桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)

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三章 -箱館編ー

止まぬ上陸

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 この蝦夷にもようやく春らしい日差しが注ぎ始めた四月。とうとうその時がやってきた。明治政府軍が乙部おとべから上陸を開始し、松前、木古内きこない、二股口と三方に分かれて進軍を始めたと知らせが入る。その人数は千五百あまり。数の多さに慄きながらも、隊士たちはなんとしても進軍を防ぐと声高々に叫んだ。恐れ、不安をその声でかき消すために己を鼓舞する。
 私たちは土方を大将とし二股口守備のため出陣した。二股口は箱館に入るのに最短路と言われている。そこを突破させるわけにはいかない。土方は四つの小隊合わせて三百の兵を率いて進軍。台場山に本陣を置き、その周辺に十六もの胸壁を造らせた。

「どうにかして此処で止めるんだ! 近づけるなよ! 激しい銃撃戦になるだろう。しかし、お前たちは数々の戦争を乗り越えてきた精鋭だ! やれる!」
「おおっ!」

 二股口まで来るのに険しい峠を越えなければならないらしい。それを逆手に取って上から明治政府軍を撃とうというわけだ。敵の人数はこちらより多いことは分かっている。武器も間違いなく旧幕府軍より優れているはずだ。だから事前に作戦を練っていた。二つに別れている小隊を交代制で銃撃戦にあてる。前方で絶え間なく銃を撃ち、後方では弾の補充や小銃の整備をする。とにかく、敵に前進させてはならないのだ。

「よし、これだけ胸壁があれば何とかなるだろう」

 短期間で造り上げた胸壁は盾の代わりとなり、隊士たちの命を守るのだ。弾も十分にあるが決して無駄にはできない。

「筒を濡らさぬよう、待機している者は脇に挟んで守れ。弾も数撃つんじゃなく、人を狙えよ。いいな!」
「はいっ」


 私は沢と偵察を任されていた。木に隠れ葉に体を隠して明治政府軍の動きを探っていた。そして、その時がやって来た。進軍してくる明治政府軍の数は見た限りではこちらの倍はあるように思えた。私は沢と顔を見合わせ頷く。いよいよ始まると。

「土方さん! あと四半刻三十分もすれば到着します!」
「来たか」

 土方の黒目の奥が妖しく光ったのを私は見逃さなかった。勝てる……そんな予感がしのだ。





 四つに分けられた小隊は交代で戦いに挑む。休憩をはさみながら、銃を撃つ音は絶やすなと土方は言った。相手の集中力と疲労を狙う作戦だ。それは自分の軍にも言えることでもある。気を抜いた方が負ける戦いだ。

 土方が腰に挿していた手旗を抜いた。それが頭上に掲げられ何度か振ると、真っ直ぐに敵を差した。

「撃てーっ!」

 それが合図となり銃撃戦の幕が開けた。
 ダンッ、ダンッと鳴り響く銃声は次第に嵐のときの雨のような音に変わった。もしかしたら耳がおかしくなったのかもしれない。ざぁざぁと降り注ぐ弾の雨が土埃を上げ地面をえぐる。ばたばたと倒れる敵と味方の兵士たち。

「撃てー! 次、交代! 弾こめよ!」

 明治政府軍も作戦は同じだった。弾がきれると後方に控えた部隊が前に出る。激しき銃撃戦は絶え間なく続いた。土方は身を隠すどころかその姿を全面に出し、防戦する味方の隊士たちに激を飛ばした。いつ流れ弾にあたってもおかしくない状況なのに、不思議とそんな不安は起きなかった。土方には弾はあたらない何か強い力が働いているように見えたから。

「市村、ぼうっとしている暇はないぞ」
「すみません」

 私と沢は銃撃戦には加わらず、敵の状態を確認する任務にあたっていた。この乱戦の混乱に紛れて、間者が紛れ込むかもしれない。もしくは突破する者がいるかもしれないからだ。敵味方の区別をつけるために我々は白い襷を斜めに掛けていた。万が一、それが無い者がこの防壁を越えようとするのなら、その時は迷わず斬れと言われている。例えそれが怪我人であろうとも、襷を失くした味方の隊士であってもだ。

「あ! 雨だ」
「まずいな。弾が濡れると使い物にならないぞ。市村、お前はあっちを、俺はこっちを見張る」
「はい」

 すっかり辺りは暗くなったというのに、銃声がやむ気配はなかった。疲労も限界となり、気絶してそのまま転げ落ちる者が現れ始める。

(まずい……このなままでは、死なずともよい者までが死んでゆく)

 そんなことを危惧していると、刀で人を殺める音が耳に入った。走っていくとそこに居たのは沢だった。地面に伏しているのはどちらかの兵士だが、その者に白襷はついていたいなかった。

「投降してきた」
「なぜ斬ったのです」
「間者かもしれないだろ」
「あ……」

 例え本当に投降してきたのだとしても、敵であらば信じてはならないのだ。躊躇うことなく斬れと言われていたのを思い出す。

「市村、戦争に情はいらない。それが必要というのなら、戦場に立ってはならない」
「分かっています」


 雨の中、みんなは火薬が濡れぬよう上着を脱いでそれらを守った。雷管は懐で乾かすなど何とか凌ぐ。もう、限界ではないか……そう思い始めたとき銃声がピタリとやんだ。空が白み、辺りが明るくなった頃のことだ。

『新政府軍、退却!』

 わあっと湧きだつ男たちの声に、一旦の勝敗がついたのだと知った。一昼夜の戦いに体力の限界を迎えたのだろう。なんとか守りきったことでまた士気が高まった。

「みんな良くやった。見張りを交代でつける。その間は休んでくれ」

 土方は隊士たちを労うと難しい顔のまま私たちのもとにやってきた。

「沢、一通り見回ってくれ。おかしなやつがいないかをな。敵もまだ諦めはしないだろう。必ずやってくる。兵士の数を増やしてな」
「はっ。承知!」

 沢が陣地の見回りに消えたのを確認して土方はようやく私の顔を見た。頬にすすがついたままで、濡れた体も拭うこともせずに立つその姿は、まさに鬼神と言わざるえない。

「テツ。今回の戦いの報告と援軍要請でいちど五稜郭に戻る。お前も来い」

 援軍要請という言葉を聞くと反射的に心臓が反応をする。しかし、土方は私に同行を求めた。

「はい!」

 嬉しさのあまりに大声で返事をすると、土方は頬を僅かに緩めた。

「すぐに行く。準備をしろ」

 私は土方と共に二股口を出て、五稜郭へ援軍を求めるために急いだ。






 五稜郭についてから二股口の状況を報告し、銃弾の追加と援軍を要請した。この状況下からして直ぐにあてがえる軍が残っていない。それでも二股口を突破してはならないと、できるだけ早くに援軍を送ってもらうように伝えた。あまり五稜郭でゆっくりはできないけれど、松前や木古内の様子を聞いたり、弁天台場で監視を続ける新選組を訪ねたりした。そして、夕刻。ようやく一息つく。

「ご苦労だったな」
「土方さんこそ、お疲れでしょうに。寝ずにずっと、指揮をとられていたのを知っています。今夜はゆっくり休んでください」
「ばか野郎。二股口ではいつ始まるか分からない中、あいつらは過ごしている。明日にはすぐにここをたつ」
「すみません」

 土方は一睡もしていないというのに、そんなことを言う。私は土方の体が心配だった。

「そんな顔をするな。まあ、今晩ぐらいはゆっくり寝てもバチはあたらないだろうよ。お前も体を拭いて休め。まだまだ終わらないぞ、この戦争は」
「はい。土方さんの分もお湯、持ってきますから」
「頼む」

 いつになく、気を許した土方の表情にどきりとしながらも湯を沸かして運ぶ。もう一度、土方の部屋に戻ったとき土方は外を見ていた。暗い闇の向こうに監視で揺らめく松明が妙な胸騒ぎを起こした。

「お湯をお持ちしました」
「ああ」

 土方は窓を閉め、ゆっくりと振り返る。コツコツと足音を響かせて私の手から桶を取った。お前は済ませたのかと聞かれたので、これからですと答える。

「拭いてやる」
「え、結構です! 熱いうちに、お先にお使いください。それに私は自分の部屋で」

 そこまで言ったときには腕を掴まれて、ほんの一瞬で私は土方の腕の中に収まっていた。抵抗する間もなかったのは言い訳だ。この腕の中がどれほど温かく、どれほどの安らぎを与えてくれるのかを知っているから。この腕に囚えられたら抜け出そうなど思わない。
 
「明日にはまた、戦場だ。いつ終わるか分からない。今夜だけはお前を女として扱いたい。いいか」

 信じられない言葉が耳に入ってきた。私は意味を理解するまでにかなりの時間を要した。それは、男と女として一晩を過ごしたいと言うことなのだと。

「え、あ、あの」
「小姓市村鉄之助としてではなく、女として……。常葉ときわとして、俺に抱かれてくれ」
「っ!!」

 言葉にならなかった。土方が私の本当の名を口にした。それだけではない、はぐらかしなどない口調で抱かれてくれと……言った!

「嫌か」

 私は声に出せず嫌ではないと首を何度も横に振った。頬を熱い涙が幾筋にも別れて流れていく。ずっと心の奥底に閉まっていた想いが止めどなく溢れて抑えることができなかった。

「いいんだな」

 私は首を縦に振った。すると、土方の手がゆっくりと私の頬に触れ、流れる涙を拭った。

「あの」
「なんだ」
「私の、名をっ」
「いい名を付けてもらったな。常葉」

(土方さんが呼んでくれた、やっと、やっと呼んでくれた!)

 咽び泣く私を土方は胸に抱き込んで、思う存分泣けと背を擦ってくれた。私は、今夜、土方に抱かれる。女として、常葉として抱かれるのだ。

「十六になったお前は、立派な大人の女だ。こんな年のいった男で申し訳ないと思う」
「そんなこと、ありません。わたし、嬉しいです」

 髪を結んだ紐が解かれた。汚れた軍服の釦に土方が手をかける。

「ひじっ、かたさん」

 優しくする……。

 そう、言われた。
 
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