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第2章
16「3人での生活」
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ちょうど冬が終わりにさしかかった頃に元気な男の子を出産した夾。
彼が璇との子を出産してからすぐに家族や友人達に赤子の誕生を知らせる手紙を送ったところ、お祝いの返信が続々と届き、早速夾がいる産室を工芸地域にいる夾の兄夫婦や農業地域に住む璇の両親、琥珀と黒耀などが訪ねてきた。
自宅に帰ってからの来客では迷惑になるだろうという配慮があってのことだったが、お祝いの品を持って駆けつけてくれた人達が赤子を見るなり皆揃って大きな声を出さないようにと気をつけながら『本っ当に可愛い…!』『お疲れ様、大変だったでしょう?』と声をかけてくれたので、夾は尚更嬉しく、ありがたく思ってむしろその来客を喜ぶ。(近くに住んでいる璇の兄夫婦は産後の体に良い料理を作っては璇に持たせて届けるなどして特によく支えてくれた)
直接産室まで来てくれた面々の他にも、璇と璇の兄の友人であり郵便や荷物の配達を仕事にしている鎏は赤子が産まれたことを報せる手紙を喜んで速達であちこちに届けてくれて、さらに夾が働いている荷車整備工房の親方夫妻とその娘は夾達が産室から自宅へと帰る際の荷物の運搬を担うと申し出てくれたりもした。
誰もがそれぞれの形で祝ってくれているということが本当にありがたく、璇と夾は自分達もこれからできる限りその気持ちに応えていこうと誓う。
そうして産室で寝泊まりしながら、助産を務めてくれた女性の力をも借りつつ新生児の世話についてあらためて学び、璇と共に新たな生活の感覚というものをかろうじて掴んだ夾は、体調が回復したある晴れた日に我が子を連れて自宅へと帰ってきたのだった。
いよいよ本当に幕が上がる赤子との生活。
用意していた真新しい寝具の上に赤子を寝かせると子育てが始まったのだという実感がより一層湧き上がってきて心が躍る。
産屋から持って帰ってきた荷物や色んな人達から贈られてきたお祝いの品々の整理などもしながら、彼らはまだ慣れないながらもなんとか毎日を過ごしていた。
ーーーーーーー
彼らが自宅に帰ってきてから数日後には、陸国にも ちょうど春が始まる気配がし始めていくらか過ごしやすい気候になっていく。
当初はやること、やるべきことを一つずつ追うので精一杯だったために『あれはどうする?』『これはどうしようか』というような事態になってとにかく慌ただしく時間が過ぎていくのを感じていた2人も、少しずつ出来上がってきた『交代で夕食を済ませ、赤子の沐浴を2人がかりで慎重に行い、夾が授乳をしている間に璇が湯浴みをする』というような流れのおかげで時間に余裕が出来、生活に穏やかさを取り戻しつつある。
そんなある夜のことだ。
湯浴みを終えて浴室から出てきた璇が夾の腕の中ですやすやと眠っている赤子を見て《…寝たのか?》と小さな声で訊ねると、夾は頷きながら同じように声量を抑えて答えた。
《げっぷをしたらそのまま うとうと し始めて…寝ちゃいました》
《そうか…》
《俺、さっと湯浴みをしてくるので…その間はこの子のことお願いします》
《あぁ》
《ありがとうございます》
《…どうかな、寝台でもこのまま寝ていてくれるといいんだけど…》
夾は静かにそう話しながら 抱いていた赤子を寝室の中に置いてある赤子用の小さな寝台の上へと慎重に、そっと、ゆっくりと時間をかけて寝かせる。
一瞬だけ眉をひそめて もぞもぞと動いたものの、なんとかそれからも寝顔を見せ続ける赤子の姿に胸を撫で下ろした夾は 璇が寝室に来たのと入れ替わるようにして今度は自らが湯浴みをするべく支度を始めた。
この家の造りは元々とても広い一間だけがあるようなものだったので“寝室”というような部屋がなく、彼らも布などで仕切ることによって寝室を設けているのだが、実はこういう風にしていると部屋の行き来をする際に扉をいちいち開閉する必要がないので物音を立てることもないという大きな利点がある。さらに来客時など以外は仕切りのための衝立も立てていないので部屋全体の見通しが良く、どこからでもパッと見るだけで状況を理解することができるという利点もあるのだ。
たとえ浴室で赤子の泣き声を聞いたとしても、すぐ一直線に駆けつけることができる…これは周囲の状況を把握することが必要になったりする子育てにおいて とても便利なことだった。
自分が離れている間に何かあったとしてもすぐにここへ戻ってくることができるという安心感から、夾はまだ浴室が温まっているうちにさっさと湯浴みを済ませてきてしまおうと音を立てないよう細心の注意を払いながら急ぐ。
だがそんな夾に璇は《なぁ、韶。今日はもう少しゆっくり湯浴みをしてきたらどうだ?》と声量を落としたまま話したのだった。
《いつもほとんど体を温める時間もないまま湯浴みを切り上げてくるだろ?だけど医者の先生も体の回復のためには なるべく湯浴みのときに無理のない程度で体を温めたり気を安らげたりするようにしたほうがいいって言ってたわけだし…俺がずっとここにいてちゃんと様子を見てるから、今日はゆっくりしてきて》
湯上りに飲むための水を淹れた水差しを寝台のそばに持っていこうとしていた夾は璇の申し出を受けて思わず動きを止める。
えっ、という表情になっていると、璇はさらに《ほら、つい今しがたお乳をもらってお腹いっぱいになってるはずだろ》と赤子用の寝台の中にいる我が子を見ながら言った。
《ちょうどおしめも替わって機嫌もいいみたいだし…そんなすぐに泣くこともないだろうから…今ならゆっくり入ってきても大丈夫なはずだ》
《必ず俺がそばにいて様子を見てるし、何かあったとしたらすぐ報せるよ。だから…不安かもしれないけどここは俺に任せて、韶はなるべく体が温まるようにゆっくり湯浴みをしてきてくれ》
璇はそうして湯浴みを勧めてくるものの、夾はすぐに頷いて応えることができなかった。
もちろん彼は璇を信用していないというわけではない。
そうではないのだが…しかし心の中ではどこかに『赤子の世話をすることができるのは自分だけだ』という意識があって、赤子を璇に任せてゆっくり湯浴みをしてくるなどというのは彼にとっては少々受け入れがたいことだったのである。
赤子の世話をする上では気をつけていることがいくつもあるので、それを璇も同じように理解してくれているのであればいいのだが、そうでなかった場合はきっとモヤモヤとした気分になるに違いないということもあった。
璇の気持ちはありがたいが、そうしたことを考えると嬉しさ半分、困惑半分『気持ちは嬉しいけど…』といった感じだ。
…しかしこのところ授乳と睡眠を頻繁に繰り返し、その合間になんとか食事などをするということを繰り返し続けている夾にしてみれば1度ゆっくりと湯を浴びながら体を休ませたいという思いがあるのも事実であり、さらにその上 璇が赤子と触れ合うせっかくの機会を自分が奪ってしまうのもよくないだろうという考えもあるのである。
そうして夾はしばらくその場で考えてから「…そうですね」と小さく頷いた。
「璇さんがそう言うなら…ちょっとゆっくりするくらいはしてこようかと…思います」
《うん。そうしてくれ》
「でもなにかあったらすぐに言ってくださいね、絶対に…絶対にですよ」
後ろ髪を引かれるような思いになりながら夾は浴室へと向かっていった。
ーーーーー
オメガやアルファは番になった相手の【香り】を感じると心身の疲れなどが癒されるので、病に罹ることがなく、傷を負ったとしてもすぐに治癒するといわれている。
その特別な“効果”は産後のオメガの傷ついた体に対しても有効だ。
出産後のオメガは番のアルファが自分達の間に生まれた子を愛おしく思ったりした際に無意識に放つ【香り】を感じることで、自身も弱く【香り】を放ち、疲れきっている体を回復させるのである。
男性オメガの場合は特にそれが重要だった。
女性体のそれとは似ているようで違う男性オメガ達の出産では体の疲れ具合や傷つき方も異なっているので、それこそ番のアルファの協力がなければ体の回復を果たすことができずあっという間に衰弱してしまう。番にならなければ妊娠しないのも、そういったことが要因だ。
夾も出産直後は随分と体を痛めてしまっていたが、しかし璇の協力によってすでに湯を浴びて体を洗っても痛みを感じることはないくらいになっていた。
自宅の浴室に引き入れて使っている酪農地域のこの温泉の湯は産後の体にもいいということで、夾は久しぶりにのんびりとその湯を浴びてふうっと息をつく。
なんだかカチコチに固まってしまっていた体が柔らかく解れていくような…そんな感じだ。
だがそんな中でも彼が考えているのはやはり寝室に残してきた璇と我が子のことだった。
(…大丈夫かな、璇さん)
夾は十分に泡立てた洗い粉で体を洗いながらぼぅっと思う。
(う~ん…“ゆっくりしてきて”って言ってくれるのはたしかにありがたいんだけど…でもいくらお乳を飲ませてもまだ赤ちゃんのお腹が小さいから結局すぐお腹が空いて目を覚ましちゃうし、どっちにしろそんなにゆっくりはしていられないんだよな……女の人は新生児相手でも授乳の間隔が2、3時間くらいってほんとなのかな?それだって大変だろうけど…でも俺にしてみれば2時間も空くなら御の字って感じだ…)
そう。夾の言う通り、男性オメガは女性体よりもずっと頻繁に授乳をしなくてはならないのだ。
小さく産んだ赤子をぐんぐん大きく育てるためにはとにかくお乳と良質な睡眠、そして両親である番の【香り】を与えてやることが重要だからである。
それは妊娠期間を短くして赤子を産みやすいようにしたことに対する一種の代償だ。
両親からの【香り】があることによって短時間でもしっかりと眠ることができる男性オメガの赤子は一日の間に睡眠と授乳をひたすら繰り返して大きくなっていくのだが、そんな赤子の生活に従って男性オメガも同じように頻繁に授乳をし、さらにその合間合間でなるべく睡眠をとるようにしなければならない。つまり今の夾もはっきりいって朝も夜もないような生活を送っているというわけだ。
その生活は少なくとも赤子が女性体が産んだ新生児くらいの大きさになるまでは続くことになる。
なのでいくら璇に『のんびりして来い』と言われたとしても結局そう簡単にはいかないということなのだ。
…こうして夾が体や髪を洗っている間にも、彼は我が子のむずかる声が聴こえて来たような気がして耳を澄ませた。
(今…一瞬だけ声がしたような、気がする……)
だがそれはほんの一瞬のことで、その後はもう何の音も聴こえてこない。
赤子の声には聴くと駆けつけずにはいられない気持ちにさせる“何か”が含まれているものだ。
そのため夾もじっとしていられなくなってしまう。
しかし『何かあればきっと璇がきちんと報せに来るだろうから、そういちいち気を張ることも、慌てて出ていくこともないだろう』という思いと共に(今すぐに出て行ったらせっかくの璇さんの気遣いを不意にすることになるし…それになんだかまるで璇さんのことを信頼していないかのような感じがして良くないよな…)という考えが頭をよぎり、そのまま湯浴みを続けようとする夾。
だがやはりどうしても気になって仕方がなくなってしまった彼は頭から湯をかぶり、そして湯浴みを終えて部屋へと戻っていったのだった。
ーーーーー
赤子の眠りを妨げてしまうことのないようにと必要最小限にしている部屋の中の明かりは夜の静けさを一層際立たせているかのようだ。
寝間着に着替えた夾が音をたてないようにそっと脱衣所の扉から顔だけを覗かせると、他よりもいくらか明るいぼんやりとした橙色の光に包み込まれている寝室が見える。
夾はてっきり璇が赤子用の寝台の中を覗き込んでいるだろうと思っていたのだが…見てみるとそうではなく、どうやら寝台の上にあがって座っているらしいということが分かった。
その後ろ姿からすると、璇はちょうど三角座りのような感じに両膝を立てていて、そしてその膝のところをじっと見つめているようだ。
さらにごくごく小さな声で何かを話している声までもが聴こえてきた。
《うん?…あぁ、いい子だな…そうだな、お父さんが湯浴みから帰ってくるまでお父ちゃんとこうして2人で待っていような…》
彼が何をしているのかは夾にもすぐに分かる。
璇はゆったりと体を揺らしながら、自分とちょうど向かい合うように膝と太もものところへ赤子を載せ、あやしていたのだ。
絶えずかすかに聴こえてくる優しい声音。
《すっかり目が覚めちゃったんだな?ちゃんと『お父さんの腕の中から寝台に移された』っていうのに気づいたのか、そうかそうか…でももう少し俺とこうしていようよ、な?お父さんとはお乳を飲むときにもずっと顔を合わせることができるけど、俺とは全然そういう機会がないだろ?…実はお父ちゃんは少し寂しいんだ、いつもゆっくり見られるのは寝顔ばかりだからさ。こうして起きてる時の顔をよく見れるっていうのがすごく嬉しいんだよ》
《はぁ…可愛いな、“いなみ”…本当に可愛いよ、いなみ……》
しきりにそう話しかけている璇。
彼が呼んだ『いなみ』というのは璇と夾が赤子が生まれた日にちなんでつけた赤子の名、愛称である。
産まれた日が陸国における『牛宿の日』だったことから酪農地域の言葉で『牛宿の加護のもとに産まれた子』を意味してつけられたその名は、独特でありながらもとても美しい響きの発音で呼ばれている。
きちんと考えた末につけられた名前というのは不思議なもので、それまで何通りも考えて呼び方を試していたにもかかわらず1度そうと決まってから呼び始めると『この名前以外は考えられない』というほどしっくりくるものだ。
彼らにとっての『いなみ』という息子に対する愛称も、もはや他の呼び名などは考えられないというくらいになっている。
夾はそうして我が子の名前を呼びながらなにやら嬉しそうにしている璇の後姿を脱衣所の扉のところから眺めていた。
赤子の世話を任せても大丈夫だろうかと不安に思っていたのは やはりすべて杞憂だったようだと夾は思う。
(璇さん…赤ちゃんの顔に直接明かりの光が当たらないようにしてくれてる…赤ちゃんが眩しくないようにちゃんと考えてくれてたんだな…)
それは夾がわりと心配していたことの1つだった。
まだ目がはっきりとは見えていない新生児に対して『表情をよく見たいから』というような理由で明かりを近づけるのはとてもよくない気がして、夾はいつも赤子が眩しくないようにと気をつけていたのだ。
神経質になりすぎ、過剰になりすぎだと思われるかもしれないが、しかしそれで赤子の目に何かよくない事が起こりでもしたらと思うとなるべくそうした影響をもたらしそうなものを避けておくほうが良いに違いないと彼は考えている。
だがそうしてあれこれと気をつけていたからこそ、夾はいつの間にか『自分だけが赤子の健康のことを気にしているのだから世話も全部自分1人でやってやらなければいけない』というように考えてしまっていた事に気付いた。
実際はそうではなく、璇も同じように赤子のことを考えてくれているのだということを…無視してしまっていたのかもしれない。
あらためて璇のその様子を見て(もう少し璇さんに任せてみてもいいのかもしれない)と思う夾。
するとようやく夾の気配に気付いた璇が後ろを振り向いたのだった。
《あ…いつの間に…》
少しバツが悪そうにしているのは1人で赤子に向けて話しかけているところを夾に見られてしまったという恥ずかしさからだろう。
夾が寝室へ近寄って行くと、璇はさらに《これは、その…俺が起こしたわけじゃなくて目が覚めてぐずりそうだったから…だからあやしてみてただけでさ…》と説明しようとする。
まるで『なぜ寝台で大人しく眠っていた子を抱きあげたのか』と怒られでもしてしまうのではないかと心配をしているような感じだ。
そんな璇の姿に、夾は《分かってますから大丈夫ですよ、璇さん》と微笑みかける。
《大丈夫ですよ、分かっていますから》
《あ…そう、か…》
夾は寝台に上がると璇の横から同じようにして我が子の顔を覗き込む。
やはり赤子の顔は明るく照らされてはおらず、むしろ逆光で少し暗くなっていた。
夾がそのことについて言及すると、璇は《だって韶はいつもこうしてるだろ?》と答える。
《韶が夜中に授乳するときも必ず明かりがこの子の顔に直接かからないようにしてるから、俺はただそれを真似ただけだよ。それに…俺の顔を覚えてもらうためにはこうやって自分を明かりで照らすようにしないとだめだろ?この子の顔を明るく照らしてたら眩しくって俺の顔を見るどころじゃなくなるし、それじゃ意味がないものな》
璇のその言葉を聞いた夾はさらに心が温まる思いがした。
自分が夜に授乳をする際などに独自的に気をつけていたことにも璇は理解を示し、そして同じように気をつけようとしてくれていたことが嬉しかったのだ。
夾がそっと璇の肩に寄り添うと、璇は夾にも赤子の顔がよく見えるようにと少しこちら側に体を傾けてくる。
ぐずることもなく大人しくしている赤子はまだあまり見えていないという目で『ぱち…ぱち…』というように瞬きしながら、少ししかめっ面をしている。
じっと見つめながら目の前にいる人物が誰なのかをぼぅっと考えているかのようなその姿に、夾は思わず笑い出しそうになるのを堪えつつ《これは…どういう表情なんでしょうかね…?》と声をひそめた。
《なんというか、すごく可愛くて面白い表情ですけど…この子なりに何かを一生懸命に考えていたりするんでしょうか》
すると璇も《あぁ、そうだな》と頷く。
《ほんと見てると飽きないよ、寝てるときだって口をもぐもぐ動かしてたりするし…まだ小さくて喜怒哀楽もほとんどないくらいらしいけど、でもそれでも色々な表情を見せてくれるんだよな》
《そうですよね、こうして…ずっと見ているだけでも…》
赤子の、少し体を動かすのでさえも懸命になっているくらいのその小さな体。
出産前に璇が作ったあの赤子用の小さな衣がぴったり合う大きさの体…。
手足も何もかもが小さなその体を見ながら夾はしみじみと話す。
《でも本当に…不思議です。俺と璇さんが出会って、結ばれて、この子が産まれたってことが。だって璇さんと出会わなかったらこの子の顔を見ることはなかったわけでしょう?それに…どうやってこの子が俺のお腹の中で育ってきたのかっていうのも、すごく不思議です…初めはものすごく小さな細胞だっていうじゃないですか、それがどうやったらこんな…小さな爪まで生やして…自分で呼吸してお乳を飲むことができるくらいにまで大きくなるのか…》
《俺、この子を産んでから特に思うようになったんです。
“命って本当にすごいんだな”って》
命の尊さというものを親になって初めて鮮明に感じた夾。
すると璇も《そんな“命”を一からお腹の中で育て上げた韶も、本当にすごい》と小さな声で話して夾を見つめる。
互いに見つめ合いながら笑みを交わす2人。
すると どちらからともなく ほんのりとした【香り】が放たれ、それは混ざりながら寝室を包み込むかのように漂い始めた。
両親からのその【香り】を感じたらしい赤子は1度伸びをするようにもぞもぞと体を動かすと、ふわりとあくびをして、微笑んでいるようにも見える表情を浮かべる。
そんな我が子を見た璇と夾は《え、笑ってる…?これ…笑ってますよね??》《そうだよな…?“笑う”とかっていう感情はまだだって先生は言ってたけど、さすがにこれは笑ってるって言っていいんじゃないか…?》《うわ…可愛い……!》と興奮を抑え込むようにしてひそひそと話し合った。
慌しく過ぎていく体力的にも大変な毎日。
だが一日の終わりにこんなちょっとしたことがあるだけで、2人はまた体の奥底から活力がぐんぐんと湧いてくるのを感じるのである。
まだまだ始まったばかりの3人の生活は忙しさと苦労と、そしてそれを上回る癒しと共にあるのだった。
彼が璇との子を出産してからすぐに家族や友人達に赤子の誕生を知らせる手紙を送ったところ、お祝いの返信が続々と届き、早速夾がいる産室を工芸地域にいる夾の兄夫婦や農業地域に住む璇の両親、琥珀と黒耀などが訪ねてきた。
自宅に帰ってからの来客では迷惑になるだろうという配慮があってのことだったが、お祝いの品を持って駆けつけてくれた人達が赤子を見るなり皆揃って大きな声を出さないようにと気をつけながら『本っ当に可愛い…!』『お疲れ様、大変だったでしょう?』と声をかけてくれたので、夾は尚更嬉しく、ありがたく思ってむしろその来客を喜ぶ。(近くに住んでいる璇の兄夫婦は産後の体に良い料理を作っては璇に持たせて届けるなどして特によく支えてくれた)
直接産室まで来てくれた面々の他にも、璇と璇の兄の友人であり郵便や荷物の配達を仕事にしている鎏は赤子が産まれたことを報せる手紙を喜んで速達であちこちに届けてくれて、さらに夾が働いている荷車整備工房の親方夫妻とその娘は夾達が産室から自宅へと帰る際の荷物の運搬を担うと申し出てくれたりもした。
誰もがそれぞれの形で祝ってくれているということが本当にありがたく、璇と夾は自分達もこれからできる限りその気持ちに応えていこうと誓う。
そうして産室で寝泊まりしながら、助産を務めてくれた女性の力をも借りつつ新生児の世話についてあらためて学び、璇と共に新たな生活の感覚というものをかろうじて掴んだ夾は、体調が回復したある晴れた日に我が子を連れて自宅へと帰ってきたのだった。
いよいよ本当に幕が上がる赤子との生活。
用意していた真新しい寝具の上に赤子を寝かせると子育てが始まったのだという実感がより一層湧き上がってきて心が躍る。
産屋から持って帰ってきた荷物や色んな人達から贈られてきたお祝いの品々の整理などもしながら、彼らはまだ慣れないながらもなんとか毎日を過ごしていた。
ーーーーーーー
彼らが自宅に帰ってきてから数日後には、陸国にも ちょうど春が始まる気配がし始めていくらか過ごしやすい気候になっていく。
当初はやること、やるべきことを一つずつ追うので精一杯だったために『あれはどうする?』『これはどうしようか』というような事態になってとにかく慌ただしく時間が過ぎていくのを感じていた2人も、少しずつ出来上がってきた『交代で夕食を済ませ、赤子の沐浴を2人がかりで慎重に行い、夾が授乳をしている間に璇が湯浴みをする』というような流れのおかげで時間に余裕が出来、生活に穏やかさを取り戻しつつある。
そんなある夜のことだ。
湯浴みを終えて浴室から出てきた璇が夾の腕の中ですやすやと眠っている赤子を見て《…寝たのか?》と小さな声で訊ねると、夾は頷きながら同じように声量を抑えて答えた。
《げっぷをしたらそのまま うとうと し始めて…寝ちゃいました》
《そうか…》
《俺、さっと湯浴みをしてくるので…その間はこの子のことお願いします》
《あぁ》
《ありがとうございます》
《…どうかな、寝台でもこのまま寝ていてくれるといいんだけど…》
夾は静かにそう話しながら 抱いていた赤子を寝室の中に置いてある赤子用の小さな寝台の上へと慎重に、そっと、ゆっくりと時間をかけて寝かせる。
一瞬だけ眉をひそめて もぞもぞと動いたものの、なんとかそれからも寝顔を見せ続ける赤子の姿に胸を撫で下ろした夾は 璇が寝室に来たのと入れ替わるようにして今度は自らが湯浴みをするべく支度を始めた。
この家の造りは元々とても広い一間だけがあるようなものだったので“寝室”というような部屋がなく、彼らも布などで仕切ることによって寝室を設けているのだが、実はこういう風にしていると部屋の行き来をする際に扉をいちいち開閉する必要がないので物音を立てることもないという大きな利点がある。さらに来客時など以外は仕切りのための衝立も立てていないので部屋全体の見通しが良く、どこからでもパッと見るだけで状況を理解することができるという利点もあるのだ。
たとえ浴室で赤子の泣き声を聞いたとしても、すぐ一直線に駆けつけることができる…これは周囲の状況を把握することが必要になったりする子育てにおいて とても便利なことだった。
自分が離れている間に何かあったとしてもすぐにここへ戻ってくることができるという安心感から、夾はまだ浴室が温まっているうちにさっさと湯浴みを済ませてきてしまおうと音を立てないよう細心の注意を払いながら急ぐ。
だがそんな夾に璇は《なぁ、韶。今日はもう少しゆっくり湯浴みをしてきたらどうだ?》と声量を落としたまま話したのだった。
《いつもほとんど体を温める時間もないまま湯浴みを切り上げてくるだろ?だけど医者の先生も体の回復のためには なるべく湯浴みのときに無理のない程度で体を温めたり気を安らげたりするようにしたほうがいいって言ってたわけだし…俺がずっとここにいてちゃんと様子を見てるから、今日はゆっくりしてきて》
湯上りに飲むための水を淹れた水差しを寝台のそばに持っていこうとしていた夾は璇の申し出を受けて思わず動きを止める。
えっ、という表情になっていると、璇はさらに《ほら、つい今しがたお乳をもらってお腹いっぱいになってるはずだろ》と赤子用の寝台の中にいる我が子を見ながら言った。
《ちょうどおしめも替わって機嫌もいいみたいだし…そんなすぐに泣くこともないだろうから…今ならゆっくり入ってきても大丈夫なはずだ》
《必ず俺がそばにいて様子を見てるし、何かあったとしたらすぐ報せるよ。だから…不安かもしれないけどここは俺に任せて、韶はなるべく体が温まるようにゆっくり湯浴みをしてきてくれ》
璇はそうして湯浴みを勧めてくるものの、夾はすぐに頷いて応えることができなかった。
もちろん彼は璇を信用していないというわけではない。
そうではないのだが…しかし心の中ではどこかに『赤子の世話をすることができるのは自分だけだ』という意識があって、赤子を璇に任せてゆっくり湯浴みをしてくるなどというのは彼にとっては少々受け入れがたいことだったのである。
赤子の世話をする上では気をつけていることがいくつもあるので、それを璇も同じように理解してくれているのであればいいのだが、そうでなかった場合はきっとモヤモヤとした気分になるに違いないということもあった。
璇の気持ちはありがたいが、そうしたことを考えると嬉しさ半分、困惑半分『気持ちは嬉しいけど…』といった感じだ。
…しかしこのところ授乳と睡眠を頻繁に繰り返し、その合間になんとか食事などをするということを繰り返し続けている夾にしてみれば1度ゆっくりと湯を浴びながら体を休ませたいという思いがあるのも事実であり、さらにその上 璇が赤子と触れ合うせっかくの機会を自分が奪ってしまうのもよくないだろうという考えもあるのである。
そうして夾はしばらくその場で考えてから「…そうですね」と小さく頷いた。
「璇さんがそう言うなら…ちょっとゆっくりするくらいはしてこようかと…思います」
《うん。そうしてくれ》
「でもなにかあったらすぐに言ってくださいね、絶対に…絶対にですよ」
後ろ髪を引かれるような思いになりながら夾は浴室へと向かっていった。
ーーーーー
オメガやアルファは番になった相手の【香り】を感じると心身の疲れなどが癒されるので、病に罹ることがなく、傷を負ったとしてもすぐに治癒するといわれている。
その特別な“効果”は産後のオメガの傷ついた体に対しても有効だ。
出産後のオメガは番のアルファが自分達の間に生まれた子を愛おしく思ったりした際に無意識に放つ【香り】を感じることで、自身も弱く【香り】を放ち、疲れきっている体を回復させるのである。
男性オメガの場合は特にそれが重要だった。
女性体のそれとは似ているようで違う男性オメガ達の出産では体の疲れ具合や傷つき方も異なっているので、それこそ番のアルファの協力がなければ体の回復を果たすことができずあっという間に衰弱してしまう。番にならなければ妊娠しないのも、そういったことが要因だ。
夾も出産直後は随分と体を痛めてしまっていたが、しかし璇の協力によってすでに湯を浴びて体を洗っても痛みを感じることはないくらいになっていた。
自宅の浴室に引き入れて使っている酪農地域のこの温泉の湯は産後の体にもいいということで、夾は久しぶりにのんびりとその湯を浴びてふうっと息をつく。
なんだかカチコチに固まってしまっていた体が柔らかく解れていくような…そんな感じだ。
だがそんな中でも彼が考えているのはやはり寝室に残してきた璇と我が子のことだった。
(…大丈夫かな、璇さん)
夾は十分に泡立てた洗い粉で体を洗いながらぼぅっと思う。
(う~ん…“ゆっくりしてきて”って言ってくれるのはたしかにありがたいんだけど…でもいくらお乳を飲ませてもまだ赤ちゃんのお腹が小さいから結局すぐお腹が空いて目を覚ましちゃうし、どっちにしろそんなにゆっくりはしていられないんだよな……女の人は新生児相手でも授乳の間隔が2、3時間くらいってほんとなのかな?それだって大変だろうけど…でも俺にしてみれば2時間も空くなら御の字って感じだ…)
そう。夾の言う通り、男性オメガは女性体よりもずっと頻繁に授乳をしなくてはならないのだ。
小さく産んだ赤子をぐんぐん大きく育てるためにはとにかくお乳と良質な睡眠、そして両親である番の【香り】を与えてやることが重要だからである。
それは妊娠期間を短くして赤子を産みやすいようにしたことに対する一種の代償だ。
両親からの【香り】があることによって短時間でもしっかりと眠ることができる男性オメガの赤子は一日の間に睡眠と授乳をひたすら繰り返して大きくなっていくのだが、そんな赤子の生活に従って男性オメガも同じように頻繁に授乳をし、さらにその合間合間でなるべく睡眠をとるようにしなければならない。つまり今の夾もはっきりいって朝も夜もないような生活を送っているというわけだ。
その生活は少なくとも赤子が女性体が産んだ新生児くらいの大きさになるまでは続くことになる。
なのでいくら璇に『のんびりして来い』と言われたとしても結局そう簡単にはいかないということなのだ。
…こうして夾が体や髪を洗っている間にも、彼は我が子のむずかる声が聴こえて来たような気がして耳を澄ませた。
(今…一瞬だけ声がしたような、気がする……)
だがそれはほんの一瞬のことで、その後はもう何の音も聴こえてこない。
赤子の声には聴くと駆けつけずにはいられない気持ちにさせる“何か”が含まれているものだ。
そのため夾もじっとしていられなくなってしまう。
しかし『何かあればきっと璇がきちんと報せに来るだろうから、そういちいち気を張ることも、慌てて出ていくこともないだろう』という思いと共に(今すぐに出て行ったらせっかくの璇さんの気遣いを不意にすることになるし…それになんだかまるで璇さんのことを信頼していないかのような感じがして良くないよな…)という考えが頭をよぎり、そのまま湯浴みを続けようとする夾。
だがやはりどうしても気になって仕方がなくなってしまった彼は頭から湯をかぶり、そして湯浴みを終えて部屋へと戻っていったのだった。
ーーーーー
赤子の眠りを妨げてしまうことのないようにと必要最小限にしている部屋の中の明かりは夜の静けさを一層際立たせているかのようだ。
寝間着に着替えた夾が音をたてないようにそっと脱衣所の扉から顔だけを覗かせると、他よりもいくらか明るいぼんやりとした橙色の光に包み込まれている寝室が見える。
夾はてっきり璇が赤子用の寝台の中を覗き込んでいるだろうと思っていたのだが…見てみるとそうではなく、どうやら寝台の上にあがって座っているらしいということが分かった。
その後ろ姿からすると、璇はちょうど三角座りのような感じに両膝を立てていて、そしてその膝のところをじっと見つめているようだ。
さらにごくごく小さな声で何かを話している声までもが聴こえてきた。
《うん?…あぁ、いい子だな…そうだな、お父さんが湯浴みから帰ってくるまでお父ちゃんとこうして2人で待っていような…》
彼が何をしているのかは夾にもすぐに分かる。
璇はゆったりと体を揺らしながら、自分とちょうど向かい合うように膝と太もものところへ赤子を載せ、あやしていたのだ。
絶えずかすかに聴こえてくる優しい声音。
《すっかり目が覚めちゃったんだな?ちゃんと『お父さんの腕の中から寝台に移された』っていうのに気づいたのか、そうかそうか…でももう少し俺とこうしていようよ、な?お父さんとはお乳を飲むときにもずっと顔を合わせることができるけど、俺とは全然そういう機会がないだろ?…実はお父ちゃんは少し寂しいんだ、いつもゆっくり見られるのは寝顔ばかりだからさ。こうして起きてる時の顔をよく見れるっていうのがすごく嬉しいんだよ》
《はぁ…可愛いな、“いなみ”…本当に可愛いよ、いなみ……》
しきりにそう話しかけている璇。
彼が呼んだ『いなみ』というのは璇と夾が赤子が生まれた日にちなんでつけた赤子の名、愛称である。
産まれた日が陸国における『牛宿の日』だったことから酪農地域の言葉で『牛宿の加護のもとに産まれた子』を意味してつけられたその名は、独特でありながらもとても美しい響きの発音で呼ばれている。
きちんと考えた末につけられた名前というのは不思議なもので、それまで何通りも考えて呼び方を試していたにもかかわらず1度そうと決まってから呼び始めると『この名前以外は考えられない』というほどしっくりくるものだ。
彼らにとっての『いなみ』という息子に対する愛称も、もはや他の呼び名などは考えられないというくらいになっている。
夾はそうして我が子の名前を呼びながらなにやら嬉しそうにしている璇の後姿を脱衣所の扉のところから眺めていた。
赤子の世話を任せても大丈夫だろうかと不安に思っていたのは やはりすべて杞憂だったようだと夾は思う。
(璇さん…赤ちゃんの顔に直接明かりの光が当たらないようにしてくれてる…赤ちゃんが眩しくないようにちゃんと考えてくれてたんだな…)
それは夾がわりと心配していたことの1つだった。
まだ目がはっきりとは見えていない新生児に対して『表情をよく見たいから』というような理由で明かりを近づけるのはとてもよくない気がして、夾はいつも赤子が眩しくないようにと気をつけていたのだ。
神経質になりすぎ、過剰になりすぎだと思われるかもしれないが、しかしそれで赤子の目に何かよくない事が起こりでもしたらと思うとなるべくそうした影響をもたらしそうなものを避けておくほうが良いに違いないと彼は考えている。
だがそうしてあれこれと気をつけていたからこそ、夾はいつの間にか『自分だけが赤子の健康のことを気にしているのだから世話も全部自分1人でやってやらなければいけない』というように考えてしまっていた事に気付いた。
実際はそうではなく、璇も同じように赤子のことを考えてくれているのだということを…無視してしまっていたのかもしれない。
あらためて璇のその様子を見て(もう少し璇さんに任せてみてもいいのかもしれない)と思う夾。
するとようやく夾の気配に気付いた璇が後ろを振り向いたのだった。
《あ…いつの間に…》
少しバツが悪そうにしているのは1人で赤子に向けて話しかけているところを夾に見られてしまったという恥ずかしさからだろう。
夾が寝室へ近寄って行くと、璇はさらに《これは、その…俺が起こしたわけじゃなくて目が覚めてぐずりそうだったから…だからあやしてみてただけでさ…》と説明しようとする。
まるで『なぜ寝台で大人しく眠っていた子を抱きあげたのか』と怒られでもしてしまうのではないかと心配をしているような感じだ。
そんな璇の姿に、夾は《分かってますから大丈夫ですよ、璇さん》と微笑みかける。
《大丈夫ですよ、分かっていますから》
《あ…そう、か…》
夾は寝台に上がると璇の横から同じようにして我が子の顔を覗き込む。
やはり赤子の顔は明るく照らされてはおらず、むしろ逆光で少し暗くなっていた。
夾がそのことについて言及すると、璇は《だって韶はいつもこうしてるだろ?》と答える。
《韶が夜中に授乳するときも必ず明かりがこの子の顔に直接かからないようにしてるから、俺はただそれを真似ただけだよ。それに…俺の顔を覚えてもらうためにはこうやって自分を明かりで照らすようにしないとだめだろ?この子の顔を明るく照らしてたら眩しくって俺の顔を見るどころじゃなくなるし、それじゃ意味がないものな》
璇のその言葉を聞いた夾はさらに心が温まる思いがした。
自分が夜に授乳をする際などに独自的に気をつけていたことにも璇は理解を示し、そして同じように気をつけようとしてくれていたことが嬉しかったのだ。
夾がそっと璇の肩に寄り添うと、璇は夾にも赤子の顔がよく見えるようにと少しこちら側に体を傾けてくる。
ぐずることもなく大人しくしている赤子はまだあまり見えていないという目で『ぱち…ぱち…』というように瞬きしながら、少ししかめっ面をしている。
じっと見つめながら目の前にいる人物が誰なのかをぼぅっと考えているかのようなその姿に、夾は思わず笑い出しそうになるのを堪えつつ《これは…どういう表情なんでしょうかね…?》と声をひそめた。
《なんというか、すごく可愛くて面白い表情ですけど…この子なりに何かを一生懸命に考えていたりするんでしょうか》
すると璇も《あぁ、そうだな》と頷く。
《ほんと見てると飽きないよ、寝てるときだって口をもぐもぐ動かしてたりするし…まだ小さくて喜怒哀楽もほとんどないくらいらしいけど、でもそれでも色々な表情を見せてくれるんだよな》
《そうですよね、こうして…ずっと見ているだけでも…》
赤子の、少し体を動かすのでさえも懸命になっているくらいのその小さな体。
出産前に璇が作ったあの赤子用の小さな衣がぴったり合う大きさの体…。
手足も何もかもが小さなその体を見ながら夾はしみじみと話す。
《でも本当に…不思議です。俺と璇さんが出会って、結ばれて、この子が産まれたってことが。だって璇さんと出会わなかったらこの子の顔を見ることはなかったわけでしょう?それに…どうやってこの子が俺のお腹の中で育ってきたのかっていうのも、すごく不思議です…初めはものすごく小さな細胞だっていうじゃないですか、それがどうやったらこんな…小さな爪まで生やして…自分で呼吸してお乳を飲むことができるくらいにまで大きくなるのか…》
《俺、この子を産んでから特に思うようになったんです。
“命って本当にすごいんだな”って》
命の尊さというものを親になって初めて鮮明に感じた夾。
すると璇も《そんな“命”を一からお腹の中で育て上げた韶も、本当にすごい》と小さな声で話して夾を見つめる。
互いに見つめ合いながら笑みを交わす2人。
すると どちらからともなく ほんのりとした【香り】が放たれ、それは混ざりながら寝室を包み込むかのように漂い始めた。
両親からのその【香り】を感じたらしい赤子は1度伸びをするようにもぞもぞと体を動かすと、ふわりとあくびをして、微笑んでいるようにも見える表情を浮かべる。
そんな我が子を見た璇と夾は《え、笑ってる…?これ…笑ってますよね??》《そうだよな…?“笑う”とかっていう感情はまだだって先生は言ってたけど、さすがにこれは笑ってるって言っていいんじゃないか…?》《うわ…可愛い……!》と興奮を抑え込むようにしてひそひそと話し合った。
慌しく過ぎていく体力的にも大変な毎日。
だが一日の終わりにこんなちょっとしたことがあるだけで、2人はまた体の奥底から活力がぐんぐんと湧いてくるのを感じるのである。
まだまだ始まったばかりの3人の生活は忙しさと苦労と、そしてそれを上回る癒しと共にあるのだった。
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