後宮に恋愛する暇はありません!なのに皇帝がやたら近い件!

佐伯すみれ

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小さな変化

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今日も私は洗濯場で、桃児と並んで桶を抱えていた。
湯気と石鹸草の匂い、濡れた床、止まらない怒号。
これが私の日常。
 食事は一日三回出る。固いマントウと、傷んだ野菜の炒め物。それでも「出るだけありがたい」というのが、ここ後宮の下女の常識らしい。
最初は正直きつかった。
でも今は違う。
私は器を覗き込み、手慣れた動きで野菜を選り分ける。
色の変わった部分は端へ避け、まだ張りのある葉だけを箸でつまむ。
汁はマントウに吸わせて、ぱさつきを誤魔化す。

 
「阿琳、ほんと上手になったよね……」

 
桃児が感心したように言う。

 
「経験値ってやつ」
 

前世で散々、節約とサバイバルをやってきたんだ。
自炊女バカにしてもらっちゃ困るよ。
まあ……たまに疲れてコンビニ弁当があったが、それは疲れて作る気ない日もあるさ!
そして、傷みかけの食材を見極める目くらい、自然と養われる。
とはいえ、栄養が足りているわけじゃない。
午後の洗濯は腕が重い。濡れた衣は予想以上に重い。

 
「琳!手を止めるな!」

 
監督女官の声が飛ぶ。

 
「はーい!」

 
返事だけは元気に。
桶をこすりながら、私は周囲を観察する。
 洗濯場は後宮の縮図だ。
皇后様の衣は最奥。
四妃の衣はその手前。
上級妃、中級妃、下級妃と順に並ぶ。
階級ごとに桶も違う。
薬剤も違し、干す場所も違う。
間違えれば処罰。
 

「阿琳、今日四妃様の衣多いよね」

 
桃児がひそりと言う。
確かに。
青の刺繍、朱の縁取り、重厚な黒地、白銀の糸。
四妃の衣は、布の質からして違う。

 
「寵愛が動いてるのかもね」

 
「え?」

 
「衣の数は、寵愛の数」

 
桃児が目を丸くする。私は小さく笑う。
ここでは、直接の言葉よりも“物”が雄弁だ。
衣の数。
香の消費量。
厨房の注文。
全部、力関係の表れ。
監督女官が私たちの横を通り過ぎる。
 以前より怒鳴る回数は減った。
   桶の点検も定期的に入るようになったし、布の仕分けも整理された。ほんの少しだけど、環境は整いつつある。

 
「ねえ阿琳」

 
桃児がぽつりと聞く。

 
「私たちって、このままずっと洗濯場かな」

 
私は手を止めずに答える。

 
「ずっと、って決めつけるの早くない?」

 
「だって下女だよ?」

 
「下女でも、女官試験はある」
 

桃児が目をぱちぱちさせる。

 
「え、受けられるの?」

 
「読み書きと計算ができればね」

 
監督女官が前に言っていた。優秀な者は女官に引き上げられることもある、と。

 「え?読み書き?私できないよー」

 情けない声で桃児が言った。

 そっか…昔の人って読み書きは商売人か手習いとして貴族や豪族の嗜みであって、一般の人が読み書きできないのは通例か…。
 私はふと考えて、傍にあった小枝で、試しに地面に文字を書いてみた。
「あ」と書いたつもりが、独特な文字を私は地面に書き出していた。
 どうやら"琳"は読み書きができるようだ。
 私が地面に色々書いてみた文字を見て


「阿琳すごい!文字かけるんだねー!」


 "琳"の素性は知らないが、一般教養があるみたいだ。
 横で、感心している桃児に、私はニッコリ笑って


 「空き時間に少しずつ教えてあげるよ」
 
私の言葉に桃児の目が輝いた。
 まぁ、この職場にいて空き時間なんかほとんどないが……

 
「大事なのは観察して、覚えて、失敗しない。それだけで評価は変わる」

 
私は桶の縁を指でなぞる。ささくれはもうない。
小さな改善。でも確実な変化。
蒼煌帝国は揺るがない大国。
蒼い麒麟の血が正統とされ、皇帝を頂点に、皇后、四妃、妃たちが並ぶ。
外廷では官僚が政治を動かし、
後宮では妃たちが静かに均衡を保つ。
完璧に見える構造。
でも、その足元で働いているのは私たちだ。

 
「桃児」

 
「ん?」
 

「ここ、地獄みたいだけどさ」
 

私はにやりと笑う。

 
「地獄にも階段はあると思わない?」

 
桃児は少し考えてから、笑った。

「階段…?よく分からないけど、阿琳と一緒なら、登れそう」

単純だなぁ。でも、悪くない。
再び桶を持ち上げる。水が揺れ、光が揺れる。
ただの下女、琳。
マントウと傷んだ野菜をより分けながら生きる毎日。
それでも。私は知っている。
巨大な仕組みの中で、
小さな工夫は、やがて流れを変える。
だから今日も働く。
観察して、覚えて、備える。
この蒼煌帝国で、ただ洗うだけの存在で終わらないために。
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