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第三章 疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです
第22話:疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです・2
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花梨は床を蹴って叫ぶ。
「AA!」
「はい」
呼びかけに応じてAAが目の前に現れた。
AAの出現は空間を切り貼りするように一瞬だ。天使の聴域展開と概念翼によって、転移候補が呼べばAAはいつでもどこでも零秒で駆けつける。そのこともAAサーバーに記載されている。
「『グレープの約束』を使う! 私を守って、AA!」
「それはできません、私はどなたの味方でもありませんので。あと、その『グレープの約束』というのは何ですか?」
「適当!」
これは交戦に備えて理李が考案したブラフ、「グレープの約束」というワードは口から出まかせだ。
AAは完全な中立である。話すことは出来ても戦いに干渉することはない。だが呼べば一瞬で来るし命令するフリくらいはできる。だからAAが自分と共闘しているかのように命じることで、一回限りで相手を怯ませることくらいはできるかもしれない。
実際、切華は警戒することを選んだ。自分が知らない約束か何かによってAAが花梨を守って反撃する可能性を考慮し、攻撃を中断して後ろに飛んで構えた。
もちろん切華だってAAが中立であることは知っているが、それでも自信満々かつ具体的に命令する花梨を見て万が一の可能性を考えた。AAは聞けば何でも答えるが、それは裏を返せば聞かれないことは答えないということでもあるのだ。
その隙に花梨は廊下を走り出した。走る花梨の隣でAAが飛びながら顎を抑える。
「なるほど、逃走に私を利用するとは考えましたね。しかし間接的とはいえ、特定の誰かに加担することは本意ではありません」
「でもペナルティとかは無いでしょ? だってAAはただ不手際を処理する責任者ってだけで、ゲームのルールを決めるGMとかじゃないからさ」
「仰る通りです。今までは『AAは中立である』としか伝えていませんでしたが、もっと具体的に『戦闘を含むあらゆる状況でAAが誰かの味方をすることは絶対にない』旨を共有しておきます」
「いいと思うよ」
階段を二段飛ばしで駆け上がる。思った通り、切華との距離が縮まることはない。
女神曰く、転移者の基礎ステータスは人類の上限くらいまで引き上げられる。昨日、花梨と理李で腕相撲やかけっこをして比べたところ、二人のパワーやスピードは判で押したように同じになっていた。ならば転移候補のステータスは上限で揃えられていると考えるのが妥当だろう。相手がそれに特化したチート能力でも持っていない限り、逃げの一手で追い付かれることはない。
切華は『創造』を発動せずに素手のまま花梨を追ってきていた。自由に刀を出し入れできる『創造』なら切るときだけ刀を出せば間に合う。院内で刀を構えて走っていれば警察沙汰だが、女子高生が追いかけっこをしているくらいなら痴情のもつれか悪ふざけで済む。
姉の病室は二階通路奥の個室だ。驚く医師や患者たちに内心で謝りつつ、廊下を全力疾走する。これで再びの出入り禁止は免れないだろうが、それはそれで構わない。花梨がこの病院に来ることはもう二度とないから。
姉を蘇生すれば自分の勝ちだ。花梨は心の底からそう信じて疑っていなかった。
いま妹が困っていて、姉が蘇る。だったら姉が全てを解決するに決まっている。手段なんて考える必要はない。姉とはそういう存在なのだ。
「お姉ちゃん!」
病室の扉を開け放って駆け込んだ。消毒臭が鼻に染みる。
姉は記憶にあるままの姿で真っ白いベッドに横たわっていた。ベッドを取り囲んだたくさんの計器が電子音を立てている。患者衣の下の身体は痩せこけていて痛々しい。腕には無数の点滴が差し込まれ、口元は酸素マスクで覆われている。堅く閉じた目はもう二度と開かないと宣告されていた。
感慨に耽っている時間はない。ベッドに走り寄り、花梨は姉の身体に手をかざした。
「『蘇生』!」
チート能力『蘇生』が発動する。花梨の身体全体が薄く光り、超越的な輝きが姉の身体を包んだ。
姉が薄く目を開き、花梨は叫ぶ。
「助けてお姉ちゃん! えっと、とりあえずこの場を切り抜けて!」
「任されました」
一つ微笑み、ベッドの上に立ち上がったのはもう痩せこけた病人ではなかった。
気力に満ちたしなやかな身体。美しく雄々しく、全てを成す祝福された者の覇気が辛気臭い空間を吹き飛ばす。
いまや彼女が部屋を支配する位に即いていた。ついさっきまで彼女を守り見張っていた周囲の全ては、もはや彼女を彩る従者でしかない。
「これが『蘇生』か……!」
続いて駆け込んできた切華はその姿を見て僅かに目を見開くが、一旦無視して花梨に向かって一直線に距離を詰める。
切華が戦う相手はあくまでも転移候補だけだ。チート能力で蘇ったとはいえ、蘇生者は異世界転移とは無関係な一般人に過ぎない。
しかし、切華の行く手を鉄の棒が遮った。患者衣から鞭のように伸びた手が傍らの点滴台を掴み、目にも止まらぬスピードで切華の足元を殴り飛ばす。腕に付いたチューブが全て千切れ飛んで薬液が飛び散った。
「なっ……」
意識外からの妨害。まさか花梨ではなく蘇生したばかりの病人が攻撃してくるとは夢にも思わず、切華は前につんのめる。
その浮いた身体を長い腕が絡めとった。駄目押しで足払いをかけて襟を掴み、前に転ぶ勢いの上に強烈な遠心力を乗せる。宙を泳ぐ身体が思い切り前傾する。
「せいやっ!」
気合一発、鮮やかな一本背負いが叩き込まれた。
投げた先には病室の大きな窓ガラス。切華の身体は凄まじい勢いで窓に叩きつけられ、そのままガラスを割って外に放り出された。
「お姉ちゃーん!」
花梨は姉に向かってダイブした。そのままベッドの上に転がるが、姉は全く動じることなく受け止めてくれる。
待ち望んでいた夢そのものだ。誰よりも強く、他の何からも花梨を守ってくれる姉の復活。異世界転移で叶えたかった花梨の全てがもう目の前で実現してしまっている。
姉は花梨の頭を軽く撫でると、その肩越しに意外な人物に向けて意外な言葉を発した。
「あら、AAですか? 久しぶりですね。二度も会うことはないと思っていましたが」
「あなたは……まさか、姫裏様ですか?」
「ええ。よく覚えていてくれましたね」
廿楽姫裏は天使に対してさえも超然と向き合う。逆にAAが僅かに眉を上げ、珍しく驚きを顔に示していた。
「知り合いなの?」
「姫裏様は一年前の異世界転移者です。一年前にも別の街で今回と同じリクルートがあり、そのときは特に不手際もなくチート能力を与えて転移が完了しました」
「それって、お姉ちゃんが昏睡してたのは転移してたからってこと?」
「そうです。転移とは魂の移動であり、そして異世界に転移した魂が『蘇生』で戻ってくるのも不自然なことではありません。蘇生とは現世に魂を呼び戻す術ですから、本来であれば死後から魂を戻すところが、異世界に飛んでいた魂を戻したのでしょう。実際、この世界においてはどちらも等しく蘇生と表現できる事象です」
「花梨のチート能力は『蘇生』なのですね。詳しく聞かせてもらえますか?」
「もちろん!」
花梨はかいつまんで事情を話した。温かい腕の中で夢見心地になりながら。
花梨が異世界転移を目指して自殺したこと、全部で転移候補が十二人いること、そして知っている限りでの全員の能力。しかし女神側の不手際により三人しか転移できず、そのために今殺伐とした状況になっていること。
だが、事態が切迫しているという認識はもう全くなかった。姫裏がいればあとはもうどうにでもなる。実際、姫裏はあの切華でさえも全く相手にもしなかった。これからもきっと全てを良いように運んでくれるだろう。
姫裏はニコニコと微笑んだまま、時折相槌を打って花梨の話を聞いていた。かつて家でずっとそうしていたように。
花梨の話がひと段落したあと、姫裏は「ところで」と手を軽く叩いて口を開いた。
「花梨は覚えていますか? あなたが生まれたときにわたくしが誓ったこと。『この命尽きるまであなたを絶対に守る』という誓いを」
それは姫裏の口癖だった。芝居がかった言い回しではあったが、早逝した両親に代わって実際に全てをその通りに遂行してきたのだ。
「うん、もちろん。だから異世界でも私と一緒に……」
「それはできません。だって、この命は一度尽きましたから。あなたを守る誓いはその時点で失効していますよね?」
姫裏はパッと腕を開いた。花梨の身体が胸から解放されてベッドにぽすんと落ちた。
「わたくしのチート能力は『契約』。自ら背負った責務を完璧に履行すること、それが今も昔も変わらぬわたくしの願いです。かつてわたくしはこの命尽きるまであなたを守る責務を自らに課しましたが、AAが言うように魂が現世から離れたことは現世で命が消尽したことと同じでしょう。責務の履行に係る前提が外れた今、あなたに力を貸す理由がありません。では、ごきげんよう」
そう言い残し、姫裏は割れた窓からひらりと飛び降りた。呆然とする花梨を残して。
「AA!」
「はい」
呼びかけに応じてAAが目の前に現れた。
AAの出現は空間を切り貼りするように一瞬だ。天使の聴域展開と概念翼によって、転移候補が呼べばAAはいつでもどこでも零秒で駆けつける。そのこともAAサーバーに記載されている。
「『グレープの約束』を使う! 私を守って、AA!」
「それはできません、私はどなたの味方でもありませんので。あと、その『グレープの約束』というのは何ですか?」
「適当!」
これは交戦に備えて理李が考案したブラフ、「グレープの約束」というワードは口から出まかせだ。
AAは完全な中立である。話すことは出来ても戦いに干渉することはない。だが呼べば一瞬で来るし命令するフリくらいはできる。だからAAが自分と共闘しているかのように命じることで、一回限りで相手を怯ませることくらいはできるかもしれない。
実際、切華は警戒することを選んだ。自分が知らない約束か何かによってAAが花梨を守って反撃する可能性を考慮し、攻撃を中断して後ろに飛んで構えた。
もちろん切華だってAAが中立であることは知っているが、それでも自信満々かつ具体的に命令する花梨を見て万が一の可能性を考えた。AAは聞けば何でも答えるが、それは裏を返せば聞かれないことは答えないということでもあるのだ。
その隙に花梨は廊下を走り出した。走る花梨の隣でAAが飛びながら顎を抑える。
「なるほど、逃走に私を利用するとは考えましたね。しかし間接的とはいえ、特定の誰かに加担することは本意ではありません」
「でもペナルティとかは無いでしょ? だってAAはただ不手際を処理する責任者ってだけで、ゲームのルールを決めるGMとかじゃないからさ」
「仰る通りです。今までは『AAは中立である』としか伝えていませんでしたが、もっと具体的に『戦闘を含むあらゆる状況でAAが誰かの味方をすることは絶対にない』旨を共有しておきます」
「いいと思うよ」
階段を二段飛ばしで駆け上がる。思った通り、切華との距離が縮まることはない。
女神曰く、転移者の基礎ステータスは人類の上限くらいまで引き上げられる。昨日、花梨と理李で腕相撲やかけっこをして比べたところ、二人のパワーやスピードは判で押したように同じになっていた。ならば転移候補のステータスは上限で揃えられていると考えるのが妥当だろう。相手がそれに特化したチート能力でも持っていない限り、逃げの一手で追い付かれることはない。
切華は『創造』を発動せずに素手のまま花梨を追ってきていた。自由に刀を出し入れできる『創造』なら切るときだけ刀を出せば間に合う。院内で刀を構えて走っていれば警察沙汰だが、女子高生が追いかけっこをしているくらいなら痴情のもつれか悪ふざけで済む。
姉の病室は二階通路奥の個室だ。驚く医師や患者たちに内心で謝りつつ、廊下を全力疾走する。これで再びの出入り禁止は免れないだろうが、それはそれで構わない。花梨がこの病院に来ることはもう二度とないから。
姉を蘇生すれば自分の勝ちだ。花梨は心の底からそう信じて疑っていなかった。
いま妹が困っていて、姉が蘇る。だったら姉が全てを解決するに決まっている。手段なんて考える必要はない。姉とはそういう存在なのだ。
「お姉ちゃん!」
病室の扉を開け放って駆け込んだ。消毒臭が鼻に染みる。
姉は記憶にあるままの姿で真っ白いベッドに横たわっていた。ベッドを取り囲んだたくさんの計器が電子音を立てている。患者衣の下の身体は痩せこけていて痛々しい。腕には無数の点滴が差し込まれ、口元は酸素マスクで覆われている。堅く閉じた目はもう二度と開かないと宣告されていた。
感慨に耽っている時間はない。ベッドに走り寄り、花梨は姉の身体に手をかざした。
「『蘇生』!」
チート能力『蘇生』が発動する。花梨の身体全体が薄く光り、超越的な輝きが姉の身体を包んだ。
姉が薄く目を開き、花梨は叫ぶ。
「助けてお姉ちゃん! えっと、とりあえずこの場を切り抜けて!」
「任されました」
一つ微笑み、ベッドの上に立ち上がったのはもう痩せこけた病人ではなかった。
気力に満ちたしなやかな身体。美しく雄々しく、全てを成す祝福された者の覇気が辛気臭い空間を吹き飛ばす。
いまや彼女が部屋を支配する位に即いていた。ついさっきまで彼女を守り見張っていた周囲の全ては、もはや彼女を彩る従者でしかない。
「これが『蘇生』か……!」
続いて駆け込んできた切華はその姿を見て僅かに目を見開くが、一旦無視して花梨に向かって一直線に距離を詰める。
切華が戦う相手はあくまでも転移候補だけだ。チート能力で蘇ったとはいえ、蘇生者は異世界転移とは無関係な一般人に過ぎない。
しかし、切華の行く手を鉄の棒が遮った。患者衣から鞭のように伸びた手が傍らの点滴台を掴み、目にも止まらぬスピードで切華の足元を殴り飛ばす。腕に付いたチューブが全て千切れ飛んで薬液が飛び散った。
「なっ……」
意識外からの妨害。まさか花梨ではなく蘇生したばかりの病人が攻撃してくるとは夢にも思わず、切華は前につんのめる。
その浮いた身体を長い腕が絡めとった。駄目押しで足払いをかけて襟を掴み、前に転ぶ勢いの上に強烈な遠心力を乗せる。宙を泳ぐ身体が思い切り前傾する。
「せいやっ!」
気合一発、鮮やかな一本背負いが叩き込まれた。
投げた先には病室の大きな窓ガラス。切華の身体は凄まじい勢いで窓に叩きつけられ、そのままガラスを割って外に放り出された。
「お姉ちゃーん!」
花梨は姉に向かってダイブした。そのままベッドの上に転がるが、姉は全く動じることなく受け止めてくれる。
待ち望んでいた夢そのものだ。誰よりも強く、他の何からも花梨を守ってくれる姉の復活。異世界転移で叶えたかった花梨の全てがもう目の前で実現してしまっている。
姉は花梨の頭を軽く撫でると、その肩越しに意外な人物に向けて意外な言葉を発した。
「あら、AAですか? 久しぶりですね。二度も会うことはないと思っていましたが」
「あなたは……まさか、姫裏様ですか?」
「ええ。よく覚えていてくれましたね」
廿楽姫裏は天使に対してさえも超然と向き合う。逆にAAが僅かに眉を上げ、珍しく驚きを顔に示していた。
「知り合いなの?」
「姫裏様は一年前の異世界転移者です。一年前にも別の街で今回と同じリクルートがあり、そのときは特に不手際もなくチート能力を与えて転移が完了しました」
「それって、お姉ちゃんが昏睡してたのは転移してたからってこと?」
「そうです。転移とは魂の移動であり、そして異世界に転移した魂が『蘇生』で戻ってくるのも不自然なことではありません。蘇生とは現世に魂を呼び戻す術ですから、本来であれば死後から魂を戻すところが、異世界に飛んでいた魂を戻したのでしょう。実際、この世界においてはどちらも等しく蘇生と表現できる事象です」
「花梨のチート能力は『蘇生』なのですね。詳しく聞かせてもらえますか?」
「もちろん!」
花梨はかいつまんで事情を話した。温かい腕の中で夢見心地になりながら。
花梨が異世界転移を目指して自殺したこと、全部で転移候補が十二人いること、そして知っている限りでの全員の能力。しかし女神側の不手際により三人しか転移できず、そのために今殺伐とした状況になっていること。
だが、事態が切迫しているという認識はもう全くなかった。姫裏がいればあとはもうどうにでもなる。実際、姫裏はあの切華でさえも全く相手にもしなかった。これからもきっと全てを良いように運んでくれるだろう。
姫裏はニコニコと微笑んだまま、時折相槌を打って花梨の話を聞いていた。かつて家でずっとそうしていたように。
花梨の話がひと段落したあと、姫裏は「ところで」と手を軽く叩いて口を開いた。
「花梨は覚えていますか? あなたが生まれたときにわたくしが誓ったこと。『この命尽きるまであなたを絶対に守る』という誓いを」
それは姫裏の口癖だった。芝居がかった言い回しではあったが、早逝した両親に代わって実際に全てをその通りに遂行してきたのだ。
「うん、もちろん。だから異世界でも私と一緒に……」
「それはできません。だって、この命は一度尽きましたから。あなたを守る誓いはその時点で失効していますよね?」
姫裏はパッと腕を開いた。花梨の身体が胸から解放されてベッドにぽすんと落ちた。
「わたくしのチート能力は『契約』。自ら背負った責務を完璧に履行すること、それが今も昔も変わらぬわたくしの願いです。かつてわたくしはこの命尽きるまであなたを守る責務を自らに課しましたが、AAが言うように魂が現世から離れたことは現世で命が消尽したことと同じでしょう。責務の履行に係る前提が外れた今、あなたに力を貸す理由がありません。では、ごきげんよう」
そう言い残し、姫裏は割れた窓からひらりと飛び降りた。呆然とする花梨を残して。
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