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「立ちな」
 アニキから奪った銃の弾倉を抜き、あたしが持っていた自分の黒い拳銃――これも、三年前に、同じこのアニキから奪った奴だ――の弾倉と入れ替えながら、信仁はアニキを促す。
「一働き、だと?」
「あんたには俺が言うとおりに動いてもらいたい。ほれ」
 弾倉を抜いた、銀色の拳銃をアニキに渡しながら、信仁は続ける。
「チャンバーに一発だけ残ってる。俺の指示通りにそれを撃って、その後は逃げるなり何なりするといい……変な気起こすのは無しだぜ」
「待ちな信仁、あんた何するつもりだよ?」
 コイツ、これ以上深入りする気だ。気持ちの整理が付かないまま、急に高ぶった感情に押されて、あたしは固い声で聞いた。
「何って。あのバケモンの隙を作るのさ」
「な……ば!」
「バカは承知さ!」
 これ以上コイツを巻き込みたくない。混乱する感情の中で最も強いそれに押されたあたしの言葉の先鋒を制して、信仁が続けた。
「あのバケモン相手に、隙が作れる保証はねぇが、隙さえ作れりゃ姐さんの木刀でアイツをどうにか出来そうだ、ってのはさっき見た。なら、やるだけのことはやらしてもらいますぜ」
「ふざけ……」
「るせえ!」
 突然、信仁がキレた。あたしは、さっきと合せて二度目だけど、コイツがこんなに真剣にキレるのは、今日初めて見た。信仁がキレたの見たことないことは無いけど、大体忘れ物とかネジ締め損なったとかそういうつまんない事だったし、こんな真剣でもなかったし、少なくともあたしに対してではなかった。だから、その気迫に、あたしはつい一瞬退いてしまった。
「俺がやるっつったらやるんだよ!大体姐さん、あんた一人であんなバケモンどうにかできんのかよ?さっきだって押されてたじゃねぇか?策も無い時間も無い、だったら良いからちょっとでも目のありそうな方に乗りやがれ!」
 コイツの言っていることは正論だ。それは、頭に血が上ってるあたしでも理解出来た。でも同時に、普通の人間を巻き込んだらただじゃ済まない、その事をあたしは恐れた。
 実際にそうなる現場を、見たことがあったから。
「おら立てよ!あんたにゃ一働きしてもらわにゃならないんだ!」
 気迫に押されたのか、状況に呑まれているのか。すっかりおとなしくなってしまっているアニキを乱暴に引き摺り起こすと、信仁は先に立って歩かせる。
「一働きって、おい、待て、バケモンって何の事だよ?」
 信仁に聞くアニキの声が震えている。
「あんたが連れてきたんだろ?この寒空にダサいアロハ着たあのチンピラの事だよ」
「え?あ、き、桐崎の事か?あんなゴロツキのバイヤーが、一体……」
「……そいつは、あたしの親の仇で、最低のクズの化け物なんだよ」
 感情に押され、つい、あたしは口を滑らした。
「……その話は後だな」
 外の気配を感じたのか、一度立ち止まった信仁はそう言って、またアニキを促して前に進んだ。

「……どこへ逃げても同じ事、おまえ一人ではここから出られない。分かっているのだろう?」
 男は、そう言いながらゆっくりと、道場の中を歩いてくる。
 その後ろには、さっきアニキから男を連れてこいと命じられたチンピラが、やや所在なげについて来ている。
「……アニキは、どこ行ったんだ?」
 ここに居るはずのアニキの姿が見えないことに、そのチンピラは多少の不安を覚えているらしい。
 無理もない、と思う。だって、どうやら桐崎という名前らしいその季節外れのアロハを着た男は、右の二の腕から先がなかったのだから。
「……あんたを始末すりゃ、万事解決。そうだろ?」
 木刀ゆぐどらしるを中段に構え、あたしは言う。ゆぐどらしるに、薄く白い光が纏いつく。
「もちろんそうだ。だが。娘、おまえにできるか?……そこのふすまの中、小細工を弄しても分かっておる」
 あたしを見据えたまま、あたしの正面三歩先、ふすまの真ん前に立って、桐崎は言う。あたしから見て左、桐崎の右、やはり三歩ほどの位置に、壁に作り付けられた押し入れと、そのふすまがあった。

 数瞬の沈黙。激しい雨音だけが道場に響く。
「……ぁあああ!」
 緊張の糸を断ち切って、ふすまの中から声がした。ふすまを蹴破り、間髪入れず、銃声。
 こういう状況で、むしろ良く狙った方だと言えるのかも知れない。弾丸は、桐崎の後頭部をかすめて道場の反対側の板壁を貫いた。
 同時に、桐崎が動く。切り株みたいだった右腕を振り上げ、右に薙ごうとする。振り上げた時にはもう、切断面の先に結晶性の刃が構築されている。
「お?」
「あああああ!」
 一瞬、アニキを認識した桐崎の動きが止まる。その顔に手に持っていた銀の拳銃を投げつけ、アニキがこけつまろびつ道場の出口目指して駆け出す。
「アニキ!」
「取った!」
 状況が理解出来ず、一拍遅れてアニキの後を追うチンピラ。それに構わず、あたしは右に開いた桐崎の胴めがけて木刀を突く。
 ごつり。あたしの突きは、しかし、桐崎の左手が変じた結晶性の刃で受け止められる。
「……あま……」
「っしゃあ!」
 あたしに顔を向け、桐崎が甘いとか何とか言おうとした矢先、残っていた押し入れのふすまを突き破って信仁が飛び出して来た。

 驚き、咄嗟に右に体を開き、右腕を振った桐崎だったが、信仁は飛び出した勢いのまま、その振り遅れた桐崎の右腕の下をかいくぐり、桐崎の下半身、膝のあたりを狙ってタックルする。抱きつくでも組付くでもない、ただ姿勢を崩すだけの体当たり。
 直前に、信仁はアニキに言っていた。
「あんたは囮だ、飛び出して一発撃って、後は逃げろ。絶対にアイツの間合いに入るな」
 それは、既に一度桐崎の腕が刃に変じたのを見ていたから、その間合いに入って動きを止めたら駄目だと分かっていたからこその、とっさの思いつきだったんだろう。
 アニキがこっちの手に落ちていることを、桐崎はまだ知らない。だから、陰から誰かが飛び出してきたら、それは信仁だと先入観を持つ。三人目が居るとは思わない、こちらには二人しかいない、だからこれで終り、と。
 そして、アニキが飛び出したことで生じた隙を、あたしが突く、そこまでは誰でも思いつく。桐崎も、その程度は予測しているだろう。
 桐崎の力そのものはあたしを弾き飛ばすほどに上回っていても、技量自体はそうでもない、ただ二本の刃がやっかいなだけ。戦い慣れた身のこなし、というわけでもない。あたしの方が、剣の切り返しは早いはず。ほんの一瞬桐崎の動きを見ただけで、信仁は桐崎をそう判断していた。だから。
 一瞬でも隙を作れれば。飛び出したのが信仁ではなく、三人目が居ることに勘付くまで、あたし自身も囮であることに気付くまでが勝負。信仁はそう言った。

 下半身を崩しに行く。体捌きとかは多分、桐崎は使えない。避けられる確率は低い、体当たりで崩せる。組付いたら、こっちの動きを止めたら、刺される。だが、そのまま駆け抜けてしまえば、刃の届く範囲に留まる時間を限りなく少なくすれば、危険性ははるかに低くなる。
 俺だって死にたくないし、痛い思いするのも御免だから。俺は卑怯者に徹する。笑って信仁はそう言って、アニキを銃で威嚇しつつ押し入れに入り、そこで気配が消えた。あたしの鼻でさえ、油断するとごまかされる、逃げ隠れに特化した信仁の無意識の特技。それこそ、隠れることに極限まで集中出来る信仁の集中力あってこその、得意技。
 そのかいあって、見事に桐崎は膝を折られ、尻餅をつくように床板に崩れる。信仁はそのまま勢いを殺さず、むしろ二回転ほど前転し、すぱーんと前回り受け身を決めてから半身をひねって、膝をついた姿勢でこっちを向く。あたしはしかし、それを目で追ってはいない。
「ぃりゃあ!」
 桐崎を突いた木刀ゆぐどらしるを一度引き、一歩踏み込み、体重を乗せてもう一度、膝を崩してがら空きになった桐崎の胴を、鳩尾を突く。
 突いた木刀を切り返し、念を載せて右に一閃、切り返して今度は下から左上にもう一薙ぎ。
 一拍後に、仰向けにぶっ倒れた桐崎の体と、切り離された左の腕、右の腕の代わりの結晶の槍が、連続して床板を叩いた。
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