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第二章
全然響いていませんね?
しおりを挟むしっかりと自分を見つめてハキハキと言い切ったアリアの顔を、リュシアンはしばらくの間ぽかんと見つめていた。
そして何を思ったのか、急に顔を伏せると細かく肩をふるわせ始めた。その様子にアリアはたじろいだ。
(な、泣かせてしまった…?!そんなに心に響いたんですか?!)
しかし、そうではなかった。
「君は、私にどんどん新しい顔を見せてくれるね。」
「?!」
肩を震わせながら、リュシアンが顔をあげた時、彼は楽しそうに笑っていた。上気した頬が艶かしい。どうして笑われてるのか分からないアリアは、頬を引き攣られた。
「…あ、新しい…?」
「アリアの気持ちは分かったよ。」
一通り笑い終えて、リュシアンは涙の滲んだ目尻をさすった。そしてふわっと微笑む。
「それにしても厄介な人間、か…。どうやら君には私の気持ちがほんの少しも伝わっていないみたいだね。」
「気持ち、ですか…。あ、いいえ。あの、殿下のお優しい気遣いは染み渡っております。」
「そこじゃないんだなあ。」
「そこじゃない、ですか…?」
首を傾げるアリアにリュシアンは困ったように笑った。
「…鈍いって周りの人間に言われたことはない?」
「いえ、特に…?」
「そう。うーん、なるほど。
…私は自身のことを過大評価してたみたいだ。」
リュシアンの言葉の意味がわからず、アリアは何も言い返せない。
「こういう見た目をしているし、私は王太子だからね。女性からは好意的に見られることが多いんだよ。」
「それはそうです!リュシアン殿下に憧れる女性は多いと存じます!」
意気込んで答えるアリアに、リュシアンはずるっと右膝の上に着いていた右肘を前方向に滑らせた。そして一瞬呆気に取られたような顔をすると、直ぐにふんっとそっぽを向いた。
「...君はそうじゃないじゃないか。」
「わたし、ですか?」
「君は私のこの見た目は気に入らない?」
「殿下の見た目...?
...............。
...っ?!
き、気に入らないなんて、そんな!
滅相もございません...!!」
ちょっと待てちょっと待て!?
これは何ですか?もしかして、新しい断罪ルートが発生してるんですか?!
リュシアン様の見た目が気に入らないとか、そんなの不敬罪でしょっぴかれるじゃないですか...!!
アリアは顔を真っ青にしながら首をぶんぶんと横に振った。折角正しい道筋へとリュシアンの行動を変えるために留学を薦めているのに、話がおかしな方向へと行く。改めてコホン、と咳をするとアリアは「と、兎に角」と言った。
「リュシアン殿下は、きっとこの国の学園で良い出会いがあります(主人公と)。
今までに無いほどに、心動かされる出来事を体験することが出来るはずです。(主人公と)
そしてマテオ様と共に、楽しかったり辛かったり色んなことを感じる時間を過ごされる青春を送るのです...!(主に主人公と..!)」
「うーん。」
(なんて微妙な反応なのでしょう...!プレゼンが足りていないのかしら...?!)
「りゅ、リュシアン殿下!
聖なる光の魔法使いがいらっしゃるのです、我が国の学園には!」
「ん?ああ、そういえばそんなことをマテオが言っていたね。」
「そうです!珍しい魔法ですよね?光の魔法!ご興味は...?」
タギアン国ではもちろん、デアモルテ帝国においても光の魔法使いは大変珍しい。彼らは必ず癒しの力を持っていて、力の度合いによっては時に『地上に舞い降りた神の使い』と呼ばれる程、貴重な人材だ。
主人公は『神の使い』レベルの力の持ち主である。そりゃもちろん、主人公なので。
けれど、リュシアンはアリアの言葉を聞いて一瞬キョトン、と目を丸くした後、悪戯っ子のように微笑んだ。
「そうだね。光の魔法使いには興味はある。
けれど、『パンを作れる令嬢』にも私は非常に興味があるんだ。」
翌日。
よく眠れなかったアリアは、朝早く目覚めベッドの上で難しい顔をして天井を眺めていた。
昨夜は結局、失礼にならない程度に気をつけながらも、リュシアンに留学を根気よく勧めてみたものの、のらりくらりとかわされて。
『アリアは私の事が嫌いだから、そんな風に遠ざけようとするのかな?』
最後に悲しそうな顔でそう言われてしまっては、少女は目を見開いてまたしても大きく首を横に振るしかなかった。
その後、ガックリと肩を落としながら部屋へと戻ってベッドに潜り込み、寝た気がしないまま朝を迎えた。
「...どうしてそうなるのかしら...?」
むくり、と起き上がったアリアの途方に暮れたような小さな呟きは、誰にも拾われる事無く、部屋の中で霧散していった。
夏でも早朝は涼しい。
ちょうど日が昇る頃に手早く着替えたアリアは、伯爵家の庭にいた。
早朝の散策は、アリアが領地に来た時から時々行っていた。もちろん屋敷の敷地内から出る事は無いので危険性はなかったし、何より人がまだあまりいない静かな時間帯での散歩を、アリアは気に入っていた。
まだ化粧も済ませていなかったが、この時間はまだ使用人達が起き始めて支度をしている頃なので特に気にすることもない。
(わたしの顔など、大したことはありませんし。)
本人は自己評価が低い為に気付いていないが、化粧を施さなくても少女の顏は非常に整っていて美しい。けれど寝不足のせいか、いつもより頬は青白く目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。
あまり働いてない頭のまま、ガゼボへと辿り着いたアリアは、ベンチに腰掛けてぼーっと花壇に咲く花を見るともなく見やる。
紫水晶の瞳がぼんやりと、その色とよく似たエキノプスのまあるい玉のような花が風にゆらゆら揺れているのを追う。キラキラと朝日に滲む花の柔らかな輪郭が、まるでアリアに優しく語りかけているように見えた。
(なんて綺麗なのでしょう...。
お母様の瞳のようだわ...。)
「おはよう。」
「...っ?!」
後ろから声をかけられて、完全に気を抜いていたアリアはビクリと大きく肩を跳ね上げた。幸いな事に声を上げるのは既のところで堪えることが出来たが。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこに立っていたのはマテオだった。
明度の高い、透き通った海のようなアクアマリンの瞳がこちらを見て人懐っこくにこっと笑い、彼女が座るガゼボへとゆっくりと近づいてくる。
アリアは一瞬、ストーカーの加害者と被害者が二人きりで対峙している状況に狼狽えたが、近づいてくる自分より階級の高い青年の足を止める術もなく。
(ひぃぃっ...!なぜ近づいて...?!
あ、でもわたしがストーカーしてた側ですから、別にわたしが何もしないのであれば大丈夫ですよね...?!うんうん。
......。
いや違いますね?!そういう事じゃないですね?!)
元々寝不足で足りていなかった血の気が益々引くのを感じながらも、アリアは何時ものようにきゅっと唇を固く結ぶと、必死に感情を押し隠した無表情で立ち上がって淑女の礼をとる。
そんなアリアに、マテオは一瞬足を止めて。さらに華やかに微笑むと美しい礼を返した。
...朝なのに、何故そんなに隙がないのですか...?!
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