わたしの愛した知らないあなた  〜You don’t know me,but I know you〜

藤野ひま

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聖夜1.

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「あーあ」

 須賀は空いた皿を置きながら、つい声が漏れた。
 
 今夜は店で貸し切りのクリスマスパーティーが開かれていた。と言っても、一人キャンセルも出て、参加者は五人だけだ。
 その中には一花もいる。顔をあわせた途端に、この前はごめんね、と謝まられた。たいして別に気にしてもいなかったが、気にしてくれていたことは嬉しくて、いい気分になった。

 だが、当然なのだが、自分は今日は従業員側なので、そんなに話してばかりもいられない。

 ……面白くない。

 須賀は料理が出てくるのを待ちながら客の方に目をやる。

 客は五人の内、一花さん以外に女性はあと一人、前にも来てくれたことのある人だ。オフホワイトのスーツがよく似合う、キリッとした、感じのいい美人だ。今日は彼女の主催だった。

 男は三人。直接知っているのは四条だけだ。会社帰りらしい彼はスーツのまま窓ぎわの席に静かに座っている。来店した時に預かったトレンチコートはいかにも高級そうだった。でも須賀は彼ほどそれが似合うと思う男を、今のところ他に思いつかない。
 もう一人はロゴの入ったセーターというくだけた格好をしていた。椅子に斜めに座りながら明るい声で話している。でも確か、あの服って値が張るやつだよな。

 次の最後の一人とは、面識はなかったが顔は知っていた。
 
 松岡瞬。レストランを何軒か展開する若手実業家だ。雑誌のインタビュー記事で見たことがある。
 四条ほどではないが彼も長身で、清潔感のある色白の肌とさらっとした黒髪をしていた。雑誌で見た時よりも、いい男に見える、って、すごくないか?

「はい、これ出して」

 ノコさんが厨房からカウンターに料理を出す。濃厚ないい匂いが漂う。お得意の牛肉の煮込みだ。
 須賀がテーブルに並べているとノコもホールに出てきた。

「そろそろ差し入れてくれたワインを開ける?」
「そうだね、開けましょうか」

 松岡が言い、須賀は急いで新しいワイングラスを用意した。
 もう一人の店のオーナーであるノコの夫がテーブルでコルク栓を抜く。彼は無口で体付きもゴツい方だが、繊細な料理を作る。ソムリエの資格もあるらしかった。
 須賀はワインが注がれる様子を、厨房のカウンターにもたれながら見ていた。

「うまそ」

 ボソッと言った声が、中に戻っていたノコの耳に届いたようだった。

「あれね、多分、一本100万はくだらないわよ」

 須賀は意味がわからなくてノコを見て聞き返した。

「何?」
「ワインのお値段の話よ」

 嘘だろう、と須賀は思った。酒には全く詳しくはないが確かに高そうではあった。でも、マジか。食い物の値段かよ。
 いや、世の中にはバカみたいな値段がついているものがあるのは知っているが……。

「彼らにはそこまで高くもないのよ。友人と楽しむワインとして」

 そんな事を話している二人に、一花が声をかけた。

「ねえ、ノコさん達も一緒にいただきませんか?」
「あー嬉しい。でも、まだお料理あるし、後でもいい?」

 じゃあ、とっときますね、と一花が笑顔で言う。松岡がそんなに悪いワインではないから、悪酔いはしないですよ、と言う。

 その値段で悪かったら困るだろうが、と須賀は思う。なんかムカつくな。

「そんな顔しないの。お客様の前で」
「……すみません」
「わかる気もちょっとするけど」

 そう言ってノコは笑った。

「なんなんでしょうね、あの人たち」
「何って、お金持ちよ」
「いや、そりゃ知ってるけど」

 ノコはチーズを切り出しながら話す。

「うーん、あの中で一番普通のOLは一花ちゃんだけど」
「お嬢じゃん」
「そういうこと。吹子さんは会社役員だしね。直接はお兄様が跡取りらしいけど」
「うん」
「あと、松岡さんは知ってる?」
「知ってます。雑誌で見たことあるので」
「かっこいいし、成功してるもんねえ。高校生の時からイケメンだったわよ。今の事業は自分で始めたらしいわね」
「もう一人は?」

 須賀は賑やかに話す男を見た。なんだか少し、違う雰囲気なんだよな。人好きする感じはするけど、悪く言えば落ち着きがないというか。

「彼の家はね、代々政治家でその跡取りね。いまはお父さんの秘書をやってるらしいわ」
「え? マジですか」
「祖父は与党の元大物よ。びっくりでしょ」

 びっくりだよ、全くそんな風に見えない。……日本、大丈夫か?

「で、四条さんですか。でもあの人ってサラリーマンでしょ?」

 まあそうね、と言いながらノコは出来上がったチーズの盛り合わせを須賀に渡す。
 須賀は運び終わって戻ってくると、またノコに聞いた。

「四条さんって元々は一花さんのとこで働いてたんでしょ?」
「働いたっていうか、育ったのね。昔、天涯孤独だって言ってたな」

 つまりは使用人じゃないか、と須賀は思った。以前ノコも一花の家で働いていたのを知っているから、口には出せないけど。
 今はいい会社でいい給料をもらっているからって、なんか偉そうなんだよ、あの人。
 そう思いながら彼を見ると、端の席で隣にいる松岡の話を静かに聞いている。

 ……わかってるさ、ヤツは別に目立つことは何にもしてない。
 ただ、いるだけで目立っている、だけだ。

「榛瑠も何か知らないけど事業やってるらしいけど。まあ、そんな事はどうでもいいけど」

 ノコが差し出したパンの追加を、須賀は一花のテーブルに運んだ。

「ありがとう」

 一花は笑顔だ。

「よければ須賀くんも食べて? ノコさん達もね」

 一花が厨房に声をかける。
 
「落ち着いたら食べて、本当。知り合いばっかりのこんな会だし、遠慮する事ないわよ」

 一花の隣で吹子が言う。

「そうそう、おんなじツラばっかりで飽きるよなあ。なあ榛瑠?」

 政治家の息子が口を挟んだ。話を振られた男は黙って微笑んだだけだった。

 礼を言いつつ厨房に戻った須賀に、ノコが言った。

「あと一品で終わりだし、ひとまずいいよ、須賀くん。皆んなに混ざってきたら?」
「ありがとうございます」

 そう言いつつ、どこか躊躇する。気後れしている、という自分を認めたくはない。

 自分は、寒い田舎で、金のないところで育った。大学だって、奨学金をとって通っている。
不公平、なんてつまらないことを言う気はない。不公平でもそれが普通だ。
 でもさ、四条榛瑠だって本来は似たようなもののはずだろ? なのに、さ。

 さっきから見ていると、彼の周りに人が来る。グラスに酒を注いだり、話に来たり。
 四条自身は席を立たない。隅っこでゆったりと座ってるだけだ。この5人の中で唯一、お嬢様でもお坊ちゃんでもないというのに。

 ……なんなんだよ。ムカつくな。

 環境の差は仕方ないにしても、生まれ持った個体差は一体どうしろってんだ。

 そんな須賀に一花が笑顔で手招きをした。彼女の頬がほんのり赤い。あの人にしては結構飲んでるんじゃないかな。大丈夫かな。
 須賀が一花のところに行くと、「グラス持ってこなくちゃ」と言って取りに行こうとする。
 須賀はそれを慌てて押しとどめて、自分で取りに行く。

 やっぱり一花さん可愛らしいなあ、って思う。良い意味で、普通っていうか。

 ワインも料理も馬鹿みたいに美味かった。いつもみたいにがっつく事なく、須賀は一つ一つ味わって口にした。

 次、いつこんなもの口にできるかわからないしな。もしかしたら、一生ないかもしれない。
 ……いや、そんな事はない。そんな人生にはしない。

 隣で一花が「おいしいよねえ」と楽しそうに言う。
 うん、と返事しながら彼女を見る。そして思う。

 俺だって、手に入れてもいいはずだ。ダメだなんて、ムリだなんて、誰も言ってない。

 そう思いながらワインを飲んでいる須賀の横で、一花がグラスの酒を飲み干して、次を飲もうとしていた。

 ちょ、ちょっと、マジで?

「一花さん、お酒すすみすぎじゃあ……」

 そう言う須賀の横からすっと腕が伸びて、一花が取ろうとしていたボトルが持ち上げられる。

「そろそろ終わりにした方がいいですよ」

 そう、須賀の横に立った四条榛瑠がボトルを手に言った。
 一花は不服そうな顔をした。四条は黙って少しだけ彼女のグラスに注ぐと、終わり、と言った。

 須賀はますます面白くなかった。

 記憶喪失になって別れたって言ってたのに、なんだか、なんだよなあ。

「榛瑠さあ、一花ちゃんと別れたんじゃないの?」

 唐突に政治家の息子が言った。

「ばか」

 横にいた吹子が彼の腕をつねって、いって~と言っている。あいつ絶対、失言でやらかすタイプだろ。
 
「別れてますよ」

 一花がどこか怒ったように答えた。
 ……なんか、こんなに不機嫌な一花さんってはじめてだな、と須賀は思う。

 モヤモヤしつつも、ホールの仕事の合間に食べた飯も酒も上手くて、須賀はそれなりに満足だった。
 やがて最期のデザートまで終わった時、一花がお暇する、と言い出した。時刻は10時を過ぎる頃だった。

「え? もうですか?」

 須賀が驚いて聞くと一花は残念そうに言った。

「うん、明日も会社だし。家まで帰るのにも時間かかるし」

 あ、そうなんだ……。

 須賀は皿の片付けをしつつ、一人で大丈夫ですか? と聞く。一花は案の定、大丈夫、と言いつつ帰り支度をしているが……。

 どう見ても顔赤いし。平気じゃなくないか? それでなくてもクリスマスで人が多いのに、絡まれそうじゃん、この人。

 そんな心配をよそに一花はその場にいた人達に挨拶をすると、さっさと店を出て行った。

「あ、一花さん、待っ……!」

 皿をガチャンとその場に置き慌てて後を追おうとする須賀の肩を、誰かが押し留めた。

 うるっせーなと勢いよく後ろを見た須賀の前に、コートを着た四条榛瑠がいた。

「え?」
「私も帰りますから大丈夫ですよ」

 見上げる須賀に微笑を浮かべて言う。

「帰るんか? 榛瑠。気をつけてなあ」

 あいかわらず能天気な声で政治家息子が言う。四条は挨拶をして店を後にする。
 須賀はその場で立ちつくしていたが、店のドアが閉まる音と同時に振り返った。もう、四条の姿はない。

 ……あのやろう、上から見下ろしやがって。全然、目が笑ってないだろうがっ。

 その金色の瞳に射すくめられるように止まってしまった自分にも腹が立った。あークソっ。

 後を追おうかと一歩踏み出した須賀の肩に再び手が置かれた。

 誰だよ、一体!

 腹を立てながら振り返ると、今度そこにいたのは松岡だった。

「なんです……」

 言い終わらない内に松岡が言った。

「君はいったい何がしたい人なの?」

 何だって?

「やりたい事があるんだろ? オーナーに聞いたよ。よければ少し話をしないか?」

 須賀は眉をよせたままの表情で、頭の中でグルグルと考えた。

 なんだ? オーナー? ノコさん? 俺のやりたい事?

 そして一気に答えがくる。この店の人にだけ勢いで口を滑らせた、俺のバカみたいな妄想のことか?

「えー? あー?」

 間抜けな声に松岡は柔らかい笑顔で返した。でも、こちらも目は笑っていない。本気だ。
 須賀はどこかでそう感じて、彼の目を見ながら声に力を込めて答えた。

「俺、ビジネスがしたいんです。……『食』で世界に出たいんです」

 松岡はにっこりと笑った。


 
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