その杯に葡萄酒を~オメガバ―ス編~

蓬屋 月餅

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第2章

幕間「穏やかな産室」

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 赤子が誕生したすぐ後のこと。
 諸々の片付けが終わってすっかり静かになった室内では、寝台の縁に背を寄りかからせるようにして体を起こした夾が初めて我が子を胸に抱いていた。
 寝台のそばには璇がいて、共にその赤子の顔を眺めている。
 産まれたばかりだとはいえども こうしてじっと見つめていると なんとなく両親それぞれに似ているところを見つけることができるというもので、2人は「目元は璇さんに似ている気がします」「そうか?この眉のところから鼻筋にかけての線なんかは本当に韶にそっくりだよ」「だけど全体的にはやっぱり璇さん似だと思います」と小声で話しては微笑みを交わし合う。
 なんとも穏やかな時間だ。
 指の腹で赤子の額を注意深く撫でては優しげに目を細める夾。
 璇はそんな夾を見ていると肝心な時にそばにいることができなかった自分に対する不甲斐ない思いが溢れ出してきてしまい、申し訳なさから「…肝心な時にそばにいれなくて…本当に悪かったな」と詫びた。

「韶の方がずっと大変な思いをしてたっていうのに…俺は……」

 実際に具合が悪くなっていたのは確かなのだが、どのくらいの時間を待合室で臥せっていたのかについては分かっていない璇。
 出産が済んでしまっていたほどなのだからきっと相当長い間のことだったに違いないと思っていた彼だが、しかし夾は「あ…いえいえ、お産自体がそもそもあっという間に済んでしまったんですよ」と困ったように笑いながら言った。

「いきみだしたら先生達も驚くほど順調に産まれてきてくれて…安産そのものだったんです。だから璇さんが待合室に行ってからも実はそんなに時間が経っていなくて。何というか、璇さんに報せる間もなく…というか。だからそんな風に気にしないでください、大丈夫ですから」

 夾の言う通り、彼は男性オメガの初産にかかるとされている平均時間よりも早く出産を済ませていた。
 医師達の言うところによると『いきみ方などがとても上手だった』ということと『かなり体力があったから』というのが大きな理由として考えられるそうだ。
 それでもさぞ辛い思いをしたことだろうと璇が眉を顰めると、夾はこれまた苦笑いを浮かべて言う。

「まぁ、たしかに痛いのは痛いんですけど、でも俺って痛みに強いらしいんですよ。だから心配してもらえてありがたいんですけど、別に璇さんがそんな顔を真っ青にするほどではなかったというか…」

「璇さん、知ってますか?“痛み”ってその理由について考えてみると随分和らぐものなんですよ。例えば…転んで膝を擦りむいたりすると当然痛いじゃないですか。でもただそれを“痛い”と思うんじゃなくて“傷口に入り込んだ細かい砂が擦れてるからこんなに痛いんだな”って思うとそこまでじゃなくなるし、水で洗う時も“砂をきちんと流せればこの痛みはずいぶん楽になるはずだ”って思いながらすればいくらか辛さが和らぐんです。もしかしたら俺だけの考えなのかもしれませんけど…でも俺はそう思うんです。だから今回のこの出産も常に“赤ちゃんがどのあたりをどういう風に通ってるのか”っていうのを考えてました」

「出産が痛いことなんて決まりきってるじゃないですか。だって赤ちゃんが固く閉じてるところをこじ開けて、その上骨まで押し拡げながら外に出てくるんですよ?普通じゃ経験しない感覚や痛みを感じて当然でしょう。でもだからこそ“これがどういう痛みなのか”を考えてみるのが大切だと思うんです。誰だって未知のものは怖いじゃないですか。何も知らないままいつまで続くかも分からない陣痛を耐えるのはかなり大変ですよ。だけど“この痛みは骨が動かされてるからなのかも” “さっきよりも圧迫感を感じる場所がお腹の下の方にさがってきたかも” “今引っかかってるように感じてるのは赤ちゃんの頭があるからなのかな”とかって考えてるとお産の進み具合にも見当をつけることができるので、力の入れ方も工夫できるし、合間に力を抜いて休んだりするっていうのも効果的にできたんです。少なくとも俺はそうでした。痛みが強ければ強いほどお産が進んでるってことで心を強く持つことができたし、赤ちゃんとも力を合わせて頑張れている気がして…俺はそういう意味では辛いとは思いませんでしたよ」

 さらに夾は「ちなみに、実は今も結構腰とかが痛いんです」と打ち明けた。

「出産した後もしばらくはこうやってお腹が痛むんだそうです、でもこれも大きくなっていたお腹が“元に戻ろうと縮んでるからこその痛み”みたいですよ。いつまでも縮まずにいたとしたら、それはそれですごく困るじゃないですか?だから俺はむしろ『もっと痛くなって早く元に戻れ』くらいに思ってます。じわじわとずっと長引かせるよりも早く済ませてしまった方が絶対に楽ですからね」

 そう語る夾は痛みを感じている最中とは思えないほど朗らかだ。
 この彼の様子を見ていると、以前右の眉の辺りを切ったときに言っていた『そこまで痛くはなかったので大丈夫ですよ』という言葉も本当にそう思っていたのかもしれないと思えてくる。
 璇が「韶は…本当に強いな」と呟くと、夾はくすぐったそうに笑った。


ーーーーーー


 陸国では赤子の名前は基本的に産まれてから決めるものである。
 産まれた時のことを名前に込めるためというのもあるが、なによりも赤子の顔を見ながら実際にどのような響きのどのような名前にするか、どのような愛称で呼ぶのが合うかをあれこれ試しつつ決めるからだ。
 璇と夾も「この子の名前はどうしましょうか…」「う~ん…そうだなぁ…」とすでに悩み始めている。
 いろいろな呼び方をしてみながらしっくりくる響きを探す2人。
 だがそうして試してみながらも、彼らは赤子が示すとある反応に夢中になっていた。
 “とある反応”というのは赤子の頬にそっと触れると示されるものだ。
 赤子は夾が頬に触れるとすぐさま触れられた頬の方を向いて口をもごもごと動かすのである。
 右でも、左でも。
 小さな口をあむあむとさせる。
 その反応が何を意味しているのかは分からないまま、夾は「うわぁ…すごくかわいいですね…」と頬を緩ませる。

「これ、反射的にこうやって口を動かしちゃうんでしょうかね…何か意味があるんでしょうか…?」
「さぁな…でもちゃんと必ず触れられた方を向いてやってるんだよな…」
「はい…もう、見てくださいよこのちっちゃな口…!動いてるのが信じられないくらいです………」

 何かを探しているような動きをするその姿が可愛らしくてつい魅入ってしまう璇と夾。
 するとそこに助産の女性が夾のためにと蒸して温めた浴布を手にやってきたのだった。

《汗ばんでいるでしょう?これで拭ったら少し気分も良くなるかなと思って持ってきてみたの。もしよかったら使ってね》

 産後すぐのためにまだ湯浴みをしに行くことができない夾を気遣う女性。
 彼女はさすがに経験が豊かでその気遣いも素晴らしく思える。
 そこで夾は(この人なら何か知ってるかも)と考えて「あの…この子、頬に触れると口を動かすんですけど…これって何か意味のある反応なんでしょうか?」と訊ねてみることにした。
 実際にやってみせると、女性は「あら…!」と微笑む。

「頬に触れると赤ちゃんが口を動かすってことよね?そうね、これは赤ちゃんがお乳を探してるってことなの」
「お乳を…?」
「えぇ、そうよ。まだ目で見てお乳の在処を探すことができないでしょう?泣いて知らせるってこともまだできないの。だから頬とかにツンツン触れたものを咥えて吸ってみようとしてるのよ」

 赤子のこの可愛らしい行動がそうしたことを意味してるのだと聞いてから見てみると、確かに口で頬に触れたものを探そうとしているようだ。
 (へぇ…)と目を瞬かせる夾に、女性は「ねぇ、よかったら初めての授乳をしてみない?」と持ち掛けた。

「準備の仕方とかも改めてきちんと教えるわ、だから…どう?」
「え…でもまだ産まれてすぐのにお乳をやっていいものなんですか?」
「もちろん大丈夫よ。それにね、すぐお乳を飲ませてあげると赤ちゃんに対してはもちろんだけど産後の体にも良いの。初めての授乳で十分な量のお乳が出るわけじゃないんだけど、吸わせてあげることでこれまでの『赤ちゃんをお腹の中で育てる』っていう体の認識が『赤ちゃんをお乳で育てる』っていうのに変わって、その後の体の回復が早くなったりお乳が出やすくなったりするから…なるべく早めに初めての授乳をしてあげたほうが良いというくらい」

 それは『新生児の育児といえば授乳』という印象が強かった夾にとって、ぜひともやってあげたいということだった。
 早速赤子を璇に預けた夾は女性から授乳をするための“胸を拭う”などといった支度を細かく教わりながら準備する。
 そうして、夾は初めての授乳というものを体験した。

「そうそう、隙間ができないように胸に口を軽く押し当ててあげるような感じで…」

 胸元にいる赤子をじっと見つめる夾。
 璇が「どうだ…?飲んでるのか…?」と訊ねると、夾は赤子から目を離すことなく答えた。

「お乳がちゃんと出てるのかは分からない、んですけど…でも…すごく不思議な感じがします。熱くて、柔らかくて、それで……思った以上に吸う力が強くて…」

「とにかく ものすごく不思議な感覚です……」

 耳をすませば ごく小さく聴こえてくる規則的な音。
 感動すら感じるこの瞬間を、この場にいる誰もがただただじっと見守っていた。
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