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29話
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合格発表から数日後の週末。
両親は二日前に海外出張へと旅立ち、家は再び俺だけの城となっていた。
俺は、この日のためにある人物を呼び出していた。
リビングには、既にミナとアイリが到着している。
二人はソファでくつろぎながら、これから始まるショーを心待ちにしていた。
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
「来たな」
俺はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
ドアを開けると、そこには桐島玲奈が立っていた。
腕を組み、不機嫌さを隠そうともしない表情で俺を睨みつけている。
「……何よ。急に呼び出して」
玲奈は家に入ろうともせず、玄関のたたきに仁王立ちしたままだ。
靴を脱ぐ気配すらない。
「上がらないのか?」
「上がるわけないでしょ。用があるならここで済ませて」
玲奈は鼻で笑った。
「勘違いしないでよね。私が今日来たのは、あんたに最後通告をするためよ」
「最後通告?」
「ええ。私、あの進学校に受かったの。あんたみたいな底辺とは、もう住む世界が違うのよ」
玲奈の声には、勝ち誇った響きがあった。
彼女の中では、もう勝利の方程式が完成している
のだ。
自分がエリート街道を進み、透が落ちこぼれる。その格差があれば、もう脅されることもない、と。
「最近、連絡してこなかったのは、あんたも諦めたからでしょ? 自分の惨めさを悟って、私に構う余裕がなくなったから……」
「ぷっ……あはははは!」
玲奈の言葉を遮るように、奥から下品な笑い声が響いた。
玲奈が眉をひそめる。
「なによ、誰かいるの?」
「やっほー玲奈。久しぶりー」
「相変わらずおめでたい頭してるね、玲奈は」
リビングのドアが開き、ミナとアイリが姿を現した。
二人はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、玲奈を見下ろすように近づいてくる。
「ミナ、アイリ……? あんたたち、なんでここに……」
「なんでって、透くんの家だもん。来るに決まってるじゃん」
「それより玲奈。さっきなんて言った? 『住む世界が違う』だっけ?」
ミナが腹を抱えて笑う。
アイリが、ポケットから一枚の紙を取り出し、玲奈の目の前に突きつけた。
「ほら、これ見てよ」
「……なに、これ」
それは、高校の入学手続き書類のコピーだった。
そこには、玲奈が合格したあの進学校の校章と、『深澄 透』『ミナ』『アイリ』の三人の名前が記されていた。
「――――え?」
玲奈の思考が停止した。
紙に書かれた文字と、目の前の三人の顔を交互に見る。
「う、嘘……でしょ? だって、あんたたち……バカじゃない」
「失礼しちゃうなー。透くんが勉強教えてくれたんだよ。傾向と対策、バッチリだったもんねー」
「透くんも余裕で合格だって。残念だったね玲奈。高校でも私たち、ずーっと一緒だよ♡」
カラン、と。
玲奈の中で、何かが崩れ落ちる音がした。
希望、未来、自由。
積み上げてきたはずの逃走ルートが、すべて幻だったと知らされた瞬間。
「あ、あ、ああ……」
玲奈の顔から血の気が引いていく。
膝が震え、立っていられなくなりそうになる。
「なんで……どうしてよッ!!」
玲奈は絶叫し、俺に掴みかかろうとした。
だが、その手は空を切り、俺の胸元を弱々しく叩くだけだった。
「最近、放っておいてくれたじゃない! 勉強の邪魔もしないで、連絡もしてこないで……私のこと、諦めたんじゃなかったの!?」
「諦める?」
俺は玲奈の手首を掴み、冷酷に見下ろした。
「バカだな、玲奈。俺がお前を放っておいたのは、勉強させるためだ」
「え……?」
「お前が俺と同じ高校に受かるように、邪魔をせずに集中させてやったんだよ。お前なら、放っておけば勝手に死ぬ気で勉強して、合格するだろうからな」
玲奈の顔が歪む。
親切心や無関心ではなかった。
全ては、彼女を確実に同じ檻に閉じ込めるための計算だったのだ。
「う、嘘よ……そんなの、あんまりよ……っ!」
玲奈はその場に崩れ落ちた。
靴を履いたまま、玄関の床に膝をつく。
目から大粒の涙が溢れ出し、化粧を汚していく。
「私は……逃げたかっただけなのに……もう、あんたの顔なんて見たくなかったのに……」
「残念だったな。これからは毎日顔を合わせることになる」
俺はしゃがみ込み、絶望に濡れる玲奈の頬を指で拭った。
「さあ、上がれよ玲奈。合格祝いのパーティーだ。お前も主役の一人なんだからな」
俺の言葉に、玲奈は抵抗する気力すら失っていた。
操り人形の糸が切れたように、ただ力なく頷く。
玲奈は機械的な動作で靴を脱いだ。
足取りは鉛のように重く、視線は虚ろだ。
俺に背中を押されるまま、彼女はリビングへと足を踏み入れた。
そこは、暖かく明るい、地獄の中心だった。
ミナとアイリは既にソファに戻り、テーブルに広げられたスナック菓子やジュースを囲んで笑い合っていた。
まるで親友の家に遊びに来たかのような、屈託のない笑顔。
「あ、玲奈も座りなよー。これ美味しいよ?」
「透くんが買ってきてくれたんだー。コーラ飲む?」
玲奈は、そんな二人をぼんやりと見つめたまま、入り口で立ち尽くした。
(……なんで、笑ってるの?)
玲奈の頭の中は、真っ白な霧に包まれていた。
私は、死ぬ気で勉強した。
睡眠時間を削り、友達との遊びも断り、あいつから逃げるために、血を吐くような思いで参考書にかじりついた。
それなのに。
(なんで、こいつらがここにいるの?)
ミナとアイリ。
授業中は寝てばかりで、勉強なんてろくにしてこなかったはずの二人。
そんな彼女たちが、透の『入れ知恵』だけで、私と同じ場所に立っている。
理不尽だ。
不公平だ。
私の努力は、私の苦しみは、一体何だったの?
「…………」
玲奈の目から光が消えていく。
彼女は、ミナとアイリがキャッキャと騒ぐ姿を、まるで別世界の映像を見ているかのような虚無の瞳で凝視していた。
怒りすら湧いてこない。ただ、圧倒的な徒労感と絶望感が、彼女の魂を押し潰していた。
「ほら、座れよ」
俺は玲奈の肩を強引に押し、ソファに座らせた。
玲奈は人形のようにカクリと座り込み、膝の上で手を握りしめた。
「これから三年間、またよろしくな。玲奈」
「……うん、よろしくねー玲奈」
「仲良くしようねー」
三方向からの『歓迎』の言葉。
玲奈は何も答えず、ただテーブルの上の極彩色のスナック菓子を見つめ続けていた。
その横顔は、生きた人間とは思えないほどに蒼白で、美しく壊れていた。
両親は二日前に海外出張へと旅立ち、家は再び俺だけの城となっていた。
俺は、この日のためにある人物を呼び出していた。
リビングには、既にミナとアイリが到着している。
二人はソファでくつろぎながら、これから始まるショーを心待ちにしていた。
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
「来たな」
俺はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。
ドアを開けると、そこには桐島玲奈が立っていた。
腕を組み、不機嫌さを隠そうともしない表情で俺を睨みつけている。
「……何よ。急に呼び出して」
玲奈は家に入ろうともせず、玄関のたたきに仁王立ちしたままだ。
靴を脱ぐ気配すらない。
「上がらないのか?」
「上がるわけないでしょ。用があるならここで済ませて」
玲奈は鼻で笑った。
「勘違いしないでよね。私が今日来たのは、あんたに最後通告をするためよ」
「最後通告?」
「ええ。私、あの進学校に受かったの。あんたみたいな底辺とは、もう住む世界が違うのよ」
玲奈の声には、勝ち誇った響きがあった。
彼女の中では、もう勝利の方程式が完成している
のだ。
自分がエリート街道を進み、透が落ちこぼれる。その格差があれば、もう脅されることもない、と。
「最近、連絡してこなかったのは、あんたも諦めたからでしょ? 自分の惨めさを悟って、私に構う余裕がなくなったから……」
「ぷっ……あはははは!」
玲奈の言葉を遮るように、奥から下品な笑い声が響いた。
玲奈が眉をひそめる。
「なによ、誰かいるの?」
「やっほー玲奈。久しぶりー」
「相変わらずおめでたい頭してるね、玲奈は」
リビングのドアが開き、ミナとアイリが姿を現した。
二人はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、玲奈を見下ろすように近づいてくる。
「ミナ、アイリ……? あんたたち、なんでここに……」
「なんでって、透くんの家だもん。来るに決まってるじゃん」
「それより玲奈。さっきなんて言った? 『住む世界が違う』だっけ?」
ミナが腹を抱えて笑う。
アイリが、ポケットから一枚の紙を取り出し、玲奈の目の前に突きつけた。
「ほら、これ見てよ」
「……なに、これ」
それは、高校の入学手続き書類のコピーだった。
そこには、玲奈が合格したあの進学校の校章と、『深澄 透』『ミナ』『アイリ』の三人の名前が記されていた。
「――――え?」
玲奈の思考が停止した。
紙に書かれた文字と、目の前の三人の顔を交互に見る。
「う、嘘……でしょ? だって、あんたたち……バカじゃない」
「失礼しちゃうなー。透くんが勉強教えてくれたんだよ。傾向と対策、バッチリだったもんねー」
「透くんも余裕で合格だって。残念だったね玲奈。高校でも私たち、ずーっと一緒だよ♡」
カラン、と。
玲奈の中で、何かが崩れ落ちる音がした。
希望、未来、自由。
積み上げてきたはずの逃走ルートが、すべて幻だったと知らされた瞬間。
「あ、あ、ああ……」
玲奈の顔から血の気が引いていく。
膝が震え、立っていられなくなりそうになる。
「なんで……どうしてよッ!!」
玲奈は絶叫し、俺に掴みかかろうとした。
だが、その手は空を切り、俺の胸元を弱々しく叩くだけだった。
「最近、放っておいてくれたじゃない! 勉強の邪魔もしないで、連絡もしてこないで……私のこと、諦めたんじゃなかったの!?」
「諦める?」
俺は玲奈の手首を掴み、冷酷に見下ろした。
「バカだな、玲奈。俺がお前を放っておいたのは、勉強させるためだ」
「え……?」
「お前が俺と同じ高校に受かるように、邪魔をせずに集中させてやったんだよ。お前なら、放っておけば勝手に死ぬ気で勉強して、合格するだろうからな」
玲奈の顔が歪む。
親切心や無関心ではなかった。
全ては、彼女を確実に同じ檻に閉じ込めるための計算だったのだ。
「う、嘘よ……そんなの、あんまりよ……っ!」
玲奈はその場に崩れ落ちた。
靴を履いたまま、玄関の床に膝をつく。
目から大粒の涙が溢れ出し、化粧を汚していく。
「私は……逃げたかっただけなのに……もう、あんたの顔なんて見たくなかったのに……」
「残念だったな。これからは毎日顔を合わせることになる」
俺はしゃがみ込み、絶望に濡れる玲奈の頬を指で拭った。
「さあ、上がれよ玲奈。合格祝いのパーティーだ。お前も主役の一人なんだからな」
俺の言葉に、玲奈は抵抗する気力すら失っていた。
操り人形の糸が切れたように、ただ力なく頷く。
玲奈は機械的な動作で靴を脱いだ。
足取りは鉛のように重く、視線は虚ろだ。
俺に背中を押されるまま、彼女はリビングへと足を踏み入れた。
そこは、暖かく明るい、地獄の中心だった。
ミナとアイリは既にソファに戻り、テーブルに広げられたスナック菓子やジュースを囲んで笑い合っていた。
まるで親友の家に遊びに来たかのような、屈託のない笑顔。
「あ、玲奈も座りなよー。これ美味しいよ?」
「透くんが買ってきてくれたんだー。コーラ飲む?」
玲奈は、そんな二人をぼんやりと見つめたまま、入り口で立ち尽くした。
(……なんで、笑ってるの?)
玲奈の頭の中は、真っ白な霧に包まれていた。
私は、死ぬ気で勉強した。
睡眠時間を削り、友達との遊びも断り、あいつから逃げるために、血を吐くような思いで参考書にかじりついた。
それなのに。
(なんで、こいつらがここにいるの?)
ミナとアイリ。
授業中は寝てばかりで、勉強なんてろくにしてこなかったはずの二人。
そんな彼女たちが、透の『入れ知恵』だけで、私と同じ場所に立っている。
理不尽だ。
不公平だ。
私の努力は、私の苦しみは、一体何だったの?
「…………」
玲奈の目から光が消えていく。
彼女は、ミナとアイリがキャッキャと騒ぐ姿を、まるで別世界の映像を見ているかのような虚無の瞳で凝視していた。
怒りすら湧いてこない。ただ、圧倒的な徒労感と絶望感が、彼女の魂を押し潰していた。
「ほら、座れよ」
俺は玲奈の肩を強引に押し、ソファに座らせた。
玲奈は人形のようにカクリと座り込み、膝の上で手を握りしめた。
「これから三年間、またよろしくな。玲奈」
「……うん、よろしくねー玲奈」
「仲良くしようねー」
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