君は私の心を揺らす〜SilkBlue〜【L】

坂田 零

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【6、波音】

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 信ちゃんが慌ただしく転勤してからも、私は、変わらずお店に通っていた。
 なんだか心配そうな菅谷くんに『一緒いかないんすか?』とか聞かれてしまったけど、あまりにも気の毒そうな顔をするから、私は笑いながら『結婚もしてないのに、転勤についてくなんてあり得ない!』って答えた。
 彼は、きょとんと不思議そうな顔をしてた。
 
 私は、いつもの席でいつものようにコーヒーを飲む。
 タブレットでSNSを見てみると、子供の写真を上げてる友達が多い。
 不思議と、この仲間に加わりたいとは、思わないんだよね…
 信ちゃんが転勤になって、寂しくないか?と聞かれたら、たしかに寂しいけど、なんだか思ったより普通だし…
 そういうところじゃなくて、もっと別な部分で、あたしはなんだか寂しい…
 このまま信ちゃんと付き合って、そのうち結婚して、この時間になんの変化もなく、あたしは歳をとっていくんだろうか…?
 
 なんとなく気分が沈んで、ふと、窓の外を見る。
 そんな自分の浮かない顔が、窓に映った。
 でも、そこに映ったのは、私だけじゃない。

 赤い髪の男の子…
 
 私はゆっくり、テーブルの脇に立った彼の顔を見上げる。

「今日、仕事早上がりなんで、どっか行きませんか?」

「………!?」
 
 正直、驚いた。
 そんな風に、声をかけてくれるとか思ってなかった。
 でも、なんだか、すごく嬉しくて。
 私は、思わず微笑わらった。

 「いいよ」

 そう答えると、菅谷くんは、やけに人懐っこく笑い返してきた。
 彼のこんな笑顔を、なんだか、私は初めて見た気がする…

  
       *
 夜。
 彼が運転する車の助手席に私はいた。
 窓から、夜の水平線が見える。

「菅谷くんが、あんな笑い方する子だとは思ってなかったなぁ…」

 私のその言葉に、ちらっと彼はこちらを見て、不審そうな顔をする。

「え?なにそれ?」

「え??だって、あたしを誘ってくれた時に、なんだか猫みたいに笑ったから」

「は?!猫は笑わないだろ!
何言っちゃってんの?!」

 菅谷くんは、すっとんきょうな声を上げてそう言うと、可笑しそうに笑う。
 あたしは思わず不満の声をあげた。

 「確かにそうだけど!わかるかな~?
この高尚な例え!」

「は?!!高尚?!里佳子さん何言ってんの?!」

 菅谷くんはそう言って爆笑した。

「もぉ!なんでそんなに笑うの?」

「だって里佳子さんおかしなことばっか言うじゃん!」

「え~っ!?そんなことないよ!」

「ほら、着いたぞ」

「!?」
 
 気がつくと、車は砂浜に近い駐車場に停まってた。
 彼が車のドアを開ける。
 私もドアを開けて外に出た。

 彼が連れてきてくれたのは…海水浴客が誰もいなくなった海だった。

「月が海のすぐ上にある…」 

「里佳子さん、今日、ヒール?」

 「サンダル!」

  私はそう答えると、なんだか嬉しくなって砂浜に降りた。

 暗い海の方から、白い波が押し寄せる。
 大きな月が海面に映っていた。
 白波は綺麗だけど、浚われてしまいそうで少し恐くなった。

 「昼間来るのは日焼けするから嫌だけど、夜はいいね…静かだし
 でも、波がちょっと怖いね」

  菅谷くんは黙って私の後ろを歩いてる。 
  私は、ふと日常を思い出して、なんとなくため息をついた。
 
「信ちゃんは、こんなとこに連れて来てくれるようなタイプじゃないからな~
菅谷くんてさ…」

「なに?」

「結構、こういう風に誰か連れて来る?
夜の海とか?」

「……たまに」

「……やっぱり」

「やっぱりて、なに?」

「んー?
可愛い顔して、意外と遊んでるんだなって」

 そう言うと、案の定彼はちょっとムッとして答えた。

「遊んでないよ…
つか、可愛いって言うなよ、それ褒め言葉じゃないから」

 彼はほんと『可愛い』っていうとすぐ怒る。
 なんだかそれが可笑しかったんだけど、私は、そしらぬ顔で言葉を続けた。

「あ…っ、そうだったね、ごめんごめん。
ね?今、付き合ってる人とかいないの?」

「いたら、里佳子さんとこんな時間に、こんな場所に来てないと思う」 
 
 彼のその答えを聞いて、ほっとしてる自分がそこにいて、私は、自分自身に少し驚いた。
 でも、ほっとしたせいか、私は、つい微笑わらってしまう。

「………そっか、そうだよね」

 空には、どことなく頼りない月。

 まるで今のあたしみたい…

「菅谷くん、気を使ってくれたんでしょ?
信ちゃん転勤になっちゃったから?」

 私がそう聞くと、彼はただ、黙った。
 そんな彼の顔をじっと見つめて、私は笑ってみせた。

「確かに、うるさいイビキが隣の部屋から聞こえないのは、ちょっと寂しいけどね」

 海風に髪が揺れるから、私は片手で自分の髪を押さえる。
 なんとなく、今の気持ちを聞いて欲しくて、私は、黙ったままの彼に言う。

「付き合いだした頃はまだ大学生でさ。
 信ちゃん、気づくと私の部屋に転がり込んでてね、気づくといっつもゲームやってたんだよね。
 でも、あたしにとってそれが普通になっちゃってたから…
 こんな風に、こんな時間に海に来るとか、 全然頭になくって。
 アラサーにもなって、カルチャーショック受けちゃった!」

 「カルチャー…ショック??」

「そうそう、カルチャーショック。
 あたし、家に色々事情あって、お母さんが厳しかったから、大学に入るまで誰とも付き合ったことなくて。
 人生で初めて付き合ったのが、信ちゃんだったんだよね」

「そう…なんだ」

「うん…でも、違う世界もあるんだなって、今さら気づいちゃった…どうしよう?」

 つい、本音をしゃべってしまった…
 彼の反応が恐くて、私はわざと彼から目を反らし、海のほうを見る。
 戸惑ったような彼の声が、波音に混じって聞こえてきた。
 
「どうしよう…って言われても…
でも、まぁ、新しい世界を試してみんのもいいんじゃん?」
 
「……」

 新しい世界を試す…

 私の心は、彼のその言葉に激しく揺さぶられた。
 きっと彼は、意味なくさらっとそれを言ったんだと思う。
 だけど、それで思わず気づいてしまった。

 私は…
 毎日のつまらなくも安定した日常から、抜け出すのが怖かったんだ…
 何年も同じ環境にいて、新しい世界に足を踏み出す勇気がなかっただけ…
 
 私は、ゆっくりと彼を振り返った。 
 でも、なんとなく、この気持ちを悟られたらいけないとも思った。
 だからわざとこう言った。

「このばばぁ何言ってんだ?って思ったでしょ?」

 菅谷くんは、きょとんと私を見る。

「は?思ってないって」

「ほんとかな~?」

「ほんとだって!」

「菅谷くんて、本心を表に出すの苦手でしょ?
 愛想は悪くないけど、結局他人に無関心的なとこあるよね」

「……いや……」

  彼は。困ったような顔をする。 
 私は、そんな彼に、私のことも理解して欲しくて、つい言ってしまう。

「あたしもそうなの。
結局他人に無関心なの。
だから、信ちゃんは、自分の好きなことしてれば干渉してこないから、付き合ってて楽だったんだよね…
でもね…」

「……でも、なに?」

「干渉してこないのは、無関心だからかなって、最近よく思ってた」

「え?じゃあ、干渉されたいの??」

 彼にそう聞かれて、私は、少し言葉に詰まる。
 干渉されたいんじゃなくて…
 多分…
『私のことを思ってくれてる』っていう実感が欲しい…
 私はこの時、それに気づいてしまった。
 でも、私はそれを口にすることをやめた。

「うーん…
 干渉されたいっていう訳じゃないけど、そんなのうざいし…
 なんだろね…
 何言いたかったんだろ、あたし…
 自分で、何言いたかったのか、なんか、わからなくなっちゃった」

「ダメじゃん!」

「ダメだよね~
でも、最近、もう1つよくわかったのは…」

「うん」

「菅谷くんも、あたしと同じかもって…」

「…………」

「…………」

 二人同時に顔を合わせて、二人同時に思わず黙りこむ。
 
 今彼は…
 菅谷くんは…
 私に対して、どんな気持ちでいるんだろう…

 月明かりの下で、白い波が揺れている。

 私は自分の髪を押さえた。
 その手を、彼が不意に浚った。
 

「里佳子さんと同類とか…なんか屈辱!」

「は?なにそれ!?」

「帰ろうか」

「ちょっと!屈辱ってなにそれ!?
どういう意味?お姉さんに向かって失礼だよね!?」

「俺、正直だから!」

「正直ってなによ!もぉぉぉぉぉぉ!
生意気!ひっどい!もぉぉぉぉぉぉ!
ねぇ、菅谷くんてば!」

 私は、彼の背中にブーブー文句を言った。
 彼は、なんだか可笑しくてたまらないって顔で笑ってる。
 そんな彼の手は、私の手を握ったまま。
 その手のぬくもりを感じたまま、私はぼんやりと思う。

 この人、あたしのこと、どう思ってるんだろう…?
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