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匂い立つ香りは誰がためⅡ
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言葉には霊力が宿る。
言霊って聞いたことがあるけれど、これがそうなのかもしれない。この人の言葉には従わせる何かがある。そう思うのはわたしだけなのだろうか。
逆らえない。
わたしは確かに約束した。
「はい」
結愛が返事をすると、
「よかった。忘れていたら、どうしようかと思っちゃった」
無邪気な声が降ってきた。
結愛はずっと抱きしめられていて、羽琉矢の表情まで見えない。声だけを聞けばまだ少年のようだった。
お願いって、何をお願いされるんだろう?
安易に約束するべきじゃなかった。
今頃、後悔しても遅い。最後だと言われた言葉に惑わされて、返事をしてしまったのは結愛だ。
けれど警察を盾に、分かっていて退路を断つような真似をしたのは羽琉矢だ。
恨みごとの一つも言いたいが、不法侵入してしまったのは結愛自身。警察を呼ばれないだけましだと思うしかない。
羽琉矢に頭と腰を押さえられ、拘束されていては逃げ出すことも叶わない。
普通の人間なのに、どこにでもいる普通の女の子なのに。
用事が済んだのなら、さっさと屋敷から追い出せばいいのに。執着される理由が分からない。
それとも、からかって遊んでいるの? だとしたら、悲しい。
羽琉矢の腕を振り解く力がない自分が悔しい。
どうかお願いが無茶な要求でありませんように、祈るしかない。
「結愛。お願いの前に聞きたいことがあるんだけど」
「?」
「結愛はどこから入ってきたの?」
どこから?
決死の覚悟をしていたところに、思いもかけないことを聞かれて、気が抜けてしまった。
おかしなことをいう。どこからって決まっているのに。
「門からです、けど」
「門は閉まっていたよね?」
「いいえ、半分くらい開いていました」
開いているなんておかしい。門はいつも閉ざしているし電動式で人力では開かない。泰雅が帰った後確認している。正常だった。
「そう、じゃあ閉め忘れたのかな? 開いていたからといって他人の家に無断で入ったりしないよね。何をしにきたの?」
そもそもの結愛が現れた理由。何の目的もなしに来たわけではないだろう。
人と一線を画す羽琉矢にとっては、招かざる客というのは迷惑でしかない。
高い塀に囲まれ厚い門を閉ざし、毎日来る者は通いの家政婦だけだ。裏に通用門があるからそこから出入りしている。
決して悪いことをしに来たわけではない。信じてくれるだろうか。
一瞬ためらったが、いわなければ疑われるだけだろう。正直に話した。
「香りを追ってきたんです」
「香り?」
羽琉矢は訝しげに眉を顰める。
「はい。道を歩いていたらとてもいい香りがしたので、どこからだろうって探していたら、ここに行き着いたんです」
それだけの為にここに来た?
声の様子からウソはついていないと思う。
開いていた門。
香りに誘われて来た?
まるで招かれるように?
まさか僕に会わせるために?
だったらこれは誰が意図したもの?
「で、見つかったの?」
「いえ、見つける前に……」
結愛は言い淀んだ。
彼女の心中を察して……
そうか、見つける前に僕が捕まえちゃったんだ。
「で、どんな香りなの?」
信じてくれた。
「甘くて、美味しそうな香りで……」
結愛は頭を抱えたくなった。
美味しそうって表現が、わたしって食いしん坊みたい。恥ずかしい。他に言葉はないの? もしも、正体が花だったりしたら。
「甘くて、美味しそうな香りって、どこからだろう?」
羽琉矢はぐるりとあたりを見回した。ここに住んで七、八年になるが、香りがする樹木にも花にも心当たりはない。
「繰り返さなくていいです」
結愛が不満げに小さな声で言った。他人から聞かされると、自分の表現力がとても恥ずかしい。
頬を赤く染めた結愛がかわいい。
「僕には香りなんてわからないし、心当たりもないんだけど、結愛、確かめてみる?」
腕がするりと解かれて身体が解放された。
やっと自由になったと思ったら、今度は手をつながれた。完全に離してくれる気はないらしい。
「あの、逃げませんけど……」
信用されていないの?
このまま逃げ出してしまうような卑怯な真似はしないのに。それにお願いも聞かなくては。まだ、果たしていない。
「うん。わかっているよ。これは僕のわがまま。好きにやっていることだから、気にしないで」
結愛に触れていたい。それだけだ。
気にしないでってにっこり笑って軽く言われても、あっ、指を絡められた。さっきよりも手の感触がはっきりとわかる。
大きい手、長い指。彼の手は少しごつごつしている。自分の手がとても小さく見えた。この手もしばらく離してもらえないのだろう。
ドキドキも通り越してしまう。
結愛は諦めた。
この人は何を言っても聞かなさそうな気がする。すごくマイペースな人。
「結愛?」
名前を呼ばれてはっとする。
ここに来た目的を忘れるところだった。
羽琉矢に捕まって、香りどころではなかった。
あれだけ香っていた匂いもどこへ隠れてしまったのか、すっかり消えていた。
わたしの錯覚だったの? そんなはずはない。
結愛は庭に視線を移した。
そして、目に留まったのは一本の桃の木。葉のない裸の枝に一つだけ実った桃の実だった。
言霊って聞いたことがあるけれど、これがそうなのかもしれない。この人の言葉には従わせる何かがある。そう思うのはわたしだけなのだろうか。
逆らえない。
わたしは確かに約束した。
「はい」
結愛が返事をすると、
「よかった。忘れていたら、どうしようかと思っちゃった」
無邪気な声が降ってきた。
結愛はずっと抱きしめられていて、羽琉矢の表情まで見えない。声だけを聞けばまだ少年のようだった。
お願いって、何をお願いされるんだろう?
安易に約束するべきじゃなかった。
今頃、後悔しても遅い。最後だと言われた言葉に惑わされて、返事をしてしまったのは結愛だ。
けれど警察を盾に、分かっていて退路を断つような真似をしたのは羽琉矢だ。
恨みごとの一つも言いたいが、不法侵入してしまったのは結愛自身。警察を呼ばれないだけましだと思うしかない。
羽琉矢に頭と腰を押さえられ、拘束されていては逃げ出すことも叶わない。
普通の人間なのに、どこにでもいる普通の女の子なのに。
用事が済んだのなら、さっさと屋敷から追い出せばいいのに。執着される理由が分からない。
それとも、からかって遊んでいるの? だとしたら、悲しい。
羽琉矢の腕を振り解く力がない自分が悔しい。
どうかお願いが無茶な要求でありませんように、祈るしかない。
「結愛。お願いの前に聞きたいことがあるんだけど」
「?」
「結愛はどこから入ってきたの?」
どこから?
決死の覚悟をしていたところに、思いもかけないことを聞かれて、気が抜けてしまった。
おかしなことをいう。どこからって決まっているのに。
「門からです、けど」
「門は閉まっていたよね?」
「いいえ、半分くらい開いていました」
開いているなんておかしい。門はいつも閉ざしているし電動式で人力では開かない。泰雅が帰った後確認している。正常だった。
「そう、じゃあ閉め忘れたのかな? 開いていたからといって他人の家に無断で入ったりしないよね。何をしにきたの?」
そもそもの結愛が現れた理由。何の目的もなしに来たわけではないだろう。
人と一線を画す羽琉矢にとっては、招かざる客というのは迷惑でしかない。
高い塀に囲まれ厚い門を閉ざし、毎日来る者は通いの家政婦だけだ。裏に通用門があるからそこから出入りしている。
決して悪いことをしに来たわけではない。信じてくれるだろうか。
一瞬ためらったが、いわなければ疑われるだけだろう。正直に話した。
「香りを追ってきたんです」
「香り?」
羽琉矢は訝しげに眉を顰める。
「はい。道を歩いていたらとてもいい香りがしたので、どこからだろうって探していたら、ここに行き着いたんです」
それだけの為にここに来た?
声の様子からウソはついていないと思う。
開いていた門。
香りに誘われて来た?
まるで招かれるように?
まさか僕に会わせるために?
だったらこれは誰が意図したもの?
「で、見つかったの?」
「いえ、見つける前に……」
結愛は言い淀んだ。
彼女の心中を察して……
そうか、見つける前に僕が捕まえちゃったんだ。
「で、どんな香りなの?」
信じてくれた。
「甘くて、美味しそうな香りで……」
結愛は頭を抱えたくなった。
美味しそうって表現が、わたしって食いしん坊みたい。恥ずかしい。他に言葉はないの? もしも、正体が花だったりしたら。
「甘くて、美味しそうな香りって、どこからだろう?」
羽琉矢はぐるりとあたりを見回した。ここに住んで七、八年になるが、香りがする樹木にも花にも心当たりはない。
「繰り返さなくていいです」
結愛が不満げに小さな声で言った。他人から聞かされると、自分の表現力がとても恥ずかしい。
頬を赤く染めた結愛がかわいい。
「僕には香りなんてわからないし、心当たりもないんだけど、結愛、確かめてみる?」
腕がするりと解かれて身体が解放された。
やっと自由になったと思ったら、今度は手をつながれた。完全に離してくれる気はないらしい。
「あの、逃げませんけど……」
信用されていないの?
このまま逃げ出してしまうような卑怯な真似はしないのに。それにお願いも聞かなくては。まだ、果たしていない。
「うん。わかっているよ。これは僕のわがまま。好きにやっていることだから、気にしないで」
結愛に触れていたい。それだけだ。
気にしないでってにっこり笑って軽く言われても、あっ、指を絡められた。さっきよりも手の感触がはっきりとわかる。
大きい手、長い指。彼の手は少しごつごつしている。自分の手がとても小さく見えた。この手もしばらく離してもらえないのだろう。
ドキドキも通り越してしまう。
結愛は諦めた。
この人は何を言っても聞かなさそうな気がする。すごくマイペースな人。
「結愛?」
名前を呼ばれてはっとする。
ここに来た目的を忘れるところだった。
羽琉矢に捕まって、香りどころではなかった。
あれだけ香っていた匂いもどこへ隠れてしまったのか、すっかり消えていた。
わたしの錯覚だったの? そんなはずはない。
結愛は庭に視線を移した。
そして、目に留まったのは一本の桃の木。葉のない裸の枝に一つだけ実った桃の実だった。
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