友だちは君の声だけ

山河千枝

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9 美咲②

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「美咲。信号、青だよ」
「え? あ、ああ、うん」

 ショートカットの頭が、パッと上を向く。大きな目には、いつもの明るい光がある。心が戻ってきたらしい。

「ごめん、ありがと。行こ、芽衣」

 美咲は向かいの歩道をあごでしゃくると、横断歩道の白いところを、ひょいひょいっと踏みながら走って行った。水色のランドセルにぶら下がる折りたたみ傘が、美咲がはねるたび、大きくゆれる。

「あ、待って待って」

 水色のランドセルを追いかけて、私も向こう側の歩道へ渡る。
 信号機のピヨピヨが消える。また、2人で歩き出す。

「芽衣ってさあ」

 急に美咲が言った。

「やさしいよね」
「ふえっ?」

 驚きすぎて、変な声が出てしまった。そんなことを言われるなんて、全然考えていなかった。
 
 だって本当に、私はやさしくなんかない。電車の中でお年寄りに席を替わったこともないし、ボランティアをしたこともない。

 今日だって、隣の席のナッちゃんが消しゴムを床に落とした時、拾おうとしたけれど、「一旦、鉛筆を筆箱に戻しておこう」なんて考えてモタモタしていた。
 美咲はサッと席を立って、消しゴムを拾ってあげていたのに。

「私、別にやさしくないよ」

 ため息をつきながら、足元の水たまりを、靴の先で踏んづける。

「そんなことないって。やさしいよ」
「美咲のほうがやさしいでしょ。去年も、捨て猫拾ってたし」

 その猫は、美咲とお母さんの間に親子ゲンカを引き起こした末、ユキという名前をもらって、今では美咲の家でのびのびと過ごしている。
 もし、その猫を見つけたのが私だったら。「お母さんが猫アレルギーなんだ、ごめんね」と、泣いて逃げ帰ることしかできなかっただろう。

「あー……なんていうか、そういうわかりやすい『やさしい』じゃなくて。芽衣と話してると、ホッとするんだよね」
「気をつかわなくていい、みたいな?」
「そうそう。……私のお母さん、3年前に離婚したんだけど、この間、再婚したじゃん?」
「あ……うん」

 ちょっとドキッとしながら、なるべくふつうの顔をつくって、私はうなずいた。

「親が離婚したあとは、家が静かで落ち着かなかったし、今も、新しいお父さんに不満がないわけじゃないんだよ。ただ、そういうことを言うと、みんなの表情が変わるんだよね。『あ、この子はかわいそうな子なんだ』っていう顔になる」

 その話を聞いて、「美咲ちゃんの家は複雑だから」とお母さんが言っていたのを思い出した。
 
「そんな顔されたら、言いたいこと言えなくなっちゃうんだよ。『気をつかわせるの、悪いな』って。あと、ちょっとムカつく。なんでかわかんないけど」

 美咲はペロッと舌を出して、横目に私を見た。

「でも、芽衣はそういう顔したこと、1回もないよね。小3で同じクラスになってから、ずっと変わんない。いつも、ふつう」
「それ……冷たいなあって思わない?」

 もっと落ちこんでみせたり、悲しそうな顔をした方がよかったのかな、と心配したけれど、美咲は「ううん」と首を振った。

「ふつうにしてくれるから、安心して愚痴が言えるんだよ。だから、芽衣と話してるとホッとする」
「そうなんだ……」

 よかった、とひそかに胸をなで下ろす。それから、ふとユウマくんのことを考えた。

(ユウマくんも、毎日大変そうだけど、私がふつうにしてたら安心してくれるかな?)

 ユウマくんは美咲じゃないから、わからないけれど。
 ただ、私との電話を「楽しい」と言ってくれた。だから、イヤな気持ちにはなっていないはずだ。

(そうだよ、楽しいって言ってくれたじゃない。私と友だちだから、楽しいって)

 思い出すと、胸の奥がくすぐったくなってくる。
 にやけてしまいそうだったので、美咲から視線をそらして、歩道の先へ目をやった。緑色の四角い光──塾の看板が遠くに見えた。

 いつもならここで気分が落ちるけれど、今日はむしろ心が軽い。塾のあとに、楽しみが待っているからかもしれない。
 家へ帰って、ごはんを食べて、ユウマくんとしゃべりたい。話の種も手に入ったし。

(ショウジっていう苗字、どんな漢字なのかな)

 美咲と並んで、緑の看板を目指して歩く。道の真ん中に、大きな水たまりが広がっていたけれど、美咲に続いて私も「えいっ」と飛び越えた。
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