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第二部 帰郷
2話 帰郷
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「ルクディア行き、まもなく発車いたします。お急ぎの方は――」
駅舎から拡声器を使った駅員の声が聞こえてくる。
私は個室からその声を耳にしていた。隣には息子のリュカ、正面にはアランが座っていた。
もう戻ることはないと思っていた祖国行きの汽車に、私たちは乗っている。
「ママ、人がいっぱい」
窓の外を行き交う人たちを見たリュカは、興奮してイスの上に立ち上がろうする。
「リュカ、お靴脱いで」
「リュカ、おいで」
私が促すと、アランが抱っこして靴を脱がせ、イスの上に立たせた。
リュカは窓にくっついて、楽しそうに外を見る。
アランが背後で見守る。
家族で汽車に乗るのは初めて。旅行なら楽しいはずなのに、私の心は落ち込んでいくばかり。不安しかない。
零れてしまいそうなため息を、しかし息子の前では堪えて、数日前に届いた従兄からの手紙を私は思い出していた。
養父が体調を崩し、回復の兆しがなく、幾日持つかわからない、という内容だった。
けれど、無理をして帰国する必要もない、とも書かれていた。
私と養い親との関係性を理解しているクリストフお兄様は、私を気遣ってくれていた。
一時帰国する。という決断をしたのは私。
養父とは合わなかったし、酷い扱いを受けたとも思っている。
けれど、肉親を失った私の後見人となってくれたのは養父。
それが王族との繋がりのために利用しようという下心からであっても。
遠いとはいえ血縁者でもあるし、最期になるかもしれないのなら、顔を見て挨拶をしてもいいのかもと考えた。
「はあー」
ついため息が漏れてしまい、口を隠した。
幸い、リュカは窓を開け、流れ行く車窓に夢中。
帰郷を決めた理由はほかにもあった。
リュカにルクディア王国を見せたかった。両親の出身国を知って欲しいという思いが。
時間があれば、ボーヴォワール地方にも帰りたいのだけれど、行けるかは未定。
駅を出発した汽車は、ルクディア王国に向け、順調に進んでいる。
帰郷を決めたとき、ブランヴィル侯爵家宛てにお見舞いと訪問する旨をしたためた封書を速達で送った。
到着予定を尋ねると一週間ほどだろうと教えられた。
今日がその一週間。封書より私たちが先に到着する可能性があるけれど、前後しても構わなかった。手紙を送った事実が重要だから。
お店は臨時休業にし、従業員たちには二週間の休養を取ってもらった。
私たちの都合で勝手に休暇になったのだから、お給料は減らさない。その代わり、私たちが不在の間、お店の管理を交代でお願いした。
従業員は全員がルクディア人で、帰郷する者もいるし、旅行に行く者もいる。交代の段取りは、一任してきた。
彼らは誠実に働いてくれているけれど、長期の休暇はやはり楽しみなのだろう。みんな浮き立った様子だった。
旅行なら楽しいのに。
アランとリュカの後ろ姿を見て、気が重くなった。
養い親と長兄に会うと、二人に嫌な思いをさせてしまう。
ひとりで帰る選択もあったけれど、私ひとりで彼らに対峙する勇気がなかった。
国を捨てた時点で、私の心は折れていた。それまで張りつめていたものは、あの日にすべて失った。
鳥籠から解放された鳥は、自由を知った。自分の足で進み、羽を広げて飛んでいる。鳥籠にいた頃に戻るのは無理。
私に打ち明けられたアランは、すべて受け入れてくれた。
アノルド国では夫婦だけれど、ルクディア王国ではいつでも執事に戻り、私を守ってくれると約束してくれた。
私はアランの優しさに甘えた。同時に、二人がいると心を奮い立たせることができると思えた。
私も二人を守らないといけない。妻として、母として。
思いふけっていると、開けた窓から音が聞こえて、はっと気がついた。
これは汽車の汽笛。
十年前、国を出るときにアランに教わった。トンネルに入る前に警笛を鳴らすのだと。
視線を窓に移すと、アランが窓を閉めていた。
「パパ、どうして」
リュカが不思議そうに首を傾けている。頭の重さで、体も傾いているのが、とても愛らしい。
「窓を閉めないと、お顔が真っ黒になってしまうからだよ」
「まっくろになるの?」
「そうだよ」
リュカに返事をしながら、アランが私を見てくる。これは、かつての私を思い出してからかっている顔ね。もう、同じ失敗をしないわよ。
でも、あれがきっかけで、私とアランの関係が変わった。主人と使用人から、恋人同士に。そして婚約者を経て、夫婦に。
今になれば、いい思い出。
「そうよ。お顔が真っ黒になっちゃうのよ」
私は背後からリュカを抱き、ぎゅっとした。
「まっくろやだやだ」
リュカがやだやだと言いながら、きゃっきゃとはしゃいだ声を上げる。
ミルクのような甘い香りがリュカから香り、私の心からほんの少し霧が晴れた。
次回⇒3話 祖国の地
駅舎から拡声器を使った駅員の声が聞こえてくる。
私は個室からその声を耳にしていた。隣には息子のリュカ、正面にはアランが座っていた。
もう戻ることはないと思っていた祖国行きの汽車に、私たちは乗っている。
「ママ、人がいっぱい」
窓の外を行き交う人たちを見たリュカは、興奮してイスの上に立ち上がろうする。
「リュカ、お靴脱いで」
「リュカ、おいで」
私が促すと、アランが抱っこして靴を脱がせ、イスの上に立たせた。
リュカは窓にくっついて、楽しそうに外を見る。
アランが背後で見守る。
家族で汽車に乗るのは初めて。旅行なら楽しいはずなのに、私の心は落ち込んでいくばかり。不安しかない。
零れてしまいそうなため息を、しかし息子の前では堪えて、数日前に届いた従兄からの手紙を私は思い出していた。
養父が体調を崩し、回復の兆しがなく、幾日持つかわからない、という内容だった。
けれど、無理をして帰国する必要もない、とも書かれていた。
私と養い親との関係性を理解しているクリストフお兄様は、私を気遣ってくれていた。
一時帰国する。という決断をしたのは私。
養父とは合わなかったし、酷い扱いを受けたとも思っている。
けれど、肉親を失った私の後見人となってくれたのは養父。
それが王族との繋がりのために利用しようという下心からであっても。
遠いとはいえ血縁者でもあるし、最期になるかもしれないのなら、顔を見て挨拶をしてもいいのかもと考えた。
「はあー」
ついため息が漏れてしまい、口を隠した。
幸い、リュカは窓を開け、流れ行く車窓に夢中。
帰郷を決めた理由はほかにもあった。
リュカにルクディア王国を見せたかった。両親の出身国を知って欲しいという思いが。
時間があれば、ボーヴォワール地方にも帰りたいのだけれど、行けるかは未定。
駅を出発した汽車は、ルクディア王国に向け、順調に進んでいる。
帰郷を決めたとき、ブランヴィル侯爵家宛てにお見舞いと訪問する旨をしたためた封書を速達で送った。
到着予定を尋ねると一週間ほどだろうと教えられた。
今日がその一週間。封書より私たちが先に到着する可能性があるけれど、前後しても構わなかった。手紙を送った事実が重要だから。
お店は臨時休業にし、従業員たちには二週間の休養を取ってもらった。
私たちの都合で勝手に休暇になったのだから、お給料は減らさない。その代わり、私たちが不在の間、お店の管理を交代でお願いした。
従業員は全員がルクディア人で、帰郷する者もいるし、旅行に行く者もいる。交代の段取りは、一任してきた。
彼らは誠実に働いてくれているけれど、長期の休暇はやはり楽しみなのだろう。みんな浮き立った様子だった。
旅行なら楽しいのに。
アランとリュカの後ろ姿を見て、気が重くなった。
養い親と長兄に会うと、二人に嫌な思いをさせてしまう。
ひとりで帰る選択もあったけれど、私ひとりで彼らに対峙する勇気がなかった。
国を捨てた時点で、私の心は折れていた。それまで張りつめていたものは、あの日にすべて失った。
鳥籠から解放された鳥は、自由を知った。自分の足で進み、羽を広げて飛んでいる。鳥籠にいた頃に戻るのは無理。
私に打ち明けられたアランは、すべて受け入れてくれた。
アノルド国では夫婦だけれど、ルクディア王国ではいつでも執事に戻り、私を守ってくれると約束してくれた。
私はアランの優しさに甘えた。同時に、二人がいると心を奮い立たせることができると思えた。
私も二人を守らないといけない。妻として、母として。
思いふけっていると、開けた窓から音が聞こえて、はっと気がついた。
これは汽車の汽笛。
十年前、国を出るときにアランに教わった。トンネルに入る前に警笛を鳴らすのだと。
視線を窓に移すと、アランが窓を閉めていた。
「パパ、どうして」
リュカが不思議そうに首を傾けている。頭の重さで、体も傾いているのが、とても愛らしい。
「窓を閉めないと、お顔が真っ黒になってしまうからだよ」
「まっくろになるの?」
「そうだよ」
リュカに返事をしながら、アランが私を見てくる。これは、かつての私を思い出してからかっている顔ね。もう、同じ失敗をしないわよ。
でも、あれがきっかけで、私とアランの関係が変わった。主人と使用人から、恋人同士に。そして婚約者を経て、夫婦に。
今になれば、いい思い出。
「そうよ。お顔が真っ黒になっちゃうのよ」
私は背後からリュカを抱き、ぎゅっとした。
「まっくろやだやだ」
リュカがやだやだと言いながら、きゃっきゃとはしゃいだ声を上げる。
ミルクのような甘い香りがリュカから香り、私の心からほんの少し霧が晴れた。
次回⇒3話 祖国の地
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