愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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「……綺麗ね」

掠れた声が、喉から零れ出た。

感慨深く、ただ口をついて零れ出た心からの言葉だった。

幼い頃に見上げた老木。成長した今でもその美しさと大きさは変わらない。

「……っ」

込み上げてくるものがあって、ロメリアは毛布が汚れることも厭わずにその場に座り込んだ。

傍から見たその姿は、寒さから身体を縮める大きな羊のように見える。

ロメリアは目的の場所まで辿り着けたことに安堵して、それから一切の気力が足元から抜けてしまった。泥のように重くなった身体は、風に吹かれてただ生ぬるい泥水に浸かるように無気力になっていく。

甘い芳香を孕んだ風がロメリアの青白い頬を撫でた。乾いた水色の髪が流れるように靡く。

久しぶりに訪れた安寧の時間だった。

この場所は、世界から隔絶されているのだと錯覚してしまうほど静かで、穏やかな場所だった。

なんなら、このまま安らかに地面に伏して時が止まってくれたら。

と、そんなことを考えてしまう。

(……だけど、そうもいかないのね)

こうしている間にも、時の経過を知らせるように藤色の花弁は大木から風に踊らされ、落ちて、ロメリアの水色の髪を飾る。

気づけば、ロメリアの髪にはたくさんの藤色の花弁が絡んでいた。

もし以前のロメリアの髪がこのように飾られればさぞ美しく、妖精と見紛うばかりの神秘を感じさせただろうが。

今のロメリアの髪は浜に打ち寄せられた海藻のように乾いているため、花弁が絡むとさらに髪同士が絡まって、より一層羊のような見た目になってしまう。

しかしロメリアは今の自分がどんな風になっているのか、鏡がないため検討もつかなかった。いや、そもそも検討しようとも思わなかった。自分の姿のことなど忘れていたのである。

きっと、近くに鏡があれば己の今の姿があまりに不可思議であることを思い出し、急いでその場から離れていただろう。

もし、そうしていたら。

ガブリエルとの望まぬ再会を果たすことはなかったかもしれない。

「……ロメリア……?」

ふと、背後から呼ばれた声にロメリアはすぐに反応出来なかった。

幻聴にしては、その声はあまりにも……あまりにも激しく重くロメリアの心を揺さぶった。

少し遅れて、やっと身体がビクリと震える。

背後に、ガブリエルがいる。

その事実を脳が随分と遅く理解し身体が反応したようだった。

「……っ」

まず思ったことは「逃げよう」ただそれだけだった。

顔を見たい気持ちよりも、恐怖が勝ったのである。

どうしてこんな時に……もう美しくなくなってしまった自分の姿を見られなければならないのか。

あんなに見て欲しかった時には見てもらえなかったのに。

どうしてこんな時ばかり……。

ロメリアの瞳からどっと涙が溢れた。

泣きすぎて赤くなった目尻にまた新たな涙が過るとヒリヒリとした痛みが滲む。

けれど、今はそんなことに構っている場合ではなかった。


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