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二年目の春の話
一 披露宴
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三月。
最終週の日曜日。
ホテルのスカイレストランの壁一面の窓は、川沿いの桜並木を見下ろしている。好天が続き、少し早くに満開となった桜。薄雲がかかったようにけぶる春の淡い空。
天気予報によれば、今日も一日、あたたかいらしい。絶好のイベント日和だ。とくに結婚式に関しては今日しかないくらいの佳い日だ。
景色は、光輝くように美しい。参列客たちは窓の方を見てはしゃいでいる。
その純粋な喜びように、レンは微笑ましく思った。
「レン、厨房から追加持ってきて」
「はい、シェフ」
元上司であるシェフの橋谷から指示を受け、レンはオープンキッチンの裏にあるドアを出て厨房へと急ぐ。狭い通路で、スーシェフの加賀見とすれ違った。
「レン」
と、加賀見はレンを引き留める。レンは振り返り、会釈をした。
「あ、すみません。今シェフの指示で厨房に……」
「わかった」
加賀見は他のスタッフを呼び止めて、何やら指示を出していた。レンは急いで厨房に向かい、橋谷の指示どおりの追加の食材を用意する。
業務用冷蔵庫内の食材は、下準備を終え、あとはオープンキッチンで仕上げるだけの状態にしてある。
午後一時。
オープンキッチンのシェフたちは、慌ただしくもそのような素振りは一切見せず、参列客をもてなしている。
裏側のスタッフはとかく慌ただしい。戦場のようだ。
本日、レンは臨時でアルバイトをしている。朝六時から午後二時まで手伝ってくれといわれているが、おそらく残業になるだろうとレンは思った。朝から休憩も取っていない。
駅直結のホテルはロケーションがよく、結婚式ができる人気のホテルだ。レンがここに勤めていたのは専門学校を卒業して二年程度のことだが、相変わらずの忙しさだ。
退職して以来、時々、アルバイトをしてくれないかと声を掛けられる。日曜日であれば、よぞらが定休日なので、レンは手伝っている。
働く必要性があるのではなく、義理のためだ。イタリアン志望だったレンはこのホテルのイタリアンレストランに一旦就職したが、会社の事情でフレンチレストランに異動した。
そこでシェフの橋谷に可愛がってもらい、頭が上がらない。橋谷は無理はいわないので、断りづらいわけではない。勉強にもなる。
バットを持って戻る途中、廊下で、スタッフたちが話すのが聞こえた。
「上のフロアで、すごいらしいね。要人」
「ホテルに出資してる海外投資家だっけ。SPの人がいたよ」
結婚式が複数決まっており、急遽入った会食の予定が重なり、人手が薄くなったのが、レンが呼ばれた原因らしい。といっても、この業界は常に人手不足の感はあるが。
レンが持ってきた食材を、橋谷が調理する。洗練された所作によって次々に皿に用意されていく。給仕が運んでいく。美しい身のこなしを見ていると、あらためて学ぶことが多い。
橋谷が作業を終え、レンはキッチンを片づけたあとに裏に回った。
「レン、ちょっといいか」
レンは足を止める。
声を掛けてきたのは加賀見だった。振り返ったとき、同時に、橋谷の声もした。
このホテルに欠かせない重要な料理人の二人だ。双方四十代男性、ちなみに仲は良くない。
橋谷が遠くから近づいてくる。加賀見の隣に並んだ。
「レン。ああ、加賀見さん。お話し中でしたか。どうぞ、続けて」
「いや、仕事のほうはどうなのか、訊こうとしただけだ」
すると橋谷はレンの隣に並び、レンの肩に腕を回す。
「おっ、そうだなあ、レン。もし閑古鳥が鳴いてるようなら、いつだって戻ってきていいんだぞ?」
レンは小さく言った。
「ご心配には及びません」
そのとき、別のスタッフが呼びにくる。
「シェフ、スーシェフ。デセールのチェックお願いします」
二人はすぐさま去っていく。
レンはほっとしつつ、厨房で他に何か手伝おうと思い、二人のあとを追うように厨房へと向かった。
最終週の日曜日。
ホテルのスカイレストランの壁一面の窓は、川沿いの桜並木を見下ろしている。好天が続き、少し早くに満開となった桜。薄雲がかかったようにけぶる春の淡い空。
天気予報によれば、今日も一日、あたたかいらしい。絶好のイベント日和だ。とくに結婚式に関しては今日しかないくらいの佳い日だ。
景色は、光輝くように美しい。参列客たちは窓の方を見てはしゃいでいる。
その純粋な喜びように、レンは微笑ましく思った。
「レン、厨房から追加持ってきて」
「はい、シェフ」
元上司であるシェフの橋谷から指示を受け、レンはオープンキッチンの裏にあるドアを出て厨房へと急ぐ。狭い通路で、スーシェフの加賀見とすれ違った。
「レン」
と、加賀見はレンを引き留める。レンは振り返り、会釈をした。
「あ、すみません。今シェフの指示で厨房に……」
「わかった」
加賀見は他のスタッフを呼び止めて、何やら指示を出していた。レンは急いで厨房に向かい、橋谷の指示どおりの追加の食材を用意する。
業務用冷蔵庫内の食材は、下準備を終え、あとはオープンキッチンで仕上げるだけの状態にしてある。
午後一時。
オープンキッチンのシェフたちは、慌ただしくもそのような素振りは一切見せず、参列客をもてなしている。
裏側のスタッフはとかく慌ただしい。戦場のようだ。
本日、レンは臨時でアルバイトをしている。朝六時から午後二時まで手伝ってくれといわれているが、おそらく残業になるだろうとレンは思った。朝から休憩も取っていない。
駅直結のホテルはロケーションがよく、結婚式ができる人気のホテルだ。レンがここに勤めていたのは専門学校を卒業して二年程度のことだが、相変わらずの忙しさだ。
退職して以来、時々、アルバイトをしてくれないかと声を掛けられる。日曜日であれば、よぞらが定休日なので、レンは手伝っている。
働く必要性があるのではなく、義理のためだ。イタリアン志望だったレンはこのホテルのイタリアンレストランに一旦就職したが、会社の事情でフレンチレストランに異動した。
そこでシェフの橋谷に可愛がってもらい、頭が上がらない。橋谷は無理はいわないので、断りづらいわけではない。勉強にもなる。
バットを持って戻る途中、廊下で、スタッフたちが話すのが聞こえた。
「上のフロアで、すごいらしいね。要人」
「ホテルに出資してる海外投資家だっけ。SPの人がいたよ」
結婚式が複数決まっており、急遽入った会食の予定が重なり、人手が薄くなったのが、レンが呼ばれた原因らしい。といっても、この業界は常に人手不足の感はあるが。
レンが持ってきた食材を、橋谷が調理する。洗練された所作によって次々に皿に用意されていく。給仕が運んでいく。美しい身のこなしを見ていると、あらためて学ぶことが多い。
橋谷が作業を終え、レンはキッチンを片づけたあとに裏に回った。
「レン、ちょっといいか」
レンは足を止める。
声を掛けてきたのは加賀見だった。振り返ったとき、同時に、橋谷の声もした。
このホテルに欠かせない重要な料理人の二人だ。双方四十代男性、ちなみに仲は良くない。
橋谷が遠くから近づいてくる。加賀見の隣に並んだ。
「レン。ああ、加賀見さん。お話し中でしたか。どうぞ、続けて」
「いや、仕事のほうはどうなのか、訊こうとしただけだ」
すると橋谷はレンの隣に並び、レンの肩に腕を回す。
「おっ、そうだなあ、レン。もし閑古鳥が鳴いてるようなら、いつだって戻ってきていいんだぞ?」
レンは小さく言った。
「ご心配には及びません」
そのとき、別のスタッフが呼びにくる。
「シェフ、スーシェフ。デセールのチェックお願いします」
二人はすぐさま去っていく。
レンはほっとしつつ、厨房で他に何か手伝おうと思い、二人のあとを追うように厨房へと向かった。
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