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1  約束した夜

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「ねえ、リュカ、私は何もしていないのよ」

 壁に備え付けられたランタンの明かりしかない独房で、私はここに来てから、もう何度言ったかわからない言葉を口にした。

「知ってるよ。その話は何度も聞いたって」

 白い石の壁をはさんだ独房に収監されている青年、リュカは「またか」と言わんばかりに、つっけんどんな調子で言葉を返してきた。
 私は硬いベッドの上で膝を抱え、薄汚れた服の袖で、頬に流れて落ちてきた涙を拭う。
 そして、投げやりな口調で呟く。

「でも、もうどうでも良くなってきたわ」
「……どうしたんだ?」
「さっき、看守の人がそっと教えてくれたの。私の家族が全員殺されたって」
「は!? なんでだよ!?」
「わからない。賊に襲われたとしか教えてくれなかったわ」

 ダークブラウンの軽いウェーブのかかった長い髪を揺らし、大きく首を横に振って答えた。

 私とリュカが今いる場所は、罪を犯した貴族を投獄するために作られた地下牢だった。
 ここには全部で20の独房があるらしいけれど、今は私とリュカしかいない。

 他の貴族はここに入ってきても、重い罪にはならず、すぐに出ていってしまうからだ。
 絞首刑が決まっている私は、もう30日近くこの場所にいる。
 それよりも長くいるというリュカは、私がこの独房に連れられて来られて、泣いてばかりいた時に優しく話しかけてくれた。
 
 たまたま牢屋が隣で、毎日、何もすることがなかった私たちは、2人で会話することが日課になっていた。
 といっても、私が一方的に話し、それに対してリュカが答えを返してくれるということが多かった。
 でも、私にとっては話し相手がいるというそれだけで、ひどい状況であるにも関わらず、心が和らいだ。
 でも、今はリュカと話をしても和らぐどころか、頭の中に疑問が浮かぶだけだった。

 私は公爵令嬢の飲むお茶に毒を入れようだなんて思ってもいなかったし、実際に毒を入れてもいない。
 
 あの場にいた令嬢たちは、私が毒を入れたのだと口を揃えて言っているらしい。

 毒を持っていなかったこと、毒の入手経路もそうだし、アルカ公爵令嬢のお茶にどうやって毒を入れたのかもわからないのに、警察は私が犯人だと決めつけた。
 
 無実を訴えても、信じてくれたのは家族だけだった。

 その家族がこの世からいなくなったのであれば、私が生きていることに何の意味があるの?
 それに、私の家族を殺したのは誰なの?
 どうせ私は、冤罪で処刑されるんだから、家族まで殺す必要はなかったはず。
 
 家族を巻き込んだ自分自身が許せない。
 
 家族を殺した人たちも、冤罪をでっちあげた人物も、わたしを信じてくれなかった人たちも許せない。

 どうしてアルカ公爵令嬢を殺したの?
 どうして私を犯人に仕立て上げたの?
 色んな疑問が浮かぶと同時に、あの時のことを思い出す。
 
 テーブルを囲んでいた人たちは、ああなることを予測していたみたいだった。

 それは、私が親友だと思っていた相手も当てはまる。
 あれは仕組まれた出来事だったのだ。

 悔しくてしょうがなくて、溢れ出てくる涙を止める気にもならない。
 大声で泣いてスッキリしたかった。

 だって今は、私の泣き顔を見れる人はいない。
 日付は変わっていないけれど、もう遅い時間だから、牢の前には見張りもいない。
 どうせ逃げられやしないからだ。

「無実を証明しなくて良いのか?」
「したかったけど、もう、どうでもいいわ。どうせ、何を言っても無駄だもの。死を待つしかないの」
「諦めるなよ」

 リュカがそう言った時だった。
 真夜中だと言うのに地上へ続く扉がある階段のほうから音が聞こえた。
 それは扉が開けられた音で、すぐに階段を下りる足音が2つ聞こえてきた。

 見張りが私の泣き声を聞いて、何事か確認しに来たのかと思った。
 だから、涙を薄汚れた服の袖で拭いて、寝たふりをするためにベッドの上に寝転んだ。

 薄暗い廊下にランタンのものらしき明かりが広がる。
 目を覚ましたふりをして身を起こすと、ランタンを手に私の牢屋の前に立っていたのは、看守でも見張りでもないことに気が付いた。

 なぜ、こんな所にいるのかはわからない。

 私は近くにあったランタンの明かりをつけて尋ねる。

「アイザックと、テレサ? どうしてここに? しかも、今は夜も遅い時間よ? 面会の時間じゃないでしょう」

 私の婚約者だったアイザックと友人だったテレサは、私の問いかけに対して、なぜか嬉しそうに笑った。

 もじゃもじゃの赤毛の髪に、髪と同じ色の瞳を持つ、長身痩躯のアイザックと私の婚約は、私が冤罪で捕まってすぐに破棄された。
 だから、私とアイザックは今では何の関係もない。
 
 それなのに、どうしてここへ?
 それに、どうしてテレサと一緒にいるの?

「汚いわね」

 薄汚れた服を着ている私を見て、テレサは腰まである金色のストレートの横髪を耳にかけながら鼻で笑った。

 今の私はドレス姿ではあるけれど、牢屋の中が汚れているから、ドレスも薄汚れている。
 二人にこんな姿を見られたくなくて、シーツで体を隠した。

 そんな私を見たアイザックとテレサは、私に見せつけるようにして身を寄せ合った。
 
 私が二人を見つめると、アイザックが底意地の悪そうな顔になって口を開く。

「君の処刑の日が決まった。明日の朝だよ」
「……そんな!」

 私たちの住んでいる国、アグリタ王国では、処刑される日は前もって知らされていない。
 当日の朝に伝え、そのまま処刑場に連れて行かれるのが規則になっているのに、アイザックは私に伝えてきた。

 しかも、笑みを浮かべながら――

「ショックよね、リリー? 家族も死んだし、友人と婚約者にも裏切られていたと知って、どういう気持ちかしら?」
「……どういうこと?」

 私が聞き返すと、友人だったテレサは大きな目を細め、笑いながら答える。

「お茶会でアルカ公爵令嬢のお茶に毒を入れたのは私よ」
「なんですって?」

 驚いて聞き返すと、今度はアイザックが話し始める。

「君の無実を証明しようと動いていた、君の家族を殺すように依頼したのは俺だ。君の家で働いている執事やメイドや騎士を買収できたから、動きがすぐにわかって殺すことも簡単だったよ」
「許せない!」

 私はシーツを払い、ベッドからおりると鉄格子を掴んで叫ぶ。

「この人殺し! どうして、そんなことをしたのよ!」
「邪魔だったのよ。私たちが幸せになるためには、あなたの存在がね。あなたの家族が死んだのも、あなたのせい。あなたが諦めて死を待つだけにしておけば、家族は殺されなかった。アルカ公爵令嬢の件で、あなたの家族が変に嗅ぎまわる様なことをしなかったら、今も生きていられたのよ?」
 
 テレサは私を見て嘲笑したあと、豊満な胸の下で腕を組んでから、言葉を続ける。

「私たちの懺悔は終わったわ。行きましょう、アイザック。あ、言うのを忘れていたわ。リリー、私たち、実はあなたが捕まる前から付き合ってたの。あなたは純粋だから、私たちが浮気しているだなんて知らなかったでしょうけど」
「浮気をしておいて偉そうに言わないで!」

 私が言い返すと、テレサは小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
 そして、アイザックの服の袖を引っ張る。

「アイザック、早く行きましょう」
「そうだな。じゃあな、リリー。せめて、来世では幸せになれよ」

 アイザックは私に向かって手を振ると、テレサの背中に片腕を回した。
 私が何も言い返せない間に、二人は寄り添って、来た道を戻っていく。

「あれが懺悔だって?」

 二人が去っていったあと、リュカが鼻で笑ってから話を続ける。

「あの二人は懺悔という言葉を辞書で調べ直す必要があるな」

 わざと明るい口調で話してくれるリュカに感謝の気持ちを覚えた。
 どうせ、私は明日死ぬのだ。

 今のうちに伝えたいことを伝えておこう。

「……リュカ」
「何だよ?」
「短い間だったけど、本当にありがとう」
「……なんだよ、いきなり」
「リュカがいてくれたから、こんな状況でも頑張れたのよ」
「……リリー、聞きたいんだが」

 リュカと話をするために、私はベッドに戻り、膝を抱えてから聞き返す。

「何かしら?」
「リリーは悔しくないのか?」
「……っ! そりゃあ、悔しいに決まってるわ! だけど、今は何も出来ないんだもの! だから、死んでも死にきれないし、魂はきっとこの世に残るわ! 絶対にあの二人を幸せになんてしてやらない! 執事だってメイドだって騎士も許さない! 家族を裏切った人間や、お茶会で私をはめた人間は全て許さない!」

 私はベッドから立ち上がり、壁を挟んだリュカの独房に向かって叫んだ。
 そんな私に対して、リュカは冷静に話しかけてくる。

「リリー、約束してくれないか」
「……約束?」
「ああ。もし、人生をやり直すことが出来たら、俺も君のために戦うし、君も自分のために戦ってほしい。それから、俺も自分のために戦うから、リリーも俺と一緒に戦ってくれないか」

 リュカが何を言おうとしているのか、さっぱりわからなかった。

 人生をやり直すなんて出来っこない。

 けれど、私にはリュカが冗談を言っているようにも思えなかった。

「よくわからないけど、人生をやり直すことができるなら、私は私のために戦うし、あなたが何かと戦うと言うのなら、力になれるかわからないけど、あなたと一緒に戦うわ。絶対に何があっても、私はあなたを裏切ったりしない」

 私はこの時、どうして裏切ったりしないという言葉が口から出てきたのかわからなかった。
 自分が裏切られたからなのか、はっきりしたことはわからない。
 でも、なぜか、そう言わなければいけない気がしたのだ。

「ありがとう、リリー。今から言うことを忘れないでくれ。君が次に目を覚ました日の昼の1時、ドルセン広場で会おう」
「リュカ、私は明日には処刑されるのよ? そんなの無理だわ」
「いいから。ちゃんと覚えたか?」
「……ええ。昼の1時にドルセン広場ね?」
「ああ」

 ドルセン広場で待ち合わす話について、何度も聞いてみたけれど「後からわかる」と言って、なぜそんな話をしたのか教えてくれなかった。
 
 夜も遅くなり、死の恐怖に怯えながらも、リュカの睡眠を邪魔するわけにはいかないと思った私は、無理やりベッドに横になった。

 眠れるわけがない。
 でも、もうすぐ楽になれるのね。

 お父さま、お母さま、お兄さま、私も明日、皆の所へ行くからね。
 私のせいで本当にごめんなさい。

 このまま死んでしまうのは悔しい気持ちもある。
 だけど、絶対に許さないし許せないから、死んだら絶対に私をはめた人たちを苦しませてやろうと思う。

「おやすみ、リリー」
「おやすみなさい、リュカ」
「ドルセン広場で会おう」

 なぜだかわからない。
 リュカに声をかけられた瞬間、急に眠気が襲ってきた。
 明日、死ぬとわかっているのに眠気に耐えられなくなった私は、抗うことをやめて目を閉じた。

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