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◇第1章◇優しくて冷たいひと
4 5年振りの優しさ
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誰だ、この人。
肩幅が広くておおきな背中。
真っ直ぐな黒い髪は少し長めで、耳の軟骨の部分にいくつかピアスが並んでいる。
時折見える横顔は不機嫌そうに口を引き結んでいて、首筋にはポツリと1つのホクロ。
それらを見て、頭の中がハレーションを起こしたみたいに一気に冴えた。
嘘。嘘嘘嘘!
「りっちゃん! りっちゃんだよね?」
呼びかけても返事はなく、ただ前を向いてどこかに向かっている。
「ねぇ、りっちゃん……」
「その渾名で呼ばないで」
しつこく名前を何度か呼んだ後、それだけ返ってきた。
あぁ、その優しくて低い声。りっちゃんだ。
肌に触れる生ぬるい風と潮のにおいと、寄せては返す波に足を取られる感覚。
冷えた布団にふたつ分の体温。
彼の声や表情は、今まで誰にも打ち明けていない情景までもを思い起こさせた。
僕は昔のおとなりさんに強く腕を引かれながらも嬉しくてたまらなくて、泣きそうになった。
連れてこられたのは、ビルの上階にある飲み屋だった。
半個室のそこは掘りごたつ式になっているので、足を入れて向かい合わせに座ると、律の顔を真正面から見つめることになり、ドキドキした。
律は僕の方は見ず、トレンチコートを脱いでハンガーにかける。
淡い水色のニットに細身のブラックパンツという格好がとても似合っていて見入ってしまった。
最後に会った時もそういう水色のTシャツを着ていたので、さらに胸がぎゅっとなった。
僕もコートを脱いで半分に折りたたんで隅に置く。
ムサシさんは今頃、憤慨して僕を探しているかもしれない。だがここだったら見つからないだろう。
勝手に逃げ出してしまったと思うと、いたたまれなくなるけど。
「何を飲みますか」
備え付けのタブレットに視線を落としながら、やっぱり怒ったように律が言う。
「りっちゃんは何飲むの?」
「ビールを」
会わないうちに大人になったのだなぁと、変に関心してしまう。
「ビール飲むんだ」
「すいません。朝から何も食べてないから、お腹が空いていて」
「いいよいいよ、沢山食べて」
「で、あなたは?」
「じゃあ烏龍茶」
「はい」
律は眉間に皺を寄せながら、無言で操作している。
僕はほんの数回のやり取りで、全身の細胞が活性化した感覚だった。
5年振りに会って話すのに、あの頃のままだ、全然変わってない。
その精悍な顔つき、よく勘違いされた怒り顔。
初対面の人は、間違いなくこの人を「どこか冷めていて怖い人」だと思うだろう。
僕だって最初は思ったけど、今ではもう知っている。
本当は思慮深くて、心のやさしい人なのだと。
僕は暖かい気持ちになりながら、無意識にバッグから除菌シートを取り出してテーブルを拭き、自分の両手に除菌ジェルを塗りつけた。
律が不思議そうに僕を見ていたのに気付いて、慌てて言い訳をした。
「違う違う、りっちゃんに触られたからとかじゃなくて、僕、潔癖症で」
「潔癖症?」
律はタブレットを充電器に戻しながら、難しそうな顔をする。
「潔癖症ってきみ、そんなんじゃなかったでしょう、だって──」
ハッとして視線をずらした律がどんな言葉を続けようとしたのか分かって、僕は少しだけ恥ずかしくなって俯く。
だって、一緒にあんなことをしたでしょうと言いたいのだろう。
「あぁ、うん。りっちゃんと会わなくなってからだから」
「というかその、りっちゃんっていうのやめてもらえます?」
「えぇー、ダメなの?」
「苗字で呼んでください」
「苗字なんか忘れちゃったよ。じゃあ、律って呼び捨てでいい?」
僕がこの人のことで忘れることは何もないのに、時間が経ったのだからあの頃のように馴れ馴れしくするなと距離を置かれているみたいで悔しくて、つい強がってしまった。
肩幅が広くておおきな背中。
真っ直ぐな黒い髪は少し長めで、耳の軟骨の部分にいくつかピアスが並んでいる。
時折見える横顔は不機嫌そうに口を引き結んでいて、首筋にはポツリと1つのホクロ。
それらを見て、頭の中がハレーションを起こしたみたいに一気に冴えた。
嘘。嘘嘘嘘!
「りっちゃん! りっちゃんだよね?」
呼びかけても返事はなく、ただ前を向いてどこかに向かっている。
「ねぇ、りっちゃん……」
「その渾名で呼ばないで」
しつこく名前を何度か呼んだ後、それだけ返ってきた。
あぁ、その優しくて低い声。りっちゃんだ。
肌に触れる生ぬるい風と潮のにおいと、寄せては返す波に足を取られる感覚。
冷えた布団にふたつ分の体温。
彼の声や表情は、今まで誰にも打ち明けていない情景までもを思い起こさせた。
僕は昔のおとなりさんに強く腕を引かれながらも嬉しくてたまらなくて、泣きそうになった。
連れてこられたのは、ビルの上階にある飲み屋だった。
半個室のそこは掘りごたつ式になっているので、足を入れて向かい合わせに座ると、律の顔を真正面から見つめることになり、ドキドキした。
律は僕の方は見ず、トレンチコートを脱いでハンガーにかける。
淡い水色のニットに細身のブラックパンツという格好がとても似合っていて見入ってしまった。
最後に会った時もそういう水色のTシャツを着ていたので、さらに胸がぎゅっとなった。
僕もコートを脱いで半分に折りたたんで隅に置く。
ムサシさんは今頃、憤慨して僕を探しているかもしれない。だがここだったら見つからないだろう。
勝手に逃げ出してしまったと思うと、いたたまれなくなるけど。
「何を飲みますか」
備え付けのタブレットに視線を落としながら、やっぱり怒ったように律が言う。
「りっちゃんは何飲むの?」
「ビールを」
会わないうちに大人になったのだなぁと、変に関心してしまう。
「ビール飲むんだ」
「すいません。朝から何も食べてないから、お腹が空いていて」
「いいよいいよ、沢山食べて」
「で、あなたは?」
「じゃあ烏龍茶」
「はい」
律は眉間に皺を寄せながら、無言で操作している。
僕はほんの数回のやり取りで、全身の細胞が活性化した感覚だった。
5年振りに会って話すのに、あの頃のままだ、全然変わってない。
その精悍な顔つき、よく勘違いされた怒り顔。
初対面の人は、間違いなくこの人を「どこか冷めていて怖い人」だと思うだろう。
僕だって最初は思ったけど、今ではもう知っている。
本当は思慮深くて、心のやさしい人なのだと。
僕は暖かい気持ちになりながら、無意識にバッグから除菌シートを取り出してテーブルを拭き、自分の両手に除菌ジェルを塗りつけた。
律が不思議そうに僕を見ていたのに気付いて、慌てて言い訳をした。
「違う違う、りっちゃんに触られたからとかじゃなくて、僕、潔癖症で」
「潔癖症?」
律はタブレットを充電器に戻しながら、難しそうな顔をする。
「潔癖症ってきみ、そんなんじゃなかったでしょう、だって──」
ハッとして視線をずらした律がどんな言葉を続けようとしたのか分かって、僕は少しだけ恥ずかしくなって俯く。
だって、一緒にあんなことをしたでしょうと言いたいのだろう。
「あぁ、うん。りっちゃんと会わなくなってからだから」
「というかその、りっちゃんっていうのやめてもらえます?」
「えぇー、ダメなの?」
「苗字で呼んでください」
「苗字なんか忘れちゃったよ。じゃあ、律って呼び捨てでいい?」
僕がこの人のことで忘れることは何もないのに、時間が経ったのだからあの頃のように馴れ馴れしくするなと距離を置かれているみたいで悔しくて、つい強がってしまった。
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