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第5話「記憶の欠片」
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湊さんと恋人になって初めて迎える春が来た。凍てついていた街路樹は芽吹き、花屋の店先には色とりどりのチューリップやスイートピーが並ぶ。私の心も春の陽気に誘われるように、日に日に幸福感で満たされていった。
休日の今日、私たちは海沿いの公園にピクニックに来ていた。湊さんが作ってきてくれたサンドイッチは少し不格好だったけれど、とても優しい味がした。
「湊さん、料理もできるんですね。意外です」
「君に美味しいって言ってもらいたくて、昨日の夜こっそり練習したんだ」
照れ臭そうに告白する彼が愛おしくて、私はたまらず笑ってしまった。レジャーシートの上に寝転がり、流れる雲を眺める。隣には湊さんがいて、穏やかな潮風が髪を撫でていく。これ以上ないくらい、幸せな時間だった。
「ねえ、湊さん」
「ん?」
「子供の頃って、どんな子だったんですか」
ふと、そんなことを聞いてみたくなった。彼の過去をもっと知りたかった。
湊さんは少しだけ考える素振りを見せた後、懐かしむように目を細めた。
「そうだな……昔から、何かを作ることが好きだった。あとは……よく、女の子を泣かせてたかもしれない」
「ええっ、湊さんが?」
今の物静かで優しい彼からは、想像もつかない。
「いや、いじめてたとかじゃなくて。上手く気持ちを伝えられなくて、意地悪なことばかり言ってたんだ。好きな子ほど、素直になれなかった」
そう言って、彼は遠い目をする。その視線の先に、どんな光景が広がっているのだろう。
「その子とは、どうなったんですか」
聞かずにはいられなかった。少しだけ胸の奥がちくりと痛む。
「……遠くに、行ってしまったよ」
寂しげな彼の声が、潮風に溶けて消えた。それ以上、私は何も聞けなかった。彼の心の中にいるその女の子に、少しだけ嫉妬している自分がいた。
その時だった。
強い日差しがふと雲に隠れた。視界が暗くなった瞬間、私の頭の中に閃光のような映像が飛び込んできた。
―――強い日差し。蝉の声。むせ返るような緑の匂い。
目の前には、泣きじゃくる私。そして、その私を困ったような、悲しそうな顔で見つめる男の子。
『ごめん……ごめんな、雫』
男の子が何かを差し出している。それは、四つ葉のクローバーだった。
「……っ!」
息が詰まる。心臓が早鐘を打つ。
「雫さん? どうかしたのか、顔色が悪い」
心配そうに覗き込んでくる湊さんの顔が、ぐにゃりと歪んだ。
「だ、大丈夫です。ちょっと、日に当たりすぎたみたいで……」
何とか笑顔を作って誤魔化したが、動揺は隠せなかった。今の映像は何? あの男の子は誰? なぜ、私の名前を……?
混乱する頭で必死に記憶の糸をたぐり寄せようとするが、靄がかかったように何も見えない。ただ、胸を締め付けるような切なさと、甘酸っぱい痛みだけが生々しく残っていた。
その日以来、私は断片的な記憶のフラッシュバックに悩まされるようになった。
湊さんと手を繋いで歩いている時。彼の淹れてくれたコーヒーを飲んでいる時。何気ない日常の瞬間に、それは前触れもなく訪れる。
古い教会のステンドグラス。霞草の小さな花束。そして、いつもそこにいる一人の男の子。笑顔だったり、泣きそうな顔だったり。でもその顔はいつも霞がかかったように、はっきりと見えない。
『この記憶は、私にとって幸せなものなの? それとも……』
思い出すのが怖かった。この温かくて幸せな日常が、過去の記憶によって壊されてしまうのではないか。そんな漠然とした不安が、影のように心を覆い始めた。
湊さんは、私の些細な変化に気づいているようだった。時折、何かを言いたそうに口を開きかけては、結局何も言わずに、ただ悲しげな瞳で私を見つめる。
彼のその表情が、私を一層不安にさせた。
もしかして、湊さんは何か知っているんじゃないだろうか。私の失われた記憶について。そして、あの男の子について……。
聞きたい。でも、聞けない。真実を知るのが怖い。
湊さんとの幸せな時間の中で、私は一人、見えない過去の亡霊に怯えていた。春の柔らかな日差しとは裏腹に、私の心には冷たくて暗い影が、ゆっくりと、しかし確実に広がっていた。
休日の今日、私たちは海沿いの公園にピクニックに来ていた。湊さんが作ってきてくれたサンドイッチは少し不格好だったけれど、とても優しい味がした。
「湊さん、料理もできるんですね。意外です」
「君に美味しいって言ってもらいたくて、昨日の夜こっそり練習したんだ」
照れ臭そうに告白する彼が愛おしくて、私はたまらず笑ってしまった。レジャーシートの上に寝転がり、流れる雲を眺める。隣には湊さんがいて、穏やかな潮風が髪を撫でていく。これ以上ないくらい、幸せな時間だった。
「ねえ、湊さん」
「ん?」
「子供の頃って、どんな子だったんですか」
ふと、そんなことを聞いてみたくなった。彼の過去をもっと知りたかった。
湊さんは少しだけ考える素振りを見せた後、懐かしむように目を細めた。
「そうだな……昔から、何かを作ることが好きだった。あとは……よく、女の子を泣かせてたかもしれない」
「ええっ、湊さんが?」
今の物静かで優しい彼からは、想像もつかない。
「いや、いじめてたとかじゃなくて。上手く気持ちを伝えられなくて、意地悪なことばかり言ってたんだ。好きな子ほど、素直になれなかった」
そう言って、彼は遠い目をする。その視線の先に、どんな光景が広がっているのだろう。
「その子とは、どうなったんですか」
聞かずにはいられなかった。少しだけ胸の奥がちくりと痛む。
「……遠くに、行ってしまったよ」
寂しげな彼の声が、潮風に溶けて消えた。それ以上、私は何も聞けなかった。彼の心の中にいるその女の子に、少しだけ嫉妬している自分がいた。
その時だった。
強い日差しがふと雲に隠れた。視界が暗くなった瞬間、私の頭の中に閃光のような映像が飛び込んできた。
―――強い日差し。蝉の声。むせ返るような緑の匂い。
目の前には、泣きじゃくる私。そして、その私を困ったような、悲しそうな顔で見つめる男の子。
『ごめん……ごめんな、雫』
男の子が何かを差し出している。それは、四つ葉のクローバーだった。
「……っ!」
息が詰まる。心臓が早鐘を打つ。
「雫さん? どうかしたのか、顔色が悪い」
心配そうに覗き込んでくる湊さんの顔が、ぐにゃりと歪んだ。
「だ、大丈夫です。ちょっと、日に当たりすぎたみたいで……」
何とか笑顔を作って誤魔化したが、動揺は隠せなかった。今の映像は何? あの男の子は誰? なぜ、私の名前を……?
混乱する頭で必死に記憶の糸をたぐり寄せようとするが、靄がかかったように何も見えない。ただ、胸を締め付けるような切なさと、甘酸っぱい痛みだけが生々しく残っていた。
その日以来、私は断片的な記憶のフラッシュバックに悩まされるようになった。
湊さんと手を繋いで歩いている時。彼の淹れてくれたコーヒーを飲んでいる時。何気ない日常の瞬間に、それは前触れもなく訪れる。
古い教会のステンドグラス。霞草の小さな花束。そして、いつもそこにいる一人の男の子。笑顔だったり、泣きそうな顔だったり。でもその顔はいつも霞がかかったように、はっきりと見えない。
『この記憶は、私にとって幸せなものなの? それとも……』
思い出すのが怖かった。この温かくて幸せな日常が、過去の記憶によって壊されてしまうのではないか。そんな漠然とした不安が、影のように心を覆い始めた。
湊さんは、私の些細な変化に気づいているようだった。時折、何かを言いたそうに口を開きかけては、結局何も言わずに、ただ悲しげな瞳で私を見つめる。
彼のその表情が、私を一層不安にさせた。
もしかして、湊さんは何か知っているんじゃないだろうか。私の失われた記憶について。そして、あの男の子について……。
聞きたい。でも、聞けない。真実を知るのが怖い。
湊さんとの幸せな時間の中で、私は一人、見えない過去の亡霊に怯えていた。春の柔らかな日差しとは裏腹に、私の心には冷たくて暗い影が、ゆっくりと、しかし確実に広がっていた。
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