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第3話:胃袋と自律神経が、論理より先に降伏を始めた
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月曜日の昼休み。
四時間目の終了ベルが鳴った瞬間、俺は脊髄反射で席を立った。
目指すは購買部。ターゲットは「激辛カレーパン」と「ブラックコーヒー」。
これは俺のささやかな抵抗だ。
天宮愛リスのような「完璧な聖女」が最も嫌がるジャンクフードで胃を満たすことで、彼女の管理下(テリトリー)から俺の身体を守る。
「手作り弁当」という既成事実を作らせないための、電撃作戦だ。
「篠崎くん、行こ?」
だが、俺が教室のドアに手をかけるより早く、背後からその声はかかった。
振り返ると、そこには三段重ねの巨大な弁当包みを持った天宮愛リスが立っていた。
周囲の男子生徒から「うわ、愛妻弁当かよ」「爆発しろ」という羨望の視線が突き刺さる。
違う。これは弁当ではない。飼料だ。
「……悪い、俺、今日はパンの気分なんだ」
俺は精一杯の拒絶を口にした。
「知ってるよ」
彼女はにっこりと微笑んだ。
「だから、パンに合う洋風のおかずにしてきたの。あと、購買混んでるから、特別教室の鍵借りておいたよ」
詰んだ。
彼女は俺の逃走ルートも、言い訳も、全て先回りして潰していた。
俺は抵抗する間もなく、まだ誰もいない家庭科準備室に連行された。
広げられた弁当の中身を見て、俺は言葉を失った。
そこにあったのは、唐揚げや卵焼きといった「男子が喜ぶ定番」ではなかった。
低温調理された鶏むね肉のハーブ焼き。
ブロッコリーとひじきのマヨ和え。
鮮やかなニンジンのラペ。
そして、魔法瓶に入った具沢山のミネストローネ。
「はい、あーん」
「自分で食える」
「だーめ。私の箸で食べてほしいの」
拒否権はない。
俺は観念して、差し出された鶏肉を口に入れた。
その瞬間、脳内で快楽物質(ドーパミン)が炸裂した。
美味い。
単純な「料理上手」のレベルではない。
パサつきがちなむね肉が、驚くほどしっとりと柔らかい。ハーブの香りが、俺の好きな柑橘系と絶妙に混ざり合っている。
なにより、噛みしめるたびに、疲労した身体の細胞一つ一つが「これだ! これを待っていた!」と歓喜の悲鳴を上げている感覚。
「……どう? 美味しい?」
「……悔しいけど、美味い」
嘘はつけない。俺の唾液腺が正直に反応しすぎている。
「よかった。篠崎くん、最近ちょっと貧血気味でしょ? 爪の色、悪いもんね。だから鉄分多めにしておいたよ」
彼女は嬉しそうにミネストローネを注いだ。
完璧な管理栄養士のような手際。だが、次の言葉を聞いて、俺の背筋は凍った。
「あとね、このスープは喉に効くハーブが入ってるの。なんとなく、昨日、篠崎くんの声が少し乾いてる気がして」
「……え?」
「うーん、説明難しいんだけど。先生に返事した時の音が、いつもより3%くらいザラついてたかなあって。だから、念のため」
理論じゃない。
直感だ。
彼女は、数値化できないレベルの俺の不調を、「なんとなく」という精度の高いセンサーで感知している。
俺自身ですら気づいていなかった喉の乾きを、彼女の本能が先回りしてケアしようとしている。
これは「栄養管理」なんてレベルじゃない。
「同調」だ。
彼女の感覚器官が、俺の身体の一部として機能し始めている。
「あーん」
次々と運ばれてくる「最適化された餌」を、俺は拒めなくなっていた。
一口食べるたびに、思考力が鈍っていく。
激辛カレーパンで尖ろうとしていた俺の反骨心が、優しいコンソメ味のスープに溶かされていく。
食事が進むにつれ、俺の身体は歓喜していた。
『エラー修復完了。パフォーマンス向上。管理者(ユーザー)への信頼度アップ』
そんなシステムログが見えるようだ。
怖い。
彼女はただの「管理AI」じゃない。
人間の皮を被りながら、人間以上の直感で俺を侵食してくる「何か」だ。
「ごちそうさまでした……」
「お粗末さまでした。明日は何食べたい?」
空っぽになった弁当箱を見て、彼女は聖母のように微笑んだ。
俺はハッとして口を噤んだ。
危ない。言わないぞ。
まだ俺には「拒否する自由」があるはずだ。
だが。
俺の喉の奥が、物欲しげにゴクリと鳴った。
脳裏に勝手に『明日の最適解』――鯖の塩焼きと、出汁の効いた卵焼きの映像がポップアップされる。
口が半開きになりかけて、慌てて手で覆う。
恐怖で指先が震えた。
俺の論理(ブレーキ)が止めるより先に、本能(エンジン)が、明日の餌を勝手にリクエストしようとしていた。
自我防衛戦線崩壊。
俺の身体は、もう俺の命令を聞かない。
(つづく)
四時間目の終了ベルが鳴った瞬間、俺は脊髄反射で席を立った。
目指すは購買部。ターゲットは「激辛カレーパン」と「ブラックコーヒー」。
これは俺のささやかな抵抗だ。
天宮愛リスのような「完璧な聖女」が最も嫌がるジャンクフードで胃を満たすことで、彼女の管理下(テリトリー)から俺の身体を守る。
「手作り弁当」という既成事実を作らせないための、電撃作戦だ。
「篠崎くん、行こ?」
だが、俺が教室のドアに手をかけるより早く、背後からその声はかかった。
振り返ると、そこには三段重ねの巨大な弁当包みを持った天宮愛リスが立っていた。
周囲の男子生徒から「うわ、愛妻弁当かよ」「爆発しろ」という羨望の視線が突き刺さる。
違う。これは弁当ではない。飼料だ。
「……悪い、俺、今日はパンの気分なんだ」
俺は精一杯の拒絶を口にした。
「知ってるよ」
彼女はにっこりと微笑んだ。
「だから、パンに合う洋風のおかずにしてきたの。あと、購買混んでるから、特別教室の鍵借りておいたよ」
詰んだ。
彼女は俺の逃走ルートも、言い訳も、全て先回りして潰していた。
俺は抵抗する間もなく、まだ誰もいない家庭科準備室に連行された。
広げられた弁当の中身を見て、俺は言葉を失った。
そこにあったのは、唐揚げや卵焼きといった「男子が喜ぶ定番」ではなかった。
低温調理された鶏むね肉のハーブ焼き。
ブロッコリーとひじきのマヨ和え。
鮮やかなニンジンのラペ。
そして、魔法瓶に入った具沢山のミネストローネ。
「はい、あーん」
「自分で食える」
「だーめ。私の箸で食べてほしいの」
拒否権はない。
俺は観念して、差し出された鶏肉を口に入れた。
その瞬間、脳内で快楽物質(ドーパミン)が炸裂した。
美味い。
単純な「料理上手」のレベルではない。
パサつきがちなむね肉が、驚くほどしっとりと柔らかい。ハーブの香りが、俺の好きな柑橘系と絶妙に混ざり合っている。
なにより、噛みしめるたびに、疲労した身体の細胞一つ一つが「これだ! これを待っていた!」と歓喜の悲鳴を上げている感覚。
「……どう? 美味しい?」
「……悔しいけど、美味い」
嘘はつけない。俺の唾液腺が正直に反応しすぎている。
「よかった。篠崎くん、最近ちょっと貧血気味でしょ? 爪の色、悪いもんね。だから鉄分多めにしておいたよ」
彼女は嬉しそうにミネストローネを注いだ。
完璧な管理栄養士のような手際。だが、次の言葉を聞いて、俺の背筋は凍った。
「あとね、このスープは喉に効くハーブが入ってるの。なんとなく、昨日、篠崎くんの声が少し乾いてる気がして」
「……え?」
「うーん、説明難しいんだけど。先生に返事した時の音が、いつもより3%くらいザラついてたかなあって。だから、念のため」
理論じゃない。
直感だ。
彼女は、数値化できないレベルの俺の不調を、「なんとなく」という精度の高いセンサーで感知している。
俺自身ですら気づいていなかった喉の乾きを、彼女の本能が先回りしてケアしようとしている。
これは「栄養管理」なんてレベルじゃない。
「同調」だ。
彼女の感覚器官が、俺の身体の一部として機能し始めている。
「あーん」
次々と運ばれてくる「最適化された餌」を、俺は拒めなくなっていた。
一口食べるたびに、思考力が鈍っていく。
激辛カレーパンで尖ろうとしていた俺の反骨心が、優しいコンソメ味のスープに溶かされていく。
食事が進むにつれ、俺の身体は歓喜していた。
『エラー修復完了。パフォーマンス向上。管理者(ユーザー)への信頼度アップ』
そんなシステムログが見えるようだ。
怖い。
彼女はただの「管理AI」じゃない。
人間の皮を被りながら、人間以上の直感で俺を侵食してくる「何か」だ。
「ごちそうさまでした……」
「お粗末さまでした。明日は何食べたい?」
空っぽになった弁当箱を見て、彼女は聖母のように微笑んだ。
俺はハッとして口を噤んだ。
危ない。言わないぞ。
まだ俺には「拒否する自由」があるはずだ。
だが。
俺の喉の奥が、物欲しげにゴクリと鳴った。
脳裏に勝手に『明日の最適解』――鯖の塩焼きと、出汁の効いた卵焼きの映像がポップアップされる。
口が半開きになりかけて、慌てて手で覆う。
恐怖で指先が震えた。
俺の論理(ブレーキ)が止めるより先に、本能(エンジン)が、明日の餌を勝手にリクエストしようとしていた。
自我防衛戦線崩壊。
俺の身体は、もう俺の命令を聞かない。
(つづく)
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