わたしの婚約者の好きな人

２２．５ （マーニャside）

　ノーマン伯爵夫人の侍女の仕事は、マーニャにとっては、そう難しい事ではなかった。
　なぜなら、相手も遠慮して、難しい事は頼んでこなかったからだ。

　夫人の身の回りの世話はメイドがするし、何より、夫人は彼女に何か頼もうともしなかった。

（何もしなくていいのは楽だけど、空気のような扱いをされているのも腹が立つのよね…。だけど、しっかり反省したふりをしなくちゃ…）

　マーニャはレイジとの事は、さすがに心にダメージをおったが、いつまでも引きずる様なタイプではなかった。

　とにかく、彼女は少しでも早くこの家を出たかった。

　追い出される様な事をすれば、ショーの家に行けるかもしれないとも思ったが、離婚からまだ日にちが経っていない為、すぐには受け入れてもらえない事をわかっていたマーニャは、日が過ぎるまで大人しく過ごす事に決めた。

　最初はビトイやオサヤを誘惑し、身の危険を感じたという事にして、この邸にいては自分の身が危ないと訴えるつもりだったが、そうは上手くいかなかった。

　なぜなら、ビトイはマーニャに見向きもしなくなったからだ。

　邸内ですれ違った際に話しかけても、何も反応しない。
　マーニャにしてみれば、男性からのそんな態度は屈辱でしかなかった。

（もう一度おとせばいいんだわ…）

「ビトイ、あの時は本当にごめんなさいね」

　休憩時間中にビトイの部屋に向かったマーニャだったが、部屋に入れてくれたのはいいものの、今までなら、熱のこもった目で彼女を見つめていたビトイの目が、今までは違っている事に気が付いた。

「そうだな。僕も悪かったけど、君も悪くないなんて事はないもんな？　あの時は本当にショックだったよ…」
「だから謝ってるじゃない。あの時はあなたの事を怖く感じてしまったのよ…」
「……どうせ、それも演技なんだろう？」

　ビトイの冷たい対応に、マーニャは焦る。

（あれだけ私の事を好きだったくせに、一度裏切られただけで、そんなに簡単に切り捨ててしまえるものなの？　最低な男ね）

　自分の悪さは棚に上げて、マーニャはそう思うと、ビトイを使う作戦は諦める事にして、早々に部屋から立ち去ろうとすると、ビトイが呟く様に言う。

「僕は馬鹿だったよ。本当に…。君の本性に何年も気付けなかったなんて…」
「……どういう事…？」

　聞き捨てならない言葉に、マーニャが立ち止まって聞き返すと、ビトイはマーニャを睨んで言う。

「君が最初から本性を見せてくれていれば、僕は今頃はアザレアの婚約者でいれたのに！」
「そんなの知らないわ！　騙されたのはあなたよ！　そして、アザレアを裏切ったのもあなた！　私のせいにしないで！」
「そうかもしれないが、君が何も悪くないわけではないはずだ！」

　そう言って、ビトイは逃げようとした、マーニャの腕を掴み、自分の方に引き寄せると言う。

「君だけ幸せになんてさせてやるものか」
「な…、何をするつもりなの！？」
「もう君は、何度もキトロフ伯爵と体を重ねたんだろう？　なら、僕ともいいんじゃないかな？」
「ちょっと、やめてよ！」

　抵抗したが、マーニャの力ではビトイの力に適いそうもなかった。

「それが嫌なら、君には、アザレアが僕の元に戻る様に協力してもらう…」
「……何を言ってるのよ…！」
「君がこの邸から出られる様に父上にお願いしてあげるから、君は何とかして、トーリ様に接触して、彼を誘惑しろ。そして、アザレアが悲しんで悲しんで、もう誰も信じられないとなった時に、本当の婚約者である僕が救世主の様に現れる」

　恍惚とした表情のビトイを見て、マーニャは思う。

（頭がおかしくなったんじゃないの？）

　けれど、ビトイが言ったアザレアが悲しむという言葉は、マーニャにとっては魅力的な言葉だった。