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第86話 城南家の敷居
しおりを挟むよくよく思い出してみたら、誰も輝矢さんの奥様がバツイチだと言ってなかった気がする。お子さんがいるとだけ聞いていたのだ。
――――僕が勝手に思い込んでただけなのかー!?
なんていう偏見だ。穴があったら入りたいパート2だ。僕はばれないように息を整えた。
「そうだったんですね。ご主人のこと……お気の毒でした。僕は何も知らなくて……」
「ああ。いえいえ。人に好んで話すことでもないので」
今から4年前、雨の日の交差点。雨合羽に自転車のご主人。相手は普通乗用車だった。
横断歩道を渡ったご主人が乗用車に跳ねられ即死。だが、加害者は信号は自分が青だったと主張した。菜々子さんはそれには猛反発。信号無視するような人ではないという主張だ。
時間も遅かったため目撃者は現れず、防犯カメラも交差点にはない。加害者の車にドラレコはついていなかった。
「亡くなった主人は、バカがつくほどの正直者で。ルールを守らないなんて考えられませんでした。『死人に口なし』みたいなことされて、私は許せなかった。その気持ちに応えてくれたのは、輝矢さんだけだったんです」
輝矢さんは持ち前の粘りで、根気よく事故を調べ上げる。地道に目撃者を募り、ドラレコを付けていた車は走っていなかったか聞き込みをした。
調査員も使っただろうけど、高い報酬は望めない案件だ。輝矢さんは自分の足で調べたんじゃないかな。あの激務の城南法律事務所にいながら本当に頭が下がるよ。
「公判が始まるぎりぎり、同時刻に走っていた車を見つけたんです。その車は、ドラレコを積んでいました」
ドラレコには、青信号で渡り始める自転車が映っていた。
それから輝矢さんは、細々とした法律相談から菜々子さんの就職の世話、果ては祥一郎君の子守りまでしたという。まあ、そのあたりはもう好きになってたんだろうなあ。
「半年前、プロポーズされたときは、冗談かと思いました」
「それはまた。冗談でプロポーズする人はいないでしょう」
そりゃ、城南家の男は冗談好きみたいだけど。菜々子さんはふふっと笑みを漏らす。やっぱり綺麗な人だな。
「正直……嫌だと思いました。輝矢さんの家が大金持ちだと知ってましたし。しかも長男で祥一郎は男の子。どうなるかは火を見るよりも明らかでしたから」
まあ、一般的にはそうだよね。ただ、それが普通なのか、正しいのかは僕にはわからない。
余談だけど、海外ではこういう法律事務所のトップが世襲ではなく、簡単に挿げ替えることはよくあるんだ。実力主義。いかに優良な顧客を持つかで決まる。
「だからお父様に許されず、駆け落ちすると言われたときは、逆にホッとしたんです。私は輝矢さんのことは好きでしたが、城南家の敷居は高すぎて」
菜々子さんは小さく左右に頭を振った。
なるほど、そういうことか。財産目当てじゃない人を、輝矢さんはようやく見つけたってわけだ。ということは、ここに戻ってきたのは不本意だった?
「じゃあ、ここに戻られるのは……反対でしたか?」
僕は恐る恐る尋ねる。輝矢さんを城南家に戻そうと画策したのは晄矢さんと僕なんだ。
「いえ……まさか」
フルフルと菜々子さんは首を振る。黒髪からシャンプーのいい匂いがした。
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