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第一章 ひとつまみの塩
episode1.砂の下に眠るもの
砂は、何もかも同じ色にしてしまう。
道も、建物も、人がそこで暮らしていた痕跡も、長い時間をかけて白く覆い隠し、最後には、初めから何もなかったような顔をする。
目の前に広がる砂丘も、遠くから見れば穏やかだった。
風が通るたび、白い斜面の表面だけがさらさらと崩れ、新しい曲線へ形を変えていく。ところどころに砕けた硝子が混じり、真昼の光を青や薄紫に弾いていた。
きれいだと思わなくもない。
けれど、あれを踏めば靴底が傷む。
そんなことを先に考えてしまうあたり、オレもずいぶん荒野の暮らしへ馴染んだものだ。
『星雨』が降り、旧文明の街が白い砂へ沈み始めてから、およそ百八十年。
それでも砂の下には、錆びきらずに残った金属や、運がよければまだ動く機械が眠っている。そういうものを掘り出し、交易街で水や食料へ換えるのが、オレたち発掘屋の仕事だ。
失われた歴史へ思いを馳せるためじゃない。
今日と明日を食いつなぎ、次の街まで生きて歩くためだ。
腰を屈め、砂除け布からこぼれた金髪を耳へ掛ける。
手にした探り棒を、斜面へゆっくり差し込んだ。
最初は、ざらざらとした鈍い抵抗が返ってくる。
棒一本分、場所をずらす。
二度目も同じ。
三度目に突き立てた棒は、肘の辺りまで入ったところで、急に手応えを失った。
預けていた体重ごと前へ持っていかれ、慌てて足を踏ん張る。
「……あった」
棒を僅かに上下させる。
下は空洞だ。
自然にできた砂の窪みとは違う。返ってくる響きが硬く、奥行きがある。砂丘の下に、壁か床を備えた空間が埋まっている。
「深い?」
背後から声がした。
同時に、真昼の陽を遮る大きな影が、オレの背中へ重なる。
振り返らなくても分かる。
セヴァンは、立っているだけで場所を取る。
百九十を優に越える長身に、砂除けの外套でも隠しきれない広い肩。風に乱れた黒髪は、強い陽射しを受けても茶色く透けず、磨いた黒曜石みたいな艶だけを返している。
背後に立たれると、昼間でも急に暗くなる。
便利な日陰ではあるが、それを認めると何となく負けた気がするので、本人には言っていない。
「いま測ってる。ちょっと黙ってて」
「分かった」
セヴァンは素直に口を閉じた。
代わりに、オレが手を伸ばすより先に、短い槌が視界の端へ差し出される。
「まだそれを出せとは言ってないんだけど」
「次に使うと思った」
「勝手に決めるなよ」
「違った?」
受け取った槌で、探り棒の頭を軽く叩く。
乾いた音が砂の中へ沈み、少し遅れて、空洞の壁へ当たったような響きが返ってきた。
「……合ってるけどさ」
「よかった」
「そこで満足そうにするな」
セヴァンの顔は、いつもどおり静かなままだ。
けれど、一年以上も一緒に荒野を歩いていれば、その程度の違いは分かる。
口角がほんの少し緩んでいた。
こいつは、オレが次に何をするかをだいたい知っている。
使う道具の順番も、休む頃合いも、傷を隠しているときに歩幅が変わることまで。
ときどき、オレ自身より先にオレの動きを読んでいるように見える。
本当はかなり頼りにしている。
本人へそのまま言うつもりはないけれど。
オレは探り棒を引き抜き、砂丘の頂を見上げた。
眩しい空へ、黒く錆びた骨組みが斜めに突き出している。塔だったのか、大型の通信設備だったのか、元の形を想像できるほどには残っていない。
風が鉄骨の隙間を抜けるたび、遠くで獣が唸るような低い音がした。
あの下に旧時代の施設が埋まっているなら、今探り当てた空洞は通路か保守区画だろう。
「ここを掘る」
「ああ」
「ただし、力任せは禁止」
「まだ何もしていない」
「これからする顔だったから言ったの」
「どんな顔?」
セヴァンは真面目に訊いてくる。
たぶん、本当に分かっていない。
「むんっ、力ずくで開けてやろう……! って顔」
「そんな顔をしていた?」
「してた。いくらおまえが怪力オバケでも、周りごと崩れたら意味ないでしょ」
セヴァンは少し考えた。
「……俺はオバケではない」
「否定するの、そこなのか!? 怪力のほうはいいんだ」
「力はある」
「はぁ……自覚があって結構」
本人は冗談を言っているつもりではない。
奴のちょっとずれた真面目さには、まだ時々調子を狂わされる。
オレは、なぜか少し誇らしそうに見えるセヴァンを横目に、斜面へ膝をついた。
この一帯で最大の交易都市、ナジュラ・シティまでは何事もなければあと三日。
けれど荒野の三日は、近いようで遠い。
磁気嵐に足止めされることもあれば、古い地図の道そのものが砂丘へ呑まれていることもある。
そのうえ、濾過材の残りは心許ない。発掘用の刃は二本欠け、左の靴底まで昨日から口を開け始めている。
ここで何か価値のあるものを拾いたい。
新しい道具が買えるくらい。
水と保存食を補充できるくらい。
もっと欲を言えば、砂の入らない宿で一晩眠れるくらいのもの。
天井があって、夜中に靴をひっくり返して虫を追い出さなくていい寝床。
水を飲むたび、次に補給できる場所までの日数を数えなくていい夜。
荒野で生きていれば、そういうものを贅沢と呼ぶようになる。
今日の稼ぎ次第では、ナジュラで温かい湯を使えるかもしれない。
それから、もし本当にお金が余るなら。
――卵の一つくらい、買えるかもしれない。
殻を割れば、透明な白身と丸い黄身が落ちてくる、本物の卵。
粉に混ぜてもいいし、汁へ流してもいい。
セヴァンなら、きっともっと色々な食べ方を思いつく。
そこまで考え、オレは自分で自分に呆れた。
まだ何も掘り出していない。
「リュカ」
「今度は何?」
「どうした? 顔が笑っている」
「わ、笑ってない」
「笑ってるぞ」
「気のせい。ほら、掘るよ」
「卵のことを考えていた?」
「何で分かるんだよ!」
「顔」
「おまえにだけは、顔に出てるなんて言われたくないな」
セヴァンの顔は、相変わらず静かだった。
けれど、今度は確かに少し笑っていた。
そのとき、靴底の下で、砂がかすかに震えた。
最初は、風で表面が崩れただけかと思った。
けれど足元へ伝わったのは、さらさらと砂が流れる感触ではない。もっと低く、地面の奥を何かが擦っていくような震えだった。
「……ん?」
顔を上げる。
風は変わらず、白い砂丘の表面を撫でている。
その刹那、少し離れた斜面へ細い筋が走った。
一本。
その隣へもう一本。
さらに少し離れた場所にも、同じ筋が伸びていく。
風が作る波紋とは向きが違う。
砂の下を何かが通った跡だ。
「セヴァン、今――」
言い終える前に、セヴァンの表情から笑みが消えた。
濃い蜂蜜色の瞳が、オレではなく遠くの砂丘を見ている。
「なあ、どうした?」
「静かに」
低い声だった。
オレも息を止める。
鉄骨を抜ける風の音に混じって、遠くから別の音がしていた。
ザアアアァァァ――。
最初は、本当に風にしか聞こえなかった。
けれど音は途切れない。それどころか、少しずつ大きくなっている。
白砂の向こうで、砂丘の稜線が不自然に揺れた。
ひとつではない。
端から端まで、広い斜面そのものが生き物みたいに盛り上がり、こちらへ向かってゆっくり形を変えていく。
「ちょっ……何、あれ」
セヴァンが一歩、オレの前へ出た。
「リュカ、後ろに」
「何?」
「何か来る」
次の瞬間、遠くの白砂を切り裂いて、硬そうな銀色の背鰭のようなものが一枚、陽の下へ跳ねた。
すぐに沈む。
その後ろから三枚、十枚、数十枚――。
数え切れないほどの影が、白い砂の下をこちらへ向かっていた。
道も、建物も、人がそこで暮らしていた痕跡も、長い時間をかけて白く覆い隠し、最後には、初めから何もなかったような顔をする。
目の前に広がる砂丘も、遠くから見れば穏やかだった。
風が通るたび、白い斜面の表面だけがさらさらと崩れ、新しい曲線へ形を変えていく。ところどころに砕けた硝子が混じり、真昼の光を青や薄紫に弾いていた。
きれいだと思わなくもない。
けれど、あれを踏めば靴底が傷む。
そんなことを先に考えてしまうあたり、オレもずいぶん荒野の暮らしへ馴染んだものだ。
『星雨』が降り、旧文明の街が白い砂へ沈み始めてから、およそ百八十年。
それでも砂の下には、錆びきらずに残った金属や、運がよければまだ動く機械が眠っている。そういうものを掘り出し、交易街で水や食料へ換えるのが、オレたち発掘屋の仕事だ。
失われた歴史へ思いを馳せるためじゃない。
今日と明日を食いつなぎ、次の街まで生きて歩くためだ。
腰を屈め、砂除け布からこぼれた金髪を耳へ掛ける。
手にした探り棒を、斜面へゆっくり差し込んだ。
最初は、ざらざらとした鈍い抵抗が返ってくる。
棒一本分、場所をずらす。
二度目も同じ。
三度目に突き立てた棒は、肘の辺りまで入ったところで、急に手応えを失った。
預けていた体重ごと前へ持っていかれ、慌てて足を踏ん張る。
「……あった」
棒を僅かに上下させる。
下は空洞だ。
自然にできた砂の窪みとは違う。返ってくる響きが硬く、奥行きがある。砂丘の下に、壁か床を備えた空間が埋まっている。
「深い?」
背後から声がした。
同時に、真昼の陽を遮る大きな影が、オレの背中へ重なる。
振り返らなくても分かる。
セヴァンは、立っているだけで場所を取る。
百九十を優に越える長身に、砂除けの外套でも隠しきれない広い肩。風に乱れた黒髪は、強い陽射しを受けても茶色く透けず、磨いた黒曜石みたいな艶だけを返している。
背後に立たれると、昼間でも急に暗くなる。
便利な日陰ではあるが、それを認めると何となく負けた気がするので、本人には言っていない。
「いま測ってる。ちょっと黙ってて」
「分かった」
セヴァンは素直に口を閉じた。
代わりに、オレが手を伸ばすより先に、短い槌が視界の端へ差し出される。
「まだそれを出せとは言ってないんだけど」
「次に使うと思った」
「勝手に決めるなよ」
「違った?」
受け取った槌で、探り棒の頭を軽く叩く。
乾いた音が砂の中へ沈み、少し遅れて、空洞の壁へ当たったような響きが返ってきた。
「……合ってるけどさ」
「よかった」
「そこで満足そうにするな」
セヴァンの顔は、いつもどおり静かなままだ。
けれど、一年以上も一緒に荒野を歩いていれば、その程度の違いは分かる。
口角がほんの少し緩んでいた。
こいつは、オレが次に何をするかをだいたい知っている。
使う道具の順番も、休む頃合いも、傷を隠しているときに歩幅が変わることまで。
ときどき、オレ自身より先にオレの動きを読んでいるように見える。
本当はかなり頼りにしている。
本人へそのまま言うつもりはないけれど。
オレは探り棒を引き抜き、砂丘の頂を見上げた。
眩しい空へ、黒く錆びた骨組みが斜めに突き出している。塔だったのか、大型の通信設備だったのか、元の形を想像できるほどには残っていない。
風が鉄骨の隙間を抜けるたび、遠くで獣が唸るような低い音がした。
あの下に旧時代の施設が埋まっているなら、今探り当てた空洞は通路か保守区画だろう。
「ここを掘る」
「ああ」
「ただし、力任せは禁止」
「まだ何もしていない」
「これからする顔だったから言ったの」
「どんな顔?」
セヴァンは真面目に訊いてくる。
たぶん、本当に分かっていない。
「むんっ、力ずくで開けてやろう……! って顔」
「そんな顔をしていた?」
「してた。いくらおまえが怪力オバケでも、周りごと崩れたら意味ないでしょ」
セヴァンは少し考えた。
「……俺はオバケではない」
「否定するの、そこなのか!? 怪力のほうはいいんだ」
「力はある」
「はぁ……自覚があって結構」
本人は冗談を言っているつもりではない。
奴のちょっとずれた真面目さには、まだ時々調子を狂わされる。
オレは、なぜか少し誇らしそうに見えるセヴァンを横目に、斜面へ膝をついた。
この一帯で最大の交易都市、ナジュラ・シティまでは何事もなければあと三日。
けれど荒野の三日は、近いようで遠い。
磁気嵐に足止めされることもあれば、古い地図の道そのものが砂丘へ呑まれていることもある。
そのうえ、濾過材の残りは心許ない。発掘用の刃は二本欠け、左の靴底まで昨日から口を開け始めている。
ここで何か価値のあるものを拾いたい。
新しい道具が買えるくらい。
水と保存食を補充できるくらい。
もっと欲を言えば、砂の入らない宿で一晩眠れるくらいのもの。
天井があって、夜中に靴をひっくり返して虫を追い出さなくていい寝床。
水を飲むたび、次に補給できる場所までの日数を数えなくていい夜。
荒野で生きていれば、そういうものを贅沢と呼ぶようになる。
今日の稼ぎ次第では、ナジュラで温かい湯を使えるかもしれない。
それから、もし本当にお金が余るなら。
――卵の一つくらい、買えるかもしれない。
殻を割れば、透明な白身と丸い黄身が落ちてくる、本物の卵。
粉に混ぜてもいいし、汁へ流してもいい。
セヴァンなら、きっともっと色々な食べ方を思いつく。
そこまで考え、オレは自分で自分に呆れた。
まだ何も掘り出していない。
「リュカ」
「今度は何?」
「どうした? 顔が笑っている」
「わ、笑ってない」
「笑ってるぞ」
「気のせい。ほら、掘るよ」
「卵のことを考えていた?」
「何で分かるんだよ!」
「顔」
「おまえにだけは、顔に出てるなんて言われたくないな」
セヴァンの顔は、相変わらず静かだった。
けれど、今度は確かに少し笑っていた。
そのとき、靴底の下で、砂がかすかに震えた。
最初は、風で表面が崩れただけかと思った。
けれど足元へ伝わったのは、さらさらと砂が流れる感触ではない。もっと低く、地面の奥を何かが擦っていくような震えだった。
「……ん?」
顔を上げる。
風は変わらず、白い砂丘の表面を撫でている。
その刹那、少し離れた斜面へ細い筋が走った。
一本。
その隣へもう一本。
さらに少し離れた場所にも、同じ筋が伸びていく。
風が作る波紋とは向きが違う。
砂の下を何かが通った跡だ。
「セヴァン、今――」
言い終える前に、セヴァンの表情から笑みが消えた。
濃い蜂蜜色の瞳が、オレではなく遠くの砂丘を見ている。
「なあ、どうした?」
「静かに」
低い声だった。
オレも息を止める。
鉄骨を抜ける風の音に混じって、遠くから別の音がしていた。
ザアアアァァァ――。
最初は、本当に風にしか聞こえなかった。
けれど音は途切れない。それどころか、少しずつ大きくなっている。
白砂の向こうで、砂丘の稜線が不自然に揺れた。
ひとつではない。
端から端まで、広い斜面そのものが生き物みたいに盛り上がり、こちらへ向かってゆっくり形を変えていく。
「ちょっ……何、あれ」
セヴァンが一歩、オレの前へ出た。
「リュカ、後ろに」
「何?」
「何か来る」
次の瞬間、遠くの白砂を切り裂いて、硬そうな銀色の背鰭のようなものが一枚、陽の下へ跳ねた。
すぐに沈む。
その後ろから三枚、十枚、数十枚――。
数え切れないほどの影が、白い砂の下をこちらへ向かっていた。
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