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痩せっぽちの娘
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「私は確かにこの森の番をしているが、この広さだ。当然、取りこぼしもある。全ての旅人を把握しているわけではない」
ルズがクルルルルと、妙な声で鳴いた。
「ごほん。107日前か。そのような女は見なかった。血が繋がっているならお前に似ているのだろう?」
ラルフが問うと娘は曇った顔になり
「いいえ、姉は金の髪に美しい彫刻のような顔立ち、背もすっとして高く、麗しい体つきをしています。私には似ていません」
ラルフは確信した。娘が捜す姉とは、百七夜彼の妻だったベルその人である。
彼はぞっとした。
罪悪感からではない。
人間の情から生まれいずる、忌まわしい呪い。そんな不気味なものを、この心を見透かすような緑の双眸に感じているのだ。
孤独を好む彼にとってそれは、ひどく煩わしいしがらみ――
「そのような女は見ていない」
彼は感情の無い声で告げると、再び魔物を呼ぶ呪文を口にしかけた。やっかいの種は消さねばならない。あいつにひと呑みさせてしまえば万事解決だ。
ところが、いましも呪文のひと言目を舌にのせた瞬間……
「ああっ、そんなことって!」
絶望的な声で叫ぶと同時に、娘はラルフの足元にばったりと倒れた。
「あれっ、気を失ってるよ」
ルズが娘の傍に飛び降りて顔を覗き込み、人語で教えた。
「弱い、あまりにも弱すぎる!」
ラルフはそう吐き捨てると、娘のざんばらな灰色の髪をひと束つかんで、起こそうとした。
「駄目だよ、乱暴しちゃ」
ルズが噛み付こうとしたので慌てて手を離す。その弾みで娘の額が地面に落ちたが、ぴくりとも動かなかった。
「死んだのか」
ラルフは彼女を足先でひっくり返した。息はしているようだ。
「ねえ、これ」
見ると、ルズが娘のシャツの襟元からのぞいた、細い革紐を口にくわえている。
「やめろ、私達は泥棒じゃないぞ」
たしなめるラルフにルズは渋面を作って、
「人さらいに言われたくないよ……ねえ、ほら見てごらんよ」
そう言って引きずり出した革紐の先に付いているものを目にした途端、ラルフは息を呑んだ。
「これはっ」
ひざまずくと、それをルズから奪って手に取り、吸い込まれるように見入った。
黒い黒い、とてつもなく黒い、この暗黒の森に棲む魔物を彷彿とさせるような、漆黒の琥珀であった。
「これは凄い!」
1000年を生きる彼が見たこともない、謎に満ちた美しさである。
「泥棒はしないんでしょ」
呆れたように見上げるルズに、彼はほくそ笑んだ。
「この者を屋敷に連れ帰る。少しばかりいい思いをさせてやれば、それが代価になるだろう」
「げっ」
あまりに野蛮な言葉に、ルズは羽毛を逆立てる。
「さあ相棒よ、手伝ってくれ」
「うう~ん、でもお……」
ルズの気乗りしない様子に頓着せず、ラルフはさっさと立ち上がる。
「本当にまったく……恐ろしい。自分本位というか、乱暴というか」
つぶやくルズだが、ラルフあっての食い扶持だ。渋々翼を広げて変身すると、同情の眼差しになり、マントにくるまれる少女を眺めた。
何も知らず、こけた頬に涙の筋を伝わせた悲しい顔。
彼女はラルフに担がれ、ルズの羽毛に深く収まった。
ルズがクルルルルと、妙な声で鳴いた。
「ごほん。107日前か。そのような女は見なかった。血が繋がっているならお前に似ているのだろう?」
ラルフが問うと娘は曇った顔になり
「いいえ、姉は金の髪に美しい彫刻のような顔立ち、背もすっとして高く、麗しい体つきをしています。私には似ていません」
ラルフは確信した。娘が捜す姉とは、百七夜彼の妻だったベルその人である。
彼はぞっとした。
罪悪感からではない。
人間の情から生まれいずる、忌まわしい呪い。そんな不気味なものを、この心を見透かすような緑の双眸に感じているのだ。
孤独を好む彼にとってそれは、ひどく煩わしいしがらみ――
「そのような女は見ていない」
彼は感情の無い声で告げると、再び魔物を呼ぶ呪文を口にしかけた。やっかいの種は消さねばならない。あいつにひと呑みさせてしまえば万事解決だ。
ところが、いましも呪文のひと言目を舌にのせた瞬間……
「ああっ、そんなことって!」
絶望的な声で叫ぶと同時に、娘はラルフの足元にばったりと倒れた。
「あれっ、気を失ってるよ」
ルズが娘の傍に飛び降りて顔を覗き込み、人語で教えた。
「弱い、あまりにも弱すぎる!」
ラルフはそう吐き捨てると、娘のざんばらな灰色の髪をひと束つかんで、起こそうとした。
「駄目だよ、乱暴しちゃ」
ルズが噛み付こうとしたので慌てて手を離す。その弾みで娘の額が地面に落ちたが、ぴくりとも動かなかった。
「死んだのか」
ラルフは彼女を足先でひっくり返した。息はしているようだ。
「ねえ、これ」
見ると、ルズが娘のシャツの襟元からのぞいた、細い革紐を口にくわえている。
「やめろ、私達は泥棒じゃないぞ」
たしなめるラルフにルズは渋面を作って、
「人さらいに言われたくないよ……ねえ、ほら見てごらんよ」
そう言って引きずり出した革紐の先に付いているものを目にした途端、ラルフは息を呑んだ。
「これはっ」
ひざまずくと、それをルズから奪って手に取り、吸い込まれるように見入った。
黒い黒い、とてつもなく黒い、この暗黒の森に棲む魔物を彷彿とさせるような、漆黒の琥珀であった。
「これは凄い!」
1000年を生きる彼が見たこともない、謎に満ちた美しさである。
「泥棒はしないんでしょ」
呆れたように見上げるルズに、彼はほくそ笑んだ。
「この者を屋敷に連れ帰る。少しばかりいい思いをさせてやれば、それが代価になるだろう」
「げっ」
あまりに野蛮な言葉に、ルズは羽毛を逆立てる。
「さあ相棒よ、手伝ってくれ」
「うう~ん、でもお……」
ルズの気乗りしない様子に頓着せず、ラルフはさっさと立ち上がる。
「本当にまったく……恐ろしい。自分本位というか、乱暴というか」
つぶやくルズだが、ラルフあっての食い扶持だ。渋々翼を広げて変身すると、同情の眼差しになり、マントにくるまれる少女を眺めた。
何も知らず、こけた頬に涙の筋を伝わせた悲しい顔。
彼女はラルフに担がれ、ルズの羽毛に深く収まった。
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