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10話
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ガチャリ、と重厚なドアが閉まる音がした。
深澄透のマンションの一室。
早川結衣は、靴を脱ぐことさえできず、玄関でガタガタと震えていた。
終わった。
この扉の向こうには、きっと拷問器具や怪しい薬が並んでいて、私はここで口封じに殺されるんだ。
隣にいる玲奈先輩も、真っ青な顔をして俯いている。きっと彼女も脅されている被害者なのだ。
「……どうぞ、上がって」
透が穏やかな声で促す。
結衣は死刑台に向かう囚人のような足取りで、リビングへと足を踏み入れた。
しかし。
そこに広がっていた光景は、結衣の想像を裏切るものだった。
「適当に座ってて。今、お茶を入れるから」
暖房の効いた清潔な部屋、ふかふかのソファ。
透はキッチンに立つと、手際よく紅茶を淹れ、高級そうなクッキーを皿に盛り付けてテーブルに置いた。
「驚かせてごめんね。まさか玲奈と一緒だったとは知らなくて」
「……は、はい……」
出された紅茶から、甘い湯気が立ち上る。
毒が入っているかもしれない。結衣は手を膝の上で堅く握りしめ、カップに触れようとしなかった。
(……どういうつもり?)
隣に座る玲奈もまた、困惑していた。
いつもの透なら、ここでいきなり結衣を脅しつけ、服を剥ぎ取って写真を撮るくらいのことはするはずだ。
なのに、この紳士的な態度は何なのか。
逆に不気味で、背筋が寒くなる。
「……あの」
沈黙に耐えかね、結衣が声を上げた。
恐怖で声が震えるが、正義感が彼女を突き動かす。
「な、何が目的なんですか……!」
「目的?」
「とぼけないでください! 先輩たちがあなたに怯えているのは分かってます。あなたが悪い人だってことも!」
結衣は透を睨みつけた。
「くるみ先輩を騙して、何をするつもりなんですか。あんな優しい人を傷つけるなんて、許せません!」
言った。言ってしまった。
玲奈は心の中で頭を抱えた。バカな子。そんなことを言ったら、今度こそ殺される……。
だが、透は怒らなかった。
きょとんとした顔をした後、困ったように眉を下げ、悲しげに微笑んだのだ。
「……誤解だよ、早川さん」
「ご、誤解なわけないでしょう! ミナ先輩たちがあなたの言いなりになってるのを見ました!」
「それは、俺が彼女たちを『助けた』からだよ」
透は静かにカップを置いた。
「騙されているのは俺じゃない。……みんなの方だ」
「え?」
「君が『天使』だと信じている小日向くるみこそが、全ての元凶なんだよ」
時が止まったような静寂。
結衣は呆気にとられ、次いで激しい怒りが湧き上がった。
「う、嘘つかないでください! くるみ先輩は誰にでも優しくて、完璧で……!」
「そう見えるよね。俺もずっとそう信じてた」
透は遠くを見るような目をした。
「でも、裏では違う。彼女は気に入らない人間を徹底的に排除する。ミナやアイリがどうしてクラスで孤立したか知ってるかい? くるみが噂を流したからだ」
「そ、そんなのデタラメです! あの二人が悪いことをしたから……」
「本当にそうかな?」
透が指を鳴らす。
すると、寝室のドアが開き、二人の少女が現れた。
ミナとアイリだ。
「……透くん、呼んだ?」
二人はパジャマのようなラフな格好で、トロンとした目をしていた。
結衣は息を呑んだ。学校で見かける派手で意地悪な先輩の面影はなく、まるで捨てられた子猫のように儚げに見えたからだ。
「ミナ、アイリ。早川さんに教えてあげてくれ。君たちがどうしてこうなったのか」
透の命令に、二人は顔を見合わせ、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……くるみは、悪魔よ」
「私たちがちょっとミスしただけで、笑顔で切り捨てたの。『あんたたちみたいなバカといると疲れる』って」
「そう。それで、あることないこと噂を流されて……居場所がなくなって、死のうとも考えた」
「それを助けてくれたのが、透くんだけだった……」
二人は透にすり寄り、その腕に頬を埋めた。
演技には見えなかった。その瞳には、くるみへの憎悪と、透への絶対的な信頼が宿っていたからだ。
「そ、そんな……」
結衣の顔色が蒼白になる。
信じたくない。でも、当事者である二人がここまで言うなんて。
それに、隣にいる玲奈先輩も否定しない。
「……玲奈先輩も、知ってるんですか?」
結衣に問われ、玲奈はビクリと肩を震わせた。
透が、横目でチラリと玲奈を見た。
『合わせろ』という無言の圧力。
「……ええ。くるみは、あなたが思っているような人じゃないわ」
玲奈は嘘をついた。
いや、ある意味では真実だ。くるみの性格が悪いのは事実だからだ。
だが、その言葉が決定打となった。
「嘘……」
結衣の世界が揺らぐ。
絶対的な善だと思っていたくるみ先輩。
絶対的な悪だと思っていた深澄透。
その境界線が、音を立てて崩れていく。
「信じられないのも無理はない」
混乱する結衣に、透は優しく語りかけた。
「だから、確かめてみればいい」
「え……?」
「君は俺のことを一週間も尾行できるほど、優秀な観察眼を持っている。その目で、今度はくるみを見てごらん」
透はテーブルに身を乗り出し、悪魔の囁きを口にした。
「俺の家に来る前のくるみ。放課後の教室でのくるみ。……きっと、君の知らない『本性』が見えるはずだ」
結衣はゴクリと喉を鳴らした。
怖い。真実を知るのが怖い。
でも、もし本当にくるみ先輩が悪い人なら? 私が騙されているとしたら?
「……分かりました」
長い沈黙の後、結衣は顔を上げた。
その瞳には、以前のような盲目的な正義感ではなく、真実を求める探偵の光が宿っていた。
「私の目で、確かめます。……もしあなたが嘘をついていたら、その時は警察に行きますから」
「ああ、構わないよ。真実が分かることを祈ってる」
透は聖人のような微笑みで頷いた。
~~~~~~~~~~
結衣が帰った後。
部屋に残った玲奈は、薄ら寒さを感じて自分の腕を抱いていた。
透は、結衣を脅さなかった。暴力も振るわなかった。
ただ、「正義感」の矛先を少しズラしただけだ。
それだけで、あの子は自ら進んで泥沼へと足を突っ込んでいった。
くるみの性格が悪いのは事実だ。尾行すれば、必ずボロが出る。
そうすれば結衣はショックを受け、心の拠り所を失い……唯一の『理解者』である透を助けようとするだろう。
ミナやアイリと同じ。
そして、私とも同じ。
「……性格悪いわね、透」
「人聞きが悪いな。俺はただ、彼女に真実を知る機会を与えただけだよ」
透は冷めた紅茶を一口飲み、クツクツと喉を鳴らして笑った。
その笑顔は、結衣に見せた優しいものとは似ても似つかない、昏い愉悦に満ちたものだった。
深澄透のマンションの一室。
早川結衣は、靴を脱ぐことさえできず、玄関でガタガタと震えていた。
終わった。
この扉の向こうには、きっと拷問器具や怪しい薬が並んでいて、私はここで口封じに殺されるんだ。
隣にいる玲奈先輩も、真っ青な顔をして俯いている。きっと彼女も脅されている被害者なのだ。
「……どうぞ、上がって」
透が穏やかな声で促す。
結衣は死刑台に向かう囚人のような足取りで、リビングへと足を踏み入れた。
しかし。
そこに広がっていた光景は、結衣の想像を裏切るものだった。
「適当に座ってて。今、お茶を入れるから」
暖房の効いた清潔な部屋、ふかふかのソファ。
透はキッチンに立つと、手際よく紅茶を淹れ、高級そうなクッキーを皿に盛り付けてテーブルに置いた。
「驚かせてごめんね。まさか玲奈と一緒だったとは知らなくて」
「……は、はい……」
出された紅茶から、甘い湯気が立ち上る。
毒が入っているかもしれない。結衣は手を膝の上で堅く握りしめ、カップに触れようとしなかった。
(……どういうつもり?)
隣に座る玲奈もまた、困惑していた。
いつもの透なら、ここでいきなり結衣を脅しつけ、服を剥ぎ取って写真を撮るくらいのことはするはずだ。
なのに、この紳士的な態度は何なのか。
逆に不気味で、背筋が寒くなる。
「……あの」
沈黙に耐えかね、結衣が声を上げた。
恐怖で声が震えるが、正義感が彼女を突き動かす。
「な、何が目的なんですか……!」
「目的?」
「とぼけないでください! 先輩たちがあなたに怯えているのは分かってます。あなたが悪い人だってことも!」
結衣は透を睨みつけた。
「くるみ先輩を騙して、何をするつもりなんですか。あんな優しい人を傷つけるなんて、許せません!」
言った。言ってしまった。
玲奈は心の中で頭を抱えた。バカな子。そんなことを言ったら、今度こそ殺される……。
だが、透は怒らなかった。
きょとんとした顔をした後、困ったように眉を下げ、悲しげに微笑んだのだ。
「……誤解だよ、早川さん」
「ご、誤解なわけないでしょう! ミナ先輩たちがあなたの言いなりになってるのを見ました!」
「それは、俺が彼女たちを『助けた』からだよ」
透は静かにカップを置いた。
「騙されているのは俺じゃない。……みんなの方だ」
「え?」
「君が『天使』だと信じている小日向くるみこそが、全ての元凶なんだよ」
時が止まったような静寂。
結衣は呆気にとられ、次いで激しい怒りが湧き上がった。
「う、嘘つかないでください! くるみ先輩は誰にでも優しくて、完璧で……!」
「そう見えるよね。俺もずっとそう信じてた」
透は遠くを見るような目をした。
「でも、裏では違う。彼女は気に入らない人間を徹底的に排除する。ミナやアイリがどうしてクラスで孤立したか知ってるかい? くるみが噂を流したからだ」
「そ、そんなのデタラメです! あの二人が悪いことをしたから……」
「本当にそうかな?」
透が指を鳴らす。
すると、寝室のドアが開き、二人の少女が現れた。
ミナとアイリだ。
「……透くん、呼んだ?」
二人はパジャマのようなラフな格好で、トロンとした目をしていた。
結衣は息を呑んだ。学校で見かける派手で意地悪な先輩の面影はなく、まるで捨てられた子猫のように儚げに見えたからだ。
「ミナ、アイリ。早川さんに教えてあげてくれ。君たちがどうしてこうなったのか」
透の命令に、二人は顔を見合わせ、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……くるみは、悪魔よ」
「私たちがちょっとミスしただけで、笑顔で切り捨てたの。『あんたたちみたいなバカといると疲れる』って」
「そう。それで、あることないこと噂を流されて……居場所がなくなって、死のうとも考えた」
「それを助けてくれたのが、透くんだけだった……」
二人は透にすり寄り、その腕に頬を埋めた。
演技には見えなかった。その瞳には、くるみへの憎悪と、透への絶対的な信頼が宿っていたからだ。
「そ、そんな……」
結衣の顔色が蒼白になる。
信じたくない。でも、当事者である二人がここまで言うなんて。
それに、隣にいる玲奈先輩も否定しない。
「……玲奈先輩も、知ってるんですか?」
結衣に問われ、玲奈はビクリと肩を震わせた。
透が、横目でチラリと玲奈を見た。
『合わせろ』という無言の圧力。
「……ええ。くるみは、あなたが思っているような人じゃないわ」
玲奈は嘘をついた。
いや、ある意味では真実だ。くるみの性格が悪いのは事実だからだ。
だが、その言葉が決定打となった。
「嘘……」
結衣の世界が揺らぐ。
絶対的な善だと思っていたくるみ先輩。
絶対的な悪だと思っていた深澄透。
その境界線が、音を立てて崩れていく。
「信じられないのも無理はない」
混乱する結衣に、透は優しく語りかけた。
「だから、確かめてみればいい」
「え……?」
「君は俺のことを一週間も尾行できるほど、優秀な観察眼を持っている。その目で、今度はくるみを見てごらん」
透はテーブルに身を乗り出し、悪魔の囁きを口にした。
「俺の家に来る前のくるみ。放課後の教室でのくるみ。……きっと、君の知らない『本性』が見えるはずだ」
結衣はゴクリと喉を鳴らした。
怖い。真実を知るのが怖い。
でも、もし本当にくるみ先輩が悪い人なら? 私が騙されているとしたら?
「……分かりました」
長い沈黙の後、結衣は顔を上げた。
その瞳には、以前のような盲目的な正義感ではなく、真実を求める探偵の光が宿っていた。
「私の目で、確かめます。……もしあなたが嘘をついていたら、その時は警察に行きますから」
「ああ、構わないよ。真実が分かることを祈ってる」
透は聖人のような微笑みで頷いた。
~~~~~~~~~~
結衣が帰った後。
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透は、結衣を脅さなかった。暴力も振るわなかった。
ただ、「正義感」の矛先を少しズラしただけだ。
それだけで、あの子は自ら進んで泥沼へと足を突っ込んでいった。
くるみの性格が悪いのは事実だ。尾行すれば、必ずボロが出る。
そうすれば結衣はショックを受け、心の拠り所を失い……唯一の『理解者』である透を助けようとするだろう。
ミナやアイリと同じ。
そして、私とも同じ。
「……性格悪いわね、透」
「人聞きが悪いな。俺はただ、彼女に真実を知る機会を与えただけだよ」
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