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10 具合が悪いの?
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晩ごはんは終わった。宿題も終わった。お茶を飲んで、トイレにも行った。
今はベッドの上で体育座りをして、足元に置いたケータイを監視している。
(早くかかってこないかな)
短くも長くもない髪を、意味もなく耳にかけ直す。もう5回目だ。
ついにやることがなくなって、桜色の監視対象から視線を外して、枕元の目覚まし時計を見る。
(そろそろ8時だ)
そう思った時、じっと黙っていたケータイが、ヴーッ!と音を立てて激しく震えた。
(来た!)
すかさず手に取り、通話ボタンを押して、ケータイを耳に当てる。
『もしもし、メイさん。こんばんは』
電話越しにユウマくんの声がする。私はカメみたいに首を縮こめて、コソコソと返した。
「ユウマくん、こんばんは……聞こえる?」
『え? もしもし?』
「もしもし……」
『もしもし? メイさん?』
またダメだ。電話の相手に聞こえる小声で話すのは、むずかしい。
お姉ちゃんは、今はお風呂に入っているけれど、いつ出てくるかわからない。リビングでテレビを見ているお母さんだって、何か用事を思い出して、2階へ上がってくるかもしれない。
お父さんも、たぶんもうすぐ帰ってくる。
だから、部屋の外へ声が漏れないように、ギリギリ聞こえるくらいの大きさでしゃべろうとするのだけれど、なかなか加減がうまくいかない。
「ユウマくん、こんばんは。聞こえる?」
もう一度、今度は少しだけ声を出してみる。「うん」という、安心したような返事があった。
『でも……ちょっと気になってたんだけど、電話に出た時、ずっと黙ってることがあるよね。もしかして、忙しかった?』
「ううん、忙しくないよ。それに、黙ってたんじゃないの。言ってたんだよ、もしもしって。だけど声が小さすぎたみたい、ごめんね」
『そうなの? でも、前はもう少し大きく聞こえてたんだけど……』
このケータイ、壊れてきたのかな? と、ユウマくんは心配そうにつぶやいた。
「ケータイのせいじゃないよ。最近、わざと小さい声でしゃべってるの。実はこの前、ユウマくんと電話してるのが家族にバレちゃって」
『えっ! そ、そうだったんだ。大丈夫? 怒られなかった?』
さっきの5倍くらい心配そうな声が、なんだかおかしくて、私は口の中で笑った。
「大丈夫。電話の相手は学校の友だちだよって言っておいたから。でも、うそだってバレたら……」『ケータイ、没収される?』
「そう。特に、お姉ちゃんには気をつけないと。お姉ちゃん、いきなり部屋に入ってくるからなあ」
『えっ。メイさん、お姉ちゃんがいるんだ』
びっくりしたような声に、私もちょっと驚いた。
「言ってなかったっけ?」
『うん。メイさんの家族のこと、初めて聞いたかも。あ、お母さんの話は前にも聞いたけど』
「ああ……そういえば」
ユウマくんと電話していることがバレたら、お母さんにケータイを没収されるかもしれないから、大きな声では話せない。たしか、そんなことを言ったっけ。
(今、しゃべってる相手が美咲なら、『お姉ちゃんもだけど、お母さんにも気をつけなくちゃ。いつ2階に来るかわからないもん』って愚痴を言うんだけど……)
ユウマくんが聞いたら、自慢話だと思うかもしれない。ユウマくんにとっては、お母さんが家にいるっていうだけで、贅沢なことなんだから。
「ねえ。ユウマくんの兄弟って、タクマくんだけ?」
何か言われる前に、私は尋ねた。先に聞いてしまえば、お母さんの話をしなくてすむ。
『うん。……でも、タクマの名前、教えたっけ?』
「ううん。この前、電話を切る時に、『タクマ、スーパー行こう』って言ってたから」
その時、電話の向こうから「にいちゃん」とタクマくんの声がした。どことなく元気がないように聞こえる。
そう思ったのは、間違いじゃなかったらしい。
『タクマ。にいちゃん、電話してるからさ。もうちょっと寝ててよ』
『でも、お水ほしいよー……起きられないよー』
『あー……メイさん、ごめん。ちょっと待って』
コトン、という音のあとに、離れたところで人の動く音が続いて、しばらくして、またユウマくんの声が戻ってきた。
『ごめんね、お待たせ』
「ううん。でも、タクマくん大丈夫? 具合、悪いの?」
起き上がれないくらい、体調が悪いんだろうか。
『あ、うん。学校から帰ってから、だるいとか言ってて。公園で遊んでる時は、いつも通りだったんだけど』
ユウマくんの声に不安が混じる。
「そうなんだ……風邪かなあ。熱は?」
『うーん。それが、よくわからなくて』
「体温、測った?」
『体温計の電池が切れちゃって、使えないんだよ』
「そっか……」
また「そっか」ロボットになりそうで、そうなったらと思うと悔しくて、
「早く元気になるといいね」
と、付け足した。
『うん、ありがとう』
不安そうだったユウマくんの声が、ほんの少し、ホッとしたものに変わった。そこで、会話が途切れてしまった。
もう「バイバイ」をしてもいいのだけれど、むしろした方がいいんだろうけど、なんとなく寂しくて、私は口を開いた。
「えっと、あのね……あ、そうだ!」
苗字について、ユウマくんに聞こうと思っていたんだ。
「あのさ、ユウマくん。ユウマくんの苗字って、『ショウジ』だよね」
『うん。最初は絶対、トウカイリンって読まれちゃうけど』
「『トウカイリン』? なんで? 全然ショウジと関係ないじゃん」
わけがわからなくて、「んー」とか「うー」とか言いながら首をひねっていると、ふふ、というユウマくんのささやき笑いが耳をくすぐった。
『漢字のせいなんだ』
今はベッドの上で体育座りをして、足元に置いたケータイを監視している。
(早くかかってこないかな)
短くも長くもない髪を、意味もなく耳にかけ直す。もう5回目だ。
ついにやることがなくなって、桜色の監視対象から視線を外して、枕元の目覚まし時計を見る。
(そろそろ8時だ)
そう思った時、じっと黙っていたケータイが、ヴーッ!と音を立てて激しく震えた。
(来た!)
すかさず手に取り、通話ボタンを押して、ケータイを耳に当てる。
『もしもし、メイさん。こんばんは』
電話越しにユウマくんの声がする。私はカメみたいに首を縮こめて、コソコソと返した。
「ユウマくん、こんばんは……聞こえる?」
『え? もしもし?』
「もしもし……」
『もしもし? メイさん?』
またダメだ。電話の相手に聞こえる小声で話すのは、むずかしい。
お姉ちゃんは、今はお風呂に入っているけれど、いつ出てくるかわからない。リビングでテレビを見ているお母さんだって、何か用事を思い出して、2階へ上がってくるかもしれない。
お父さんも、たぶんもうすぐ帰ってくる。
だから、部屋の外へ声が漏れないように、ギリギリ聞こえるくらいの大きさでしゃべろうとするのだけれど、なかなか加減がうまくいかない。
「ユウマくん、こんばんは。聞こえる?」
もう一度、今度は少しだけ声を出してみる。「うん」という、安心したような返事があった。
『でも……ちょっと気になってたんだけど、電話に出た時、ずっと黙ってることがあるよね。もしかして、忙しかった?』
「ううん、忙しくないよ。それに、黙ってたんじゃないの。言ってたんだよ、もしもしって。だけど声が小さすぎたみたい、ごめんね」
『そうなの? でも、前はもう少し大きく聞こえてたんだけど……』
このケータイ、壊れてきたのかな? と、ユウマくんは心配そうにつぶやいた。
「ケータイのせいじゃないよ。最近、わざと小さい声でしゃべってるの。実はこの前、ユウマくんと電話してるのが家族にバレちゃって」
『えっ! そ、そうだったんだ。大丈夫? 怒られなかった?』
さっきの5倍くらい心配そうな声が、なんだかおかしくて、私は口の中で笑った。
「大丈夫。電話の相手は学校の友だちだよって言っておいたから。でも、うそだってバレたら……」『ケータイ、没収される?』
「そう。特に、お姉ちゃんには気をつけないと。お姉ちゃん、いきなり部屋に入ってくるからなあ」
『えっ。メイさん、お姉ちゃんがいるんだ』
びっくりしたような声に、私もちょっと驚いた。
「言ってなかったっけ?」
『うん。メイさんの家族のこと、初めて聞いたかも。あ、お母さんの話は前にも聞いたけど』
「ああ……そういえば」
ユウマくんと電話していることがバレたら、お母さんにケータイを没収されるかもしれないから、大きな声では話せない。たしか、そんなことを言ったっけ。
(今、しゃべってる相手が美咲なら、『お姉ちゃんもだけど、お母さんにも気をつけなくちゃ。いつ2階に来るかわからないもん』って愚痴を言うんだけど……)
ユウマくんが聞いたら、自慢話だと思うかもしれない。ユウマくんにとっては、お母さんが家にいるっていうだけで、贅沢なことなんだから。
「ねえ。ユウマくんの兄弟って、タクマくんだけ?」
何か言われる前に、私は尋ねた。先に聞いてしまえば、お母さんの話をしなくてすむ。
『うん。……でも、タクマの名前、教えたっけ?』
「ううん。この前、電話を切る時に、『タクマ、スーパー行こう』って言ってたから」
その時、電話の向こうから「にいちゃん」とタクマくんの声がした。どことなく元気がないように聞こえる。
そう思ったのは、間違いじゃなかったらしい。
『タクマ。にいちゃん、電話してるからさ。もうちょっと寝ててよ』
『でも、お水ほしいよー……起きられないよー』
『あー……メイさん、ごめん。ちょっと待って』
コトン、という音のあとに、離れたところで人の動く音が続いて、しばらくして、またユウマくんの声が戻ってきた。
『ごめんね、お待たせ』
「ううん。でも、タクマくん大丈夫? 具合、悪いの?」
起き上がれないくらい、体調が悪いんだろうか。
『あ、うん。学校から帰ってから、だるいとか言ってて。公園で遊んでる時は、いつも通りだったんだけど』
ユウマくんの声に不安が混じる。
「そうなんだ……風邪かなあ。熱は?」
『うーん。それが、よくわからなくて』
「体温、測った?」
『体温計の電池が切れちゃって、使えないんだよ』
「そっか……」
また「そっか」ロボットになりそうで、そうなったらと思うと悔しくて、
「早く元気になるといいね」
と、付け足した。
『うん、ありがとう』
不安そうだったユウマくんの声が、ほんの少し、ホッとしたものに変わった。そこで、会話が途切れてしまった。
もう「バイバイ」をしてもいいのだけれど、むしろした方がいいんだろうけど、なんとなく寂しくて、私は口を開いた。
「えっと、あのね……あ、そうだ!」
苗字について、ユウマくんに聞こうと思っていたんだ。
「あのさ、ユウマくん。ユウマくんの苗字って、『ショウジ』だよね」
『うん。最初は絶対、トウカイリンって読まれちゃうけど』
「『トウカイリン』? なんで? 全然ショウジと関係ないじゃん」
わけがわからなくて、「んー」とか「うー」とか言いながら首をひねっていると、ふふ、というユウマくんのささやき笑いが耳をくすぐった。
『漢字のせいなんだ』
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