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第4話:檻の鍵が開いた日、俺は自由の味を知った(はずだった)
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火曜日の朝。
ホームルームの時間になっても、隣の席は空席だった。
天宮愛リスが休んだ。
風邪らしい。担任がそう告げた瞬間、俺は机の下で小さくガッツポーズをした。
解放記念日だ。
一週間ぶりに訪れた、監視者のいない自由。
休憩時間にトイレに行っても、廊下で待ち伏せされない。
視界の端に、あの完璧すぎる笑顔が映らない。
たったそれだけのことが、こんなにも空気を美味くするなんて。
……はずだった。
なのに俺は、教室を出るたびに無意識に背後を振り返っていた。
ポケットのスマホを五分おきに取り出し、通知ゼロの画面を確認しては、またしまう。
まるで、首輪が外れたことに気づかず、まだリードの感触を探している犬みたいだ。
昼休み。俺は迷わず購買部へダッシュした。
ターゲットは昨日食べ損ねた「激辛カレーパン」と「強炭酸コーラ」。
ジャンクの王様たちだ。
今の俺の身体は、彼女の完璧な栄養管理によって浄化されきっている。
そこにこの毒々しい刺激物をぶち込む。
それは俺にとって、汚染された日常(じゆう)を取り戻すための儀式だった。
屋上のベンチ。誰にも邪魔されない特等席。
俺はカレーパンの袋を破り、大きくかぶりついた。
「……っ」
咀嚼した瞬間、俺の動きが止まった。
――なんだこれ。
辛すぎる。
舌が痺れるほどの唐辛子の刺激。
以前は「美味い」と感じていたはずのその刺激が、今はただの「痛み(ノイズ)」として脳に突き刺さる。
油が重い。パン生地がパサパサして喉に張り付く。
慌ててコーラで流し込む。
喉が焼けるような炭酸の痛み。人工甘味料のベタつく甘さ。
まずい。
……いや、俺の体調が悪いのか?
睡眠不足か、風邪の引き始めか?
そうでなければ、大好物がこんな味になるはずがない。
だが、俺の本能が否定する。
違う。俺が変わったんだ。
俺の舌は、細胞は、もう知ってしまっているのだ。
あの、0.1ミリ単位で最適化された鶏肉の柔らかさを。
体調に合わせて調合されたスープの、染み渡るような優しさを。
半分も食べられず、俺はカレーパンを袋に戻した。
ふと、佐藤の顔が脳裏をよぎった。
『愛リスが足りないんだ! 呼吸ができないんだよ!』
あいつも、こんな飢餓感を味わったのだろうか。
彼女の完璧な管理から放り出され、ジャンクな世界に適応できず、禁断症状にのたうち回ったのだろうか。
そして最後は、硝子玉のような目で、どこか別の温もりに逃げ込んだのか。
……俺も、ああなるのか?
自由を手に入れたはずなのに。
俺は今、猛烈な「飢餓感」に襲われていた。
腹は満たされているのに、身体の芯が渇いている。
細胞が悲鳴を上げている。
『エラー発生。正規のメンテナンスを行ってください』
『管理者を呼び出してください』
俺は膝を抱えてうなだれた。
負けた。
檻の鍵が開いていたのに、俺はもう空を飛べない鳥になっていた。
ブブッ。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面には「天宮愛リス」の文字。
『篠崎くん、お昼ご飯ちゃんと食べた?』
『激辛カレーパンとか食べてないよね? 今の篠崎くんの胃だと、今の時間帯に油物は負担だよ』
……GPSか?
それとも、どこかから双眼鏡で見られているのか?
一瞬、現実的なストーカーの恐怖が脳裏をよぎる。
本来なら、この異常な監視能力に戦慄し、拒絶すべきだ。
だが。
俺の指先は、震えていなかった。
それどころか、胸の奥から湧き上がってきたのは、ドロドロとした安堵感だった。
ああ、見られていた。
俺はまだ、管理されている。
その事実が、どうしようもなく心地よかった。
俺はゆっくりとフリック入力した。
それは、俺の「自我」が完全に白旗を揚げた瞬間だった。
『……まずかった。半分残した』
送信ボタンを押す。
すぐに既読がつく。
『ふふ、だと思った。明日は美味しいお粥作っていくね』
その文字を見た瞬間、俺の渇きが癒えていくのが分かった。
明日はお粥か。悪くない。今の俺の胃には最高のご馳走だ。
……あれ?
俺、本当は白米と味噌汁が食べたかった気がするんだが。
まあいいか。もう、胃の声と彼女の声の区別がつかなくなっている。
俺は空を見上げた。
雲ひとつない青空が、今の俺にはただの天井に見えた。
だが、その窮屈な天井の下で生きることを、俺の身体は「幸福」だと誤認し始めていた。
(つづく)
ホームルームの時間になっても、隣の席は空席だった。
天宮愛リスが休んだ。
風邪らしい。担任がそう告げた瞬間、俺は机の下で小さくガッツポーズをした。
解放記念日だ。
一週間ぶりに訪れた、監視者のいない自由。
休憩時間にトイレに行っても、廊下で待ち伏せされない。
視界の端に、あの完璧すぎる笑顔が映らない。
たったそれだけのことが、こんなにも空気を美味くするなんて。
……はずだった。
なのに俺は、教室を出るたびに無意識に背後を振り返っていた。
ポケットのスマホを五分おきに取り出し、通知ゼロの画面を確認しては、またしまう。
まるで、首輪が外れたことに気づかず、まだリードの感触を探している犬みたいだ。
昼休み。俺は迷わず購買部へダッシュした。
ターゲットは昨日食べ損ねた「激辛カレーパン」と「強炭酸コーラ」。
ジャンクの王様たちだ。
今の俺の身体は、彼女の完璧な栄養管理によって浄化されきっている。
そこにこの毒々しい刺激物をぶち込む。
それは俺にとって、汚染された日常(じゆう)を取り戻すための儀式だった。
屋上のベンチ。誰にも邪魔されない特等席。
俺はカレーパンの袋を破り、大きくかぶりついた。
「……っ」
咀嚼した瞬間、俺の動きが止まった。
――なんだこれ。
辛すぎる。
舌が痺れるほどの唐辛子の刺激。
以前は「美味い」と感じていたはずのその刺激が、今はただの「痛み(ノイズ)」として脳に突き刺さる。
油が重い。パン生地がパサパサして喉に張り付く。
慌ててコーラで流し込む。
喉が焼けるような炭酸の痛み。人工甘味料のベタつく甘さ。
まずい。
……いや、俺の体調が悪いのか?
睡眠不足か、風邪の引き始めか?
そうでなければ、大好物がこんな味になるはずがない。
だが、俺の本能が否定する。
違う。俺が変わったんだ。
俺の舌は、細胞は、もう知ってしまっているのだ。
あの、0.1ミリ単位で最適化された鶏肉の柔らかさを。
体調に合わせて調合されたスープの、染み渡るような優しさを。
半分も食べられず、俺はカレーパンを袋に戻した。
ふと、佐藤の顔が脳裏をよぎった。
『愛リスが足りないんだ! 呼吸ができないんだよ!』
あいつも、こんな飢餓感を味わったのだろうか。
彼女の完璧な管理から放り出され、ジャンクな世界に適応できず、禁断症状にのたうち回ったのだろうか。
そして最後は、硝子玉のような目で、どこか別の温もりに逃げ込んだのか。
……俺も、ああなるのか?
自由を手に入れたはずなのに。
俺は今、猛烈な「飢餓感」に襲われていた。
腹は満たされているのに、身体の芯が渇いている。
細胞が悲鳴を上げている。
『エラー発生。正規のメンテナンスを行ってください』
『管理者を呼び出してください』
俺は膝を抱えてうなだれた。
負けた。
檻の鍵が開いていたのに、俺はもう空を飛べない鳥になっていた。
ブブッ。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面には「天宮愛リス」の文字。
『篠崎くん、お昼ご飯ちゃんと食べた?』
『激辛カレーパンとか食べてないよね? 今の篠崎くんの胃だと、今の時間帯に油物は負担だよ』
……GPSか?
それとも、どこかから双眼鏡で見られているのか?
一瞬、現実的なストーカーの恐怖が脳裏をよぎる。
本来なら、この異常な監視能力に戦慄し、拒絶すべきだ。
だが。
俺の指先は、震えていなかった。
それどころか、胸の奥から湧き上がってきたのは、ドロドロとした安堵感だった。
ああ、見られていた。
俺はまだ、管理されている。
その事実が、どうしようもなく心地よかった。
俺はゆっくりとフリック入力した。
それは、俺の「自我」が完全に白旗を揚げた瞬間だった。
『……まずかった。半分残した』
送信ボタンを押す。
すぐに既読がつく。
『ふふ、だと思った。明日は美味しいお粥作っていくね』
その文字を見た瞬間、俺の渇きが癒えていくのが分かった。
明日はお粥か。悪くない。今の俺の胃には最高のご馳走だ。
……あれ?
俺、本当は白米と味噌汁が食べたかった気がするんだが。
まあいいか。もう、胃の声と彼女の声の区別がつかなくなっている。
俺は空を見上げた。
雲ひとつない青空が、今の俺にはただの天井に見えた。
だが、その窮屈な天井の下で生きることを、俺の身体は「幸福」だと誤認し始めていた。
(つづく)
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