私、メイドになります!~時空を越える愛を添えて~

風翔ゆめむ

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第五章 シロツメクサ、試練の日

03 幕間『記憶の闇』

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 司は控室を後にし、しばらく歩いた。
 やがて曲がり角に差し掛かり、東館へと入った後で──ゆっくりと司は歩みを止めた。

「……あぁ」

 身体に溜め込んでいた熱を、ようやく吐息に混ぜて吐き出した。参ったなぁ、と小声で呟く。
 すみれの淹れた紅茶は甘かった。いや、舌で感じる脂肪分のコクや甘みはむしろ減った。
 その分、心臓で感じるまっすぐな甘さが、苦しい。

(ねえ。ほんとにさ、そろそろおかしくなりそうだよ、俺は)
 こんなに甘い紅茶を、君は俺に淹れてくれるのに。
(何故……)
 司は壁に力無く凭れかかり、闇の中、薄緑の瞳を鋭く眇めた。

 何故──は、あれほどまでに、哀しい目を。

                               *

 一方、部屋に戻らぬ主を探し、東館の一階で、鞘人は司を見つけた。
 何をするでもなく、司は壁に凭れている。鞘人の気配にも気付いているだろうにこちらを一瞥もしない。
 近寄り、鞘人は声をかけた。

「──事を急ぎましたね、司様」
「……」

 漸く、ちらと司が目を上げた。無言のままだ。

「司様があの席にきて美味しいといえば、異を唱えられるメイドはいなくなる」
「……そこまで皆の意識をコントロールすれば、すみれが孤立して逆効果だ。俺が部屋に入ったのは、多数決であのミルクの採用が決まった後だっただろう。昇級も、ミルクの変更も、あの子が自力で勝ち取ったことは一目瞭然だ」
「それでも、部屋で大人しく待ってはいられなかった」

 鞘人が畳みかけると、司はやがて薄く笑んだ。

「……あの子をこの世界に引き込んだのは俺だからね。様子を見守るぐらいのことはするさ」

 部屋には一人で戻るよ、と言い置き、司は壁から身を起こす。
 ひらりと手を振り去ろうとした司の背に、だが鞘人はさらに声を投げた。
 そうしないではいられなかった。

「司様が、理愛りあお嬢様との御婚約を拒んでまで想い焦がれておられたのは、すみれ様でしょう」
「……」

 ぴたりと司は足を止めた。だが振り向かない。
 鞘人には確信があった。突然、司がすみれを家族として引き取りたい、と言いだしたその時から感じていた仄かな予感は、この2カ月でじりじりと形を帯び、はっきりとした確信に育ちつつあった。

 血縁でもない、知人の子でもない。およそ今まで縁がないはずだったすみれのことを、司は最初から詳細に知りぬいていた。
 高速道路の対抗車線で起こった事故を何故か気にして詳細を調べ、それが他でもない、晴野すみれの一家に起こった悲劇だと突き止めたあの朝。
 ショックのあまり紙のように蒼白な顔をして立ちつくしてた司を、鞘人は知っている。
 今まで、およそ女性関係の皆無な男だった。
 誰に対しても物腰は柔らかいが、執着もしない。縁談はひたすら断り続ける。
 そんな司が、初めて邸に引き取り、その人生ごと面倒をみたいとまで言いだす女性が現れた。
 それが、すみれだ。

「司様は、間違いなく昔からすみれ様を御存じだった。どういういきさつかは存じませんが、すみれ様を知り、そして大切に想っておられた。違いますか」
「……」

 司の背に無言の拒絶を感じながらも、鞘人はその沈黙の中へ斬り込む。

「今、改めていつかの問いをもう一度させて頂きたい。私が──いえ、私に限らず他の誰が彼女を誘っても構わないと今でも仰るのですか?」
「……そうだね」

 対する司の背は、微塵も揺れはしなかった。

「……貴方は……何を考えて……」

 鞘人は思わず呻いた。胸の奥がささくれたように痛い。
 この二カ月で、司はすみれの心を確実に手に入れた。それは間近で見つめ続けた鞘人が一番よく知っていた。
 すみれの心を極めて意識的に、積極的に掴んでおいて、この男は何をふざけたことを言っているのだろう。
 すみれとのことは戯れだとでも言うのだろうか。
 それではあまりに酷い。すみれが、不憫だ。

(──いや、まさか、ありえない)

 司は女の心を戯れに弄ぶような男ではない。だからこそ不可解だった。
 落ちつけ、これは所詮他人事だ、そしてこの男は自らが仕える主だ。そう自らに言い聞かせても、抑えきれぬ苛立ちがこみ上げる。
 私情が絡み、冷静にこの状況を傍観できなくなっている。

 それは『明日』が自分たちにとって、拭い去れぬ激しい悔恨を思い起こさせる一日だからだ。

 苛立つ己を、鞘人は自覚してはいた。だが、止められなかった。
 司の方が、まるで普段の鞘人のように寡黙だ。
 口を閉ざしたまま、ただ静かに振り向いた司の醒めた眼差しに、鞘人は微かな震えを覚えた。
 その瞳にぱっくりと開いた、昏い闇。

「……貴方は──」

 その闇の理由は何だろう。
 司の沈黙は明らかに鞘人の追及を拒んでいる。わかっていても鞘人はそれに触れずにはおれなかった。
 ──もう、誰も泣かせたくはないのだ。

「貴方は、もう一度同じことを繰り返すおつもりか……」

 口にした瞬間、ぎりっと胃が痛んだ。
 臓腑を抉るようなこの痛み。覚えがある。

 あの日──
 司を深く恋い焦がれた一人の少女が、無念のままにあの世へと旅立った。
 司にその恋心を拒絶され、己の未来に絶望したまま──

「……そんなつもりはないよ」

 司が、ようやく重い沈黙を破った。
 それを待っていたかのように、ぽつり、ぽつりと窓の外で音が響き始めた。一瞬のうちに、ざぁっと小豆を散らしたような音と共に雨が降り始める中──
 司はひどく昏い眼差しで、鞘人を見据えた。

「けど、ね。俺を煽っても無駄だよ鞘人。君は執事として優秀だ。仕える家の者に手を出すつもりなどないことは知ってるよ」
「……司様。私が、執事としてあるまじき行為を実際にする、しないの話ではありません。テストにまで顔を突っ込んでおきながら、彼女を手放しても構わないかのような言動を繰り返すなど、私には理解できないと申し上げているのです」

 鞘人は柳眉をひそめ言い放った。
 己が良くも悪くも骨の髄まで執事なのだということを、鞘人は知っていた。そう、司が言う通り、鞘人が仕える家の者に現実に手を出すなど、ありえないことだった。
 ──胸の中の密やかな想いは、別としてもだ。
 そしてそのことも、おそらく司は誰よりもよく知っている。だからこそ厄介な相手だった。
 安いはったりで、この男の本音はとてもじゃないが引き出せない。

「……俺はね、鞘人。すみれの気持ちを尊重するだけだよ。すみれが、誰を愛そうとね。その想いが叶うよう、祈るだけだ」

 司は頑なにそう言う。ならば、と鞘人は思う。
 ならば、今現在のすみれの気持ちを尊重すればいいではないか。

「それなら」
「今、すみれとの関係について話せることは何もない」

 低い声音で鞘人の言葉を遮り、司は微かに顎を上げて告げた。

「冷静になりな、鞘人。──すみれは、『彼女』じゃない」
「……っ」

 静かな声音だが何よりも痛い叱責に、頭から水をばさりとかけられた気がした。
 急激に怒りの芯が冷えてゆく。
 今度は、鞘人が黙りこむ番だった。

 ──そうだ。すみれは、『彼女』ではない。
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