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4話
しおりを挟む翌朝。
登校した俺は、下駄箱の前で小さく息を吐いた。
俺の上履きがない。
典型的な嫌がらせだ。未来の記憶通りなら、この後俺は靴を探して右往左往し、そこに現れたくるみが「一緒に探してあげる」と手を差し伸べる。
そして「やっぱり透くんは私がいないとダメだね」と刷り込む――そういうシナリオだ。
だが、同じ茶番に付き合う気はない。
俺は迷わず中庭へと向かい、焼却炉の脇にあるペール缶の蓋を開けた。
……あった。汚れてもいない上履きを取り出し、俺は何食わぬ顔で履き替える。
「あ……」
校舎の窓からこちらを覗いていたミナとアイリが、間の抜けた顔をしているのが見えた。
くるみはまだ来ていない。
俺は彼女たちに気づかないフリをして、教室へと向かった。
~~~~~~~~~~
昼休み。女子トイレの個室から出てきたミナとアイリは、手洗い場の隅で青ざめた顔で密談していた。
「ねえ、どうするのよ! あいつ、あっさり上履き見つけちゃったじゃない!」
「ヤバいよ……。くるみ、『透くんが困ってるところを私が助けるから、舞台を整えておいてね』って言ってたのに」
ミナが焦燥感に爪を噛む。
くるみはまだ、作戦が失敗したことを知らない。
だが、このまま何も起きずに一日が終われば、「あんたたち、何もしなかったの? 使えないね」と冷たい笑顔で切り捨てられるのは目に見えている。
「挽回しないと……! もっと分かりやすいピンチを作って、くるみに『助けてもらう』のよ」
「じゃあ、放課後に裏の倉庫に呼び出して、直接やる? 水かけるとか」
「それいい! 私たちが透をいじめてる最中に、タイミングよくくるみが止めに入れば、逆にドラマチックでしょ!」
二人は「名案」を思いついたとばかりに顔を見合わせた。
「でも、誰がくるみを呼びに行くの? タイミングが命よ?」
「私たちが抜けたら透が逃げちゃうし……」
「……私がやるわ」
その会話を、個室の中で聞いていた桐島玲奈が、静かに姿を現した。
「れ、玲奈! 聞いてたの?」
「ええ。あんたたちがヘマした尻拭い、手伝ってあげる。私があんたたちの合図でくるみを呼びに行く役をやるわ。それなら文句ないでしょ?」
ミナとアイリは表情をパッと明るくした。
優等生でしっかり者の玲奈が調整役をやってくれるなら、失敗はない。
「助かるー! やっぱり玲奈は頼りになるね!」
「任せて。……絶対に失敗させないから」
玲奈は短く答えた。
その言葉が、「誰にとっての」失敗を指しているのかも知らずに、二人は安堵の笑みを浮かべていた。
~~~~~~~~~~~
放課後。体育館裏の倉庫前。
俺はミナとアイリに囲まれていた。
「調子乗ってんじゃないわよ、陰キャのくせに!」
バシャッ!
バケツの水が頭から浴びせられる。
制服が濡れ、冷たい水が肌に張り付く。冬の寒空の下、体温が急速に奪われていく。
「な、何か言いなさいよ!」
ミナが俺の肩を突き飛ばし、アイリが足を蹴りつける。
俺は抵抗せず、されるがままに地面に転がった。泥水が頬を汚す。
二人はチラチラと校舎の方を気にしていた。
そろそろ玲奈がくるみを連れてくる頃だ、と思っているのだろう。
ここからが、くるみがヒロインとして登場する感動のフィナーレだと信じているのだ。
――残念だったな。
玲奈は、動かない。昨日の夜、俺がそう命令しておいたからな。
五分が過ぎ、十分が過ぎた。
俺の体は泥と水で酷い有様になっていたが、肝心の「救世主」は現れない。
「……ねえ、玲奈遅くない?」
「ちょっと、どうなってんのよ。もうこいつ、ボロボロなんだけど……これ以上やったらヤバくない?」
ミナたちの表情に焦りが見え始める。
くるみが来ない以上、この行為は「くるみのための舞台演出」ではなくなる。
ただ単に、「自分たちが勝手に透をリンチした」という事実だけが残る。
「ど、どうする? もう行く?」
「で、でも……ここで止めたら中途半端だし……」
二人は困惑し、俺を見下ろした。
俺はずぶ濡れのまま、うずくまって震えているフリを続ける。
反撃もしない。文句も言わない。ただ、不気味なほど静かに耐えている。
「っ……なんか気味悪いわね、こいつ」
「行こ! 玲奈が来なかったのが悪いよ!」
結局、二人は居心地の悪さに耐えかね、逃げるようにその場を立ち去った。
足音が遠ざかるのを確認し、俺はゆっくりと体を起こした。
冷え切った手でポケットを探る。
防水のためにビニール袋に入れておいたボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。
『調子乗ってんじゃないわよ』
『何か言いなさいよ!』
『これ以上やったらヤバくない?』
クリアな音声が流れる。
くるみという「大義名分」がない状態での、純粋な加害の記録。
「……まだだ」
俺はレコーダーの停止ボタンを押した。
これだけでも生徒指導室に行けば彼女たちを停学に追い込める。だが、それではぬるい。
一度味を占めた暴力は、エスカレートする。
くるみに失敗を報告できず、ストレスを抱えた彼女たちは、必ずまた俺を標的にする。自分の意思で、俺を傷つけようとするはずだ。
その時こそが、本当の狩りの時間だ。
俺は泥だらけの顔を拭うこともせず、歪んだ笑みを浮かべて空を見上げた。
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