友だちは君の声だけ

山河千枝

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8 美咲①

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(お姉ちゃんも知ってるんだ。美咲の家に、新しいお父さんが来たこと)

 たぶん、お母さんから聞いたんだろう。どうしてお母さんは、なんでもお姉ちゃんにしゃべってしまうんだろうか。
 それに、お母さんはきっと、変な言い方をしたんだ。そのせいで、お姉ちゃんも美咲のことを特別あつかいしてる。あまりよくない意味で。

(お母さんもお姉ちゃんも、美咲のこと、どうして『かわいそう』みたいに言うのかな)

 また、吐き気みたいな感覚が、うっすらとお腹の中に生まれた。

 ✳︎

 それからも、ユウマくんとの電話は続いた。私はお母さんに怒られないように、ユウマくんは弟のお世話があって、毎日、ほんの15分ほどしか話せなかった。
 だけどその15分は、食事のあとのデザートみたいに、1日の終わりを幸せな気持ちで締めくくってくれた。

『メイさん、ありがとう』
『今日も楽しかった』

 先生に怒られた日も、自分だけ二重とびができなかった日も、うれしそうなユウマくんの声が、落ちこんだ気持ちを軽くしてくれた。
 そして、電話を切る時には、

『メイさん、また明日。明日は、近所の猫の話をしてもいい?』

 と、楽しいことを約束してくれるユウマくんとの電話が、いつの間にか大好きになっていた。
 
 ✳︎

 6月も半ばを過ぎて、風がじめつくようになった。今日は、朝のチャイムが鳴ってから、帰りの会が始まるまで、ずっと雨が降っていた。

「芽衣! 塾、一緒に行こ!」

 帰り道、校門を出てすぐのところで、ランドセルのうしろをポスンと叩かれた。
 振り返ると、ほっぺたを桃色に染めた美咲が、にかっと笑って立っていた。長袖長ズボンの私とは反対に、Tシャツにショートパンツ、という涼しげな格好だけれど、おでこにポツポツと汗をかいて、息を切らせている。

「美咲、先に行ったんじゃなかったの?」

 教室には見当たらなかったから、1人で塾へ向かったんだと思っていた。

「いや~、帰りの会のあと、トイレに行きたくなっちゃってさ。教室に戻ったら芽衣がいなかったから、ダッシュで追っかけてきた!」

 ショートカットの頭をポリポリかいて、美咲は私の隣に並んだ。

「ほら、行こう!」
「あ、うん」

 私としては、身長は同じくらいのつもりなのに、黒く湿った歩道へ目を落とすと、美咲の影のほうがあきらかに大きい。

 その影が、クルッと私の方を向いた。

「芽衣、算数のテストどうだった?」
「……あんまり」

 返ってきたテストは62点。自己最高記録は更新できたけれど、胸を張れる点数でもない。「塾に通わせてるのに」って、お母さんは眉を寄せると思う。

 計算ミスは、ほとんどなかった。問題を解いている途中で、テストの時間が終わってしまって、答えの欄を埋められなかったのだ。

「美咲は? 算数のテスト、何点だった?」
「94」
「すごい! いいなあ、美咲は計算早くて」
「でも暗記系が苦手なんだよ!先週の社会のテスト、65点だもん」

 美咲は、ぶうっと頬をふくらませた。

「芽衣は私と逆だよね。3年の時も、社会のテスト、80点台ばっかり。漢字テストも、間違えたの見たことないし。なのに、そこまで勉強してないんでしょ?」
「まあ……でも、覚えるだけだもん」
「それが私はできないんだってば! その記憶力、うらやましいなあ。私の苗字も、私より先に覚えちゃって。あ~あ」

 大げさなため息に、私は思わず吹き出した。

「新しい苗字、すっごい画数多いもんね」

 4年生に上がると同時に、美咲の苗字は、「田中」から「サイトウ」に変わった。漢字で書いたら「齋藤」。

「なんで、もっと書きやすい名前の人と結婚しないかなあ、お母さんは!」
「でも、優しい人なんでしょ? 新しいお父さん」
「まあね。ゲームとかお菓子とか、何でも私に買ってくれて、『甘やかさないで!』ってお母さんに怒られてるような人だよ。苗字以外は文句なし。これで苗字が横棒1本だけなら、完璧だったのに」
「横棒1本?」

 極端な例が飛び出してきて、聞き返す声が裏返ってしまった。

「そんな苗字、ないでしょ?」
「あるよ。漢字で『一』って書いて、『にのまえ』って読むんだって」
「うそ⁉︎」
「ホント、ホント。ネットに載ってたもん。面白い名前、いっぱいあったよ。ほかには……えーっと、何だったかな?」

 右に左に、美咲は首をひねっている。
 赤信号を待っている間も、まだ何か考えている。

(そういえばユウマくんの苗字って、えっと……ショウジだっけ。どんな字なんだろ)

 今晩、話が途切れたら聞いてみよう。フワフワと浮かれていたら、突然、青信号のピヨピヨが頭の上でさえずり出して、とっさに飛び上がってしまった。

「あ、あはは、ちょっとぼんやりしちゃった……」

 美咲に笑われる前に、笑ってごまかそうとしたけれど、美咲は自分のスニーカーをじっと見つめながら、心を抜かれたみたいにぼうっとしていた。
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