遺言写師はかく語りき

猫野

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本編

最終話 誓い

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 リオネルが目を覚ましたとき、最初に感じたのは柔らかい光だった。薄く瞼を開くが、王都の明るい陽射しに目が慣れず、数度瞬きする。
 無意識に隣の温もりへと身を寄せると、衣擦れの音とともに、低い声が耳元で囁いた。

「おはようございます」

 はっと顔を上げると、セドリックの柔らかな微笑みがすぐ目の前にあった。その瞬間、リオネルの意識が一気に覚醒した。

「……おはよう、ございます」

 反射的に返事をする。声がひどく掠れていた。リオネルは小さく咳払いをする。

「どうぞ」

 上体を起こしたセドリックは、水を注いだコップを差し出した。

「ありがとうございます」

 リオネルもまた上体を起こし、両手で受け取ったコップに口をつけた。冷たい水が喉を潤す。ゆっくりと水を含んでいると、セドリックが肩にそっと毛布をかけてくれた。
 そこでようやく、自分自身が裸であることに気がついた。下着すら身につけていない。
 昨夜の出来事が夢ではなかったのだと実感し、じわじわと顔に熱が集まっていくのを感じた。

 空になったコップを回収され、手持ち無沙汰になったリオネルは、毛布を掴み、蓑虫みのむしのように身をくるめた。

「体の調子はいかがですか?」
「はい……大丈夫です……」

 喉が痛い以外は、むしろよく眠れたおかげで心なしが調子が良かった。眠っている間に首も手当してもらったようで、昨日あれほどチョーカーが作動したわりには痛みが少ない。

「セドリックさんは、お怪我の具合は?」

 ガーゼには血の滲んだ跡は見えないが、思えば、昨夜は怪我人にさせるべきではないことをさせてしまった。
 傷口が開いていないだろうか。リオネルは心配そうに、セドリックの手を取った。

「ん? ああ……はは、忘れていたくらいです。なにも問題ありませんよ」
「そうですか……よかった」

 リオネルがほっと息を吐くと、セドリックはその上から右手を重ねた。

「リオネルさんは、手が冷たいですね」
「……朝は、手足が冷えやすくて。セドリックさんの手は温かいですね」
「ええ。私の手で良ければ、使ってください」

 セドリックの無骨な手が、リオネルの手のひらをさする。
 本当に温かくて、心地が良い。リオネルは思わず、ふふっと笑みを溢した。

「あの、リオネルさん」
「? はい」

 居住まいを正したセドリックを見て、リオネルは小さく首を傾げた。

「昨夜はきちんとご説明ができず、順序が逆になってしまいましたが――婚姻を前提に、私をあなたの恋人にしていただけないでしょうか」

 思いもよらぬ提案に、リオネルは目を見開く。

「こ、婚姻……?」
「はい。恥ずかしながら、無知でしたので調べました。名告げ人は他人のいる場での装置の着用を義務付けられていますが、家族の場合、その限りではないと」

 その通りだ。だがそれには、家族からの了承が必要だ。リオネルが実家で常にチョーカーを着けていたのは、当然のようにそれを許されなかったからだ。
 それに、〝婚姻〟という契約は、リオネルにとって降って湧いたような、あまりにも現実味がないものだった。

「それは、そうですが……」
「本当は、この先一度だって、あなたにその装置を着けさせたくありません。しかし、私にはその力がない。……ですから、せめて私の前では、後ろめたい思いなく、堂々と自由になって欲しいのです」

 セドリックの力強い眼差しに射抜かれ、リオネルは思わず呼吸を止めた。
 自分のことをそこまで真剣に、大切にしようとしてくれる人は、これまでいなかった。胸の内で、喜びと困惑がせめぎ合う。
 
「……なんだか、私の身に余ることで……」

 震える声でそう呟き、俯いたリオネルを、セドリックはしずやかな目で見つめた。絡めた指を口元へと引き寄せ、口づける。

「あなたには自由が相応しいことを、私が証明してみせます」

 リオネルの翡翠色の瞳が揺れた。やがて消え入りそうな声で「はい」とだけ答えた。

 窓辺から真っ直ぐ伸びた光が、二人を貫くように照らしている。剣も持たず、隊服も着崩れたままだというのに、その姿はまるで、騎士の誓いのようだった。





 ◇





 窓を軽くノックするこつんという音に、リオネルは本に落としていた視線を上げた。
 季節は冬。この時期のノースクレストは雪深く、寒さもひときわ厳しい。窓の外には真っ白な雪景色が広がっている。幻想的ではあるが、リオネルにとっては見慣れた光景だった。
 その雪景色を背に、コートを着込んだセドリックが窓に顔を近づけていた。

「……セドリックさん? ふふ、どうしたんだろ」

 セドリックは両手に紙袋を抱えていた。買い物に立ち寄ったのだろう。紙袋からはバゲットが飛び出している。
 窓に近づくと、セドリックは笑みを浮かべた。「開けて」と唇の形で伝え、親指で玄関を指すジェスチャーをした。

 この日は、セドリックが昼頃に訪れる予定になっていた。時刻は午前十時。約束の時間より少し早い。
 思いがけぬサプライズに、胸が弾む。リオネルははやる気持ちを抑え、玄関の扉を開けた。

「おはようございます、リオネルさん」

 そう言いながら、セドリックは笑顔で背を屈めた。リオネルも顔を寄せ、唇を重ねる。軽い音を立て、すぐに離れた。
 
「いらっしゃい。早かったですね……?」

 最初こそ戸惑いがあったこの行為も、今では体が自然に応じる。
 恋人同士の挨拶なのだからと当然のようにさらりと振る舞うセドリックだったが、リオネルにとってはそうではない。関係が冷え切っていた両親や兄夫婦はそんなことは決してしないし、リオネル自身、恋人ができたのはこれが初めてだ。
 恋人同士とはどういうものか。すべてセドリックが教えてくれた。
 
「ええ、雪に慣れた馬だったようで、思っていたよりも早く着きました」

 会話を続けながら事務所を通り抜け、階段を上って私室へ入る。勝手知ったる様子でダイニングテーブルに紙袋を置くセドリックは、もうすでに何度もこの部屋に訪れていた。

「ありがとうございます。雪で外に出るのも億劫なので、助かります」

 紙袋の中には、じゃがいもや玉ねぎ、ビーツなど、保存の利く食材が詰められている。冬の蓄えとして用意してくれたのだろう。

「とんでもない。いつも美味しい食事をご馳走になっていますから、これでも足りないくらいです」
「ふふ」

 リオネルが小さく微笑む。セドリックもまた、コートを掛けながら、柔らかな笑みを浮かべた。
 中央区から、こうして足繁く通ってくれるセドリックに、リオネルはできる限り報いたかった。
 だから、タイミングさえ合えば手料理を振る舞うことにしていた。「美味しくなあれ」と呟いて、セドリックの無事を祈る。決して強い言霊ではない。だが、せめておまじないくらいにはなるようにと願って。

「今日はもう準備を始めてしまいましたか?」
「いえ、ちょうどこれから始めようと思っていたところで……」
「ああ、それならちょうどよかった。もしよろしければ、本日はキッチンを私に貸していただけませんか」
「え? それは構いませんが……」

 リオネルは、不思議そうに小さく首を傾げた。

 「今日は私に振る舞わせてください。リオネルさんには及びませんが、こう見えて得意料理がありまして」
「……へ?」

 腕まくりをするセドリックを、リオネルは目を丸くして見つめた。
 爵位を持つ家柄の男が料理をするなんて。半ば家を追い出されるように独り立ちしたリオネルのほうが例外なのだ。まして男爵家の長男であるセドリックが、キッチンに立つ姿など想像もつかない。

「ふっ、驚かれていますね。……ここに来るたびに、リオネルさんの様々な表情が拝見できて嬉しいです」

 見守るような視線を向けられ、リオネルはくすぐったいような気持ちになって俯いた。
 表情に出過ぎていただろうか。セドリックと過ごすようになってから、彼から様々な感情を教わった。会えない間の恋しさや、切なさ。彼をもっと知りたいという欲望は、底なし沼のように尽きることがない。ふとしたときに向けられる眼差しが愛おしくて、叫びたくなることもある。
 こんな感情が自分の中にあるなんて。

「うちでは、特別な日には当主がシチューを振る舞う習慣がありまして。私も父に仕込まれました」
「……素敵ですね」
「――リオネルさん」

 ふと改まった声で名を呼ばれ、顔を上げる。穏やかなライラックの瞳に、吸い込まれそうになる。
 紙袋の中で野菜が崩れ、がさりと小さく音を立てた。

「私と一緒に、暮らしませんか」

 リオネルは息を呑み、呼吸を止めた。それは、会えない間に何度も思い描いていた未来だった。

「ノースクレストは、あなたに会えると思えばあっという間の距離ですが、会えない間にあなたを想うには、少し遠い。次の辞令で希望を出せば、こちらへ赴任することもできます。ですから――」
「私っ……私、中央に行きます」

 考えるより先に、言葉が口から飛び出た。
 
「今すぐにでも、セドリックさんと暮らしたい……待つなんて嫌です」

 リオネルの珍しく強い主張に、セドリックは思わず目を見開いた。しかしすぐに、くしゃりと表情を崩して笑った。

「ええ、喜んで」

 ノースクレストの冬は寒い。窓の外の雪はやがてまばらになり、雲間から射す光を受けてきらきらと輝いていた。
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