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13「再び」
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再び【地界】へ降り、白馬達の元へ向かうことに決めた牧草地の神。
今回は水の神にも助けを仰ぐことにしたのだが、水の神は頼まれる前からそれを予見していたように様々な改善策を考え、そして持ってきていた。
「牧草地の神、竈の神から分けていただいた火種はどこにあるの」
「竈の神の?それならこちらですが……」
「貸して。それをここへ持ってきて」
水の神は有無を言わせないような様子で懐からなにかを取り出し、牧草地の神にあれこれと指示をする。
牧草地の神は水の神に言われるまま 普段使うこともなく しまいこんでいた『竈の神の神力がこもった火種』を取り出してきて卓に置いた。
水の神はその火種で持参した水を沸かすと、同じく持参した花や葉で手早く茶を淹れ、「さぁ、召し上がれ」と牧草地の神に差し出す。
「これを飲めば身を清めることができる」
「え?は、はい…」
神は飲食をしなくても体を保つことができるため、何かを口にするというのは稀なことだ。
そのため牧草地の神は少々戸惑いながら差し出された茶を一口飲んだのだが、喉を茶が滑り落ちていったその瞬間、たしかに体の内側から身が清められていくのを感じた。
「この水は特に清めの力が強いんだ。その水を竈の神の火種で沸かして、さらに花の神からの花を使って茶にすると清めの力をさらに高めることができる。この茶に使った花は君の神力を特に高める効果のある花だから、神体にも合うだろう。この清めの力なら沐浴では足りない分を補えるはず。それから、これも」
水の神はさらに何かを袂から取り出した。
見ると、それは折り畳まれた扇らしい。
繊細な模様が施された扇は非常に美しく、それでいてとてもいい香りがする。
まるで森林の奥深くにいるような、心安らぐ香りだ。
「これは森の神が造った神木の扇だ。そして風の神から神力を分けられたものでもある。これを使って扇ぐとさらに身を清めることができるから、常に手に持つ習慣をつけると良い」
ほら、と差し出しながら早速扇いでみるよう勧める水の神。
牧草地の神が言われた通りに試してみると、ほんの少し扇いだだけ だったにも関わらず、泉で沐浴をしていただけの時よりも遥かに身が清められたことを実感する。
こうして教えられなければまったく思いつきもしなかったであろう方法に、(茶と扇とは……)と感心する牧草地の神。
だが、さらに水の神は『器』となる生き物に関しても言及してきた。
「君は次の『器』も犬にするつもりなのかな。差し支えなければ『鴨』はどうだろう」
「鴨、ですか?」
「うん、水鳥の鴨だ。鴨は犬に比べて小さいからね、いくらか創りやすいし、ぱっと見では皆似た模様をしているから姿をこちらに戻していても誤魔化しやすいはず。それに、何といっても水鳥達には色々と言って聞かせやすいんだ。いつも水辺にいるし、群れているからね」
牧草地の神が首を傾げると、水の神は「白蛇が来たときに君へ報せがいくようにしなきゃいけないだろう」とさも当然かのように言った。
「僕が鴨達に言って聞かせておく、『あの人間達のどちらか1人でもここに来たら牧草地の神を呼ぶように』ってね。少しだけ神力を渡しておけば、強く願うようにすることで鴨達の声が僕達にも届くはずだから。…あぁ、もちろん、君が鴨として行くのは人間達の糧になるための区画じゃないよ、農業地域に駆り出される鴨達の区画だ。あの区画の鴨達は大人しい上に特に人懐っこいから容易に白蛇達に近付くことができる。だからいくらそばへ寄っていったとしても不思議がられることはないだろう。泉での沐浴と瞑想に加え、この茶と扇があれば以前とは比べ物にならないほど早く身を清めることができるだろうから、1日に何度 魄移しをしたとしても務めや神体には なんの支障もない。またなにか問題があればすぐに言って、必ず僕がなんとかするから」
提案というよりも『ぜひそうしてくれ』といわんばかりの水の神。
たしかに『必ず犬でなければならない』と思っていたわけでもないため、水の神がそこまで言うのなら鴨でも構わないだろう。
だが牧草地の神には1つ気がかりなことがあった。
それは寿命についてだ。
1ヶ月に1度だけだった犬の『あけび』の時でさえ通常よりも早く寿命を迎えてしまったのだから、それよりも小さい鴨で、それも頻回にということになると数ヶ月で早々に老いてしまうことも考えられる。
そこに関して訊ねてみると、水の神は「うん、だから君の努力が必要になるんだ」と答えた。
「魄を移している時に神力が必要以上に巡ってしまわないよう、常に気をつけてもらわないといけない。神力を極力抑え込んで動くようにすれば その分影響を最小限に留めることができるはずだから、そうだな…うまくいけば大体8年か9年くらいは大丈夫だと思う。白蛇達は今年19歳になっただろう、なにかとちょうどいいはずだよ」
水の神は「もちろん、神力を抑えられればの話、だけどね」と付け足す。
「とにかく鴨がいいと思うんだ、どうかな。鴨だ、鴨、ね、鴨。鴨だよ鴨」
「え…えぇ、まぁ、そういうことなら……私は構いませんが…」
「うん、それでは決まりだ」
牧草地の神の返答へ食い気味に反応した水の神。
そうして『器』となる動物を決めた牧草地の神は、後日、身がすっかり清まり、神力もきちんと回復したのを見計らって新たな『器創り』をした。
当初は半ば強引に決まった次の『器』だったが、驚くべきことに、これがなかなか良かったのである。
『器』は卵だった創りたての状態から数日のうちに幼い雛鳥の姿になったのだが、その寝姿は非常に愛らしく、牧草地の神の心を完全に掴んだ。
黄と茶で彩られた雛毛は呼吸の度にふわふわと上下し、片手にすっぽりと納まるほどの小さな体は『守ってやらねばならない』という気持ちを掻き立ててくる。
さらに元から若鳥になる成長が早い動物のため、牧草地の神が『器』に巡らせる神力を抑える術を学んでいる間に【地界】へ降りることができるくらいにもなった。
満を持して再び『魄移し』ができるようになった牧草地の神。
『あけび』との別れから、【地界】ではちょうど半年が過ぎた頃だった。
ーーーーーーーー
《神様、神様》
いつものように牧草地を見回っていた牧草地の神の元に、騒がしくも可愛らしい声が届く。
《神様、あの人、来る》
《来るよ、来る》
《来た、来た、あの人》
それまで静かだったにもかかわらず、突然聞こえだしたその賑やかな声。
牧草地の神は(うん、今行くね)と微笑みながら鴨小屋へ向かった。
新たな『器』と共に【地界】へ降りるようになってから数ヶ月、牧草地の神は朝の務めを始める前に鴨小屋へ『器』を連れていって中に隠しておき、夕方頃には屋敷へ連れ帰るという日々を過ごしている。
日中の大体決まった時間になるとこうして鴨達が牧草地の神を呼ぶため、その呼び声が聞こえてきたら魄を移して白馬達の元へと姿を現すのだ。
《神様、神様》
『うん、皆ありがとう』
《いいえ、いいえ、神様》
『器』へ魄を移した牧草地の神が小屋から外へ出ると、一斉に同じ小屋の鴨達が周りに寄ってきた。
水の神が言っていた通り、非常に人懐っこいこの鴨達は牧草地の神が初めて鴨として姿を現した時からとても協力的で、その上牧草地の神を心から慕っているらしく 必死に後をついてくるのだ。
初めは何羽もの鴨達が同じ目線で迫ってくるということに戸惑いもしたが、今ではつぶらな瞳や平たいくちばし、グァグァという鳴き声に囲まれるのも悪くないという気がしている。
なによりも愛嬌のある動物なのだ。
その賑やかさと元気さを間近で感じれば、微笑ましくもなってくるだろう。
「あっ、いたいた!『やまもも』、こっちおいで~!」
鴨達の騒ぐ声の中に混じって聞き馴染んだ声が聞こえてきた。
牧草地の神が鴨達の合間を縫ってその声の方へ行くと、そこにはあの愛おしい者の姿がある。
(銀!やぁ、今日も会えたね!)
「おいで!今日も元気にしてた?あははっ、相変わらず人気者だね」
小屋の柵の外から声をかけてくる白馬はすでに成人しており、『あけび』として別れを告げたあの時よりもさらにいくらか凛々しくなっている。
そんな白馬は柵のそばに寄ってきた牧草地の神を抱き上げると、胸元にしっかりとくっつけながら優しい手付きで頭を撫でてきた。
「今日もかわいいね、『やまもも』。ご飯はいっぱい食べた?いっぱい泳いだ?うん?もー、本当に大人しいなぁ、ちっとも逃げようとしないね」
くちばしをツンツンと指先でつつきながら語りかけてくる白馬。
牧草地の神は(逃げないよ、逃げるわけがない)と白馬の胸に身を預ける。
するとそこでもう1つ聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「おい、銀、お前はまたそうやって……」
連れ立って来ていたらしい白蛇は白馬に向かってやれやれというように頭を振る。
「あのなぁ、可愛いのは分かるけど、そうやって名前までつけちゃ何かあったときに辛いんだぞ」
「なに?やだなぁ金、不吉なこと言わないでよ!名前くらいつけたっていいじゃん、別に。ね?『やまもも』~」
(そうだね、名前をつけてくれて、私も嬉しいよ)
鴨であるこの『器』は白馬によって『やまもも』という名が付けられていた。
・初めて姿を現した時にちょうどヤマモモの花が咲いていたから
・大人しく控えめな様子がヤマモモの花のようだったから
ということで『やまもも』と名付けたらしい。
頬を揉むようにして撫でられた牧草地の神はうっとりと目を閉じてその感覚を味わう。
鴨である今の『やまもも』は『あけび』のときとは違い、こうして抱き上げられながら手のひらで包み込むようにして撫でられるのだが、これがまたなんとも言えない心地よさなのだ。
足の裏から伝わってくる白馬の温かさや撫でる手のなめらかな動き…。
全身を包み込むような白馬の腕の中は深い安心感に満ちていて、眠ることのない牧草地の神にさえも『微睡む』というのはこういうことなのかもしれないと思わせる。
こんな気分を味わうことができたのも水の神が『器』に鴨を勧めてくれたおかげと言えるだろう。
そう、水の神は2度目のこの試みに関する様々な面において牧草地の神に力を貸した、いわば恩人である。
水の神の知恵と力添えがなければ、牧草地の神はこのような良い時間を過ごす機会は得られていなかったのだから。
…しかし、牧草地の神は水の神に対して少々複雑な思いも抱えていた。
ーーーーーーーーー
「それで?それから白蛇はどうしたって?」
牧草地の神の屋敷を訪ねてきた水の神は、挨拶もそこそこに今日1日の白蛇の行動などについて根掘り葉掘り聞き出そうとする。
牧草地の神が再び【地界】へ降りるようになってから毎日、【天界】での夜が始まる度に訪ねてきてはほぼ夜通し牧草地の神をせっつく水の神。
初めこそ
「すまないね、牧草地の神。1度でもこうして白蛇の話を聞くと その後も気になって仕方がなくなるだろうからって、ずっとよそうと思ってはいたんだ。だからこの19年間、君には近付くまいと本当に思っていたんだけどね。すまない、どうしても気になるんだ、【地界】にいる白蛇のことが」
と申し訳無さそうにしていたのだが、今ではまったく悪びれもせずに「もっと詳しく話してくれないか」と眉までひそめている。
だが、そこまでしてでも白蛇のことを知りたいというその気持ちは牧草地の神にも充分に理解できることであり、特段何か思うということはない。
それよりも気になるのは水の神が『器』に鴨を推した理由だ。
たしか水の神は
・創りやすい大きさ
・紛れやすい模様
・群れに言い聞かせることができる
といった理由をあげていたはずだが…どうやらそれだけではなかったらしい。
実は牧草地の神が赴く鴨小屋の区画では白蛇が働いており、鴨達の呼び声を聞いて駆けつけてみると仕事のためにあちこちを行き来する白蛇がほんの少しそばを通りかかっただけだったということもよくあるのだ。
やたらと『器』に鴨を推してきた水の神。
おそらく水の神は白蛇が『例の鴨小屋がある区画で働いている』ということを知っていてこの提案をしてきたに違いない。
(もちろん鴨にしてよかったとは思っているけど……でもどちらかと言うと白蛇殿と会う機会のほうが多くて、なんというか……うん……)
牧草地の神は内心、苦笑いを浮かべてしまう。
「白蛇は本当に変わらないなぁ…相変わらず素敵なままだ。転生してもその気性が変わるとかってことじゃないんだよ、あの性格ならさぞ周りの人間達から愛されているだろうね」
牧草地の神に茶を勧めながら微笑む水の神。
差し出された茶を飲み、身を少しずつ清めていく牧草地の神は「そうですね」と頷いた。
「…そうだ、今日、他の小屋を掃除し終えて帰ってきたらしい白蛇殿が仕事仲間の人と談笑していたところへ銀が通りかかりましてね、ちょっとしたことから小突き合いを始めたんですけど、もう、その楽しそうな様子が【天界】での2人そのままだったんですよ。やっぱりとても仲がいいんですよね、あの2人は。銀も【天界】での姿や性格がそのままなので…周りの人間達がいなければ【天界】なんじゃないかと勘違いをしてしまうほどですよ。そうそう、銀といえば!この間 銀がですね、私の屋敷にいたときとまるっきり同じようなことを……」
「白蛇はいつも明るくて、眩しいくらいなんだ。僕とは正反対だよ。全然違うけど、それでも嫌がらずに僕のそばにいてくれる……白蛇はそんな子なんだ。そばにいると僕のことまで明るくしてくれてね、本当にあの子はいい子なんだ」
「あ…え、えぇ、そうなんですね……」
牧草地の神をよそに話し続ける水の神。
互いの側仕え談議(というよりも白蛇談議)は、やはり【天界】の長い夜が明けるまで続いた。
今回は水の神にも助けを仰ぐことにしたのだが、水の神は頼まれる前からそれを予見していたように様々な改善策を考え、そして持ってきていた。
「牧草地の神、竈の神から分けていただいた火種はどこにあるの」
「竈の神の?それならこちらですが……」
「貸して。それをここへ持ってきて」
水の神は有無を言わせないような様子で懐からなにかを取り出し、牧草地の神にあれこれと指示をする。
牧草地の神は水の神に言われるまま 普段使うこともなく しまいこんでいた『竈の神の神力がこもった火種』を取り出してきて卓に置いた。
水の神はその火種で持参した水を沸かすと、同じく持参した花や葉で手早く茶を淹れ、「さぁ、召し上がれ」と牧草地の神に差し出す。
「これを飲めば身を清めることができる」
「え?は、はい…」
神は飲食をしなくても体を保つことができるため、何かを口にするというのは稀なことだ。
そのため牧草地の神は少々戸惑いながら差し出された茶を一口飲んだのだが、喉を茶が滑り落ちていったその瞬間、たしかに体の内側から身が清められていくのを感じた。
「この水は特に清めの力が強いんだ。その水を竈の神の火種で沸かして、さらに花の神からの花を使って茶にすると清めの力をさらに高めることができる。この茶に使った花は君の神力を特に高める効果のある花だから、神体にも合うだろう。この清めの力なら沐浴では足りない分を補えるはず。それから、これも」
水の神はさらに何かを袂から取り出した。
見ると、それは折り畳まれた扇らしい。
繊細な模様が施された扇は非常に美しく、それでいてとてもいい香りがする。
まるで森林の奥深くにいるような、心安らぐ香りだ。
「これは森の神が造った神木の扇だ。そして風の神から神力を分けられたものでもある。これを使って扇ぐとさらに身を清めることができるから、常に手に持つ習慣をつけると良い」
ほら、と差し出しながら早速扇いでみるよう勧める水の神。
牧草地の神が言われた通りに試してみると、ほんの少し扇いだだけ だったにも関わらず、泉で沐浴をしていただけの時よりも遥かに身が清められたことを実感する。
こうして教えられなければまったく思いつきもしなかったであろう方法に、(茶と扇とは……)と感心する牧草地の神。
だが、さらに水の神は『器』となる生き物に関しても言及してきた。
「君は次の『器』も犬にするつもりなのかな。差し支えなければ『鴨』はどうだろう」
「鴨、ですか?」
「うん、水鳥の鴨だ。鴨は犬に比べて小さいからね、いくらか創りやすいし、ぱっと見では皆似た模様をしているから姿をこちらに戻していても誤魔化しやすいはず。それに、何といっても水鳥達には色々と言って聞かせやすいんだ。いつも水辺にいるし、群れているからね」
牧草地の神が首を傾げると、水の神は「白蛇が来たときに君へ報せがいくようにしなきゃいけないだろう」とさも当然かのように言った。
「僕が鴨達に言って聞かせておく、『あの人間達のどちらか1人でもここに来たら牧草地の神を呼ぶように』ってね。少しだけ神力を渡しておけば、強く願うようにすることで鴨達の声が僕達にも届くはずだから。…あぁ、もちろん、君が鴨として行くのは人間達の糧になるための区画じゃないよ、農業地域に駆り出される鴨達の区画だ。あの区画の鴨達は大人しい上に特に人懐っこいから容易に白蛇達に近付くことができる。だからいくらそばへ寄っていったとしても不思議がられることはないだろう。泉での沐浴と瞑想に加え、この茶と扇があれば以前とは比べ物にならないほど早く身を清めることができるだろうから、1日に何度 魄移しをしたとしても務めや神体には なんの支障もない。またなにか問題があればすぐに言って、必ず僕がなんとかするから」
提案というよりも『ぜひそうしてくれ』といわんばかりの水の神。
たしかに『必ず犬でなければならない』と思っていたわけでもないため、水の神がそこまで言うのなら鴨でも構わないだろう。
だが牧草地の神には1つ気がかりなことがあった。
それは寿命についてだ。
1ヶ月に1度だけだった犬の『あけび』の時でさえ通常よりも早く寿命を迎えてしまったのだから、それよりも小さい鴨で、それも頻回にということになると数ヶ月で早々に老いてしまうことも考えられる。
そこに関して訊ねてみると、水の神は「うん、だから君の努力が必要になるんだ」と答えた。
「魄を移している時に神力が必要以上に巡ってしまわないよう、常に気をつけてもらわないといけない。神力を極力抑え込んで動くようにすれば その分影響を最小限に留めることができるはずだから、そうだな…うまくいけば大体8年か9年くらいは大丈夫だと思う。白蛇達は今年19歳になっただろう、なにかとちょうどいいはずだよ」
水の神は「もちろん、神力を抑えられればの話、だけどね」と付け足す。
「とにかく鴨がいいと思うんだ、どうかな。鴨だ、鴨、ね、鴨。鴨だよ鴨」
「え…えぇ、まぁ、そういうことなら……私は構いませんが…」
「うん、それでは決まりだ」
牧草地の神の返答へ食い気味に反応した水の神。
そうして『器』となる動物を決めた牧草地の神は、後日、身がすっかり清まり、神力もきちんと回復したのを見計らって新たな『器創り』をした。
当初は半ば強引に決まった次の『器』だったが、驚くべきことに、これがなかなか良かったのである。
『器』は卵だった創りたての状態から数日のうちに幼い雛鳥の姿になったのだが、その寝姿は非常に愛らしく、牧草地の神の心を完全に掴んだ。
黄と茶で彩られた雛毛は呼吸の度にふわふわと上下し、片手にすっぽりと納まるほどの小さな体は『守ってやらねばならない』という気持ちを掻き立ててくる。
さらに元から若鳥になる成長が早い動物のため、牧草地の神が『器』に巡らせる神力を抑える術を学んでいる間に【地界】へ降りることができるくらいにもなった。
満を持して再び『魄移し』ができるようになった牧草地の神。
『あけび』との別れから、【地界】ではちょうど半年が過ぎた頃だった。
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《神様、神様》
いつものように牧草地を見回っていた牧草地の神の元に、騒がしくも可愛らしい声が届く。
《神様、あの人、来る》
《来るよ、来る》
《来た、来た、あの人》
それまで静かだったにもかかわらず、突然聞こえだしたその賑やかな声。
牧草地の神は(うん、今行くね)と微笑みながら鴨小屋へ向かった。
新たな『器』と共に【地界】へ降りるようになってから数ヶ月、牧草地の神は朝の務めを始める前に鴨小屋へ『器』を連れていって中に隠しておき、夕方頃には屋敷へ連れ帰るという日々を過ごしている。
日中の大体決まった時間になるとこうして鴨達が牧草地の神を呼ぶため、その呼び声が聞こえてきたら魄を移して白馬達の元へと姿を現すのだ。
《神様、神様》
『うん、皆ありがとう』
《いいえ、いいえ、神様》
『器』へ魄を移した牧草地の神が小屋から外へ出ると、一斉に同じ小屋の鴨達が周りに寄ってきた。
水の神が言っていた通り、非常に人懐っこいこの鴨達は牧草地の神が初めて鴨として姿を現した時からとても協力的で、その上牧草地の神を心から慕っているらしく 必死に後をついてくるのだ。
初めは何羽もの鴨達が同じ目線で迫ってくるということに戸惑いもしたが、今ではつぶらな瞳や平たいくちばし、グァグァという鳴き声に囲まれるのも悪くないという気がしている。
なによりも愛嬌のある動物なのだ。
その賑やかさと元気さを間近で感じれば、微笑ましくもなってくるだろう。
「あっ、いたいた!『やまもも』、こっちおいで~!」
鴨達の騒ぐ声の中に混じって聞き馴染んだ声が聞こえてきた。
牧草地の神が鴨達の合間を縫ってその声の方へ行くと、そこにはあの愛おしい者の姿がある。
(銀!やぁ、今日も会えたね!)
「おいで!今日も元気にしてた?あははっ、相変わらず人気者だね」
小屋の柵の外から声をかけてくる白馬はすでに成人しており、『あけび』として別れを告げたあの時よりもさらにいくらか凛々しくなっている。
そんな白馬は柵のそばに寄ってきた牧草地の神を抱き上げると、胸元にしっかりとくっつけながら優しい手付きで頭を撫でてきた。
「今日もかわいいね、『やまもも』。ご飯はいっぱい食べた?いっぱい泳いだ?うん?もー、本当に大人しいなぁ、ちっとも逃げようとしないね」
くちばしをツンツンと指先でつつきながら語りかけてくる白馬。
牧草地の神は(逃げないよ、逃げるわけがない)と白馬の胸に身を預ける。
するとそこでもう1つ聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「おい、銀、お前はまたそうやって……」
連れ立って来ていたらしい白蛇は白馬に向かってやれやれというように頭を振る。
「あのなぁ、可愛いのは分かるけど、そうやって名前までつけちゃ何かあったときに辛いんだぞ」
「なに?やだなぁ金、不吉なこと言わないでよ!名前くらいつけたっていいじゃん、別に。ね?『やまもも』~」
(そうだね、名前をつけてくれて、私も嬉しいよ)
鴨であるこの『器』は白馬によって『やまもも』という名が付けられていた。
・初めて姿を現した時にちょうどヤマモモの花が咲いていたから
・大人しく控えめな様子がヤマモモの花のようだったから
ということで『やまもも』と名付けたらしい。
頬を揉むようにして撫でられた牧草地の神はうっとりと目を閉じてその感覚を味わう。
鴨である今の『やまもも』は『あけび』のときとは違い、こうして抱き上げられながら手のひらで包み込むようにして撫でられるのだが、これがまたなんとも言えない心地よさなのだ。
足の裏から伝わってくる白馬の温かさや撫でる手のなめらかな動き…。
全身を包み込むような白馬の腕の中は深い安心感に満ちていて、眠ることのない牧草地の神にさえも『微睡む』というのはこういうことなのかもしれないと思わせる。
こんな気分を味わうことができたのも水の神が『器』に鴨を勧めてくれたおかげと言えるだろう。
そう、水の神は2度目のこの試みに関する様々な面において牧草地の神に力を貸した、いわば恩人である。
水の神の知恵と力添えがなければ、牧草地の神はこのような良い時間を過ごす機会は得られていなかったのだから。
…しかし、牧草地の神は水の神に対して少々複雑な思いも抱えていた。
ーーーーーーーーー
「それで?それから白蛇はどうしたって?」
牧草地の神の屋敷を訪ねてきた水の神は、挨拶もそこそこに今日1日の白蛇の行動などについて根掘り葉掘り聞き出そうとする。
牧草地の神が再び【地界】へ降りるようになってから毎日、【天界】での夜が始まる度に訪ねてきてはほぼ夜通し牧草地の神をせっつく水の神。
初めこそ
「すまないね、牧草地の神。1度でもこうして白蛇の話を聞くと その後も気になって仕方がなくなるだろうからって、ずっとよそうと思ってはいたんだ。だからこの19年間、君には近付くまいと本当に思っていたんだけどね。すまない、どうしても気になるんだ、【地界】にいる白蛇のことが」
と申し訳無さそうにしていたのだが、今ではまったく悪びれもせずに「もっと詳しく話してくれないか」と眉までひそめている。
だが、そこまでしてでも白蛇のことを知りたいというその気持ちは牧草地の神にも充分に理解できることであり、特段何か思うということはない。
それよりも気になるのは水の神が『器』に鴨を推した理由だ。
たしか水の神は
・創りやすい大きさ
・紛れやすい模様
・群れに言い聞かせることができる
といった理由をあげていたはずだが…どうやらそれだけではなかったらしい。
実は牧草地の神が赴く鴨小屋の区画では白蛇が働いており、鴨達の呼び声を聞いて駆けつけてみると仕事のためにあちこちを行き来する白蛇がほんの少しそばを通りかかっただけだったということもよくあるのだ。
やたらと『器』に鴨を推してきた水の神。
おそらく水の神は白蛇が『例の鴨小屋がある区画で働いている』ということを知っていてこの提案をしてきたに違いない。
(もちろん鴨にしてよかったとは思っているけど……でもどちらかと言うと白蛇殿と会う機会のほうが多くて、なんというか……うん……)
牧草地の神は内心、苦笑いを浮かべてしまう。
「白蛇は本当に変わらないなぁ…相変わらず素敵なままだ。転生してもその気性が変わるとかってことじゃないんだよ、あの性格ならさぞ周りの人間達から愛されているだろうね」
牧草地の神に茶を勧めながら微笑む水の神。
差し出された茶を飲み、身を少しずつ清めていく牧草地の神は「そうですね」と頷いた。
「…そうだ、今日、他の小屋を掃除し終えて帰ってきたらしい白蛇殿が仕事仲間の人と談笑していたところへ銀が通りかかりましてね、ちょっとしたことから小突き合いを始めたんですけど、もう、その楽しそうな様子が【天界】での2人そのままだったんですよ。やっぱりとても仲がいいんですよね、あの2人は。銀も【天界】での姿や性格がそのままなので…周りの人間達がいなければ【天界】なんじゃないかと勘違いをしてしまうほどですよ。そうそう、銀といえば!この間 銀がですね、私の屋敷にいたときとまるっきり同じようなことを……」
「白蛇はいつも明るくて、眩しいくらいなんだ。僕とは正反対だよ。全然違うけど、それでも嫌がらずに僕のそばにいてくれる……白蛇はそんな子なんだ。そばにいると僕のことまで明るくしてくれてね、本当にあの子はいい子なんだ」
「あ…え、えぇ、そうなんですね……」
牧草地の神をよそに話し続ける水の神。
互いの側仕え談議(というよりも白蛇談議)は、やはり【天界】の長い夜が明けるまで続いた。
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