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14. 榛瑠の時間 ③
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今日の午後、榛瑠を呼んでいる。
彼を私から呼びつけるのはたぶん初めてだ。
私は、でも、それができるのをずっと知っていた。
鬼塚さんに誘われて飲みに行った次の日の昼休み、休憩所で彼を捕まえてお礼を言って、そして謝った。
「すみません、途中で寝ちゃって。奢って貰っちゃったし、ごめんなさい」
「いいさ、別に気にしてない。二日酔いとか大丈夫か?」
「大丈夫です。ありがとうございます。それにあの、楽しかったです」
「それなら良かったけどな」
そう言って鬼塚さんは笑った。
「ま、気にするな。もう行くぞ?これから商談なんだ」
「あ、はい。相変わらず忙しいですね。お疲れ様です」
じゃあな、と鬼塚さんは背中をみせた。
なんだか変な気がするのは何で?何か違和感がある。私はその背中を思わず引き止めてしまった。
「鬼塚さん!」
鬼塚さんは足を止めて振り返った。私は心臓がなっていた。何で呼び止めた?私。
「えっと、あの……」
「なんだよ、何にもないなら行くぞ?」
そう言ってまた歩き出そうとする彼に私は自然に声が出た。
「あの、私、男に生まれれば良かったなって」
「は?」
え?私、何言い出してる?でも止まらない。
「ずっと、思ってて。そうすればもっとたくさんいいことあったかもって。鬼塚さんの仕事の手伝いももっとできたかもって、思うときもあって」
もちろん、性別なんて言い訳だって知ってる。でも、そう思う。
私の立場は全然違うものになっていたはずだ。そしたら鬼塚さんの隣でもっと違うことができたんじゃないかって。そして、榛瑠の隣で、何かできたのではないかと。彼に与えられるものがもっと違う形であったのではないかと、そう、思うのだ。
鬼塚さんは驚いた顔をしていたが、ふっと笑うと言った。
「まあ、男ならってのはやめとけ?会社やばそ……」
「え?」
「いや、何でもない」そう言って苦笑すると続ける。「ま、あれだよな、お前も大変だよな」
「あの?えっと、まあ、はい」
鬼塚さんは微笑したまま私を見た。なに?一瞬、どきっとした。なんで?
「店、気に入ったんならまた来いよ。四条とでも一緒に」
「……ありがとうございます」
実は昨日、榛瑠が来たあたりからあまり記憶がない。
彼はどう言って昨日あそこにいたのかな?
「じゃあな、行くわ」
鬼塚さんが背中を向ける。と、二、三歩歩いたところで振り返った。
「四条にも……」
「え?」
「……いや、女だろうが男だろうが覚悟しないとな、そんだけ」
そう言ってまた歩き出した。
「あ、頑張ってください。時間、すみませんでした」
私は頭を下げた。鬼塚さんは背中を見せてまま右手を軽くあげて去って行く。
その時、違和感の原因に思い当たった。鬼塚さん、いつもの頭に手をやる癖がでてない。
そのことに気づいた時なぜか胸が痛くなった。
今朝、会議だなんだと忙しくしている榛瑠を一瞬捕まえて鬼塚さんにどう顔合わせればいいか聞いたら、「彼は、良い勘してますよね」とわからないこと言って、なぜか、私の頭をくしゃっと撫でたのだった。
なんとはなしに窓に目をやる。秋の日は早くて、まだ昼なのに穏やかな斜めの日が窓から入って来る。
窓の外は変わらずのビルと空だ。それなのに、なんだかいつもと違うものに思えるのはなんでだろう。
「一花さん、どうしたんですか、ぼんやりして。もう、昼休み終わりますよ」
篠山さんが後ろから声をかけて来た。私は「うん、もういく」と返事をして彼女と歩く。
それにしても、と思う。鬼塚さんは相変わらず厳しいことを言う。覚悟、ですか。
ずっと、得られるものと失うものを天秤にかけて動けないでいた。でも、もし、覚悟が欲望の別の様相なら話はきっと簡単だ。
私の欲望は、榛瑠、あなたの形をしている。
彼を私から呼びつけるのはたぶん初めてだ。
私は、でも、それができるのをずっと知っていた。
鬼塚さんに誘われて飲みに行った次の日の昼休み、休憩所で彼を捕まえてお礼を言って、そして謝った。
「すみません、途中で寝ちゃって。奢って貰っちゃったし、ごめんなさい」
「いいさ、別に気にしてない。二日酔いとか大丈夫か?」
「大丈夫です。ありがとうございます。それにあの、楽しかったです」
「それなら良かったけどな」
そう言って鬼塚さんは笑った。
「ま、気にするな。もう行くぞ?これから商談なんだ」
「あ、はい。相変わらず忙しいですね。お疲れ様です」
じゃあな、と鬼塚さんは背中をみせた。
なんだか変な気がするのは何で?何か違和感がある。私はその背中を思わず引き止めてしまった。
「鬼塚さん!」
鬼塚さんは足を止めて振り返った。私は心臓がなっていた。何で呼び止めた?私。
「えっと、あの……」
「なんだよ、何にもないなら行くぞ?」
そう言ってまた歩き出そうとする彼に私は自然に声が出た。
「あの、私、男に生まれれば良かったなって」
「は?」
え?私、何言い出してる?でも止まらない。
「ずっと、思ってて。そうすればもっとたくさんいいことあったかもって。鬼塚さんの仕事の手伝いももっとできたかもって、思うときもあって」
もちろん、性別なんて言い訳だって知ってる。でも、そう思う。
私の立場は全然違うものになっていたはずだ。そしたら鬼塚さんの隣でもっと違うことができたんじゃないかって。そして、榛瑠の隣で、何かできたのではないかと。彼に与えられるものがもっと違う形であったのではないかと、そう、思うのだ。
鬼塚さんは驚いた顔をしていたが、ふっと笑うと言った。
「まあ、男ならってのはやめとけ?会社やばそ……」
「え?」
「いや、何でもない」そう言って苦笑すると続ける。「ま、あれだよな、お前も大変だよな」
「あの?えっと、まあ、はい」
鬼塚さんは微笑したまま私を見た。なに?一瞬、どきっとした。なんで?
「店、気に入ったんならまた来いよ。四条とでも一緒に」
「……ありがとうございます」
実は昨日、榛瑠が来たあたりからあまり記憶がない。
彼はどう言って昨日あそこにいたのかな?
「じゃあな、行くわ」
鬼塚さんが背中を向ける。と、二、三歩歩いたところで振り返った。
「四条にも……」
「え?」
「……いや、女だろうが男だろうが覚悟しないとな、そんだけ」
そう言ってまた歩き出した。
「あ、頑張ってください。時間、すみませんでした」
私は頭を下げた。鬼塚さんは背中を見せてまま右手を軽くあげて去って行く。
その時、違和感の原因に思い当たった。鬼塚さん、いつもの頭に手をやる癖がでてない。
そのことに気づいた時なぜか胸が痛くなった。
今朝、会議だなんだと忙しくしている榛瑠を一瞬捕まえて鬼塚さんにどう顔合わせればいいか聞いたら、「彼は、良い勘してますよね」とわからないこと言って、なぜか、私の頭をくしゃっと撫でたのだった。
なんとはなしに窓に目をやる。秋の日は早くて、まだ昼なのに穏やかな斜めの日が窓から入って来る。
窓の外は変わらずのビルと空だ。それなのに、なんだかいつもと違うものに思えるのはなんでだろう。
「一花さん、どうしたんですか、ぼんやりして。もう、昼休み終わりますよ」
篠山さんが後ろから声をかけて来た。私は「うん、もういく」と返事をして彼女と歩く。
それにしても、と思う。鬼塚さんは相変わらず厳しいことを言う。覚悟、ですか。
ずっと、得られるものと失うものを天秤にかけて動けないでいた。でも、もし、覚悟が欲望の別の様相なら話はきっと簡単だ。
私の欲望は、榛瑠、あなたの形をしている。
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