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エピローグ ②

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 華月は私の部屋に入るなり、扉の鍵をかけてしまう。
 でも、実はあまり意味はないのです。
 ここはラダウィの、国王の居室の一角で。彼が入れない部屋などありません。

 私の部屋は、空間を間仕切りで大きく三つに分けた広いものだ。
 扉を入ってすぐの場所は、大きな机がある仕事スペース。隣は居間のようなリラックススペース。
 そして一番奥は、あまり使われない寝室になっている。夜は…王の寝室に行くので。

「へぇ、いい部屋を用意しているな? まぁ、レンちゃんを迎えるなら当然だけど」
「当然じゃないよ。私は庶民でただの会社員だよ?」
「そうやって卑下しているのは、兄貴だけだ。王に見初められるのは、ただの庶民じゃない」
 それは、たまたまだと思うのです。
 私が運良く、ラダウィのご学友になれたから。
 でも、口が達者な弟に太刀打ちできないと思って。違うことを言いました。

「ハナちゃん、悪いんだけど。日本の時差で、午前中の内に会社と連絡を取りたいんだ。少し仕事をさせてもらうね?」
「本当に仕事で来ているってこと? うぅ、わかった。その間、俺は風呂に入る。大きい浴室は久しぶりだから、この際堪能させてもらうな?」
 そう言って、華月は水回りの扉を開けた。バスルーム、トイレ、洗面などがあるが。扉を全部開け放つと、庭も部屋も見通せる露天風呂風になる。
「うおっ、まさかのヒノキ風呂?」
 壁が竹垣で囲まれた和風の設えで。五人くらいは余裕で入れる広さの浴槽だ。
 華月は蛇口をひねってお湯を出す。
 暑い気候なのでぬるめで、浴槽も浅いから、広いけどお湯はすぐに溜まります。
「すっごい。アメリカはなんでも自由で気楽だけど、風呂だけは不満なんだ」
 ご機嫌で服を脱いで、弟は早速湯船に浸かった。
「日本人は風呂にこだわるって、ムサファさんの助言を受けて、ラダウィ様が設計から指示したらしいよ?」
「ふーん、ラダウィの奴、気合入ってんじゃん。でも風呂くらいでレンちゃんを手に入れられると思ったら大間違いだぜっ」
 グヌヌと歯ぎしりしながら、つぶやく。
「陛下専用の露天風呂もすごかったよ。岩風呂で、竹林で、東屋もあって、とても広いんだ」
 着替えを出しつつ、弟の様子をうかがうと。なぜか意味深な目つきで見られた。
「…王様専用風呂に入ったんだ?」
「と、特別に、だよ」
 まぁ、もう。ラダウィとの関係性は、弟にはわかっているだろうけれど。
 弟にそういうことを知られるのは気恥ずかしいから。誤魔化しました。
「ふーん…」
 いぶかしげにはしているが、弟は鼻歌交じりに風呂を満喫し始めた。
 怒っていても、すぐに気持ちを切り替えられるのが、華月の魅力なのです。

 私はとりあえず安心し、気を取り直して仕事にとりかかった。
 日本への定期連絡を入れ、工事の進行状況の報告や、午後の現場で使用する確認事項一覧を作成する。
 取り急ぎの仕事はないので。ひと段落ついたところで。
 華月と再び対峙した。

「あぁ、さっぱりした。やっぱ湯に浸かると疲れが抜けるなぁ」
 風呂から上がり、居間のソファで体を伸ばす弟に、私は問いかける。
「仕事は順調なのか?」
 華月はアメリカの工科大を卒業後、有名企業の商品開発に携わっている。
 彼の隣に腰かけると、華月は唇をムッと突き出した。
「順調だよ。だから今日だって、仕事を片付けてここに来るのは大変だったぞ? この前も変な電話してくるから、マジ誘拐されたのかと思って焦ったんだからな」
「それは、本当にごめん。いろいろあってさ。でもラダウィ様と仲直りできたよ」
「あんな奴と仲直りすることはない」
 弟は終始ラダウィに辛辣で、厳しい顔を崩さなかった。
「どうしてそんなことを言うんだ? ハナちゃんはラダウィ様と親友だっただろう?」
「奴は、俺が一番大切にしていたものを穢したんだ。レンちゃんの首筋に歯形がついていた、それを見たときの煮え立った俺の怒りがわかるか? 俺は絶対に許せない」

 弟が言っているのは。おそらく私がラダウィに護身術を習っていた日のことだろう。
 先日、護身術を口実にして私に触れたかったと、ラダウィに言われていたので。
 薄ぼんやりした私は、彼の想いに気づかなかったけれど。
 弟はラダウィの淡い恋心や好奇心に気づいていたのですね?
 けれど。

「それで…ラダウィ様と付き合っているなんて嘘をついたのか?」
 弟の嘘が、十年もの間、私とラダウィの距離を引き離していたと思うと。
 悲しいし。悔しいし。素直に、腹が立ちます。
 そこを突かれると、華月は後ろめたいようで。グッと息をのんだ。

「愛しているんだ、レンちゃんを。俺の大事な兄貴を、あんな獣に渡せない。今だってそうだ。アメリカと日本、遠く離れているけれど、レンちゃんの幸せを願わない日はない」
 その気持ちもわかります。私だって、弟の恋の相手は、彼に誠実な者であってほしいと思いますし。
 唯一の肉親である華月のことを、とても大事に思っています。でも。

「私の気持ちは?」

 たずねると、華月は言葉を詰まらせた。
「ハナちゃんは、私がラダウィ様に恋をしていたことを知っていたんだろう? 一番近くにいる、私を誰よりも知っている、弟ですから」
「知っていた。だから引き離したんだ。ラダウィは、乱暴で凶悪で。それに同性だ。王子で…今は国王で。この国には戒律もある。普通に考えて、苦労するに決まっているじゃん?」
「ラダウィ様は、性別も地位も、神すらも超越して、私を迎えてくれました。この国でそれをするのはとても難しいことなのに。その彼の想いを、私は信じていますし。私もラダウィ様を愛しているんです」

 強く、揺るがない目で、私は彼をみつめ。私の真摯な気持ちを伝えようとした。
 弟は、重いため息をつき。ふてくされた顔つきになって。
 おもむろに、ソファに横になった。
「俺は、認めない」
「…ハナちゃん」
 ふてくされたまま、背中を向けて。華月は黙り込んでしまう。
 唯一の家族である弟に、完全拒絶の意思を示されて。物悲しさが胸を占めた。

 認めないと、弟はかたくなですが。それが心配の気持ちから来ていることはわかっていた。
 でも私は、ラダウィと再会し。
 愛する人に愛される喜びを知ってしまった。

「ごめん。でも、これだけは譲れないんだ」
 囁いて、弟の赤毛を久しぶりに指先で梳いた。

     ★★★★★

 部屋がノックされ、鍵を外して扉を開けると。ムサファが立っていた。
「華月様はもう寝てしまったでしょう?」
 怒って背中を向けてしまった弟は、ソファでそのまま寝入ってしまった。
 暑いながらも爽やかな風が吹き抜ける気候だけど。風呂上がりで風邪をひいてしまわないよう、ブランケットをかけてあげたところだった。
 しかし、それをなぜムサファが知っているのだろう?

「どうして寝ていることが?」
「彼は時差に弱いのです」
 訳知り顔でそう言い、ムサファは部屋に静かな足取りで入ってきた。
「子供の頃、アメリカに長く滞在していましたよね? その習慣が染みついてしまったようなのです。世界を転々としたくせに、いまだアメリカ時間が基準のようです」

 ソファで眠る華月を見て、ムサファは目を愛しげに細めた。
「シマームにいた頃は、昼間が眠くて夜は活発でした。勉強の時間にどうしても眠くなるけど、蓮月様に心配をかけたくないから外に飛び出して、体を動かすことで眠気を誤魔化していたりして。夜はこっそり補習をして。私が勉強を見てあげたのですよ。華月様は、蓮月様と同じ学校に行きたいから頑張るって、言って…」

 そんなことがあったとは全く知らなかった。
 私はあまり時差に左右されない体質で。だから双子の弟も同じだと思っていました。
 華月が人知れずシマームで苦労していたことを、今知るなんて。兄貴失格です。

「日本に二年ほどしかいられなかったのも、時差のせいなのですよ。日本はアメリカの真裏ですから、かなりきつかったようですが。私を懐柔することで、ラダウィ様という脅威が貴方から離されたから、安心して留学に踏み切ったというわけです。今はアメリカ時間の深夜二時。そろそろ電池が切れる頃だと思って…」

「ハナちゃんのことを、よくわかっているんですね?」
 ムサファは華月の望みを叶えるために、ラダウィを裏切った。
 それほどの強い想いがあることを、もうわかっている。
 けれど、弟がムサファをどう思っているのか。今はどれほどの付き合いなのか、わからず。
 探るように聞いてしまう。

「華月様は愛する人なので、もちろん大事にしていますが。私は貴方のことも親身に思っていましたよ? 私の大切な教え子ですから」
 ムサファは華月の体を持ち上げ、お姫様抱っこで寝室に移動した。
 どちらかというと彼は知性派でインドア派に見えるけれど。
 ラダウィの護衛としてそばに付き従っているだけあって、衣装の下には強靭な肉体がある、のかもしれません。
 見たことはないのでわかりませんけど。
 私も華月も標準的な成年男子ですが、それを横抱きできるのは、かなりなものかと。

 ベッドに横たえさせられた弟は、ムサファに抱えられても起きることなく、無防備に爆睡している。
 ムサファはそんな華月の額にそっとくちづけた。

「国を平定するのに、五年もかかってしまったのは想定外だった。ラダウィ様は優れた方ですが、若輩なので。保守派のジジイを黙らすのが手間でね。紺野などという外道が貴方に近づく前に、蓮月様を王の元へ届けたかった。その点だけが、今回の失態と言えます」
 以前、ムサファはオアシスのホテルで。苦渋を飲んだと言っていました。
 私を保護したかったという話は、子供みたいに思っているからなんて誤魔化しましたが。
 元より、私を蓮月だと知っていて、王の元へ導こうとしていたのなら。
 ムサファは紺野の存在に早く気づけなかった自分を責める気持ちになっているのかもしれません。

 でもそれは、運命のタイミングでしたし。
 かろうじて、身の危険は回避されたので。ムサファのせいではないと思います。

 しかし、だとすると…。
「ハナちゃんの望みで、ラダウィ様の気持ちを私に伝えなかったのですよね? そうしたら今回の件は、ムサファはハナちゃんを裏切ることになるのでは?」
 聞くと、ムサファは眉を跳ね上げ。怒りに震えながら笑みを浮かべる。
 ちょっと、その顔は怖いです。

「フフ、先に裏切ったのは華月様の方なので、私は悪くないんですよ。まぁ、その件もじっくり彼に聞かなければなりませんねぇ。というわけで蓮月様。陛下がお呼びです。ここは私にお任せくださいませ」

 ムサファに流し目で見やられ。
 私はドキリ、というか。ゾワリとする。
 任せて大丈夫かなぁと思いながらも。私は部屋をあとにした。

 王の言葉は絶対なので。

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