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モンドレー侯爵家の長として

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『…やるべきことを終えたら必ず迎えに行きますから』
待っていてください、私の―…。
脳内に遠い日に聞いた声が響く。
朧げな視界に私の胸から派手ではないが緻密な装飾が施された細めの棒が生えていたこと、そしてそれが騎士の手に握られ、引かれ、その動きに合わせて自分の胸の中にある鈍色の輝きが抜けていくのが映った。
ズズズと体内で動く何かと、口いっぱいに溢れてくる鉄の匂いのする温かい液体。
やがて私は支えを失って地に伏したが、最後に見たあの細めの棒が柄だったのだとすれば、あの鈍色は…。
「そんな……」
まさに、まさにだ。
時戻しの短剣、それがどういったものかは読んで字の如くだろうが、それよりももっと映像的な部分でそれが私を刺した呪具だということがわかった。
私に突き立てられていた凶刃、それは間違いなく短剣だったのだから。
今更ながらにそのことを思い出して呆然としていると、
「短剣…?」
私の横にいる殿下が小さく呟いた。
その声音は私同様に呆然としているような響きを含んでいる。
「殿下?」
声が出ない私の代わりに横で同じように殿下の呟きを聞いたマリー様が慌ててその様子を窺う。
だが額、いや、右目の辺りを右手で握りしめるように押さえつけた殿下は低く唸って俯いてしまい、その顔を見ることは叶わない。
私と同じように殿下も時戻しの短剣に心当たりがあるのだろうか。
もしかして短剣で右目を刺されたことがある…とか?
「なんということだ…」
けれど殿下にそれを問う前に侯爵が呆然としたように呟き、その場に頽れた。
彼は頭を抱え、何事かを呟いている。
「ど、どうなさったんです?」
再び私と同様に視線を転じたマリー様が手を伸ばすが、こちらも様子のおかしい殿下の傍を離れてもいいものかと逡巡するように視線を行き来させている。
私とてどちらかに寄り添いたい気持ちはあるが、私も私で心の整理が追いついておらず、上手く体が動かない状態だった。
「モンドレー侯爵」
そんな中マリー様以外に動ける人物であるアゼリアが侯爵に声をかける。
殿下をマリー様に任せて自分が責任を取って侯爵に寄り添おうとしているのかと思った私は、まだ彼女の性格をわかっていなかった。
「私はずっと気になっていたんです。何故この物語が御伽噺と言いながら高位貴族にしか語られないのか」
頽れている侯爵を隣に立っているアゼリアは見下ろす。
自分より高位の貴族を見下ろすことも目上の人間を見下ろすこともマナー違反なのに、彼女はそれを改めなかった。
「そして、もしかしたらこれはこの国の史実で、だから高位貴族にだけは伝えていかなければならない事情があったのではないかと考えました。そうして我が屋敷にある歴史書や他国の史実を元にこの話が御伽噺なのか過去に実際にあった出来事なのか、長い時間をかけて調査した結果、史実だったという結論に達したのです」
それどころか彼女は侯爵に追い打ちをかけた。
今の言葉に言葉以上の意味が込められていることは内容を理解できなくても明白で、彼女は決定的なとどめを刺したのだとわかる。
わかるからこそアゼリアの言葉に侯爵の顔色がなくなったのを見て、私は自分の中の処理しきれなかった感情が引いていくのを感じた。
人間は時として自分よりも追い詰められた状況の人を見ると自分の感情を横に置けたりする。
今の私のように。
「アゼリア、お待ちなさい」
私は侯爵と彼女の間に移動して、侯爵を背に庇うようにアゼリアに向き合った。
彼女を悪役にする気はないが、また無意識に責め立てているような状況になっていると行動で示唆したのだ。
しかし予想に反してアゼリアはすでに顔を青褪めさせていた。
そう言えば彼女はずっと何かに耐えているようだった。
「申し訳ありません…」
アゼリアは数秒目を伏せて大きく息を吐くと、私の後ろにいる侯爵に頭を下げる。
その顔は泣きそうにも見えるほどに歪んでいた。
私はそれを批難がましい調子で言ってしまったことに対する反省ゆえの態度だと思った。
恐らく彼女には真実を探求しようと問いを繰り返すことと、自分が出した結論を事実として人に告げることは日常茶飯事過ぎて、それによって誰かの心が傷つくということに結びつかないのだろう。
今まではそれを周囲の人が、身内や彼女を良く知る侯爵のような人が上手く繕っていたのかもしれない。
けれど今その役割を唯一果たせる侯爵が相手となってしまったことで止める人がいなかったため、アゼリアは今、ついいつも通り振舞ってしまった。
それを深く反省しているのだろうと。
彼女は先ほど侯爵に諫められていたが、当然今までその機会がなかったわけもなく、多分毎回無意識でやるが故にその性分を改めることができないでいるのだと思う。
気づかせれば今のように反省の色を見せることからそれが悪い癖だと理解してはいるようだが、それでも無意識の癖というのは直すのが難しい。
彼女とは長い付き合いになりそうだし、この機会に私もその悪癖を指摘して直していこうと思った。
けれどそれは今ではない。
私は息を吐き肩を竦めながら侯爵の前からよけた。
彼はまだ顔を強張らせているものの、流石というべきか立ち上がって「失礼しました」と私に目礼し、アゼリアの頭を撫でた。
アゼリアの肩が大袈裟なくらいに跳ねる。
「侯爵、その、すみません」
「謝るな。お前は事実を解き明かしたに過ぎない、それは罪ではないのだ」
「けれど、代々我が国の王国史を編纂している貴家の当主である侯爵にとって今の話は」
「だから今まで誰にも言わないでいてくれた。そうだろう?お前は優しい子だからね」
「侯爵…」
侯爵はまるで本当の自分の娘を見るかのような優しい目でアゼリアを見る。
自分も辛いだろうに、なんと人間ができているのかと私は感動したかったのだが、今のアゼリアの言葉で彼の態度の理由がわかってしまい、とてもではないがいい話にはできなかった。
侯爵の、モンドレー侯爵家の役割を知ってしまえば、彼らの様子に合点がいくのだ。
悪い方向に。
そして先ほどからのアゼリアの態度の正体が私の考えとズレていたことにも気づく。
彼女が悔いたのは、確かにいつも通り真実を話してしまったことについてだ。
だが今回の場合は『それを侯爵以外の人間がいるところで話してしまった』ことが大きい。
だってそうなればもう、誤魔化すことはできないから。
侯爵を守ることができなくなってしまうから。
それでもそれを口にしたのは、彼女なりの誠意の表れ、忠誠心の証明、もしくはいずれバレるかもしれないそれを自分が口にすることで何かが変わるかもしれないと、最悪を避けられるかもしれないと思ったからかもしれない。
「お前が言うのならそれが正しいのだろう。ならば私はその責を負わねばならない」
「!!」
侯爵はなおも優しくアゼリアに告げた後、踵を返して殿下の方へ向かっていく。
ハッとして顔を上げたアゼリアが見たものは、侯爵の広い背中だけだった。
そしてその背はアゼリアの力では運命は変えられないと語っていた。
「殿下」
アゼリアと共に侯爵の背を追えば(というほどの距離でもないが)、殿下もすでに立ち上がっており、マリー様と並んで侯爵を見ていた。
「今のアゼリアの話、お聞きになっていらっしゃいましたか?」
「ああ、大体は」
「そうですか」
殿下から肯定を返された侯爵は頷くとその場に膝をつき、殿下に深く頭を垂れる。
その後ろに立つ私とアゼリアは苦虫を噛み潰したような表情をしていたと思う。
私たちには侯爵の行動の意味と理由がわかっていたから。
そして侯爵には何の罪もないのに、その咎を背負えるのは彼しかいないことも理解していた。
「ではお聞きになった通りです。我が家で管理している王国史を調べればいずれかの御代で第二王女が騎士の元へ降嫁した記録があるでしょう」
「ああ、うろ覚えだが、以前そんな記録を見た記憶はある」
静かに侯爵が紡ぐ言葉に殿下は頷きを返す。
その表情から殿下もきっとこの後の侯爵の言葉を理解しているのだと察せられた。
「けれどそこに王女誘拐や伴侶の騎士の詳細、そして国宝である呪具についての記載はなかったのですね?」
「……そうだな」
「やはり…」
侯爵は顔を上げて殿下を見る。
私は侯爵の後ろにいるからその顔は見えないが、侯爵の顔を見た殿下がくしゃりと目元を歪めたのは見えた。
「ならば我が祖先は、アゼリアの指摘通り王族についての記載を歪めてしまったのでしょう」
その言葉にとうとうマリー様の表情が凍った。
何故なら、
「王族について虚偽を述べることはいかなることがあろうとも重罪。それが発覚した今、私はその責任を取らねばなりません」
いずれの国であろうと、王族について事実以外を語ることは死罪に値するからだ。
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