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1話:婚約破棄

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彼の一言で、私の頭は真っ白になりました。

「ミーア・ロマーニ。お前との婚約は破棄だ!今すぐ僕の前から消えろ」
婚約者であるアルバート様からのご連絡。話したいことがあるから、明日、屋敷に来て欲しいという旨の連絡を頂いた私は、言われるままに訪れました。
いきなりの事ではありましたが、嬉しかったというのが本音です。だって私は、彼の事を本当に愛していたから。デートのお誘いだと思い喜んで屋敷を出ました。
しかし、使用人の方からお部屋に通して頂き、お顔を合わせた瞬間、彼が突然そのような事を言ってきたのです。

混乱した。と、表現するだけではあまりに生易しい衝撃でした。

「と、突然何を?どうしていきなり、そんな……」
「はあ?そんなの、他に好きな女が出来たからに決まっているだろ」

ドクン!と心臓が高鳴り、スーッと全身が冷たくなっていったのをよく覚えています。好きな女性が出来た?悪びれる様子を一切見せることもなく、それがさも当然の事であるかのように、彼は言い放ちました。

「ア、アルバート様は私のことを愛していないのですか?」
「あのなあ、話を聞いていたか?好きな女が別にいると言っているだろう。そうだよ、もうお前に興味は無い。悪いんだけど、さっさと消えてくれないか」
「……それは、貴方の本心なのですか?それに、貴族同士の婚約破棄ともなれば私達だけのお話ではすみません。お願いですから、一度冷静になってお話をさせて下さい」
これは、私なりの最後の抵抗でした。以前の聡明なアルバート様ならば、家の話を出せば冷静になって下さるだろう。そんな考えからの言葉でした。でも、そんな些細な希望は簡単に砕かれたのです。

「ああああ!そういう面倒な話は良いから、さっさと出てけ!これからデートなんだ!詳しい話は、我が家の者が君の家に行くだろうからそこで勝手にやってくれ!お前のような不細工との付き合いは御免なんだよ。全く、父上がお決めになった事とはいえ、結婚などおぞましいにも程がある!第一、没落した伯爵家の女に利用価値などあるわけもない」
「……そんな、利用価値?……」

本当に面倒だ。そんな態度で私を追い払う彼の貌が今も脳裏に焼き付いています。
そこから先のことは、本当に良く覚えていないのです。

★ロマーニ邸

「……という事が、昨日ありました」
「そんなの酷すぎるわよ!そんな勝手な理由で婚約破棄だなんて、ミーアお姉様が可哀想だわ。ねえ、お父様!」

昨日、婚約者であるアルバート・サルヴァトーレ様から呼び出された姉は嬉しそうに家を出て行った。それもそうだろうなと、私たち家族も明るい表情で姉を見送った。姉は彼を心から愛している、そのことを私達は知っていたから。
しかし、その数時間後に帰ってきた姉は泣いていた。目を真っ赤にして、生気の失われた表情のまま何も言わずに自室へと閉じ籠ってしまったのだ。
私とお父様にお母様。家族総出で何度呼びかけても部屋から出てくることの無かった姉だが、今朝方、喉の渇きには勝てなかったのだろう。キッチンに現れたところを確保して、リビングにて何があったのかを聞いたのだ。

私は、姉の話を聞いて怒りが込み上げた。一方的な婚約破棄もそうだが、理由があまりにも酷すぎる。どうしてそこまで酷い事が言えるのだろうか。

「そうだな、確かに不憫だ。本当に可哀想だが……」
「どうしたの、お父様?今すぐ向こうの自宅に乗り込んで抗議の一つでもしてやりましょうよ!私も行くわ」
「……うん。お前の気持ちはよく分かる……だがな、現実的な話。我々が行ったところで、何も出来ずに帰ってくるだけになるだろう。いや、それだけで収まるならば御の字か」
いつも温和で優しい父。それは、弱弱しいという意味なんかではない。私たちが悪いことをすれば、しっかりと叱ってくれる強さと優しさを内包している。領民同士の争いごとにも、凛とした態度で事に当たり和解に導いたことだって何度もある。
そんな父が、現在は苦虫を嚙み潰したような表情で俯いているのだ。その父の表情を見て、姉は力なく微笑んだ。

「お父様。いいんです。私は大丈夫ですから、どうかお気になさらないで下さい」
短くそう呟くと、姉は再び自室の方へと力なく歩き出した。それを心配した母は、姉の手を取ると誘導するように並んでリビングを後にした。

「お父様。さっきのはどういう意味?やってみなければ分からないじゃない」
「……分かるよ。お前は、侯爵家を敵に回すという意味を理解していない。仮に、この抗議が上手くいったとしよう。賠償金などを貰ったとしても遺恨は残る。向こうは使えるものを使って、我が家に不利益をもたらそうとしてくるだろう」
「っ!それでも、それでもお父様は悔しくないの?」
「悔しいさ!!……悔しいよ。大切な娘が、こんなにも心を痛めていることに。でも、相手が侯爵家というのは、お前が思っている以上に厄介な事なんだ。私たちだけが不利益を被るならばそれはいいかもしれない。でも、領民はどうなる?」
「領民の人たち?」
「そうだ。我々の不利益は即ち、領民の不利益に繋がる。侯爵家がその気になれば、この領土内の人間が作った作物を市場に出回らないようにすることだって可能なんだ。そうなれば、当然彼らの生活に影響が出る。我々をここまで支えてくれた彼らに対して、我が家の都合で不幸にさせる様な事は出来ない」
「そんな……それでは、泣き寝入りをするしかないの?」
「勿論、この事態が好転するように私も務めるよ。でも……期待はしないでくれ」

その言葉を聞いた私は、力なく部屋を出て行った。
父の言い分は最もなんだろう。まだ16歳の私には分からない貴族間の事情だとか、そういったものも含めて父は悩んでいる。私も流石に領民の方々の生活を脅かすような事態は避けたい。
それでも、どうしても思わずにはいられない。大好きな家族を傷つけた男に、一矢報いてやりたいと。
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