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五章 キューピットは期待する

立場と葛藤と

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 羽七がロジスティクスに来て一ヶ月がたった。安藤からあれもしろ、これもしろと極めない程度に仕事を振られる。やっていないのは伝票整理と受付くらいだ。
 ここ最近の羽七のスケジュールは安藤が決めている。月、水、はエアー便。火、木は船便。金曜日だけがフリーなのだが、専ら安藤の足になっていた。
 もうすっかり倉庫の男性社員と変わらない扱いを受けていた。

「だいぶ運転がマシになって来たな。もしかして練習してるのか?」
「はい。彼のGT-Rはなかなか手強いですけど、ちょっとそこまで位なら乗れるようになりました」
「あいつ、本当に自分の車を運転させてるのか! 本気だな。よし、じゃあそろそろフォークリフトの講習でも受けるか」
「やっぱり私もその免許取るんですね」
「当たり前だろ。ロジの人間がリフトに乗れないじゃ話にならねえぞ。ここに来たら男も女も関係ないんだよ」

 安藤は助手席で悪い顔をしながらそう言った。サングラスをかけた安藤は窓を開け肘をついて、シートに踏ん反り返ってどかっと座っている。
 これではまるで、どこかの組員と間違えられそうだ。

「そこ、左な」
「はい」

 左折すると直ぐに船社の看板が目に入った。アジア線でお世話になっている会社である。
 社長持ち込みの新プロジェクトを成功させるために、コンテナの相談に来たのだ。青果物を海上で運ぶ仕事はは多くの商社がすでにやっており、最近では青果組合までもが直接輸出をはじめた。それだけ日本の食品は需要があるということだ。

「俺たちは素人だ。恥を忍んでノウハウを学ばなければならない。普通のリーファーコンテナでいいのか、それとも特殊コンテナがいいのか判断がつかない」
「そうですよね。コストも気になりますし」
「んで、来週からは産地も回るぞ」
「産地って、農家さんの所ですか?」
「そうだ。主役を知らないで商品なんて扱えないだろ。相手は生きているんだからな」
「なるほど」

 本格的にプロジェクトが動き出した。商品を預かるロジスティクスと運営をする本社が一丸とならなければ決して上手く行かない。
 産地出張は安藤、河本、そして羽七。本社から三課課長の斎藤と営業の奥田が行くという。

(また、男ばっかり。もうお腹いっぱいだよ……こんなこと言ったら、朱音に贅沢だって叱られるかな)

 
 船社の営業は安藤とは良くやり取りをしているらしく、コンテナに関しては協力を惜しまないと約束をしてくれた。また、輸送テストでは温度計などの装置を入れる事も快く承諾してくれた。

「安藤さんの部下が女性とは思いませんでしたよ。大変でしょ?」
「いえ、そんな事はないですよ」
「そうですか。君は優秀な人材なんだね。彼が部下を連れてくるなんて初めて見たよ。興味深いね、君うちに来ない?」

 話を聞く限りでは安藤は一匹狼で、誰かと営業に回る事が珍しいようだ。

(たぶん、わたしが使い勝手いいだけですよーだ)

「勘弁してくださいよ。俺の部下はスカウト禁止ですから」
「わははっ。断られたか! ますます気になるなぁ。じゃあ、今度飲みにでもどう」
「ええ、是非とも」

 強面な安藤も外では営業スマイルができるらしい。羽七は安藤のその笑顔に若干驚いたのだ。帰り際、受付の女性が安藤を見て、顔を赤くしながら頭を下げた。すると安藤も柔らかい笑みで会釈した。

(ひっ……なによそれ! 見た事ないよそんな笑顔!)

 これが女をたぶらかす微笑みかと、羽七は安藤の横顔を凝視していた。

「……なんだ」
「な、なんでもないですっ!」

(ギャップが凄すぎ!)


 帰りも羽七が運転をしてロジスティクのス玄関前で安藤を降ろした。ちょうど玄関に航が立っており、何やら安藤と話を始めた。
 羽七は、二人の男の姿に惚れ惚れしながら車を駐車場に走らせた。

「安藤さん、ちょっと連れ回し過ぎなんじゃないのか」
「なにがだ。俺は仕事を教えているだけだ」
「いっぺんに色々と詰め込み過ぎたと思うんだが」
「言っとくが、上司は俺だ。羽七は俺の部下でお前の部下じゃねえ。俺のやり方に口出しをするな」
「けど、羽七は女だぞ。船もエアーもやらせて、空いたら外回りで、そのうちリフトもやらせるんだろ? もたねえって」
「ロジに男も女もない。それが嫌ならまた本社に戻すか。お前がそれでも側に置きたいと望んだんじゃないのか。文句があるなら言える立場になってから言え」
「くっ……」

 こんなやり取りを二人がしていたなんて、羽七は夢にも思うまい。







 航はいつも通り仕事が終わると羽七と一緒に帰る。
 残業でなければ夕飯を作って食べる。羽七がキッチンで料理をしている間に、航は洗濯をするのが日課になった。家のことは二人でする方が効率がいいし、どちらかに負担を強いることはしたくなかった。
 こう見えても航も一人暮らしが長い。それに意外と几帳面でもある。ランジェリーはネットに入るし、ニット系や色物は分けて洗ったりする。洗濯のコースを使い分けているのを、羽七は驚いて見ていた。
 その反面、羽七は大雑把だった。高い物はないから気にしないと、全部放り込むし洗剤の量も適当だった。さすがの航も「嘘だろ……」と言葉を失ったくらいだ。

「干すぞー」
「はーい。いま行くー」

 洗濯が終わると干す作業は二人で一緒にする。羽七もまだ恥じらいがあるのか、下着類を航に触らせるのが申し訳ないと思っていた。

 それにしても、あんなに大雑把に洗濯をする羽七が、洋服を干すときは拘りを見せる。ハンガーにかけた服は全部同じ方向を向くように干すし、その向きは必ず左だ。ひとつでも右を向いていると、さりげなく反対に整えている。
 別々の人格が共同生活をすると、たびたび違いに驚かされるもの。でも羽七も航も、自分のやり方を相手に押し付けたりしない。今のところ二人の生活は順調だといっていいだろう。

 二人で洗濯物を干し終わったところで、航が急に真剣な顔で羽七の方を振り返った。

「なあ、羽七」
「うん? なあに」
「俺、ちゃんと勉強するからさ」
「勉強って、どうしたの」
「羽七の事は、俺が守りたいんだ」
「えっ? 航さん?」

 航は羽七を抱き寄せた。航の突然の真面目モードに頭がついていかない。
 航は羽七を両腕に囲い込んで甘えるように顔を羽七の首元に埋める。スリスリと羽七の首元で動く航は、またもや大型犬に見えてしまう。
 そんな航の頭を羽七は反射的に撫でていた。

「また大っきな犬になってる。どうしたの?」
「どうもしない。こうしたい気分なんだ」
「そうしたい、気分?」

 羽七はそれ以上は聞かなかった。毎日忙しく働く航だから、疲れが溜まっているのだと思ったからだ。
 羽七の小さな手が航の髪を撫でると、航は目を瞑ってその感触を味わった。

 航の中には、今日安藤から言われた言葉がずっと残っている。
『文句があるなら言える立場になってから言え』
 実力がない者には口出しする権利などないと言われたようなものだ。それに対して航は言い返せなかったのだ。文句を言える立場になっていないからだ。

(くそっ! 絶対に俺が羽七を守るんだ。取られてたまるか!)

 だから勉強すると言った。いつまでもリーダーでは成長もない。
 そんな航の気持ちの変化を察したのか、羽七が口を開いた。

「私はいつも航さんに守られてるよ? こうやって、大きくて分厚い胸に包み込んでくれるでしょ? それだけで嫌なこととか、しんどいなって気持ちが消えてしまう。それに、暖かい」
「でも、今は俺が羽七に抱きしめられてる」
「あはは。でもさ、見てよ」
「うん?」
「航さん大きいから、はみ出てる」

 羽七はどんなに航が情けなく思っていても、こうやって笑ってくれるのだろう。だから絶対に離したくないし、離れたくない。

 航は心の中で何度も「安藤さんに惚れんなよ!」と、叫んだ。決して口には出せない願いを。
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