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第8話 サーカス ①
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満員の円形客席の最前列に座り、有珠斗は口を半開きにして演者たちを見つめる。
彼は今、思いっきり普通に、サーカスを堪能していた。
(素晴らしい!芸術、これぞまさに芸術!この世界の無形文化遺産として登録すべきだ!)
今は空中ブランコの演技中。
テントの天井部、ブランコからブランコへと飛び移るのは、蝶を思わせる華麗な衣装に身を包んだ「妖精の女王」だ。
女王とその配下の妖精たちが夜空の下で舞踏会を開く、というコンセプト。
妖精たちとその女王は、舞台上でステップを踏み、幾度も宙返りをしたかと思えば、天井から降りてきたブランコにつかまり、今度は空中で舞い踊る。
楽隊による魅惑的な演奏、幻想的な照明、重力を無視したような見事な舞い、そして何よりも女王の美しさ。
ピンク色の長い髪を一つでまとめ花飾りをつけ、白い肌に影を落とす濃く長いまつ毛と神秘的な青緑の瞳、細い鼻筋とうるむ唇。
妖艶な美女、とはまさにこういう女性のことを言うのだろう。
有珠斗がその現実離れした美しさに感動していると。
「今日もお美しいわねラミア様。まるで本物の妖精の女王のよう!」
「本当に、惚れ惚れするわ。あんな美しい殿方、世界中探してもラミア様だけよ」
隣の席の女性たちの会話が聞こえてきた。
(ん……?)
有珠斗はガバとそちらを向く。
「って『殿方』!?あの人、男なんですか!?」
隣の女性二人は、有珠斗の慌てように顔を見合わせて吹き出した。
赤毛を縦ロールにした女性と、黒髪を編んでアップした女性。二人とも二十代くらいに見える。
「あら、知らなかったの?そうよあの方は、ぺモティス・ファミリーの次男、『軽業師』のラミア様二十二歳!」
「おと、おとこ」
有珠斗の名状しがたいショック顔に、女性たちは同情した様子だ。
「あら落ち込まないで!恋しちゃった?」
「いきなり失恋ね」
不意打ちの言いがかりに有珠斗は赤くなる。
「いやいや恋ってなんですか、失恋とかおかしいでしょう、ただ驚いただけです!」
赤毛の女性が、手にした薔薇の花束を見せる。
「そうだ、公演終わったら控室にお花を届けようと思って持ってきたの、あなたも一緒に行く?ラミア様とお話しできるかも」
「結構です!」
「もう、むきになっちゃって」
黒髪の女性が言う。
こういうことを言われると本当に「むきに」なってしまうものである。有珠斗は眉間にしわを寄せる。
「ですから僕は……」
本気でむきになりかかったところで、大きな歓声と拍手があがった。
妖精たちの演目が終わり、中央舞台から降りて、テントの仕切りの向こう側、そでへと帰って行くところだった。
女性二人も拍手にくわわる。有珠斗も気持ちを切り替えて拍手した。何はともあれ、賞賛に値する演技だった。
その後の演目も見事なものだった。
「怪力男」ヴィネは、客席から呼んだ子供たちを数人乗せた大岩を軽々と持ち上げ、鉄の棒をやすやすと曲げてみせた。
ヴィネは力自慢だけでなく演武も披露した。
次々放り投げられるレンガを、剣で一刀両断にしていく様はまさに神業。相当な練度の剣技だろう。
流れるような剣さばきを見せつけながら、女性たちの黄色い悲鳴や子供たちの呼び声に、愛想良くアイコンタクトで応えるのも忘れない。
(うーん、かっこいい)
同じ十八歳なのに。
「道化師」オライの演技は、会場中を笑わせていた。十二歳とは思えないプロとしての仕事ぶりに感心したが、有珠斗としては眉をひそめたくなる部分もあった。
オライはひょいひょいと両手に持った松明を放り投げ、ジャグリングをしていたが、「うっかり」頭の頭巾に火がついてしまう。
オライは頭巾の火を消そうと舞台上を走り回って大騒ぎ、会場は大爆笑、という演出なのだが。
「人の頭が燃えているのを見て笑うなんて!こういう笑いの取り方は感心しません。いじめにも繋がるかもしれない、子供たちに悪影響でしょう」
お腹を抱えて笑っていた隣の二人の女性は、そんな有珠斗を見て顔を見合わせると、また笑い出した。
「あなた真面目なのね、おかし~!」
有珠斗は少しむっとする。何がおかしいのか分からない。
「次は猛獣使いのビュレトね」
「ほう、猛獣ですか。サーカスらしいですね」
(って、ビュレト?ついさっき聞いたような名前だな……)
舞台に登場したのは檻に入れられた三匹の狼と、犬の着ぐるみを着た赤子だった。
(そうだ、オライの弟!)
赤子のビュレトはきゃっきゃと笑いながら、よちよち歩きで檻に近づく。
非常に危なっかしい光景だ。
狼は黒い体毛で、体も大きく、ものすごく恐ろしい顔をしている。
黒狼たちは威嚇するように唸り声をあげた。
「赤子を狼の檻に近づけるなんて!もしものことがあったら」
やはりこの一家の倫理観はずれている、という認識を深めた時。
ビュレトは檻の扉についている、赤いボタンをぽちと押す。鉄格子の扉がぎいと開かれた。
のしのしと三匹の狼が檻の外に出てくる。
有珠斗は思わず大きな声を上げる。
「危ない!」
「大丈夫よ、これも演出」
「演出?」
「ほら見て」
ビュレトを中心にして、黒い狼はぐるぐるとその周囲を回る。ビュレトは嬉しそうにパチパチと手を叩いている。
狼たちは歩みをやめ、ビュレトを睨み、一斉に吠えた。テントを揺るがすような恐ろしい吠え声だ。
ビュレトは一瞬、キョトンとした後に。
「ふ、ふ、ふえええええええええええん!」
ひっくり返って泣き始めた。
すると何故か、狼もひっくり返ってしまった。
「え」
服従を示すように、狼が腹を出して仰向けに寝そべる。
客たちがどっと笑った。
小さな「猛獣使い」ビュレトは機嫌を直して、キャッキャと笑いながら、狼たちにじゃれかかる。
なるほど、と有珠斗は思う。あれは狼によく似た大型犬なのかもしれない。
ビュレトは伏せの体勢の狼の背中に乗り、しがみついた。
「はいど!はいど!」
ビュレトが愛らしい声音でそう声をかけると、狼は跳躍した。
「うわっ」
また有珠斗は声を上げてしまう。危ないなんてもんじゃない、落ちたら即死だ。
狼はビュレトを乗せ、中央舞台と円形客席の間にある走路に飛び降りる。
そして走路を走り始めた。
他の二匹の狼もそれを追いかけ、客の目の前でグルグルと迫力の競争が始まる。
走路には柵やら輪っかやら障害物が置かれており、狼たちは見事にそれを飛び越え、くぐり、客を沸かせた。
ビュレトは落ちることなくしっかりとしがみついている。
「す、すごい……」
有珠斗も思わず感心してしまう。隣の女性が得意げに言う。
「でしょう?」
「で、でもやっぱりだめですよあんな赤ちゃんにこんなことさせて!むちゃくちゃ危険じゃないですか、これも立派な児童虐待です!」
「まあまあ。次はお待ちかねの踊り子たちよ!」
ビュレトと狼たちは拍手喝采を受けながら、走路からそのままテントの仕切りの向こう側へと去っていく。
入れ替わりに出てきたのは、キャンディを中心にする裸同然の姿の女性たちだった。
彼は今、思いっきり普通に、サーカスを堪能していた。
(素晴らしい!芸術、これぞまさに芸術!この世界の無形文化遺産として登録すべきだ!)
今は空中ブランコの演技中。
テントの天井部、ブランコからブランコへと飛び移るのは、蝶を思わせる華麗な衣装に身を包んだ「妖精の女王」だ。
女王とその配下の妖精たちが夜空の下で舞踏会を開く、というコンセプト。
妖精たちとその女王は、舞台上でステップを踏み、幾度も宙返りをしたかと思えば、天井から降りてきたブランコにつかまり、今度は空中で舞い踊る。
楽隊による魅惑的な演奏、幻想的な照明、重力を無視したような見事な舞い、そして何よりも女王の美しさ。
ピンク色の長い髪を一つでまとめ花飾りをつけ、白い肌に影を落とす濃く長いまつ毛と神秘的な青緑の瞳、細い鼻筋とうるむ唇。
妖艶な美女、とはまさにこういう女性のことを言うのだろう。
有珠斗がその現実離れした美しさに感動していると。
「今日もお美しいわねラミア様。まるで本物の妖精の女王のよう!」
「本当に、惚れ惚れするわ。あんな美しい殿方、世界中探してもラミア様だけよ」
隣の席の女性たちの会話が聞こえてきた。
(ん……?)
有珠斗はガバとそちらを向く。
「って『殿方』!?あの人、男なんですか!?」
隣の女性二人は、有珠斗の慌てように顔を見合わせて吹き出した。
赤毛を縦ロールにした女性と、黒髪を編んでアップした女性。二人とも二十代くらいに見える。
「あら、知らなかったの?そうよあの方は、ぺモティス・ファミリーの次男、『軽業師』のラミア様二十二歳!」
「おと、おとこ」
有珠斗の名状しがたいショック顔に、女性たちは同情した様子だ。
「あら落ち込まないで!恋しちゃった?」
「いきなり失恋ね」
不意打ちの言いがかりに有珠斗は赤くなる。
「いやいや恋ってなんですか、失恋とかおかしいでしょう、ただ驚いただけです!」
赤毛の女性が、手にした薔薇の花束を見せる。
「そうだ、公演終わったら控室にお花を届けようと思って持ってきたの、あなたも一緒に行く?ラミア様とお話しできるかも」
「結構です!」
「もう、むきになっちゃって」
黒髪の女性が言う。
こういうことを言われると本当に「むきに」なってしまうものである。有珠斗は眉間にしわを寄せる。
「ですから僕は……」
本気でむきになりかかったところで、大きな歓声と拍手があがった。
妖精たちの演目が終わり、中央舞台から降りて、テントの仕切りの向こう側、そでへと帰って行くところだった。
女性二人も拍手にくわわる。有珠斗も気持ちを切り替えて拍手した。何はともあれ、賞賛に値する演技だった。
その後の演目も見事なものだった。
「怪力男」ヴィネは、客席から呼んだ子供たちを数人乗せた大岩を軽々と持ち上げ、鉄の棒をやすやすと曲げてみせた。
ヴィネは力自慢だけでなく演武も披露した。
次々放り投げられるレンガを、剣で一刀両断にしていく様はまさに神業。相当な練度の剣技だろう。
流れるような剣さばきを見せつけながら、女性たちの黄色い悲鳴や子供たちの呼び声に、愛想良くアイコンタクトで応えるのも忘れない。
(うーん、かっこいい)
同じ十八歳なのに。
「道化師」オライの演技は、会場中を笑わせていた。十二歳とは思えないプロとしての仕事ぶりに感心したが、有珠斗としては眉をひそめたくなる部分もあった。
オライはひょいひょいと両手に持った松明を放り投げ、ジャグリングをしていたが、「うっかり」頭の頭巾に火がついてしまう。
オライは頭巾の火を消そうと舞台上を走り回って大騒ぎ、会場は大爆笑、という演出なのだが。
「人の頭が燃えているのを見て笑うなんて!こういう笑いの取り方は感心しません。いじめにも繋がるかもしれない、子供たちに悪影響でしょう」
お腹を抱えて笑っていた隣の二人の女性は、そんな有珠斗を見て顔を見合わせると、また笑い出した。
「あなた真面目なのね、おかし~!」
有珠斗は少しむっとする。何がおかしいのか分からない。
「次は猛獣使いのビュレトね」
「ほう、猛獣ですか。サーカスらしいですね」
(って、ビュレト?ついさっき聞いたような名前だな……)
舞台に登場したのは檻に入れられた三匹の狼と、犬の着ぐるみを着た赤子だった。
(そうだ、オライの弟!)
赤子のビュレトはきゃっきゃと笑いながら、よちよち歩きで檻に近づく。
非常に危なっかしい光景だ。
狼は黒い体毛で、体も大きく、ものすごく恐ろしい顔をしている。
黒狼たちは威嚇するように唸り声をあげた。
「赤子を狼の檻に近づけるなんて!もしものことがあったら」
やはりこの一家の倫理観はずれている、という認識を深めた時。
ビュレトは檻の扉についている、赤いボタンをぽちと押す。鉄格子の扉がぎいと開かれた。
のしのしと三匹の狼が檻の外に出てくる。
有珠斗は思わず大きな声を上げる。
「危ない!」
「大丈夫よ、これも演出」
「演出?」
「ほら見て」
ビュレトを中心にして、黒い狼はぐるぐるとその周囲を回る。ビュレトは嬉しそうにパチパチと手を叩いている。
狼たちは歩みをやめ、ビュレトを睨み、一斉に吠えた。テントを揺るがすような恐ろしい吠え声だ。
ビュレトは一瞬、キョトンとした後に。
「ふ、ふ、ふえええええええええええん!」
ひっくり返って泣き始めた。
すると何故か、狼もひっくり返ってしまった。
「え」
服従を示すように、狼が腹を出して仰向けに寝そべる。
客たちがどっと笑った。
小さな「猛獣使い」ビュレトは機嫌を直して、キャッキャと笑いながら、狼たちにじゃれかかる。
なるほど、と有珠斗は思う。あれは狼によく似た大型犬なのかもしれない。
ビュレトは伏せの体勢の狼の背中に乗り、しがみついた。
「はいど!はいど!」
ビュレトが愛らしい声音でそう声をかけると、狼は跳躍した。
「うわっ」
また有珠斗は声を上げてしまう。危ないなんてもんじゃない、落ちたら即死だ。
狼はビュレトを乗せ、中央舞台と円形客席の間にある走路に飛び降りる。
そして走路を走り始めた。
他の二匹の狼もそれを追いかけ、客の目の前でグルグルと迫力の競争が始まる。
走路には柵やら輪っかやら障害物が置かれており、狼たちは見事にそれを飛び越え、くぐり、客を沸かせた。
ビュレトは落ちることなくしっかりとしがみついている。
「す、すごい……」
有珠斗も思わず感心してしまう。隣の女性が得意げに言う。
「でしょう?」
「で、でもやっぱりだめですよあんな赤ちゃんにこんなことさせて!むちゃくちゃ危険じゃないですか、これも立派な児童虐待です!」
「まあまあ。次はお待ちかねの踊り子たちよ!」
ビュレトと狼たちは拍手喝采を受けながら、走路からそのままテントの仕切りの向こう側へと去っていく。
入れ替わりに出てきたのは、キャンディを中心にする裸同然の姿の女性たちだった。
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