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第八話
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石畳の冷たさが、背中を通してゆっくりと体へ沁み込んでいた。夜は深く、風はどこか遠くの街角をかすめながら、私の頬を淡く撫でて通り過ぎていった。私は身じろぎもせず、その冷たさに身を委ねていた。ここへ戻ってきてからというもの、私はただ一つのことだけを考えていた。いや、考えるというよりも、胸の底に巣くった思いが、私をじっと掴んで離さないでいたのである。
私は、リルにだけ期待してしまう自分に気づいていた。彼女に会えるだろうという期待、それは、結局のところ、自分自身への期待でもあった。再びここへ来れば、何かが変わるのではないか、あの午後の続きが、もう一度だけ訪れてはくれまいか──そんな淡い望みが、心の奥で細い灯のように揺れていた。
しかし、私はふと問わずにはいられなかった。私は本当に彼女に会いたいのか。それとも、あの音色をもう一度聞きたいだけなのか。彼女の姿と、音の記憶と、そのどちらが自分にとって大切なのか、次第に境目が曖昧になっていった。答えは出ず、問いばかりが胸の中を巡り続けた。
私は、夢にすら現れてくれない彼女に、いつしか小さな怒りを覚えていた。なぜ来てくれないのか、なぜ私はここまで足を運び、こうして夜を迎えているというのに、彼女はただ沈黙の中に留まり続けているのか。そんな思いが、静かな湖の底に沈む泥のように、心の奥に積もっていった。
こんな私には、彼女も会いたくないのだろう──そう思った瞬間、胸のどこかで糸が切れたような気がした。期待と焦燥と失望とが入り乱れ、私はそれらをどうすることもできなかった。私はただ、それらをひとまとめにして胸の奥へ押し込み、蓋をするかのように、冷たい石畳の上へ体を横たえた。
まぶたを閉じると、闇は静かに広がり、世界の境目が緩やかに溶けていった。遠い記憶の影が、ゆらゆらと水面の光のように浮かんでは消えていく。私はそのまま、深い眠りへ落ちていった。
どれほど時間が経ったのか、私には分からない。夢の中で、誰かに声をかけられた気がした。やわらかく、遠く、細い糸のようなその声は、私の名を呼んでいるようにも、ただ風が囁いているようにも思われた。私はゆっくりと振り返った。
そこに、リルが立っていた。銀色の髪は静かな光を宿し、その瞳はどこか困ったように、それでいて、深い優しさを含んで私を見つめていた。言葉を発するはずのない彼女の唇が、かすかに動いたように思えた。私は息を呑んだ。胸の奥で、長く固まっていた何かがほどけていくのを感じた。
しかし次第に、その声が言葉ではないことに気づいた。耳を澄ますと、それはあのフルートの音であった。細く、透き通り、風に触れるたびに色を変えるような音が、夢の底から、静かに私の心へ滲み込んでいた。私はその音に身を委ねるうち、はっとして目を開いた。
目の前には、誰もいなかった。夜明け前の淡い闇が広がり、池の水面にはぼんやりとした空の色が溶けていた。私はしばらく動けずにいた。夢だったのか、現だったのか、その境がわからなかった。胸の奥に残った温もりだけが、かろうじて私に、何かが確かにそこにあったと告げていた。
私は深く息を吐き、静かに目を伏せた。落胆は、遅れて波のように胸へ押し寄せてきた。私は石畳の上に座り込み、両手を膝の上に置いた。その指先に、微かな震えが残っていた。
そのときである。背中の方から、そっと肩に触れるものがあった。羽根のように軽い、しかし確かに温度を帯びたその感触に、私は思わず身を固くした。ゆっくりと振り返ると、そこにはリルが立っていた。
彼女は昔のままの、変わらない微笑みを浮かべていた。銀の髪が朝の風にわずかに揺れ、胸の前には、あの古びたフルートが静かに抱かれていた。言葉はなかった。けれど、その沈黙の中に、私はすべてを感じ取った。風が木の葉を通り抜ける音よりも静かに、しかし確かに、何かが私と彼女のあいだに流れていた。
私は言葉を探そうとして、結局、何も言わなかった。ただ、そっと頭を垂れた。彼女もまた、小さくうなずいた。朝の光が、池の水面に広がり始めていた。世界は静かに目を覚ましつつあったが、その静けさの奥で、あの旋律は、昔と同じかたちのまま、風の奥に細く鳴り続けていた。
私は、リルにだけ期待してしまう自分に気づいていた。彼女に会えるだろうという期待、それは、結局のところ、自分自身への期待でもあった。再びここへ来れば、何かが変わるのではないか、あの午後の続きが、もう一度だけ訪れてはくれまいか──そんな淡い望みが、心の奥で細い灯のように揺れていた。
しかし、私はふと問わずにはいられなかった。私は本当に彼女に会いたいのか。それとも、あの音色をもう一度聞きたいだけなのか。彼女の姿と、音の記憶と、そのどちらが自分にとって大切なのか、次第に境目が曖昧になっていった。答えは出ず、問いばかりが胸の中を巡り続けた。
私は、夢にすら現れてくれない彼女に、いつしか小さな怒りを覚えていた。なぜ来てくれないのか、なぜ私はここまで足を運び、こうして夜を迎えているというのに、彼女はただ沈黙の中に留まり続けているのか。そんな思いが、静かな湖の底に沈む泥のように、心の奥に積もっていった。
こんな私には、彼女も会いたくないのだろう──そう思った瞬間、胸のどこかで糸が切れたような気がした。期待と焦燥と失望とが入り乱れ、私はそれらをどうすることもできなかった。私はただ、それらをひとまとめにして胸の奥へ押し込み、蓋をするかのように、冷たい石畳の上へ体を横たえた。
まぶたを閉じると、闇は静かに広がり、世界の境目が緩やかに溶けていった。遠い記憶の影が、ゆらゆらと水面の光のように浮かんでは消えていく。私はそのまま、深い眠りへ落ちていった。
どれほど時間が経ったのか、私には分からない。夢の中で、誰かに声をかけられた気がした。やわらかく、遠く、細い糸のようなその声は、私の名を呼んでいるようにも、ただ風が囁いているようにも思われた。私はゆっくりと振り返った。
そこに、リルが立っていた。銀色の髪は静かな光を宿し、その瞳はどこか困ったように、それでいて、深い優しさを含んで私を見つめていた。言葉を発するはずのない彼女の唇が、かすかに動いたように思えた。私は息を呑んだ。胸の奥で、長く固まっていた何かがほどけていくのを感じた。
しかし次第に、その声が言葉ではないことに気づいた。耳を澄ますと、それはあのフルートの音であった。細く、透き通り、風に触れるたびに色を変えるような音が、夢の底から、静かに私の心へ滲み込んでいた。私はその音に身を委ねるうち、はっとして目を開いた。
目の前には、誰もいなかった。夜明け前の淡い闇が広がり、池の水面にはぼんやりとした空の色が溶けていた。私はしばらく動けずにいた。夢だったのか、現だったのか、その境がわからなかった。胸の奥に残った温もりだけが、かろうじて私に、何かが確かにそこにあったと告げていた。
私は深く息を吐き、静かに目を伏せた。落胆は、遅れて波のように胸へ押し寄せてきた。私は石畳の上に座り込み、両手を膝の上に置いた。その指先に、微かな震えが残っていた。
そのときである。背中の方から、そっと肩に触れるものがあった。羽根のように軽い、しかし確かに温度を帯びたその感触に、私は思わず身を固くした。ゆっくりと振り返ると、そこにはリルが立っていた。
彼女は昔のままの、変わらない微笑みを浮かべていた。銀の髪が朝の風にわずかに揺れ、胸の前には、あの古びたフルートが静かに抱かれていた。言葉はなかった。けれど、その沈黙の中に、私はすべてを感じ取った。風が木の葉を通り抜ける音よりも静かに、しかし確かに、何かが私と彼女のあいだに流れていた。
私は言葉を探そうとして、結局、何も言わなかった。ただ、そっと頭を垂れた。彼女もまた、小さくうなずいた。朝の光が、池の水面に広がり始めていた。世界は静かに目を覚ましつつあったが、その静けさの奥で、あの旋律は、昔と同じかたちのまま、風の奥に細く鳴り続けていた。
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