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4章 宣戦布告
海の底から
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いつの間にか、少女は眠ってしまっていた。胎児のように小さく丸めた身体には、知らないうちにブランケットがかけられている。これほどよく眠ることが出来たのは、いつぶりだろうか。電車に乗っている時もそうだった。彼が隣に居ると、知らず知らずのうちに、身体も頭も不眠を忘れ、安心に満ち満ちて深く眠り込んでしまう。
床のマットに転がったままぼんやりと視線を向ける。変わらず傍にいる少年は、背筋を伸ばし、何かを書いている様子だった。スタンドの明かりに彼の横顔が照らされている。その左手に握るのは細く短いボールペン、手元に広げているのは大切にしている黒い手帳。残り少ないページに何を書き込んでいるのかは、下からでは見えない。何文字か書いては考え、考えてはペンを走らせている。
じっと、少女は少年を見つめる。
彼はこれまで、その真っ直ぐな瞳で、どんな辛さを背負って、明けない夜空を暗い海の底から見上げていたのだろう。
その心をどれほど知りたいと願っても、知ることはできない。同じ海底に潜っていたとしても、同じ景色を見上げていたとしても、瞳に映る光景まで重ねることなどできないのだ。けれどもそれはきっと不幸なことではない。違う人間であるからこそ、出会うことが出来たのだから。
彼の手が止まった。ぱらぱらと紙の捲れる音と共に、ページが後ろから前へ繰られていく。
スタンドに照らされる瞳が、濡れているように見えるのは、光の加減なのか。
ふと、彼はこちらを振り向いた。
「ごめん、眩しかった?」
そんなことないと首を振る彼女に、優しく笑いかける彼は、泣いてなどいなかった。
「私、どれだけ寝てた?」
「そんなに長くないよ。一時間くらい」
「あんたは眠くないの」身を起こすと、はらりとブランケットが身体から滑り落ちる。
「うん。電車で寝られたからかな。座ってるだけでも休めたし、大丈夫」
「なにしてたの」
「見返してただけだよ」
手帳を開き、中の数ページを繰ってみせた。学校の時間割が書きつけられているページで、彼ははたと手を止める。
「もう、いらないかなって。破って捨てちゃおうか考えてた」
彼は哀愁を湛える口元で笑う。同じ学校に通うことも、早朝からあの街で新聞を配ることも、二度とない。それならば、と考えたに違いないのだ。
「おいときなよ。捨てる理由なんてないじゃない」
だが、彼が歩んできた道のり全てを綴ったのが、肌身離さず持ち歩く一冊の手帳なのだと彼女には思える。学校で酷い言葉を投げつけられる苦しみも、明け方に坂の上から眺める日の出の美しさへの感動も、これまで積み重ねてきた毎日が詰め込まれているのがその手帳。わざわざ思い立って破り捨てる必要性など、彼女には見つけられなかった。
「それもそうだね」父親から貰った大切な手帳を見つめる彼は、頷いてぱたりと閉じた。普段の彼なら決して、大事な手帳を破ろうとは思わない。もしかすると、さざめく心は詰め込み切れない不安の象徴なのかもしれない。その手に軽く手を重ね、これでいいんだよと彼女は頷いてみせた。
床のマットに転がったままぼんやりと視線を向ける。変わらず傍にいる少年は、背筋を伸ばし、何かを書いている様子だった。スタンドの明かりに彼の横顔が照らされている。その左手に握るのは細く短いボールペン、手元に広げているのは大切にしている黒い手帳。残り少ないページに何を書き込んでいるのかは、下からでは見えない。何文字か書いては考え、考えてはペンを走らせている。
じっと、少女は少年を見つめる。
彼はこれまで、その真っ直ぐな瞳で、どんな辛さを背負って、明けない夜空を暗い海の底から見上げていたのだろう。
その心をどれほど知りたいと願っても、知ることはできない。同じ海底に潜っていたとしても、同じ景色を見上げていたとしても、瞳に映る光景まで重ねることなどできないのだ。けれどもそれはきっと不幸なことではない。違う人間であるからこそ、出会うことが出来たのだから。
彼の手が止まった。ぱらぱらと紙の捲れる音と共に、ページが後ろから前へ繰られていく。
スタンドに照らされる瞳が、濡れているように見えるのは、光の加減なのか。
ふと、彼はこちらを振り向いた。
「ごめん、眩しかった?」
そんなことないと首を振る彼女に、優しく笑いかける彼は、泣いてなどいなかった。
「私、どれだけ寝てた?」
「そんなに長くないよ。一時間くらい」
「あんたは眠くないの」身を起こすと、はらりとブランケットが身体から滑り落ちる。
「うん。電車で寝られたからかな。座ってるだけでも休めたし、大丈夫」
「なにしてたの」
「見返してただけだよ」
手帳を開き、中の数ページを繰ってみせた。学校の時間割が書きつけられているページで、彼ははたと手を止める。
「もう、いらないかなって。破って捨てちゃおうか考えてた」
彼は哀愁を湛える口元で笑う。同じ学校に通うことも、早朝からあの街で新聞を配ることも、二度とない。それならば、と考えたに違いないのだ。
「おいときなよ。捨てる理由なんてないじゃない」
だが、彼が歩んできた道のり全てを綴ったのが、肌身離さず持ち歩く一冊の手帳なのだと彼女には思える。学校で酷い言葉を投げつけられる苦しみも、明け方に坂の上から眺める日の出の美しさへの感動も、これまで積み重ねてきた毎日が詰め込まれているのがその手帳。わざわざ思い立って破り捨てる必要性など、彼女には見つけられなかった。
「それもそうだね」父親から貰った大切な手帳を見つめる彼は、頷いてぱたりと閉じた。普段の彼なら決して、大事な手帳を破ろうとは思わない。もしかすると、さざめく心は詰め込み切れない不安の象徴なのかもしれない。その手に軽く手を重ね、これでいいんだよと彼女は頷いてみせた。
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