愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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呼びかけ

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なんとか立ち上がろうと、足に力を入れる。
だが、立てなかった。

ただ単に力が入らなかったのではない。心の動揺と恐怖に足が震えてしまい、立てなかったのである。

「……」

ふと、より近くにガブリエルの気配がした。振り返ることなど到底出来ず、まして「ガブリエル?」と呼びかけることも出来ない。

以前まであった小鳥の囀るような声は既に失われている。

掠れたような小さな声は、慕う人の名を呼ぶにはあまりにも醜い気がして、ロメリアは声も出せずに、ただただ毛布を己の身体に手繰り寄せて丸くなるしかなかった。

「……ロメリア」

彼にしては、珍しく呼びかけるような響きがその声にはあった。

ふと「今までとは逆になってしまったみたい」だとロメリアは思った。

今までは、ロメリアがしつこいくらいに「ガブリエル、ガブリエル」と呼びかけていた。それに対してガブリエルは、無視などは決してしなかったものの「なんだ」「ああ」といった素っ気ない返事を返すだけ。

だけど今なら分かる。

別に何の用もないのに呼びかけてくる声に対して返事なんてする必要もなかったのだ。

それなのに、ガブリエルは絶対に返事を返したし、頷いたりと反応を示していた。

だが今の自分はどうだろう。

ガブリエルの呼びかけが、何の意味も持たないはずがない。それなのに、声を出すのが嫌だからと言って無視してしまっている。

心の中でどんなに謝ろうとも、それがガブリエルに伝わることはない。

いっそのこと、いつものように無感情に「もう私と喋りたくないのなら、婚約を破棄しようか」とすっぱりきっぱりと問いかけてくれたならば、頷くだけでいいのだ。

頷けば、全て終わる。

開放されるのだ。

そうすれば、楽になる。

そう思うのに。

背後に感じるのは気配だけなのに、そんな気配すらも愛おしくて愛おしくて仕方がない。

近くにあるだけで、愛おしさが募って息が苦しくなる。

「……っ……ひ……く……っぅ」

ロメリアはますます身体を縮こまらせて、毛布に包まった。もはや頭のない羊のような有り様だったが、ガブリエルの目にはどう映ったのだろう。

彼はしばらく、そんなロメリアを静かな瞳で見下ろしていた。昔であれば、彼はそのまま何も言わずに背を向けて帰っただろう。少なくとも物語の中のガブリエルであればそうしたはずだ。

だが、彼はそうしなかった。

「君が……そんな風に泣いているのを見るのは久しぶりだ」

ふと、背後にあった気配が横に移る。

近いような遠いようなそんな気配だった。
彼の言葉に何の意味があっただろう。

ロメリアは深く考えることも出来ずに、ただ横にある気配に意識を集中させることしか出来なかった。
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