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αの男の正体

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 そうしたやり取りから、二時間が経った今。
 伯爵家の正装を身に纏った父とエヴァンの二人は、王城の謁見の間で片膝をつき頭を垂れていた。

 何がどうなって、自分はここにいるのか。
 エヴァンは、未だにさっぱりわからない。
 王城へ向かう途中の馬車の中でも、父は何の説明もしてくれなかった。

「王が参られます」

 謁見の間には、エヴァンがΩである事が考慮されているのか、玉座の両脇にそれぞれ立つ宰相と王を守る役目の騎士以外は、誰も居ない状態だ。
 特に宰相は、頭を下げていてもわかるくらいにエヴァンを鋭く睨み付けている様子で、居たたまれない。
 どう考えても、歓迎されていなかった。

 玉座へ直接続く入り口を守っていた騎士が、扉の向こう側から端的に一言そう発した後、暫く場が静寂に包まれる。
 衣擦れの音と、小さな足音。
 登城を許される伯爵家の生まれだとしても、Ωのエヴァンは一生見ることの無いはずだった玉座に王が腰掛ける音が、やけに大きく響いた。

「面を上げよ」

 静寂の中、心地よく通る声がエヴァンと父に発した言葉は、この環境下ではごく当然と言えば当然の命令だったが、エヴァンの身体はビクリと跳ねた。
 それは、緊張から来るものではない。
 もちろん緊張はもの凄くしていたが、それ以上にその声が最近聞いたばかりで、そして二度と聞く事はないはずだった、忘れる事の出来ない声だったから。

 信じられなくて動けないでいるエヴァンの背中を、そっと父が叩く。
 促されてのろのろと顔を上げたその正面には、十日前エヴァンを救ってくれたあのαの男が、優しい微笑みを浮かべていた。

「この度は、我が王に拝謁賜り恐悦至極に存じます。不肖の息子をかような場にお招き下さり、感謝申し上げます」
「良く来てくれた。アルトー卿、無理を言ってすまなかったね」
「いえ、とんでもございません」

 エヴァンが屋敷に戻った際、父が驚くほどうろたえていた理由がやっとわかった。
 騎士団長である父は、エヴァンを抱いて現れたαの男が、この国の王である事を知っていたのだ。

「まずは、自己紹介をしようか。私はアレクシス・ド・ウィンテール。あの夜君は、最後まで私の名前さえ聞いてくれなかったけれど……何者かはわかるよね?」

 にこりと笑顔を崩さないままだったが、それでもどこかエヴァンを責めるというより拗ねた様子に思える口調で名乗ったそれは、まごうことなくこの国の王の名だった。

 どんなに身分が高くても、後宮に一人で入ることの出来る貴族なんて居るはずがないと、どうしてあの時気付かなかったのだろう。
 突然のヒートで気が動転していたとは言え、一番あり得る選択肢を捨て、一瞬でも王であるアレクシスを盗賊の類いかもしれないとさえ疑った自分が情けない。

「はい。我が王……俺、いえ私はアルトー家次男、エヴァン・アルトーと申します。先日は大変なご無礼を……」

 もう、どう詫びたら良いのかわからない。
 知らなかったとはいえ、エヴァンは一国の王をヒートに巻き込んで、この身を抱かせたのだ。
 せめて王妃候補達のように、可愛らしい女性だったらアレクシスの慰めにもなったかもしれない。
 けれどエヴァンの身体では、何の面白味もなかったはずだ。
 ただ熱を沈める為、アレクシスに奉仕させただけではないのか。

 この場に呼ばれた理由は、きっとエヴァンの不敬による処刑を宣言する為に違いない。
 アレクシスが声を発する為に息を吸い込んだのを見て、覚悟を決めてぎゅっと目を閉じたエヴァンの耳に、次の瞬間思いも寄らない言葉が響いた。

「アルトー卿、突然だがご子息のエヴァンを、我が妃に貰い受けたい」
「「…………はぁ!?」」

 てっきり、死刑宣告だと思っていた。
 首を落とされるのか、はたまた民衆に晒される絞首刑か、腹を串刺しかもしれない。
 エヴァンはΩであるから、代わる代わるレイプされ国にとって有益となるαを死ぬまで産まされ続ける、という刑もあり得る。

 色んな死に方を想像していたエヴァンにもたらされた宣告は、予想外を通り越し過ぎていて、全くその意味を理解出来なかった。
 それは、流石の父も同じだった様で、数秒沈黙が流れた後、親子の叫びは見事にハモって大きく響き渡った。

 きっとここに母がいたら「仲良し親子ねぇ」と笑ったかもしれないが、残念ながらここは王城の謁見の間で、空気が穏やかになる要素は微塵もない。
 最初からずっとエヴァンを睨み付けていた宰相は頭を抱えているし、無表情を貫かねばならないはずの騎士も、僅かに目を見開いて表情が出てしまっている。

「お言葉を繰り返させてしまい、大変申し訳ございません……あの……我が王のお望みは、ここに居る我が子エヴァンで、間違いないのでしょうか?」
「あぁ。騎士団長アルトー卿の次男、エヴァン・アルトーを私は望む。彼は私の、運命だ」

 流石に騎士団長という地位に就いているのは伊達ではない様で、父はすぐに気を取り直し、アレクシスに対して恐る恐る丁寧に、再確認を取った。
 父の言葉に気を悪くした素振りもなく、驚くのも無理はないと王に対して同じ質問をする不敬を不問にするように、アレクシスは再びしっかりと頷いてみせる。

 そしてあの夜、エヴァンに告げたのと同じ言葉を、はっきりと口にした。
 ヒートに巻き込まれて、ただ熱に浮かされていただけかもしれないあの時の状況とは違い、ちゃんと冷静になっても尚、アレクシスはエヴァンを運命だと言い切っている。

「……王が長年ずっと探し求めておられた運命、それがエヴァンだと? そんな事が……本当に……?」
「私も、この出会いは奇跡だと思う」

 父はその言葉を受け、驚いた様子で何かを探る様にアレクシスを見上げた。
 アレクシスはその父を真っ直ぐ見つめ返して、嬉しそうに笑う。

「畏まりました、我が王のお望みのままに」
「父上!?」

 アレクシスの揺るぎない言葉に納得した様に、父は恭しく頭を下げた。
 父がそう簡単に、この訳のわからない事態を受入れるとは思ってもいなかったから、思わず王であるアレクシスの前だというのに声を上げてしまい、父に睨まれる。

 だがエヴァンからすれば、今の状況は天変地異の最中に居るのと何ら変わらない。
 大人しく全てを受入れる事など、出来るはずがなかった。

「感謝する、アルトー卿」
「身に余る光栄でございます」
「ま、待って……」

 アレクシスと父との間で、どんどん話が先に進んでいこうとしていた。
 為す術無く、止める手立てを思いつくどころか、止めて良いのかさえもわからなくなる。
 誰に助けを求められるでもなく、おろおろと視線を彷徨わせていると、アレクシスが玉座から立ち上がってゆっくりとエヴァンに近付いてきた。

 咄嗟に父共々頭を下げると、そっとアレクシスに手を取られ、立ち上がるように促される。
 導かれるまま立ち上がり、あの夜と同じく頭一つ分の差を恐る恐る見上げると、熱を帯びていない美しい碧眼は真剣そのもので、決して冗談や軽い気持ちで言っているのではない事がわかってしまった。

「エヴァン、君一人だけを生涯愛すると誓うよ。だから、一生私の傍に居て欲しい」
「王……」
「どうか嫌だと言わないでくれ。君に拒否されたら、私は何をしてしまうかわからない」

 「このまま閉じ込めて、二度と家族の元に返してやれなくなるかも」そう耳元で囁く声は、優しかったが本気だった。
 番に対するαの執着心は、際限がないと言う。
 父も母を決して屋敷から出そうとはしないし、母もそれを受入れているから、何となくそれが簡単に束縛とは言い切れない番同士の愛情だという事はわかる。

 だがアレクシスとエヴァンは、番の契約を交していない。
 あの日は最後まで、エヴァンがそれを拒んだから。
 それなのにもうその片鱗は、激しくエヴァンを絡め取ろうとしていた。

 王である以上、アレクシスがたった一人に愛を誓って良いはずがない。
 正式な王妃は一人でも、次の王となる子を成す為にも側妃は多い方が良いはずだ。
 何よりΩとは言え、男性を妃にした王など聞いた事がない。
 それなのにアレクシスは、真っ直ぐにエヴァンだけを望んでくれている。
 嬉しくないはずが、ない。

「本当に、私でいいのですか? 後悔はしませんか?」
「もちろんだ」
「運命、だからですか?」
「それ以上に、エヴァンだからだよ」

 そっと手が添えられた頬に、熱が宿った。
 ヒートは終わったばかりのはずなのに、アレクシスに触れられて喜びが溢れる。

 本当はわかっていた。
 今までと違う、誰にも抱いたことのなかった感情が湧き出る。傍にいるだけで、幸福感が溢れる。
 アレクシスこそが、エヴァンの運命なのだと。

「我が王の助けになれる様に、精一杯努力致します。末永く、よろしくお願い申し上げます」

 言い終わると同時に、エヴァンはアレクシスの腕の中に抱きしめられていた。
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