテとメルの会話を聞きながら窓の外を眺める。
雪解けの雫を乗せて煌めく緑を捉え、目を細めた。
そうして、あっという間に春祭りの日がやってきた。
普通に講義が行われている間も、生徒たちの頭には放課後の祭りがあり、どこか浮ついた感じだ。休憩時間にテテッとやってきたメルが、思い出したように言う。
「ダンスパーティーでね、最後にダンスを踊った相手と、ずっと一緒にいられるんだって」
おれは瞬時にアルシャを思った。そこへブリランテがやって来て、腰に手を当てる。
「その話なら、ぼくも聞いたことがある。侍衛や侍官になってほしい相手を捕まえようと、少し前から動いているやつもいるな」
「最後のダンスを一緒に踊ってくれませんか? ってお誘いは、そういう意味だから安易に答えてはいけないって、ぼく、父さまから言われたよ」
――ということは、古くから言われていることなのだろう。それにしても、メルの言葉にはツッコミどころが満載で、数々の言葉が巡った末、おれは沈黙してしまう。
「リュエルは誰と踊るか決めてる?」
「……いや。メルは決めてるのか?」
「グランから誘われてるよ。ブリランテは?」
ブリランテがいつかランザームといたとき、穏やかな雰囲気だったのを思い出した。
「ランザームか?」
言ってみると、ブリランテがにわかに驚いたような顔になる。そこでメルが瞳を輝かせた。
「ランとブリランテは幼馴染だもんね。もう誘ったの?」
「っ誘っていない」
「早く誘ったほうがいいんじゃない? ランは武道大会で活躍したし、けっこう人気だもの」
へー、そうなのか。のんびり思うおれとは正反対に、ブリランテは込み上げた焦りに背中を押されてバッと踵を返し、ハッとして動きを止めた。
「……もう次の講義が始まる」
唖然と呟いたかと思うと、席に戻っている。冷静さを失わないのが、さすがのブリランテである。
講義を受けながら、おれも最後のダンスについて考えてしまった。
放課後、わくわくのクラスメイトたちを遠く感じながら、メルと聖堂へ向かった。
「今日はアルシャさんも来るんだよね」
「らしいな」
「アルシャさん、後期はぜんぜん見かけないよ。学生でも、カムナギのお仕事ってたくさんあるんだね」
前期に屋上で会ったとき、アルシャは言っていた。
『僕ももっと、積極的に引き受けるようにするよ』
あれから、おれが “ウタ紡ぎ” の用で呼ばれたことはない。長期休暇でテオに会ったとき、この頃は切羽詰まった話は聞かないと言っていた。もしかしたら、アルシャが引き受けているおかげかもしれない。
言祝ぎのほうを優先したいと言っていたのに。
(もう、時間がないのに)
『僕は、君にも素晴らしい世界を見てほしいと思ったんだ』
そのためにアルシャは、自分の時間を使うと決めたのか。おれはぐっと拳を握りしめる。気を抜いたら、涙が零れそうだった。
聖堂に全校生徒が集まると、祝祭が始まった。
司会役の生徒が今日という素晴らしい日について語り、みんなで讃美歌を謳う。それから、カムナギのアルシャが登場した。
久しぶりに見るアルシャの輝きは変わらない。いつものように微笑を浮かべ、目蓋を閉じて、その唇でウタを紡ぐ。こんなに美しいウタなのに、こんなにキラキラ煌めく素晴らしい世界を見ているのに、胸が苦しくなるのは、彼の運命を知っているからだろうか。
誰もがアルシャのウタに心を奪われた様子でいる。おれは唇を引き結び、待ち受ける現実に打ちのめされないよう、床に着いている足に力を入れて、やっとで立っていた。
最後の響きが空間に溶けて消えると、大喝采が聖堂を満たした。
おもむろにかち合う視線。目を丸くする。
アルシャはうっかり目をやってしまったという感じで、すぐに視線を逸らしてしまった。
「それでは皆さん、精靈に、自然に感謝し、喜びを分かち合い、存分に楽しみましょう!」
パーティーの幕開けだ。
「リュエル、外に行こう。きっともう、お店の用意ができてるよ」
「……ああ」
おれは半分意識が漂っているような感覚でメルの後に続く。
聖堂の外へ出ると、カラフルなテントの出店が幾つもあって驚いた。
「今日ばかりは勉強はお預けだね。見て、あっちに野外劇場もある。リュエルは演劇に興味ある?」
「……演劇って、そんなに身近なものか?」
おれはこれまでの人生で一度も遭遇したことがない。というか、さすがのお坊ちゃん学校。あちらに見えるのはメリーゴーランドではないか。子どもの頃に両親と行った旅行先で見た記憶がある。
金色が目立つ派手な天蓋の下で木馬が回っている。お花や人型の精靈の飾りがロマンチックだ。あれは子どもが乗るものだと思っていたのだが――。
唖然としたおれの顔を見て、メルが眉を上げる。
「祝祭にはお決まりのものだと思ってた」
「え、ああ…、そうなのか」
おれの視線を追い、メルもそれを発見したらしい。
「リュエル、メリーゴーランドに乗りたいの?」
「あれって、子どもが楽しむものだろ」
「だけどぼく、見ているだけで楽しくなるよ」
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「あ、あのフワフワの食べ物なんだろう」
「メル、」
「メル、一人で突っ走らないように言っただろう?」
「グラン!」
一人で走り出したメルを抱き止めたグランは、おれに気づいて手を上げる。
「俺は演劇なるものを見てみようと思ってたんだ。メルとリュエルもどうだ?」
「うん。その前に、なにか食べる物を見てもいい?」
「もちろん」
おれは目の前に広がる非日常の光景をぼぅっと目に映していた。頭の片隅ではずっとアルシャのことが気になっている。
(ぜんぶ、ゆめならいいのにな)
「リュエルはどうする?」
「ああ…」
何をしていても、集中して楽しめそうにない。考えることを放棄してグランに続いた。
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「演劇を見たあとも出店はあるからな。あとでゆっくり回ろう」
「それじゃあ、定番のおやつにしようかな」
「俺はそこの揚げポテソーにしよう」
「おれはいい。……あー、あそこのフルーツボウルで」
二人からじっと見られ、回答を変更したおれだった。
それぞれに食べ物を確保して向かった野外劇場。観客用に置かれた椅子はすでに大体埋まっていた。運良く三つ並んで空いている場所を見つけて腰を下ろす。
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「古典文学の一幕とか、精靈と共にある世界の美しさや喜びなんかを自由に表現した内容も多いよ」
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のびのびと高らかに響く音楽。
躍動する命。
自由に走り回る子供たちは精靈を表現しているのだろう。徐々に盛り上がっていく様子は、春の訪れを現しているようである。
色とりどりの紙ふぶきのなか、思い思いに踊り狂う人たち。
――生きている!
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