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7話
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昼休み。
女子トイレの奥にある個室で。
本来なら一人で入るはずの狭い空間に、ミナとアイリは二人で身を潜めていた。
かつてはクラスの中心で、派手な弁当を広げて高笑いしていた二人。
だが今は、コンビニの安いパンを、音を立てないように齧っている。
外に出れば、「パパ活」「手癖が悪い」という噂を信じ込んだクラスメイトからの冷ややかな視線と、陰湿な嫌がらせが待っているからだ。
「……ねえ、ちょっと。寄らないでよ。暑苦しい」
沈黙を破ったのは、ミナだった。
隣で縮こまっているアイリを、苛立ちを隠さずに睨みつける。
「仕方ないでしょ。狭いんだから」
「あんたがもっと端に寄ればいいじゃない。……ていうか、昨日のこと、根に持ってる?」
ミナが意地悪く口元を歪めた。
「透くん、昨日は私のこと『一番我慢強くて偉い』って褒めてくれたもんね。アイリはずっとメソメソ泣いてて、透くん困ってたじゃん」
その言葉に、アイリが齧りかけのパンを握り潰した。
虚ろだった瞳に、嫉妬の炎が宿る。
「はあ? 何言ってんの。透くん、最後に私にだけキスしてくれたし」
「それ、私が帰る準備してたからでしょ? ただのついでじゃん」
「違うし! 透くんは、私が泣いてるのが可愛いって言ってくれたの! ミナみたいな可愛げのない女より、守ってあげたくなる私の方が好きに決まってる!」
「可愛げがないですって!? あんたこそ、いつも透くんにベタベタ甘えて媚び売って……見てて寒気するんだけど!」
バンッ!
ミナがアイリの肩を突き飛ばし、アイリが壁にぶつかる。
狭い個室の中で、取っ組み合いのような喧嘩が始まった。
かつて、「私たちはズッ友だよね」とプリクラを撮り合っていた親友同士。
それが今や、一人の男の歪んだ愛情を巡って、互いを蹴落とそうとする浅ましい獣に成り下がっていた。
「邪魔なのよ! 透くんには私一人で十分なの!」
「ミナこそ消えてよ! 透くんの隣は私の場所なんだから!」
互いの髪を掴み合い、罵り合う。
だが、その騒ぎで誰かが入ってきた気配を感じると、二人は弾かれたように静まり返り、息を殺して身を寄せ合った。
恐怖。孤独。
この世界で自分たちを守ってくれるのは、あのマンションの一室だけ。
だからこそ、そこの「一番」の席を譲るわけにはいかない。
二人は荒い息を整えながら、互いに敵意のこもった視線を交わし、それぞれの胸の内で画策を始めた。
(……アイリには負けない。私はもっと、透くんの役に立てる)
ミナは、自身のスカートのポケットを強く握りしめた。
そこには、わざと自分が万引きしてきた『新しいリップ』が入っていた。
透は言っていた。「お前たちの弱みを握っているから愛せるんだ」と。
なら、もっと弱みを見せればいい。
もっと悪いことをして、もっと汚れて、「透くんがいないと生きていけない共犯者」になればいい。
……ねえ、透くん///。
私、透くんのためにまた罪を犯したよ。
だから、もっと叱って。もっと躾けて。
アイリなんか目じゃないくらい、私だけを可愛がって。
今度は、靴を舐めろって言われても喜んでやるわ。それが『一番のペット』の証なら。
(……ミナなんか、透くんの好みを分かってない)
一方、アイリもまた、暗い情熱を燃やしていた。
彼女は自分の手首を見つめた。そこには、昨夜、自分でカッターナイフを使って刻んだ傷跡がある。
まだ浅い傷だが、確かな痛み。
――透くんは、可哀想な子が好きなの。
傷ついて、ボロボロになって、縋り付いてくる女が好きなの。
実際に、私が苦しめば苦しむほど彼は喜んでくれている。
だったら、私が一番可哀想になればいい。
今度会ったら、この傷を見せてあげる。
「透くんに会えなくて寂しくて切っちゃった」って泣くの。
そうすれば、透くんはきっと、あの甘い声で「バカな子だ」って抱きしめてくれる。
ミナみたいな強がりな女には絶対にできない、私だけの特権。
「……ふん」
「……」
チャイムが鳴り、二人は無言で個室を出た。
並んで歩いているが、その間には決して埋まらない溝がある。
かつての友情は、もう塵ほども残っていない。
あるのは、飼い主からの「ご褒美」を独占したいという、狂おしいほどの執着だけ。
二人はそれぞれの「愛される計画」を胸に秘め、足早に教室へと戻っていった。
その先に待っているのが、さらなる地獄の沼だとも知らずに。
~~~~~~~~~~
シン……と静まり返った手洗い場。
ミナとアイリが去った後、入り口の影から、一人の女子生徒がそっと姿を現した。
一年生の、早川結衣だ。
彼女は真っ青な顔で、自分の口元を両手で覆っていた。
「……なに、今の」
トイレに入ろうとしたら、中から怒鳴り合う声が聞こえてきて、思わず隠れてしまったのだ。
声の主は分かった。二年生のミナ先輩とアイリ先輩だ。
少し前まではカースト上位で目立っていたが、最近は「パパ活」だの「窃盗」だの黒い噂が絶えず、クラスで孤立している二人。
だが、結衣が衝撃を受けたのは、彼女たちの変貌ぶりではない。
彼女たちが口にしていた、ある『名前』と、異常な会話の内容だった。
『透くんのために、また罪を犯したよ』
『傷を見せれば、透くんは愛してくれる』
『透くん』とは恐らく、二年生の『深澄透』のことだ。
結衣も彼のことは知っている。地味で、暗くて、いつも教室の隅にいる目立たない先輩。
けれど、結衣が彼を認識している理由は別にある。
彼が、結衣の憧れである先輩、小日向くるみの幼馴染だからだ。
(くるみ先輩は、あんな冴えない人のことまで気にかけてあげて……本当に優しい、天使みたいな人)
結衣にとって、才色兼備で誰にでも優しいくるみは、絶対的なヒロインだった。
だからこそ、今の会話は聞き捨てならなかった。
あのミナとアイリが、血相を変えて奪い合うほどの男……。
罪? 自傷行為? ペット?
あの地味な深澄透が、裏でそんなことをさせているというの?
(……もしかして。くるみ先輩も、騙されてるんじゃ)
嫌な予感が背筋を走った。
くるみは深澄透のことを『放っておけない幼馴染』として親しくしている。
だが、もし彼が、裏で女子生徒を洗脳したり、犯罪に巻き込んだりするような危険人物だとしたら?
くるみ先輩の優しさが利用され、傷つけられるかもしれない。
「……許せない」
結衣の瞳に、正義感という名の危うい光が宿った。
彼女はポケットから生徒手帳を取り出し、メモ欄に『深澄透』と書き込んだ。
「私が調べなきゃ。くるみ先輩を守るために……あの男の正体を暴かないと」
結衣は拳を握りしめ、決意の表情で廊下へと歩き出した。
彼女は知らない。
自分が足を踏み入れようとしているのが、底なしの沼だということを。
そして、その「正義感」こそが、深澄透にとっては何よりも扱いやすく、極上のスパイスになるということを。
新たな獲物が一匹、自ら網にかかりに来ようとしていた。
女子トイレの奥にある個室で。
本来なら一人で入るはずの狭い空間に、ミナとアイリは二人で身を潜めていた。
かつてはクラスの中心で、派手な弁当を広げて高笑いしていた二人。
だが今は、コンビニの安いパンを、音を立てないように齧っている。
外に出れば、「パパ活」「手癖が悪い」という噂を信じ込んだクラスメイトからの冷ややかな視線と、陰湿な嫌がらせが待っているからだ。
「……ねえ、ちょっと。寄らないでよ。暑苦しい」
沈黙を破ったのは、ミナだった。
隣で縮こまっているアイリを、苛立ちを隠さずに睨みつける。
「仕方ないでしょ。狭いんだから」
「あんたがもっと端に寄ればいいじゃない。……ていうか、昨日のこと、根に持ってる?」
ミナが意地悪く口元を歪めた。
「透くん、昨日は私のこと『一番我慢強くて偉い』って褒めてくれたもんね。アイリはずっとメソメソ泣いてて、透くん困ってたじゃん」
その言葉に、アイリが齧りかけのパンを握り潰した。
虚ろだった瞳に、嫉妬の炎が宿る。
「はあ? 何言ってんの。透くん、最後に私にだけキスしてくれたし」
「それ、私が帰る準備してたからでしょ? ただのついでじゃん」
「違うし! 透くんは、私が泣いてるのが可愛いって言ってくれたの! ミナみたいな可愛げのない女より、守ってあげたくなる私の方が好きに決まってる!」
「可愛げがないですって!? あんたこそ、いつも透くんにベタベタ甘えて媚び売って……見てて寒気するんだけど!」
バンッ!
ミナがアイリの肩を突き飛ばし、アイリが壁にぶつかる。
狭い個室の中で、取っ組み合いのような喧嘩が始まった。
かつて、「私たちはズッ友だよね」とプリクラを撮り合っていた親友同士。
それが今や、一人の男の歪んだ愛情を巡って、互いを蹴落とそうとする浅ましい獣に成り下がっていた。
「邪魔なのよ! 透くんには私一人で十分なの!」
「ミナこそ消えてよ! 透くんの隣は私の場所なんだから!」
互いの髪を掴み合い、罵り合う。
だが、その騒ぎで誰かが入ってきた気配を感じると、二人は弾かれたように静まり返り、息を殺して身を寄せ合った。
恐怖。孤独。
この世界で自分たちを守ってくれるのは、あのマンションの一室だけ。
だからこそ、そこの「一番」の席を譲るわけにはいかない。
二人は荒い息を整えながら、互いに敵意のこもった視線を交わし、それぞれの胸の内で画策を始めた。
(……アイリには負けない。私はもっと、透くんの役に立てる)
ミナは、自身のスカートのポケットを強く握りしめた。
そこには、わざと自分が万引きしてきた『新しいリップ』が入っていた。
透は言っていた。「お前たちの弱みを握っているから愛せるんだ」と。
なら、もっと弱みを見せればいい。
もっと悪いことをして、もっと汚れて、「透くんがいないと生きていけない共犯者」になればいい。
……ねえ、透くん///。
私、透くんのためにまた罪を犯したよ。
だから、もっと叱って。もっと躾けて。
アイリなんか目じゃないくらい、私だけを可愛がって。
今度は、靴を舐めろって言われても喜んでやるわ。それが『一番のペット』の証なら。
(……ミナなんか、透くんの好みを分かってない)
一方、アイリもまた、暗い情熱を燃やしていた。
彼女は自分の手首を見つめた。そこには、昨夜、自分でカッターナイフを使って刻んだ傷跡がある。
まだ浅い傷だが、確かな痛み。
――透くんは、可哀想な子が好きなの。
傷ついて、ボロボロになって、縋り付いてくる女が好きなの。
実際に、私が苦しめば苦しむほど彼は喜んでくれている。
だったら、私が一番可哀想になればいい。
今度会ったら、この傷を見せてあげる。
「透くんに会えなくて寂しくて切っちゃった」って泣くの。
そうすれば、透くんはきっと、あの甘い声で「バカな子だ」って抱きしめてくれる。
ミナみたいな強がりな女には絶対にできない、私だけの特権。
「……ふん」
「……」
チャイムが鳴り、二人は無言で個室を出た。
並んで歩いているが、その間には決して埋まらない溝がある。
かつての友情は、もう塵ほども残っていない。
あるのは、飼い主からの「ご褒美」を独占したいという、狂おしいほどの執着だけ。
二人はそれぞれの「愛される計画」を胸に秘め、足早に教室へと戻っていった。
その先に待っているのが、さらなる地獄の沼だとも知らずに。
~~~~~~~~~~
シン……と静まり返った手洗い場。
ミナとアイリが去った後、入り口の影から、一人の女子生徒がそっと姿を現した。
一年生の、早川結衣だ。
彼女は真っ青な顔で、自分の口元を両手で覆っていた。
「……なに、今の」
トイレに入ろうとしたら、中から怒鳴り合う声が聞こえてきて、思わず隠れてしまったのだ。
声の主は分かった。二年生のミナ先輩とアイリ先輩だ。
少し前まではカースト上位で目立っていたが、最近は「パパ活」だの「窃盗」だの黒い噂が絶えず、クラスで孤立している二人。
だが、結衣が衝撃を受けたのは、彼女たちの変貌ぶりではない。
彼女たちが口にしていた、ある『名前』と、異常な会話の内容だった。
『透くんのために、また罪を犯したよ』
『傷を見せれば、透くんは愛してくれる』
『透くん』とは恐らく、二年生の『深澄透』のことだ。
結衣も彼のことは知っている。地味で、暗くて、いつも教室の隅にいる目立たない先輩。
けれど、結衣が彼を認識している理由は別にある。
彼が、結衣の憧れである先輩、小日向くるみの幼馴染だからだ。
(くるみ先輩は、あんな冴えない人のことまで気にかけてあげて……本当に優しい、天使みたいな人)
結衣にとって、才色兼備で誰にでも優しいくるみは、絶対的なヒロインだった。
だからこそ、今の会話は聞き捨てならなかった。
あのミナとアイリが、血相を変えて奪い合うほどの男……。
罪? 自傷行為? ペット?
あの地味な深澄透が、裏でそんなことをさせているというの?
(……もしかして。くるみ先輩も、騙されてるんじゃ)
嫌な予感が背筋を走った。
くるみは深澄透のことを『放っておけない幼馴染』として親しくしている。
だが、もし彼が、裏で女子生徒を洗脳したり、犯罪に巻き込んだりするような危険人物だとしたら?
くるみ先輩の優しさが利用され、傷つけられるかもしれない。
「……許せない」
結衣の瞳に、正義感という名の危うい光が宿った。
彼女はポケットから生徒手帳を取り出し、メモ欄に『深澄透』と書き込んだ。
「私が調べなきゃ。くるみ先輩を守るために……あの男の正体を暴かないと」
結衣は拳を握りしめ、決意の表情で廊下へと歩き出した。
彼女は知らない。
自分が足を踏み入れようとしているのが、底なしの沼だということを。
そして、その「正義感」こそが、深澄透にとっては何よりも扱いやすく、極上のスパイスになるということを。
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