そして悲しみは夜を穿つ

夜野綾

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167 『東京』にて(12)

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 何をしに行ったのやら、体感では1時間と経たずに高遠は戻ってきた。満足そうな顔をしている。怜はその顔に蹴りを入れたかったが、とりあえず黙って寝転がっていた。
 さっき高遠は「やってもらうことがある」と怜に言った。何をさせるつもりかを突き止めてから動いた方がいい。拉致されたあの時は、薫の目の前で怜の頸動脈を切る絶好のチャンスだった。それなのに高遠は怜を気絶させてここに連れてきたのだ。個人的な感情以外に何かあるかもしれない。
 それに、話を中断しなければならなかったのは、なぜだ?
 高遠は鉄格子の前に立つと、しばらく怜を見下ろしていた。何かの手順を考えている顔だ。怜が無視していると、高遠は重々しく「立て」と言った。
 怜は言われるなり、ひょいと立ち上がった。高遠が虚を突かれた顔になるのが面白い。
「ずいぶん素直だな」
「ずいぶん単純だな」
 逃げるチャンスを見つけるために立ち上がったという意味が通じたようで、高遠は機嫌が悪い顔になった。
「来い」
 鉄格子が開かれ、怜は廊下に出る。右側は木材のコンパネが廊下の先を塞いでいる。蹴り飛ばせそうなんだよな~、全体的に。
 まぁ今はおとなしくしておいてやろう。
 部下たちが怜に銃を突きつける中で、高遠は怜を後ろ手にして手錠をかけ、腕を掴んでドアを抜けた。
 さっきも見たが、そこは施錠されたロッカーが並ぶ部屋だった。たぶん兵たちの詰め所の一部で、武器などの装備をしまってある。10人ほどが真ん中のベンチにたむろっていて、高遠が通ると無言で会釈をした。
 なるほど、監獄から抜けてもここで足止めを食う作りか。
 その部屋の向こうはまた廊下だった。ドアが並び、奥から話し声が聞こえる。廊下の突き当りを見て、怜は目をむいた。
 そこは広いエレベーターホールだった。オフィスビルのような清潔でスタイリッシュな印象の空間で、そこを作業服の男が数人歩いている。
 怜が唖然としていると、後ろから乱暴に布が巻かれ、目隠しがされた。
 背中を突き飛ばされ、エレベーターに乗せられる。
 何階かを知られたくないんだな。
 怜が静かにしていると、チンという軽やかな音とともにエレベーターは止まった。再び背中を押され、怜は違う階に足を踏み出した。腕を掴まれてどこかの部屋に入れられ、椅子に座らされる。
 ようやく目隠しと手錠を外され、怜は周囲を見渡した。
「ここ……」
 レイアウトは違うが、そこは高遠が以前ねぐらにしていた三鷹のマンションにそっくりだった。左右対称に配置されたスピーカー、真ん中のオーディオ機器とCDラック、ガラステーブルと黒いソファー。ぐるりと見渡す。向こうの隅はキッチンになっていた。薬品のように並べられたハーブや調味料、キッチンツールに食器。研究室のように生活感がない雰囲気は変わっていない。
 変わったのは……窓がひとつもないこと。
「ダージリンでいいかね?」
「あんたさぁ……ほんと……キモい」
 高遠はそれを聞くと、楽しそうな笑い声をあげた。あの時と同じように電気ケトルでお湯を沸かし、ダイニングテーブルに高価そうな茶器を並べる。タイマーをセットして、正確に紅茶を淹れる。
 バカバカしい。まさかこれをやりたくてオレを拉致したんじゃないだろうな。
 高遠はダイニングテーブルを挟んで斜め向かいの椅子に座ると、テーブルにコトリと指輪を置いた。
「まだ持ってんの?」
 呆れ返って怜は呟いた。
「薫は探しているはずだ。三鷹のマンションを襲撃したということだからな。もっとも、もうあそこはもぬけの殻だが」
 いや、薫さんていうか屋島さんが襲撃した話は聞いたけど、目的はそれじゃなかったはず。なんか、自分に都合がいいように物事を解釈してないか?
「指輪なんか、薫さんはどうでもいいんじゃない?」
「あれは家族を愛していた。今もこれを探しているに決まっている」
「それはあんたが思ってるだけだ」
 怜はニヤリと笑った。
「薫さんは、オレを愛するのに忙しいんだ。出かけるたびにオレが好きな物を買ってきてくれて、仕事が終われば一目散にオレを迎えに来る。あんたのことは、仕事だから相手にしてるだけで、もうどうでもいいって感じ」
 高遠が黙り込んだ。その目が冷たく光っている。怜を嘲るのを通り越して憎んでいる。
 ふ~ん。薫さんが言った通りだな。
 寝物語に、薫は折に触れ過去を話してくれた。大学時代のいきさつから、『政府』時代のことまで、怜は薫と同じベッドの中で、様々なことを聞いた。
 高遠は薫に憎まれたくて憎まれたくてしょうがない。異様な執着だ。薫の家族を殺したのは、薫から大切なものを奪い、復讐以外に考えられなくさせるためだった。
 怜が興味を持ったのは、薫の母親のことだった。
 高遠に蹂躙されてなお自分の人生を貫いた女性を、怜はもっと知りたかった。何より怜の興味を引いたのは、彼女が高遠の影響を断ち切った方法だった。
──薫さんのお母さんは、本当に好きな人を愛して、その人と子供を作った。誰かを愛することで、高遠との出来事をちっぽけで価値のない、忘れてもいいようなものにしたんだ──
 高遠はそれが気にくわなかった。いつまでも自分のことだけを考え、自分を憎み、自分を追いかけてくるように仕向けたかったのに。
 だから母親から息子に標的を移した。
 あんたは今、やっぱり怒っている。薫さんがあんたに興味をなくしてることが、気に食わなくて焦ってる。
 怜はさらに言い募った。
「バッカじゃないの。薫さんはもう、あんたが何を持ってるかも忘れて、毎度毎度オレにおいしいものを食べさせるのに一生懸命だ。オレが食べたいものを作ってくれて、洗濯してくれて」
「はしたなくノロけるつもりか?」
「そりゃそうだろ。あんたが可哀想だから、薫さんがほんとはどういう人か、教えてやるよ」
「黙れ」
「薫さんとオレには、誰にも言わない秘密があるんだ。とっておきのヒミツ」
 甘い声で言ってやってから、怜は口をつぐんだ。
 聞きたいだろ? あんたは薫さんに自分の方を向いてほしくてたまらないんだ。
 段々わかってきた。オレを殺して終わりにしなかったのは、まず薫さんのことを知りたくて我慢できなかったからだ。一瞬で終わりにするんじゃなくて、長々と関係を引っ張りたい。オレが殺されるかもしれない状況を引き延ばして、気持ちよくなりたいんだ。
 黙ったまま、怜は今回は手を伸ばして紅茶をゆっくり飲んでやった。
「この紅茶、なんか渋い。淹れ方ヘタなんじゃない?」
「……薫と何をしている?」
 ニヤニヤ笑って見せる。焦らせば焦らすほど、高遠の腹の底に怒りが溜まっていくのがわかる。
「え~? オレと薫さんとのヒミツだって言っただろ? あんたに教えるわけない」
 高遠の指がイライラとテーブルを叩いた。
「やれやれ。そんなに知りたいなら教えてやるよ。薫さん、オレの世話をするのが大好きなんだ。部屋に帰ったら、オレは何にもしちゃいけないの。薫さんの一番の趣味は、オレを座らせて丁寧に丁寧にオレの歯を磨くこと。爪も切ってくれる。シャワーを浴びたりお風呂に入ったりする時は、頭のてっぺんから足の先まで薫さんが洗ってくれるし、ドライヤーも自分でかけたらダメ。オレはお菓子を食べながら、髪を乾かしてもらう。そうそう。セックスした後はね……」
 高遠がものすごい勢いで立ち上がった。音を立てて椅子が倒れる。怒りを通り越して顔は蒼白だった。
 怜は高遠を見上げ、せせら笑った。
「座れば? 何? 自分の息子と片思いの相手とのイチャイチャは聞きたくない?」
「……」
 無言のまま、高遠は指輪を掴んでポケットにしまうと、椅子を戻して座り直した。必死で自分を取り繕う姿が面白くて、怜は攻撃を緩めなかった。
「嫌ならオレを殺せばいいんじゃない? 薫さん、ちょっとはあんたのこと、見てくれるかもね。まぁ期待はできないかな。あんた、身代わりが狙撃されるとこ見てたんでしょ? 薫さんはあんなふうに、あんたの頭をブチ抜いてくれるよ。あんたが見えないところからさ」
 怜はうっとりした顔をした。
「かっこいいよね……薫さんって。オレを守るためなら、なりふり構わないっていうとこ。あんたへの復讐なんかより、オレが殺されそうだからって、1キロ向こうから撃ったんだ。ねぇ……あんたもわかってるんでしょ? 薫さんが影武者だって気づかなかったのは、薫さんにとって、まずオレを守るのが優先で、あんたに何の感情も持ってなかったからだって」
 高遠が身を起こした。腰から銃を抜き、テーブルの上で握る。
「黙ることだな。私の堪忍袋の緒が切れる前に」
 怜は肩をすくめた。煽りすぎたかな? まぁいいや。ずっとやられっぱなしだったんだし。怜は誘惑するように高遠を見上げて微笑んだ。
「はいはい。どうせあんた、薫さんのことも見てないしね。自分の理想を薫さんに押し付けてるだけでしょ」
「私は薫を見てきた。生まれた時からな。お前のように、自分の信念も意志ももたないものが少々ペットとして可愛がられたからといって……」
「だから、薫さんもオレもそういう関係じゃないの。あんたさぁ、ほんと、なんにも見てないのな。もしかして、薫さんがずっとあんたの近くにいたのも気づいてない?」
「なんだと?」
「あ、その調子だと本当に気がついてなかったんだ」
 高遠の目が細くなった。
 怒れ怒れ。
 怜は思った。
 薫さんはオレのものだ。そして──オレこそが、あんたへの復讐を遂げるために、すべての状況を利用した者。
 高遠が銃を構える。怜の眉間に銃口が当てられる。
「撃てばいいんじゃない? オレが仕組んだすべての物事の真相は、わからないままになる。そしてあんたは……永遠に薫さんを手に入れられない」
 互いが互いを憎み、決して相容れることのない親子は、今、よく似た顔でじっと睨み合っていた。

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