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第一話 求婚

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 久々に雨が止んだ夜。『私』はぼんやりと窓辺に立って外を眺めていた。そこから見えるのは大きな満月とそれを取り巻く小さな星達、そして昼間まで降っていた雨粒に濡れる森の木々達だけだ。

「フェリシア姫」
 急に塔のバルコニーに、男がひらりと舞い降りてきた。

 思わず目を見開いた『私』を気にすることなく、彼は『私』の前で当たり前のように片膝をつく。そして様になった仕草で『私』の片手を取って、そこに触れるだけのくちづけをした。
 驚きで声も出せない『私』に、彼は甘く甘く微笑みかける。
 大きな満月を背後に背負った美丈夫は、真っ赤な薔薇の花束片手に、熱く『私』を見上げた。
「この塔に囚われた美しい姫君を、この騎士ベルンハルトが助けに参りました――――どうか、私と結婚してください」
 そのぞくりと背筋が震えるような低く甘い声が、静かな夜にこだました。

 ……あぁ、なんてことだ。まさか、こんなことが起こるだなんて。

 予想だにしなかったことに『私』は全身をぶるりと震わせる。全身に鳥肌が立った。
 大きく息を吸う。目の前に跪く男を凝視しながら、『私』はぱかりと口を開いた。
 そして、腹の底に力を込めて――――。

「――――帰れええええええええええええええ!」

 俺は、全力で怒鳴りつけた。





 十二歳の頃からこの高くそびえる塔に囚われて早六年、まさか男にプロポーズされるとは!
 俺の心からの絶叫に、目の前に跪いて俺の手にキスしやがった男はびくっと体を震わせる。だが、震えたいのはこっちだ!
「てめぇ何しやがる気色わりぃ! そんでもって、今すぐその手を放せ、この気障野郎が! っつーか薔薇なんて持ってんじゃねぇよ腹立つな!」
「なっ…………」
 俺の叫びに美丈夫はまるで雷に打たれたかのように硬直した。ラピスラズリのような金の散った深青の瞳が、限界まで大きく見開かれる。

 無意味に、薔薇の花束から赤い花弁がひらりと落ちた。

 どうでもいい演出を無視して、俺はぴゃっと男に取られたままの手を引き抜く。その手を着ていた桃色のドレスの裾に擦り付けながら俺は顔を引き攣らせていた。
「流れるようにキスしてんじゃねぇよ! ……何が、何が結婚して欲しいだ……! 俺は異性愛者で、好みは胸と尻のでかい大人の女だ! 間違ってもてめぇみたいな男じゃねぇよ!」
「は、え…………?」
 ありえない、というように彼は首を振り始め、そのせいで頭の上で括られた赤の髪がまるで振り子のように揺らいでいる。俺は顔をこわばらせている男をじっと見下ろして観察した。

 イケメンだ。長身で筋肉質、だがむさ苦しさは一切なくむしろ清潔感を感じさせる。顔立ちも凛々しく、目鼻立ちがすっと整っていた。文句の付けようがない程のイケメン。そして先程聞いた声も背筋を震わせるような素晴らしい低音ヴォイス。薔薇の花束は生理的に受け付けられないが、客観的には非常に似合っている。騎士の制服も、嫌になるくらい似合っている。

 世の女ならば、一瞬でこの男に恋に落ちてしまう程の、イケメンだった。
 ――――そう、『女』ならば。

「お、おとこ……?」
 低くいい声で喉を震わせた男に、俺は叫びすぎてかすれた声で返す。その声は、どんなにかすれていても明らかに男のものだ。
「男だよ俺は、畜生、気持ちわりぃ気色わりぃ! 帰れ! 今すぐ帰れ! 森に帰れ! 森へお帰りっ」
 そう言い切って俺は、荒い息を吐く。俺には体力が無いのだ。はーっはーっという、俺の呼吸音だけが響き渡り、それ以外の全ては沈黙している。この、目の前の男然り。

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」

 阿保みたいな無音の後に続いた馬鹿馬鹿しい単音に、これ以上ない程俺は顔をしかめる。
 なんて物分かりの悪い男だ!
 俺は心底馬鹿にした目で、男のことを睨みつけた。
「だーかーらー、俺は、男だっつってんだろうが!」
「そんな、え?」
「言葉通じねぇのかよ! 何回言わせんだ!」
 そう吐き捨てた俺に、目の前の男もようやくまともな言葉を返してくる。
「ですが、ここに囚われているのはフェリシア姫では!」
「俺は姫の影武者だ!」
「囚われの姫が、影武者ということがあるのですか!?」
「目の前にあるだろうが!」
「そんな、なんてことだ!」
 男はその場に崩れ落ちた。床に叩きつけられた薔薇の花束から、真っ赤な花弁がまたひらりと落ちる。

 その際に、くどい程甘い香りが薔薇から香り、俺の鼻の奥を優しくくすぐった。
 ……俺はもう、深々と息を吐いた。肺の中の空気を全部吐き出すつもりで。
「はぁ――――――――――――――――…………」
「あ、あの……」
 無様に崩れ落ちたままの男を見下ろして、俺は仕方なく言った。
「……とりあえず、バルコニーに這いつくばってないで、中入れ」
「し、失礼します……」
 心優しい俺の言葉に、男はひどく項垂れたまま頷いた。
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