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おれはたってるおれとわかれた
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泣きだすか、よろこぶか。
あるいはそのどっちとも。
美玖がマンガやドラマでみてきた、ピンチを助けられた女の子たちはみんな、そういう反応だったと思う。
――――自分は?
そのどっちでもない。
どころか、
(そんな……ずっと鏡でみてきたあいつの顔なのに……)
前髪に入れた金色のメッシュが垂れる眉間に、いくつも立っている黒い線。あごを引いて相手を鋭くにらみつける、ギラギラと燃える瞳。ありったけの怒りを内側に含んでいるような、さわれば爆発しそうに危うい顔つきである。
まるで人が変わったような。
ありえない。
助けにきてくれたのに安心できなくて、逆に恐怖を感じているなんて。
永次は、廃墟ホテルの一室にとらわれた私のためにきてくれたのに。
(……)
空気の流れにのった血の匂いが、ツンと鼻をつく。
背筋に寒気がはしる。
小学生や中学生のときに何度か経験したことがある、男子がケンカをはじめる前の雰囲気。それに似ていて、それとはくらべものにならない、もっとすごい〈暴力〉の予感。
こわい。
(……いや。私、こんな最低の自分を……あいつに見られたくない!)
美玖は顔をそむけた。
「いつまでその体勢してんだ、倉敷。ケツを一生つかいものにならねぇほど、蹴りつぶしてほしいのか?」
「…………ふっ」
彼女を組み敷いていた倉敷が、余裕の表情を浮かべてゆっくり立ち上がる。
そして、世良のほうをふりかえった。
アフロヘアーがななめに傾く。両手を左右に大きく広げる。
「誤解だって誤解! 美玖さんから、おれを誘ったんだぜ~?」
「みじかい間に、ずいぶんクズのツラになりやがったな」一歩、間合いをつめる。「覚悟しろや」
「まーまー」けだるそうにアフロの頭をかく。「ところで世良よ」そばにあったガレキの山の上に、すわりこんだ。「おまえと彼女が家族ってのは、あれはウソなんだろ? 偶然、同じタワマンに住んでたってだけだ。な?」
グレーのブレザーの内側に右手をさしいれて、そのまま動きをとめる。
倉敷のその手は、内ポケットから出てこない。
「なぜって部屋番号がちがう。家庭内別居? そんなら、べつのマンションに住めばいい」
「倉敷……」
「おーーーーっと」世良に手のひらを向けた。「うごくんじゃねぇぞ。おれはスマホをにぎってる。こっから、ちょっとタップするだけで仲間どもに合図がいくんだ。おまえらのタワマンにへばりついてるヤツらにな」
えっ、と美玖が息をとめた。
世良も、彼がなにを言おうとしているのかを理解して、苦い表情になる。
「新名の弟のほうはともかく、世良んところの〈三姉妹〉ってのは魅力的だなぁ、おい」
「……てめー」
「うごくなっつってんだろうが!!!」ばっ、と靴の底で空中をけるアクションをする。「いま主導権はこっちにあんだよ。この時間は……そろそろ部活でエースやってる七歌ちゃんが帰ってくるころか。おれは年下の女なんかに興味ねーが、はっ、それでも〈14才〉ってのはおいしそうじゃねーか」
「妹に手をだしたら殺す」
美玖の鼓動がはやくなった。
世良がただの脅しでそう言っているのではないことがわかり、不安になったからだ。
きっと、この人は言葉のとおりにするだろう。
誰もそれを、止めることはできない。
「そう熱くなるなよ」
「……スマホを出せ。倉敷」
「おまえ、SNSはやってるか?」
あまりにも場違いな質問で、世良も美玖も不意をつかれた。
「――って、そんなクチじゃねーよな。美玖ちゃんはどうだ?」
きっ、と肩ごしに世良が目線を送った。
返事をするな、といっているように美玖には思えた。
「おまえら〈炎上〉って言葉は聞いたことがあんだろ? あれってなかなかバカにできねーんだ」
世良が舌打ちする。
「時間稼ぎか。ここに援軍がどれだけ来ようが、おれの相手にはならねぇ」
「ばればれか」はははと倉敷が高笑いした。「ネットに掲示板ってやつがあるだろ? あまりワルをやりすぎるとよ、そっちで実名や学校や住所が特定されたりしてな、ま……、シャレにならんことになる。〈リンクズ〉のセンパイがたもそれでやられちまった。が、おれはそうなるのだけはゴメンさ」
だったら! と、倉敷は声のトーンを上げる。
「匿名で」内ポケットから右手を抜き、左手もあげて、こめかみのあたりにもっていく。「完全に正体をかくして」髪の中に両手がめりこんだ。続いて〈パチン〉〈パチン〉と音がする。「やりゃあいい、ってことよ」
大きなアフロヘアーが王冠のように持ち上げられ、地面に投げ捨てられた。
「不良の集まりに身分証なんか必要ないからな」
立ち上がって、さっ、と前髪をかきあげる。
あざやかな発色の、かがやくような金髪。
数センチ上の位置から、静かに世良を見下ろす。
「どうした? イケメンすぎて声も出ないか? アフロよりこっちのが全然いいだろ?」
「ふざけるな。おれは、あきれてんだぜ」
「あ?」
「こそこそ変装しなきゃロクに不良もやれない、おまえに―――――――なっ!!!」
いいストレートだった。
ほぼ予備動作はなく、自分と相手をつなぐ最短距離をすすみ、地面をふみしめてパワーものっている。
(……なんだと)
世良はわきばらをおさえた。
倉敷のショートフックが、そこに命中していたからだ。ストレートが空を切った、0.5秒後に。
「どうした? パンチにいつものキレがないぞ世良」
「ちっ」
世良は数歩、あとずさった。
そして横目で美玖をみる。
彼女の応援を期待したわけではなかったが、それでもなにか、自分から強さを引き出せるようなものが欲しかった。それは「がんばって」の一言でいい。「しっかり」でもいい。「お願い」だっていいんだ。
(美玖……)
世良は、カンがいい。
無言で目が合っただけで、今の彼女の胸のうちを見抜いてしまった。
おそれている。
この状況を。殴り合いを。不良たちを。倉敷のことを。おそらく自分のことも。
(そうだよな。しょせんおれは)
美玖とはすむ世界がちがう。
思い知った。
このときの彼女の態度は、のちに世良にある行動をとらせることになる。
(いまはケンカに勝つことだけを、考えればいい)
右足を強くふみだした。
倉敷の口元がうごく。
「まさかとは思うが、おまえとおれのこれまで計八回の〈決闘〉……あれマジだと思ってねーだろうな」
「あぁ?」
「あれは茶番だぞ茶番。わ・ざ・と、おまえに負けてやってたんだよ」
「……なにを言ってやがる」
「負けキャラは愛されっからな~~~。げんにまわりには、『次は勝てるっス』とか『倉敷サンに一生ついていくっス』とかって無邪気なやつらばかりよ。わかるか? おれはそんなバカたちを隠れみのにして、本当のワルをやれるんだ」
ぶぉん、と世良の右フック。
おっと、と倉敷はあっさり上体をそらしてかわす。
「そういや学校からでてきた時点で、おまえはもうケガしてたよなぁ? やったのは南雲か? ヤツはいい仕事をしたな。おまえの足止めのために、前もって南雲を焚きつけておいた甲斐があったってもんだ。そこから今日の計画ももれちまったようだが――」
「ごちゃごちゃと!」
世良が背中を向けた。
回し蹴りだ。
とっさにガードした倉敷だったが、
「がっ⁉」
ガードごと撃ち抜かれた。
右からの攻撃を受けて、左に体がよろける。
「…………やっぱりケンカバカだな。ナメてると、足元をすくわれる」
「倉敷ぃ!」
こぶしで打ちつける。何度も何度も。
だが、わきをしめた両腕でかたく防御に徹されて、有効なダメージは入らない。
「はあっ、はぁ……っ、……この野郎が」
世良のラッシュがとまった。
ガードのスキマから、ふ、とくちびるをゆがめて倉敷が微笑する。
そのとき、
(!)
美玖も世良も、そして倉敷も同時に気づいた。
パトカーのサイレンの音に。
まだ遠いが、確実に大きくなっている。つまりここに近づいている。
「あーだりぃ」
倉敷が首をもむ。
「やめた。わるいがおれは逃げるぜ、世良」
片手をあげつつ、くるりと体をターンさせた。
世良は美玖をみる。
無理にケンカをつづけたら、まちがいなく警察にみつかってしまう。そのことは学校にも伝わるだろう。となれば、美玖が男たちにラチされたという噂がたつのは時間の問題だ。
(……)
潮時か、と世良はあきらめた。
ただし、それはあくまでも〈今は〉という限定つきである。
部屋の外に出て、うしろ姿に声をかけた。
「まて」
「またねーよ」と、倉敷はこっちにすら向かない。すでに廃墟ホテルの通路の奥まですすんでいて、その姿は闇の中だ。
「おまえに決闘を申し込む」
「……」
「男のプライドが一ミリでも残ってるなら、受けろ。時間は今夜の午前0時。場所は、おまえが8回もおれを呼びだしたあの場所だ。わかるよな?」
「……」
「必ずこい。必ずだ」
返事はない。
世良は部屋の中にもどって、美玖に声をかける。
「立てるか?」
「たっ、たたた、た」舌が空回りして、うまく発音できない。「たてるから!」
むん、と両足をふんばって、両手を腰にあてる。
「ほら!」
しかし、こまかい足のふるえを世良は見逃さない。
「きゃっ!」
「こんな持ち方で、女を抱く日がくるとはな」
俗にいう、お姫さま抱っこ。
「乗ってきた自転車は、藪ん中にかくしてる。あとでとりにくるさ、大事な借りモンだからな」にぃ、と世良はくちびるを斜めに曲げた。その表情を至近距離で見て、すこし美玖の顔が赤くなる。「とりあえず車が通る道まで出て、タクシーで帰るか」
「…………うん」
うん、じゃない。
うん、じゃないの。
まず「ありがとう」でしょ?
どうしてそれが、そんなことすら、言えないのかな。
美玖は目をつむる。
つよいストレスや疲労の反動で、世良に抱かれたまま、すぅっと眠りに落ちてしまった。
時間が飛んだようだった。
目が覚めると、すでに家の中だった。
タワマンのエントランスのソファに横たわっている。
体を起こすと、すぐに声をかけられた。
「みくぴ!!! 起きた? もう平気? 体にキズや痛みはない?」
「モカ」ツインテールのシルエットが、起きたての目にぼんやりみえる。
そばには、親友の井川友香がいた。
ゆっくり記憶がよみがえってくる。
放課後に車で連れ去られたこと、廃墟ホテルのこと、そして―――――
「え、永次は!」
「えっ?」
「時間は……いま何時っ⁉」
答えも待てずに美玖はスマホをとりだして、あわただしく電話をかける。時刻は9時すぎだった。
「出ない! 出てくれない! どうして……」
「お、落ちついてって、みくぴ。永次って世良先輩のこと? 先輩がどうかしたの?」
「モカ。あいつがどこにいるか、知らない?」
もちろん美玖は、廃墟でのあの会話をきいている。
決闘だ――と。
時間はわかったが、美玖には場所がわからない。
というより、世良はあえて、美玖がわからないような言い方をしたのだろう。
美玖が絶対に、そこに来ないように。
「知らない……。ごめんね、みくぴ」
「ううん、こっちこそごめん」ぎゅっ、と親友をハグした。「ありがと。私、何もされなかったよ。永次が助けてくれたから」
「うん……よかったよ……」
美玖はいったん帰宅することにした。モカもついてくる。
今日の放課後の出来事のあと、モカから警察へ、警察から美玖の家へ、と当たり前に連絡がいっていたが、
「友だちのノリで、ちょっと悪ふざけしすぎまして…………」
と彼女の口から両親に説明してあやまったことで、なんとか収拾はついた。
「じゃあ、また明日ねみくぴ」
夜もおそいので、美玖の母親が車でモカを送っていくことになった。
そして、駐車場で意味深なウィンクをしたモカから30分後にラインが入る。
ぜんぶ先輩にたのまれたの
と。
車でラチされたことが広まったら、
美玖がヘンな目でみられるから、って
と。
世良に呼び出されてタワマンについたら、ソファで眠る美玖と、そのそばでじっと見守っている彼がいたらしい。そこで、ふかく頭を下げられて懇願されたという。
(……)
何度電話をかけても、つながらない。
もしかしたら、ずっとつながらないような、そんな気さえする。
(決闘なんか、しないでよ。しなくていいよ)
美玖の目に涙がにじむ。
(永次は一対一のつもりだろうけど、あの男は絶対に仲間をたくさんつれてくる―――)
向こうが来ないのなら、それでいい。
むしろ来ないほうがいい。
彼を止めたい。
なんとしても止めたい。
たくさんの不良を一人で相手にするなんて……もしも最悪のことになったら……
(ないない! あいつは、ウソみたいに強いんだから)
そう自分に言い聞かせても、美玖の不安は消えない。
やがて時間がすぎ、時計の針が二つ、一番高いところで重なろうとしている。
そこで、沈黙していたスマホがガタガタガタとテーブルの上でふるえた。
「え……永次!? 永次!!」
「なんだよ。人の名前を安売りみたいに何回も呼びやがって」
口元だけで笑う、あの不敵な表情が目に浮かんだ。
「美玖。大事な話がある」
はっ、と美玖は胸元をおさえた。
ドキドキがはやくなる。
この切り出しかたは、半分以上ネタバレしてるようなものだ。
――――告白。
心の準備をしなきゃ、と思っているうちに世良は言った。
心が萎えたような、細く小さな声だった。
「おまえとはもう、二度と会うつもりはねえ」
あるいはそのどっちとも。
美玖がマンガやドラマでみてきた、ピンチを助けられた女の子たちはみんな、そういう反応だったと思う。
――――自分は?
そのどっちでもない。
どころか、
(そんな……ずっと鏡でみてきたあいつの顔なのに……)
前髪に入れた金色のメッシュが垂れる眉間に、いくつも立っている黒い線。あごを引いて相手を鋭くにらみつける、ギラギラと燃える瞳。ありったけの怒りを内側に含んでいるような、さわれば爆発しそうに危うい顔つきである。
まるで人が変わったような。
ありえない。
助けにきてくれたのに安心できなくて、逆に恐怖を感じているなんて。
永次は、廃墟ホテルの一室にとらわれた私のためにきてくれたのに。
(……)
空気の流れにのった血の匂いが、ツンと鼻をつく。
背筋に寒気がはしる。
小学生や中学生のときに何度か経験したことがある、男子がケンカをはじめる前の雰囲気。それに似ていて、それとはくらべものにならない、もっとすごい〈暴力〉の予感。
こわい。
(……いや。私、こんな最低の自分を……あいつに見られたくない!)
美玖は顔をそむけた。
「いつまでその体勢してんだ、倉敷。ケツを一生つかいものにならねぇほど、蹴りつぶしてほしいのか?」
「…………ふっ」
彼女を組み敷いていた倉敷が、余裕の表情を浮かべてゆっくり立ち上がる。
そして、世良のほうをふりかえった。
アフロヘアーがななめに傾く。両手を左右に大きく広げる。
「誤解だって誤解! 美玖さんから、おれを誘ったんだぜ~?」
「みじかい間に、ずいぶんクズのツラになりやがったな」一歩、間合いをつめる。「覚悟しろや」
「まーまー」けだるそうにアフロの頭をかく。「ところで世良よ」そばにあったガレキの山の上に、すわりこんだ。「おまえと彼女が家族ってのは、あれはウソなんだろ? 偶然、同じタワマンに住んでたってだけだ。な?」
グレーのブレザーの内側に右手をさしいれて、そのまま動きをとめる。
倉敷のその手は、内ポケットから出てこない。
「なぜって部屋番号がちがう。家庭内別居? そんなら、べつのマンションに住めばいい」
「倉敷……」
「おーーーーっと」世良に手のひらを向けた。「うごくんじゃねぇぞ。おれはスマホをにぎってる。こっから、ちょっとタップするだけで仲間どもに合図がいくんだ。おまえらのタワマンにへばりついてるヤツらにな」
えっ、と美玖が息をとめた。
世良も、彼がなにを言おうとしているのかを理解して、苦い表情になる。
「新名の弟のほうはともかく、世良んところの〈三姉妹〉ってのは魅力的だなぁ、おい」
「……てめー」
「うごくなっつってんだろうが!!!」ばっ、と靴の底で空中をけるアクションをする。「いま主導権はこっちにあんだよ。この時間は……そろそろ部活でエースやってる七歌ちゃんが帰ってくるころか。おれは年下の女なんかに興味ねーが、はっ、それでも〈14才〉ってのはおいしそうじゃねーか」
「妹に手をだしたら殺す」
美玖の鼓動がはやくなった。
世良がただの脅しでそう言っているのではないことがわかり、不安になったからだ。
きっと、この人は言葉のとおりにするだろう。
誰もそれを、止めることはできない。
「そう熱くなるなよ」
「……スマホを出せ。倉敷」
「おまえ、SNSはやってるか?」
あまりにも場違いな質問で、世良も美玖も不意をつかれた。
「――って、そんなクチじゃねーよな。美玖ちゃんはどうだ?」
きっ、と肩ごしに世良が目線を送った。
返事をするな、といっているように美玖には思えた。
「おまえら〈炎上〉って言葉は聞いたことがあんだろ? あれってなかなかバカにできねーんだ」
世良が舌打ちする。
「時間稼ぎか。ここに援軍がどれだけ来ようが、おれの相手にはならねぇ」
「ばればれか」はははと倉敷が高笑いした。「ネットに掲示板ってやつがあるだろ? あまりワルをやりすぎるとよ、そっちで実名や学校や住所が特定されたりしてな、ま……、シャレにならんことになる。〈リンクズ〉のセンパイがたもそれでやられちまった。が、おれはそうなるのだけはゴメンさ」
だったら! と、倉敷は声のトーンを上げる。
「匿名で」内ポケットから右手を抜き、左手もあげて、こめかみのあたりにもっていく。「完全に正体をかくして」髪の中に両手がめりこんだ。続いて〈パチン〉〈パチン〉と音がする。「やりゃあいい、ってことよ」
大きなアフロヘアーが王冠のように持ち上げられ、地面に投げ捨てられた。
「不良の集まりに身分証なんか必要ないからな」
立ち上がって、さっ、と前髪をかきあげる。
あざやかな発色の、かがやくような金髪。
数センチ上の位置から、静かに世良を見下ろす。
「どうした? イケメンすぎて声も出ないか? アフロよりこっちのが全然いいだろ?」
「ふざけるな。おれは、あきれてんだぜ」
「あ?」
「こそこそ変装しなきゃロクに不良もやれない、おまえに―――――――なっ!!!」
いいストレートだった。
ほぼ予備動作はなく、自分と相手をつなぐ最短距離をすすみ、地面をふみしめてパワーものっている。
(……なんだと)
世良はわきばらをおさえた。
倉敷のショートフックが、そこに命中していたからだ。ストレートが空を切った、0.5秒後に。
「どうした? パンチにいつものキレがないぞ世良」
「ちっ」
世良は数歩、あとずさった。
そして横目で美玖をみる。
彼女の応援を期待したわけではなかったが、それでもなにか、自分から強さを引き出せるようなものが欲しかった。それは「がんばって」の一言でいい。「しっかり」でもいい。「お願い」だっていいんだ。
(美玖……)
世良は、カンがいい。
無言で目が合っただけで、今の彼女の胸のうちを見抜いてしまった。
おそれている。
この状況を。殴り合いを。不良たちを。倉敷のことを。おそらく自分のことも。
(そうだよな。しょせんおれは)
美玖とはすむ世界がちがう。
思い知った。
このときの彼女の態度は、のちに世良にある行動をとらせることになる。
(いまはケンカに勝つことだけを、考えればいい)
右足を強くふみだした。
倉敷の口元がうごく。
「まさかとは思うが、おまえとおれのこれまで計八回の〈決闘〉……あれマジだと思ってねーだろうな」
「あぁ?」
「あれは茶番だぞ茶番。わ・ざ・と、おまえに負けてやってたんだよ」
「……なにを言ってやがる」
「負けキャラは愛されっからな~~~。げんにまわりには、『次は勝てるっス』とか『倉敷サンに一生ついていくっス』とかって無邪気なやつらばかりよ。わかるか? おれはそんなバカたちを隠れみのにして、本当のワルをやれるんだ」
ぶぉん、と世良の右フック。
おっと、と倉敷はあっさり上体をそらしてかわす。
「そういや学校からでてきた時点で、おまえはもうケガしてたよなぁ? やったのは南雲か? ヤツはいい仕事をしたな。おまえの足止めのために、前もって南雲を焚きつけておいた甲斐があったってもんだ。そこから今日の計画ももれちまったようだが――」
「ごちゃごちゃと!」
世良が背中を向けた。
回し蹴りだ。
とっさにガードした倉敷だったが、
「がっ⁉」
ガードごと撃ち抜かれた。
右からの攻撃を受けて、左に体がよろける。
「…………やっぱりケンカバカだな。ナメてると、足元をすくわれる」
「倉敷ぃ!」
こぶしで打ちつける。何度も何度も。
だが、わきをしめた両腕でかたく防御に徹されて、有効なダメージは入らない。
「はあっ、はぁ……っ、……この野郎が」
世良のラッシュがとまった。
ガードのスキマから、ふ、とくちびるをゆがめて倉敷が微笑する。
そのとき、
(!)
美玖も世良も、そして倉敷も同時に気づいた。
パトカーのサイレンの音に。
まだ遠いが、確実に大きくなっている。つまりここに近づいている。
「あーだりぃ」
倉敷が首をもむ。
「やめた。わるいがおれは逃げるぜ、世良」
片手をあげつつ、くるりと体をターンさせた。
世良は美玖をみる。
無理にケンカをつづけたら、まちがいなく警察にみつかってしまう。そのことは学校にも伝わるだろう。となれば、美玖が男たちにラチされたという噂がたつのは時間の問題だ。
(……)
潮時か、と世良はあきらめた。
ただし、それはあくまでも〈今は〉という限定つきである。
部屋の外に出て、うしろ姿に声をかけた。
「まて」
「またねーよ」と、倉敷はこっちにすら向かない。すでに廃墟ホテルの通路の奥まですすんでいて、その姿は闇の中だ。
「おまえに決闘を申し込む」
「……」
「男のプライドが一ミリでも残ってるなら、受けろ。時間は今夜の午前0時。場所は、おまえが8回もおれを呼びだしたあの場所だ。わかるよな?」
「……」
「必ずこい。必ずだ」
返事はない。
世良は部屋の中にもどって、美玖に声をかける。
「立てるか?」
「たっ、たたた、た」舌が空回りして、うまく発音できない。「たてるから!」
むん、と両足をふんばって、両手を腰にあてる。
「ほら!」
しかし、こまかい足のふるえを世良は見逃さない。
「きゃっ!」
「こんな持ち方で、女を抱く日がくるとはな」
俗にいう、お姫さま抱っこ。
「乗ってきた自転車は、藪ん中にかくしてる。あとでとりにくるさ、大事な借りモンだからな」にぃ、と世良はくちびるを斜めに曲げた。その表情を至近距離で見て、すこし美玖の顔が赤くなる。「とりあえず車が通る道まで出て、タクシーで帰るか」
「…………うん」
うん、じゃない。
うん、じゃないの。
まず「ありがとう」でしょ?
どうしてそれが、そんなことすら、言えないのかな。
美玖は目をつむる。
つよいストレスや疲労の反動で、世良に抱かれたまま、すぅっと眠りに落ちてしまった。
時間が飛んだようだった。
目が覚めると、すでに家の中だった。
タワマンのエントランスのソファに横たわっている。
体を起こすと、すぐに声をかけられた。
「みくぴ!!! 起きた? もう平気? 体にキズや痛みはない?」
「モカ」ツインテールのシルエットが、起きたての目にぼんやりみえる。
そばには、親友の井川友香がいた。
ゆっくり記憶がよみがえってくる。
放課後に車で連れ去られたこと、廃墟ホテルのこと、そして―――――
「え、永次は!」
「えっ?」
「時間は……いま何時っ⁉」
答えも待てずに美玖はスマホをとりだして、あわただしく電話をかける。時刻は9時すぎだった。
「出ない! 出てくれない! どうして……」
「お、落ちついてって、みくぴ。永次って世良先輩のこと? 先輩がどうかしたの?」
「モカ。あいつがどこにいるか、知らない?」
もちろん美玖は、廃墟でのあの会話をきいている。
決闘だ――と。
時間はわかったが、美玖には場所がわからない。
というより、世良はあえて、美玖がわからないような言い方をしたのだろう。
美玖が絶対に、そこに来ないように。
「知らない……。ごめんね、みくぴ」
「ううん、こっちこそごめん」ぎゅっ、と親友をハグした。「ありがと。私、何もされなかったよ。永次が助けてくれたから」
「うん……よかったよ……」
美玖はいったん帰宅することにした。モカもついてくる。
今日の放課後の出来事のあと、モカから警察へ、警察から美玖の家へ、と当たり前に連絡がいっていたが、
「友だちのノリで、ちょっと悪ふざけしすぎまして…………」
と彼女の口から両親に説明してあやまったことで、なんとか収拾はついた。
「じゃあ、また明日ねみくぴ」
夜もおそいので、美玖の母親が車でモカを送っていくことになった。
そして、駐車場で意味深なウィンクをしたモカから30分後にラインが入る。
ぜんぶ先輩にたのまれたの
と。
車でラチされたことが広まったら、
美玖がヘンな目でみられるから、って
と。
世良に呼び出されてタワマンについたら、ソファで眠る美玖と、そのそばでじっと見守っている彼がいたらしい。そこで、ふかく頭を下げられて懇願されたという。
(……)
何度電話をかけても、つながらない。
もしかしたら、ずっとつながらないような、そんな気さえする。
(決闘なんか、しないでよ。しなくていいよ)
美玖の目に涙がにじむ。
(永次は一対一のつもりだろうけど、あの男は絶対に仲間をたくさんつれてくる―――)
向こうが来ないのなら、それでいい。
むしろ来ないほうがいい。
彼を止めたい。
なんとしても止めたい。
たくさんの不良を一人で相手にするなんて……もしも最悪のことになったら……
(ないない! あいつは、ウソみたいに強いんだから)
そう自分に言い聞かせても、美玖の不安は消えない。
やがて時間がすぎ、時計の針が二つ、一番高いところで重なろうとしている。
そこで、沈黙していたスマホがガタガタガタとテーブルの上でふるえた。
「え……永次!? 永次!!」
「なんだよ。人の名前を安売りみたいに何回も呼びやがって」
口元だけで笑う、あの不敵な表情が目に浮かんだ。
「美玖。大事な話がある」
はっ、と美玖は胸元をおさえた。
ドキドキがはやくなる。
この切り出しかたは、半分以上ネタバレしてるようなものだ。
――――告白。
心の準備をしなきゃ、と思っているうちに世良は言った。
心が萎えたような、細く小さな声だった。
「おまえとはもう、二度と会うつもりはねえ」
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とうとう高校生となり、綾乃は誰にでも分け隔てなく優しく、身体つきも女性らしくなり『学年一の美少女』と謳われる程となっている。
高嶺の花。
そんな彼女に悠斗は不釣り合いだと振られる事を覚悟していた。
だがその結果は思わぬ方向へ。実は彼女もずっと悠斗が好きで、両想いだった。
しかも、綾乃は悠斗の気を惹く為に、品行方正で才色兼備である事に努め、胸の大きさも複数のパッドで盛りに盛っていた事が発覚する。
それでも構わず、恋人となった二人は今まで出来なかった事を少しずつ取り戻していく。
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