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3 ある長期休暇の頃
十二 残っているもの
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そうは言うけど。
記憶を失って以降の新しい記憶っていうのは、きちんと蓄積されていくわけで、簡単に忘れられるはずがない。
晩飯を一緒に作ろうってことになって、買い物をして帰宅して、しばらく時間が空いた。俺はまた過去のログを読んだり、他の荷物から記憶の糸口を探ったりしてる。
カズ先輩はカウンターテーブルで難しそうな本を読んでる。本当に勉強するんだな。手元に参考書を十冊くらい積んでる。で、黙読してページを繰ってる。
スピードが速すぎて本当に読んでいるのかと思うほど。
カズ先輩って高校で成績トップだったんだよね。学校のホームページにある合格実績の、カズ先輩の代の難関校は、ほとんどカズ先輩一人じゃないかな。推薦をやめて一般入試で受けて全部受かったって神崎先生に聞いた気がする。
俺は邪魔をしないように寝室にこもることにして、スライドドアを閉める。荷物を漁っていくうちに、むかしの宝物入れを見つけたり、アルバムを見つけたり。
懐かしいな。宝物入れは、煙草のカートンほどのただの紙箱。
小学校のときに両親が離婚して、俺は母親についていったんだけど、引っ越すにあたって思い出のものの大半を処分しないといけなくて、物は残せないからってインスタントカメラをもらって撮影して、写真に残すことにした。
再婚したときにも同じことがあったものだから、俺の宝物入れは写真入れ。
見返したくなって箱を開けてみる。
いまはインスタントカメラじゃなくて、写真印刷なんだろうな。見覚えのない綺麗な写真が入ってる。
トカゲ。ミズオオトカゲっていう巨大なトカゲ。
こいつを好きなのはカズ先輩じゃなくて俺だったのか!
その下に、カズ先輩の写真が入っている。
たぶん、最近の写真だ。
撮影しているのはきっと俺。
カズ先輩はテーブルに肘をついて、頬杖をついて、傍に立ってカメラを向ける俺を見上げるように幸せそうに笑ってる。
「なに撮ってるの」
みたいな声が聞こえてくる。そんな写真。
二十三歳に戻った俺に見せない、嬉しそうな表情。被写体がイケメンという点は置いておいても、すごくいい写真だと思う。
四年の間に増えたのはその二枚だけみたいで、それより下は見覚えがあるものばかりだ。高校のときの写真もある。
ああ、そういえば高校のネクタイの写真。
カズ先輩にもらったものなんだよな。
この世界に、俺の思い出の品は存在しない。
置いていく、捨てる、処分する。そういうことの繰り返し。引っ越すたびに物が減って、いまではどこででも買えるものだけで生活してた。
思い出は全部写真の中だ。スーツケース一個で社宅に入れるっていう会社に就職して逃げるように家を出たのは、母親の再婚相手との折り合いが悪かったせいだ。
金もなくて引っ越し代も出せなくて、スーツケース一個に詰められるだけ詰めて出てきて、残してきたものは捨てられたと思う。一度も戻ってないからわからないけれど。
「多紀くん」
寝室のドアの向こうから呼ばれて、俺は宝物入れを仕舞いながら答える。
「はい」
「晩ごはん、そろそろ作る?」
「あ、はあい」
今日の晩ごはんは、親子丼の予定。動画を観て予習して作ろうって言って、材料を買ってきてある。
俺がダイニングに移動すると、カズ先輩は本を片づけている。
「あれ、まだ四時なんだ。早いかな? 呼んじゃってごめん」
「いえ、じゃあ、コーヒーでも飲みながら、予習します」
「コーヒー淹れようか」
「俺が淹れますよ」
そう言ってキッチンに立つ。コーヒーメーカーをセットしていく。マグカップふたつ。
「もう少ししたらお米を炊こう。教えるよ」
「炊くの初めてかもです」
「洗剤で洗わないようにね。水でとぐんだよ」
「あっ、家庭科でやったような……」
「見てるから大丈夫だけどね」
カズ先輩はそう言いながら、手元に置いた一冊の本に目を戻してる。黙って読んでる。
勉強家なんだな。俺も何か資格の勉強をしようかな。
勉強をする習慣がなくて、何から手をつければいいのかさっぱりだけど。聞いたら教えてくれるかな。
「法律の本ですか?」
「あ、うん。予備校本」
「ごめんなさい。邪魔してますね」
「ううん。邪魔なんかじゃないよ。多紀くんを……」
カズ先輩は何かを言おうとして、口を噤む。また何か考えているみたいに。
ホットコーヒーふたつを用意して、ひとつをカズ先輩に渡した。
「ありがとう」
「いえ」
対面キッチンに立ったまま、俺はマグカップに口をつける。
カズ先輩はマグカップを受け取ったままの状態で、嬉しそうにコーヒーを眺めてる。
「どうしました?」
「多紀くんにコーヒーを淹れてもらえて、幸せだなって」
幸せを噛みしめていたのか……。
なんて返事すればいいんだろ。
「おかわりもありますよ」
と言ってみる。
カズ先輩は、にこにこしながら飲んでる。
カズ先輩が高校生のときから俺のことが好きで、一方的に片想いをしていたのは間違いない。そして記憶のない四年間のうちに、カズ先輩が押し切る形で付き合いはじめたのも、事実だと思う。
だけど、記憶を失くす前の俺は、俺なりに、カズ先輩のことが好きだったんじゃないかって、思うんだけどな。
気持ちを疑わないといけないほどだったのかな。
どうなんだろ。
付き合ってたんだったら、ちゃんと大切に思ってたんじゃないのかね。好きでもない人と長く付き合えるような性格じゃないし。
四年分の記憶がない俺だけど、わかっていることもある。
『宝物入れ』なんだよ。あの箱。
俺の、厳選した宝物の写真が入ってる。
とても個人的な、ただ自分だけが知っていればいいっていう内的なもの。捨てたくなかったおもちゃ、アルバムから剥がした写真、持っていけなかった思い出の品。
失いたくなかったもの。
大事にしたかったもの。
大人になった今は、小さい頃みたいには、何も捨てる必要がない。
引っ越すときに自分の両手に持てるだけしか持っていけないことはなくて、好きなもの、大切なものは全部持っていける。
そりゃ、俺がどういう気持ちで入れたのかなんて、わからない。
でも、わざわざ入れてるんだよ。宝物入れに。
俺なりの意味があると思うんだけど。
記憶を失って以降の新しい記憶っていうのは、きちんと蓄積されていくわけで、簡単に忘れられるはずがない。
晩飯を一緒に作ろうってことになって、買い物をして帰宅して、しばらく時間が空いた。俺はまた過去のログを読んだり、他の荷物から記憶の糸口を探ったりしてる。
カズ先輩はカウンターテーブルで難しそうな本を読んでる。本当に勉強するんだな。手元に参考書を十冊くらい積んでる。で、黙読してページを繰ってる。
スピードが速すぎて本当に読んでいるのかと思うほど。
カズ先輩って高校で成績トップだったんだよね。学校のホームページにある合格実績の、カズ先輩の代の難関校は、ほとんどカズ先輩一人じゃないかな。推薦をやめて一般入試で受けて全部受かったって神崎先生に聞いた気がする。
俺は邪魔をしないように寝室にこもることにして、スライドドアを閉める。荷物を漁っていくうちに、むかしの宝物入れを見つけたり、アルバムを見つけたり。
懐かしいな。宝物入れは、煙草のカートンほどのただの紙箱。
小学校のときに両親が離婚して、俺は母親についていったんだけど、引っ越すにあたって思い出のものの大半を処分しないといけなくて、物は残せないからってインスタントカメラをもらって撮影して、写真に残すことにした。
再婚したときにも同じことがあったものだから、俺の宝物入れは写真入れ。
見返したくなって箱を開けてみる。
いまはインスタントカメラじゃなくて、写真印刷なんだろうな。見覚えのない綺麗な写真が入ってる。
トカゲ。ミズオオトカゲっていう巨大なトカゲ。
こいつを好きなのはカズ先輩じゃなくて俺だったのか!
その下に、カズ先輩の写真が入っている。
たぶん、最近の写真だ。
撮影しているのはきっと俺。
カズ先輩はテーブルに肘をついて、頬杖をついて、傍に立ってカメラを向ける俺を見上げるように幸せそうに笑ってる。
「なに撮ってるの」
みたいな声が聞こえてくる。そんな写真。
二十三歳に戻った俺に見せない、嬉しそうな表情。被写体がイケメンという点は置いておいても、すごくいい写真だと思う。
四年の間に増えたのはその二枚だけみたいで、それより下は見覚えがあるものばかりだ。高校のときの写真もある。
ああ、そういえば高校のネクタイの写真。
カズ先輩にもらったものなんだよな。
この世界に、俺の思い出の品は存在しない。
置いていく、捨てる、処分する。そういうことの繰り返し。引っ越すたびに物が減って、いまではどこででも買えるものだけで生活してた。
思い出は全部写真の中だ。スーツケース一個で社宅に入れるっていう会社に就職して逃げるように家を出たのは、母親の再婚相手との折り合いが悪かったせいだ。
金もなくて引っ越し代も出せなくて、スーツケース一個に詰められるだけ詰めて出てきて、残してきたものは捨てられたと思う。一度も戻ってないからわからないけれど。
「多紀くん」
寝室のドアの向こうから呼ばれて、俺は宝物入れを仕舞いながら答える。
「はい」
「晩ごはん、そろそろ作る?」
「あ、はあい」
今日の晩ごはんは、親子丼の予定。動画を観て予習して作ろうって言って、材料を買ってきてある。
俺がダイニングに移動すると、カズ先輩は本を片づけている。
「あれ、まだ四時なんだ。早いかな? 呼んじゃってごめん」
「いえ、じゃあ、コーヒーでも飲みながら、予習します」
「コーヒー淹れようか」
「俺が淹れますよ」
そう言ってキッチンに立つ。コーヒーメーカーをセットしていく。マグカップふたつ。
「もう少ししたらお米を炊こう。教えるよ」
「炊くの初めてかもです」
「洗剤で洗わないようにね。水でとぐんだよ」
「あっ、家庭科でやったような……」
「見てるから大丈夫だけどね」
カズ先輩はそう言いながら、手元に置いた一冊の本に目を戻してる。黙って読んでる。
勉強家なんだな。俺も何か資格の勉強をしようかな。
勉強をする習慣がなくて、何から手をつければいいのかさっぱりだけど。聞いたら教えてくれるかな。
「法律の本ですか?」
「あ、うん。予備校本」
「ごめんなさい。邪魔してますね」
「ううん。邪魔なんかじゃないよ。多紀くんを……」
カズ先輩は何かを言おうとして、口を噤む。また何か考えているみたいに。
ホットコーヒーふたつを用意して、ひとつをカズ先輩に渡した。
「ありがとう」
「いえ」
対面キッチンに立ったまま、俺はマグカップに口をつける。
カズ先輩はマグカップを受け取ったままの状態で、嬉しそうにコーヒーを眺めてる。
「どうしました?」
「多紀くんにコーヒーを淹れてもらえて、幸せだなって」
幸せを噛みしめていたのか……。
なんて返事すればいいんだろ。
「おかわりもありますよ」
と言ってみる。
カズ先輩は、にこにこしながら飲んでる。
カズ先輩が高校生のときから俺のことが好きで、一方的に片想いをしていたのは間違いない。そして記憶のない四年間のうちに、カズ先輩が押し切る形で付き合いはじめたのも、事実だと思う。
だけど、記憶を失くす前の俺は、俺なりに、カズ先輩のことが好きだったんじゃないかって、思うんだけどな。
気持ちを疑わないといけないほどだったのかな。
どうなんだろ。
付き合ってたんだったら、ちゃんと大切に思ってたんじゃないのかね。好きでもない人と長く付き合えるような性格じゃないし。
四年分の記憶がない俺だけど、わかっていることもある。
『宝物入れ』なんだよ。あの箱。
俺の、厳選した宝物の写真が入ってる。
とても個人的な、ただ自分だけが知っていればいいっていう内的なもの。捨てたくなかったおもちゃ、アルバムから剥がした写真、持っていけなかった思い出の品。
失いたくなかったもの。
大事にしたかったもの。
大人になった今は、小さい頃みたいには、何も捨てる必要がない。
引っ越すときに自分の両手に持てるだけしか持っていけないことはなくて、好きなもの、大切なものは全部持っていける。
そりゃ、俺がどういう気持ちで入れたのかなんて、わからない。
でも、わざわざ入れてるんだよ。宝物入れに。
俺なりの意味があると思うんだけど。
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