辺境の魔術師、悟りを開き大賢者となる←【理想】/【現実】→煩悩を捨てなきゃダメなのに、毎日弟子たちが無自覚に誘惑するからそろそろ限界です……

日之影ソラ

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憤怒 / シアンの章

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 最初に言い出したのは、意外にも彼女のほうからだった。
 彼女は寂し気に、悲しそうに微笑みこちらを見る。
 俺は少し驚いて聞き返す。

「いいのか?」
「今さらでしょ? あれだけ……取り乱しちゃったわけだし」
「そこは覚えているんだな」
「覚えてるよ。お母さんって、何度も呼んで……あなたに助けを求めたこと」
「……」
 
 彼女は自分で自分の腕を掴み、ぎゅっと握りしめる。
 悔しさ、悲しさ、よくない感情が彼女を支配しているのがわかる。
 こういう時に人間は、負の感情を何かに発散すべきだ。
 俺たちは賢者の教えに従い、負の感情を制御し、飲み込む精神を鍛え上げた。
 けれどそれは、一朝一夕で鍛えられるものじゃない。
 
「話してほしい。それでもし、お前の気が少しでも紛れるのなら」
「……ありがとう。今日はやけに優しいね」
「厳しくしてほしいならそうするけど?」
「遠慮しておく。今は……優しくしてほしい」
「わかった」

 傷心の彼女はいつになくしおらしくて、俺のほうこそ調子が乱される。
 弱々しい彼女に悪態をつくほど、俺の性格は悪くない。
 ロール姫は小さく深呼吸をして、口を開く。

「私と上二人のお兄様は、母親が違うの。この国は一夫多妻が認められていて、国王にも三人の妻がいたわ。そのうちの一人、私のお母様は……貴族の中でも身分が低かったの」

 彼女はゆっくり語ってくれた。
 三人の妻、それぞれが子をなし、第三王女として彼女は生まれた。
 しかし彼女が物心つく前から、男の子として、王子として育てられることになった。
 決めたのは国王と彼女の母親である。
 この国では、国王は男がなるものであり、貴族の当主も同様に、女性では務まらない。
 そういう風習であり、明確なルールではないが、根強く人々の認識として広まっていた。
 彼女は王女であり、母親も身分が低い。
 このままではロール姫の立場が弱いまま、周囲からいじめを受けるかもしれない。
 そう考えた母親は、娘を守るために、彼女を王子として育てた。

「おかしな話でしょ? 女ってだけで国王にもなれない。誰が言い出したのか……」
「そうだな」

 性別による差別。
 俺が知らない外の世界は恐ろしい場所のようだ。
 加えてそこに、貴族という身分社会がある。

「私のお母さんは身分も低かった。そこに私を生んだから、余計に立場が弱くて……二人の母親、つまりは私の義母にイジメを受けていたのよ」
「王族の妻がイジメ? 国民の代表だろう?」
「そうだけど、人間だったってことだよ。誰しもあなたみたいに、誠実であろうとしていられるわけじゃないから」
「俺は別に、誠実でありたいわけじゃないぞ」

 彼女は少し呆れたように笑い、続きを語る。

「イジメは酷かった。私も後で知ったけど、お母さんは私を守るために必死だった。自分だけが標的になるように……でも、限界が来ちゃったの。お母さんは倒れて、そのまま二度と目覚めなかった」
「……お前の母親は」
「そう。私が小さい頃、十歳の時に亡くなったよ」

 十歳……俺が師匠に拾われた時とほとんど同じ年齢だ。
 孤独を感じるには若すぎて、大人になるための準備もできていない。
 けれど一人になれば、嫌でも大人にならなくてはならない。
 俺がそうだったように。

「ボクはお母さんが大好きだった。だから決めたの。私が国王になって、この国の間違いを正してみせる! お母さんがイジメられなくて済む国にするって」

 彼女は決意した。
 拳を握り、理想を掴むと口にする。
 しかしその理想は……。

「言わなくてもわかってる。お母さんはもういない。結局、ボクの自己満足だよ」
「……」
「でも、お母さんを安心させたいんだ。ボクはちゃんと生きてる。自分の幸せは、自分自身で掴みとってみせる。そのためならボクは……」
「立派だよ。お前は」
「――え?」

 それが、彼女の話を聞いた俺の、素直な感想だった。
 母親をイジメで失い、幼い心で絶望せずに、彼女は自らがやるべきことを見定め、こうして行動に移している。
 過酷な道のりだったはずだ。
 俺たちが歩む道のりとは、まったく別の辛さがある。
 彼女は一人で、そんな道を歩んできた。

「お前は俺よりも賢者に向いているかまもしれないな」
「……そうかもね? 煩悩まみれのアンセルよりはマシかも」
「こいつ……」

 ちょっとずつ、いつもの調子が戻ってくる。
 苛立ちより、安心を感じてしまうのは、俺も甘いなと自覚する。

「国王になれるといいな」
「……ありがとう。もし国王になれなかったら、ボクもアンセルに弟子入りしようかな」
「その時は厳しいぞ?」
「えー、せっかくなら優しくしてよ。今みたいにさ」

 彼女は再びベッドで横になる。
 自然と、いつの間にか俺の手を握っていた。

「今夜は、ボクが眠るまではこうしてほしいな」
「しょうがないな」
「やった! じゃあ明日からもお願いね?」
「馬鹿。今日だけ特別だ」

 やっぱり彼女は、少し生意気なくらいがちょうどいい。
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