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癒しのお墓

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 窓を開けて空気を入れ、夜の匂いを嗅いだ。
 机に戻ると、わたしは自分のリュックからノートPCを取り出した。
 黒光りをする頑丈な木製の机は、この部屋の住人になった人が歴代使っていたものだ。いつ頃から使われていたのかわからないが、一体何人の人がこの机で勉強をしてきたのだろう。
 スリー婆ーズの話によると、今郷館は時代の変遷とともに変わってきているという。元々は昭和の初めに旅館業を営んでいたらしい。東京へ観光に来たお上りさんや、東京帝国大学受験の学生の宿として賑わっていたという。戦後は、東大や周辺の男子大学生の賄い付きの下宿屋として営業していた。
 でも、男子大学生たちが色々とやらかしてくれたのを期に、女性専用の寮として生まれ変わった。やらかしについては、スリー婆ーズが言うには、まあ色々あった、らしい。
 建物の老朽化もあって、スリー婆ーズと学生の頃からずっと住み続けている梨紗さん以外は、これ以上住人を増やすことは止められていた。でも、どういう伝手つてなのか知らないが、父のお陰でわたしはここに入れたという訳だ。
 もし、スリー婆ーズがいなくなれば、この今郷館もその役目を終えて解体するという。確かに建物は古くて色々と不便な部分はあるけれど、古い木と畳の部屋はなんだか懐かしい感じがするしすごく落ち着く。

 3階には、わたしと梨紗さんの住む二部屋しか無く、二つとも十畳の広い和室部屋だ。もともとこの二つの部屋は宴会場だったらしく、部屋を仕切っているのは薄い襖だけで部屋には鍵など付いて無くプライベートは無いに等しい。今晩は、梨紗さんは夜勤勤務のようで隣には人の気配は無い。
 黒光りする柱と天井を走る太い梁、白い漆喰の壁が最近はやりの古民家風で―――風と言うよりリアルに古民家だ。備え付けの家具は、元々大学生相手の下宿屋だった名残の机と、洋服ダンスだけ。
 1階は、お風呂と共同のキッチンと食堂があって、誰でも自由に使える。
 2階には各部屋にスリー婆ーズたちが住んでいた。
 ぼろアパートに見えたのは初めだけで、確かに古いんだけど屋敷内の柱や階段の手摺りはスリー婆ーズがいつも磨いてくれていて、きれいに黒光りしているし、外も玄関の周りやお庭にはスリー婆ーズが手入れをしている季節のお花が咲いている。
 でも、入寮した初日にいきなり避難訓練をやらされたのには驚いた。

『ここって古い木造の建物でしょう? だからいつ火事になるかわからないし。スリー婆ーズもいるし。だから半年に一回は避難訓練をしているのよ』

 梨紗さんに説明されて納得する。
 今はスリー婆ーズも元気で足腰もしっかりしているのだが、スリー婆ーズが寝たきりになっているという想定で、わたしと梨紗さんでスリー婆ーズをおんぶして避難の訓練をした。大柄な麦婆は梨紗さんが、小柄な米婆はわたしがおんぶして豆婆の手を引いて階段を降りた。
 いくら軽い米婆とはいえ、最近全く運動などしていないわたしはそれだけで足がガクガクと後で震えた。でも、なんだか訓練を通して梨紗さんとスリー婆ーズに、お近づきになれた気がして嬉しかった。
 避難訓練の後に出してくれたスリー婆ーズお手製のおはぎが、ほっぺたが落ちるほど美味しかった。
 それと、食堂に備え付けられているAEDの扱い方を梨紗さんに教わった。スリー婆ーズにいつ何が起こるかわからないから、という理由だった。

「えっと……パスワードは」

 履修登録や他の全ての手続きはWEB上で行う。大学ではノートPCは必携である。
 大学のアカウントのパスワードはまだ覚えて無くて、クリアファイルに入れてあったアカウント通知のカードを取り出した。パスワードを打ち込むと、履修登録のページを表示する。
 花菱さんと一緒に時間割を作った手引きを見ながら、どんどんと履修登録を埋めていく。でも、なぜだろう。ひとつだけ登録できない授業があった。いくらやり直しても、それだけ登録できない。

「……なんでだろう? 今度、花菱さんに聞いてみよう」

 ふと漏らした独り言に、自分自身驚く。

 そうか。わからないことがあったら、友だち―――花菱さんに相談できるんだ。

 自然と笑顔になってしまう。
 そういえば、花菱さんとはLINEの交換とかしなかった。やっぱり長年ぼっちをやっているとこう言う所に気がつかないな。今度、教えて貰おう。

 取りあえず、埋めたところは保存してノートPCを閉じた。最後の本登録は、実際に授業に出てから決める。
 立ち上がって窓の側まで行き、暗い外を見つめる。
 3階のわたしの部屋は、窓が吉林寺のお墓に面している。暗さに目が慣れてくると、高い塀で囲まれた広い敷地にお墓が整然と並んでいるのが見える。
 しとしとと雨が降る夜などふわふわと人魂が見えると、梨紗さんに脅かされた。
 でも、こうして目の前に広がる暗いお墓を見ていても、慣れたのだろうか、それほど怖さを感じない。
 スリー婆ーズが言うには、墓所は供養して貰った死者たちが静かに眠る場所なので、恨みや苦悶を抱えた幽霊や霊魂はいないらしい。幽霊がいるのは、自分が死んだのに気づかず彷徨さまよっている事故の多い交差点とか、病院とか、殺人事件のあった場所だという。
 昔は、お墓をお掃除するという粋な趣味を持つ『掃苔そうたい』という人たちがいたらしい。でもそれは現代に受け継がれていて、偉人のお墓参りと掃除をする『墓マイラー』を趣味にする人がいるという。 
 お墓を綺麗にすることで、自分の気持ちも清らかになるし開運にも繋がるのかもしれない。だから目の前にお墓が広がっていても、全然嫌な気分にならないし、むしろ最近は気持ちが落ち着く。何事も、気持ちは持ちようだ。
 古い建物と目の前に広がる景色は、わたしにはすごく合っているらしい。 
 こんな良い下宿を見つけてくれた父には感謝している。
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