牧草地の白馬

蓬屋 月餅

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12「水の神」

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 【天界】の長い夜が始まる頃。
 屋敷にある自らの閨で瞑想をしていた牧草地の神は敷地のそばに別の神力の持ち主が近づいてきたことを悟り、ぱっと顔をあげた。
 この神力の持ち主が誰かははっきりしている。
 牧草地の神が急いで門前まで行くと、やはりそこには水の神がいた。

「水の神!ようこそおいでくださいました!」
「うん」
「とにかく入ってください!さぁ、こちらへどうぞ!」

 牧草地の神は水の神を屋敷の客間へ案内し、部屋の中央にある卓に向かい合って座る。
 水の神がこうして他の神の屋敷を訪ねてくるのは極めて稀なことだ。
 本来、水の神は賑やかな場よりも静かな場を好んでおり、屋敷も他の神々とは一線を画すほど遠くにあるという。
 しかしその屋敷も実際はどこにあるのか、詳細は明らかになっていない。
 大体の場所の見当はついているものの、そもそも屋敷に招待されたことのある神がいない上、神力を辿って行こうにも必ずその道中のある時点・・・・で神力が途切れてしまっていて結局見つけることができないのだ。
 それほどまでに他の神と関わりをもとうとしない水の神が自らこの屋敷を訪ねてきたという事実が、牧草地の神をよりいっそう浮き足立たせていた。

「水の神、それで私に話とは?どうなされたんですか?」

 牧草地の神は目の前でじっと姿勢を正したまま座っている水の神に尋ねた。
 水の神はいつも伏し目がちで淑やかな雰囲気を醸し出しているのだが、今夜はそれが特に際立っているように思える。
 じっと押し黙り、牧草地の神が尋ねても口を開こうとしない水の神だったが、やがて決心したかのように顔をあげて「教えてほしいんだ」とまっすぐに牧草地の神を見つめた。

「『くじゃ』は…僕の白蛇くじゃは、【地界】でどうしてるの、どう暮らしてるの」

 水の神の澄んだ瞳が牧草地の神を映す。

「君はそばで見ているんでしょ、あの白馬のことを…それなら僕の白蛇くじゃのことも知ってるはず、教えて」
「水の神……」

 悲痛な様子さえ感じられるその声と懇願するような表情は牧草地の神の胸をも締め付ける。
 なにせ水の神は白馬達が転生の泉に入った後、屋敷に1人籠もりながら何日にもわたって涙を流していたらしいのだ。
 時が経って落ち着きを取り戻したかに思えても、やはり深い悲しみと寂しさは水の神の心に留まったままだったのだろう。

 牧草地の神は水の神に「…ご存知だったのですね、私が白馬に会いに行っていたことを」と静かに言うと、水の神は頷いて答える。

「森の神も風の神も僕を気遣ってか何も言わなかった。けれど僕には分かる。君だけが【地界】にいる白蛇くじゃに会いに行けるんだ。僕にも…僕にもそれができたら良いのに……」

 水の神の双眸から雫が流れ落ちた。
 それを見た牧草地の神は居ても立ってもいられなくなり、水の神のそばへ寄っていって背をさする。

「すみません……私ばかりが……」
「いや…君がそんな風に思う必要はない…これは仕方のないことなんだ。だけど…だけど見てきたのなら教えてほしい、白蛇くじゃのことを…あの子の暮らしぶりを」
「そ、それは……その…」

 牧草地の神は答えに窮してしまった。
 たしかに牧草地の神は白蛇が転生した『きん』とも顔を合わせていたが、あくまでもそれは白蛇が白馬と偶然一緒にいた時だけのことであり、白蛇自身に関しては基本的なこと以外あまり詳しくは知らなかったのだ。
 名前や容姿はともかくとして 【地界】での生い立ちを詳しく知っているわけでもなく、ましてや普段の暮らしぶりなどは白馬との思い出話から推測する程度にしか知らない。
 牧草地の神は申し訳無さそうに水の神へ言う。

「その…たしかに私は転生した白蛇殿に会っています。でもけっして彼のことを詳しく知っているわけでは……むしろ水の神の方が彼のことをよくご存知なのではありませんか?白蛇殿は今も水辺を好んでいると聞きました、毎日のように川や湖へ泳ぎに行くのだと…だとすれば私よりも水の神の方が彼に良く会っているということになります」
「うん……白蛇くじゃが水辺に泳ぎにくると存在を感じる、だから僕はその度に姿を隠しながらそばで白蛇くじゃを見守ってるんだ。でも…でも、それだけなんだよ」
「それだけ…?」

 水の神は牧草地の神に切々と訴える。

「水からあの子の体温を感じる、楽しそうな声を聞く、姿を見る…それだけなんだ。僕は白蛇くじゃが遊んでいる姿しか知らない、あの子がどう暮らしているのかは分からない。…あの子は水辺に住んでいるわけじゃないから。僕には白蛇くじゃのことを知る術がない」

 再び寂しそうに目を伏せた水の神。
 牧草地の神はその姿にかつての自分を重ね合わせた。
 牧草地の神も白馬がどのような暮らしをしているのかが気になり、『あけび』を通してそれをたしかめていたではないか。

(もし自分が水の神の立場だったら…)

 そう思うと、牧草地の神は胸を締めつけられるようで苦しくなる。
 牧草地の神は自らが知る白蛇のすべてを、たとえそれが取り留めのないことだったとしても、水の神に伝えなければならないと決意した。

「…水の神は【地界】での白蛇殿の名をご存知ですか?」

 手始めに、と話し出す牧草地の神。
 「名前?いや……『きん』と呼ばれていることしか…」と眉をひそめる水の神に、牧草地の神は「そうそう!そうなんです!」と明るく振る舞う。

「彼は『きん』と呼ばれているんですよ、皆から。名前からそういった愛称がついたんです。あの子達が転生したばかりで赤子だった時、そのお包みにそれぞれ書かれていたのが……」

 牧草地の神はこれまでに『あけび』を通して見聞きしてきたことを1つ残らず話し始めたが、これは牧草地の神にとってもとても良い時間になった。
 話すことで白馬と共に過ごした日々が鮮やかに蘇るだけでなく、「それから?それから金はどうしたの?」と身を乗り出しながら熱心に聞いてくれる存在があることで、それまで感じていた孤独感がすっかり消え失せていたのだ。
 いつも寂しさに満ちていた長い【天界】の夜が、今夜だけは違っていた。

ーーーーーーー

 【天界】の美しい夜空が明るみ始め、新たな1日の始まりを告げる頃。

「……あぁ、なんということだ、もう夜が明けてしまうとは」

 長いこと話し込んでいた2神は、いつの間にか夜が明けようとしているのに気づいて驚く。
 水の神は屋敷を訪れた時とは違い、いくらか明るい声音で「楽しいと夜が明けるのも早い」と微笑みを浮かべながら言った。

「今日の務めをはたしに行かなくては」
「そうですね、私も見回りに行きます」
「うん」

 席から立ち上がった2神。
 水の神は牧草地の神へ「ありがとう、牧草地の神」と感謝を口にすると、さらに「次はいつ【地界】へ?」と尋ねてきた。

「いつ会いに?今週?来週?1ヶ月のうち?」
「み、水の神…それは…」
「また話が聞きたいから、ここへ寄らせてもらいたい。どうかな」

 瞳をキラキラと輝かせながら言う水の神に対し、牧草地の神はなんと返すべきかと眉をひそめてしまう。
 『あけび』がいなくなってしまった今、牧草地の神にはもう【地界】へ降りる術がないのだ。
 元気を取り戻していた水の神にそれを伝えるのは心苦しいが、隠していても良いことはない。
 牧草地の神は素直に『器』を失ったことや、充分に身を清めるには1ヶ月もの時間がかかることを説明し、負担も大きいためにもう【地界】へ行くことはないだろうということを伝える。
 水の神は牧草地の神の話を聞いて一瞬寂しそうな表情を浮べたが、すぐに「…身を清めるのに、そんなにも時間がかかるって?」と考え込み、さらに「1ヶ月……牧草地の神はどうやって身を清めていた?」と尋ねてきた。
 牧草地の神が「屋敷の泉で沐浴をして、ですが」と答えると、水の神は「その泉を見てもいいかな」と案内を促してくる。
 なにかあるのだろうかと思いながら牧草地の神は水の神を泉へと案内した。

「あの…この泉がなにか?」

 屈んで泉の水へ手をあてながらなにか考えている様子の水の神に訊ねると、「いや、この泉にはなんの問題もない」という答えが返ってくる。

「きちんとした泉だ、清めの力も弱くはない…この泉に浸かっても1ヶ月かかるのだとしたら、たしかに負担の大きいことなのだと分かる」

 立ち上がった水の神は口元に手を添え、なにか思案しながら「牧草地の神」と呼びかけてきた。
 真剣なその様子に身構える牧草地の神。

「君は、この清めの問題さえなければまた【地界】へ降りる?」
「え…」

 水の神のその問いは牧草地の神の心に大きな揺さぶりをかける。
 『あけび』との別れのつらさや日々の負担の大きさから【地界】へ降りることに積極的な考えがもてなかった牧草地の神だが、水の神と話したことで別れの寂しさよりも共に過ごした時間の素晴らしさが思い起こされ、【地界】へ降りていた日々への恋しさがふと胸をよぎっていたのだ。
 もう十分だろうと思っていたが、もしまたあんな日々を送ることができるのだとしたら…再び白馬のあの手に撫でられ、温もりを感じることができたなら、どんなに良いだろう。
 牧草地の神は迷ってしまう。

「どうなの」
「どう、って…それは…」
「僕がなんとかする、必ず君の負担を軽くしてみせる」

 目を合わせてみると、水の神は真剣さを通り越した鬼気迫る瞳をしているのが分かる。
 それはまるで『再び【地界】へ会いに行け』と目だけで語っているようなものだ。

(私だって…また会いに行きたいと思っている、もちろん)

 しかし『あけび』のことを思うとなかなか首を縦に振る事ができない。
 すると水の神はそんな胸の内を見透かしたように「『器』の子のこと、だね」と言って一歩踏み出した。

「君と『あけび』という子はよほど深い絆で結ばれていたらしい。だからまた失うことになると思うと、『器』を創ることに躊躇してしまうんだ」

 核心を突くその1言に頷く牧草地の神。
 水の神は「いいかい、牧草地の神」と語りかけてくる。

「僕は君にまた【地界】で色々なことを見聞きしてきてほしいと思っている。そのためなら僕はどんなことでもするつもりだ。だけど僕が無理にそれをさせることはできない、あくまでどうするかを決めるのは当事者である君だから」
「水の神……」
「2日…いや、3日後の【天界】の夜、僕は君の返事を聞きにまたここへ来る。それまでに考えておいて、どうするのかを」

 そろそろ1日の務めが始まろうとする時刻だ。
 務めをはたしに行くべく立ち去ろうとした水の神は、ふと立ち止まり、「…『あけび』という子のことだけど」と振り返る。

「すべてのものには『運命』というものがある、それはたとえ神力によって創り出された『器』だったとしても同じなんだ。『あけび』は『器』として生まれ、君と共に過ごし、【地界】で最期を迎えるという運命の子だった。どうも君は『あけびを一方的に利用して可哀想なことをした』と思っているみたいだけど、『あけび』は君のおかげで走ったり、撫でられたり、たくさん可愛がってもらえたりしたんだよ。…本当に可哀想だったのかな、『あけび』は」

「『あけび』は君自身でもあるんだ。君が『あけび』に魄を移している時に感じたことというのは、それはすなわち『あけび』が感じていたことだとも言えるんだよ」

 水の神は「では、また後日に」と言って姿を消していった。
 聞いたばかりの水の神の言葉が心の奥にあったモヤを取り払っていくようで、牧草地の神はその場に立ち尽くしてしまう。

(私と共に過ごす運命だった子…私と共に白馬の元へ行き、可愛がられる運命だった子……か)

 『あけび』の姿が思い起こされる。
 屋敷で夜の間中眺めた寝姿や【地界】で水に映した時に見た尾を振る姿……。

(あけびに魄を移していた時、私はいつも楽しく、温かな気持ちでいた。あの気持ちをあけびも感じていたのだとしたら……悪い一生ではなかっただろうと思う。私に利用されて可哀想だと思っていたけど、もしかしたらあけびは…そうは思っていなかったのかもしれない)

 牧草地の神は胸に手を当てて考える。

 また『器』となる子を創っても良いのだろうか。
 また【地界】にいる白馬へ会いに行っても良いのだろうか。
 また自らと共に過ごす『運命』をもつ子に出会っても良いのだろうか。

 『器』を創ること、魄を『器』に移すこと、再び白馬に会いに行くこと…牧草地の神は長い夜3つ分にわたってひたすら考え、本当にその決断をしても良いのかと自身に何度も問いかけ続けた。
 
 そして、約束通り水の神が屋敷を訪ねてきた時になってようやく1つの結論を出した牧草地の神。
 答えを聞こうと端座する水の神に、牧草地の神は丁寧に礼をしながら言った。

「水の神」
「うん」
「私に…どうかお力をお貸しください」
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